第51話 水道橋

 JR総武線の車内。窓の外を流れる景色を眺めながら、リコは先ほど交番で警察官と交わした会話を思い出していた。

 日本オリンピックミュージアムでメダルを借りられなかったショックを引きずりながら、ふらふらと歩いていたリコは、これじゃいけない、まだ可能性はあると自分を奮い立たせ、通行人に交番の場所を訊ねた。教えてもらった千駄ケ谷駅前の交番に飛び込み、オリンピックのメダルを展示している場所はないかと訊ねると、若い警察官は少し考え込んでから、


「それならすぐそこの、日本オリンピックミュージアムにあるかもしれませんね」


 と答えた。

 それ以外でどこかにないかと聞くと、もう一人の中年警察官が、東京ドームに併設されている野球殿堂博物館に展示してあると言った。

 その警察官は巨人ファンでよく東京ドームに観戦に行っているらしく、「今は84年のロス五輪で日本が初代王者に輝いた時の金メダルを特別に展示しているよ」と興奮気味に教えてくれた。

 リコはお礼の言葉も言わずに交番を飛び出し、目の前の千駄ケ谷駅から電車に飛び乗ったのだった。


 オリンピックミュージアムでの失態がリコの脳裏をよぎる。焦りで冷静さを奪い、取り返しのつかない行動を取ってしまった。だけどもう同じ過ちは繰り返さない。今度は冷静かつ丁寧に事情を説明しよう。きちんと話せば、きっとわかってらえるはずだ。

 胸を拳で小さく叩きながら、絶対に大丈夫、絶対にうまくいく、とリコは自分に言い聞かせた。


 水道橋駅に到着し、改札を出る。ふと腕時計を確認すると、十三時五十六分だった。あと四分で時間切れだ。

 リコは慌ててバッグからKARIMOを取り出した。素早く画面をタップし、一時間を二千万円で購入した。これで獲得賞金が四千八百万円となった。問題はない。このお題さえクリアすれば、ぶっちぎりでトップに立てるのだから。


 リコは再び走り出した。東京ドームを目指して、人混みを縫うように進んで行く。

 どこかのゲートの隣にあるって言ってたけど、何番ゲートだっけ? 思い出せない。

 焦りが再びリコを襲う。しかし、立ち止まっている暇はない。東京ドームに沿って走りながら、ゲートを一つ一つ確認していく。


 そして見つけた。21番ゲートの横に、確かにそれはあった。野球殿堂博物館。間違いない。

 リコは息を整え、博物館の入り口へと足を進める。

 自動ドアの前まで来たが、扉は開かなかった。手をかざしてみるが、微動だにしない。ガラス越しに中を覗き込むと、そこは闇に包まれていた。館内はひっそりと静まり返り、人の気配は一切感じられない。

 まさか……休館日?

 その可能性に気づいた瞬間、リコの全身が凍りついた。

 嘘でしょ、そんなことがあるわけないじゃない。

 そんなこと、あっていいはずがない。

 しかし、目の前の光景は、残酷な現実を突きつけている。


 「なんでよ!」


 リコは叫び、ドアを拳で叩いた。


「ねえ、開けて! 開けなさいよ!」


 激しくドアを叩く。鈍い音が反響する。目の前のガラスには、リコの必死の形相が映し出されている。

 心臓が激しく鼓動し、胸が圧迫されるような感覚に襲われた。呼吸すらうまくできない。


「お願い、開けて……」


 ドアにすがりつき、祈るように呟いた。しかし、その願いは虚しく空を切った。

 リコはしゃがみ込み、頭を抱えた。

 なんでわたしがこんな目に遭わなきゃいけないの……。こんなことなら、UKCなんて参加せずに、賭ける側に回っておけばよかった。

 リコの脳裏に、入院中の妹の顔がぼんやりと浮かぶ。なんで妹のためにこんな競技に参加してしまったのか……。私の人生が台無しになったらまったく意味がないのに。一番大事なのは自分なのに……何やってんのよ、わたし。

 視界が歪み、涙が頬を伝う。

 リコは世界から取り残されたような、そんな感覚に襲われた。

 

 どれくらい時間が経っただろうか。リコはゆっくりと顔を上げ、涙を拭った。

 立ち上がった瞬間ハッとして、腕時計を確認すると、時間切れまであと六分だった。

 KARIMOを手に取り、追加でもう一時間購入した。これでまた二千万円が消えた。でも、このお題さえクリアすれば……。


「まだ……終わってない」


 リコは歯を食いしばり、歩き出した。

 闇の中を手探りで進んで行くように、ゆっくりと。

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