第50話 シルバーカード
リコがオリンピックミュージアムで騒ぎを起こす少し前。くるみと博は新宿マルタの休憩スペースのベンチに腰をおろし、体力の回復をはかっていた。
「まさか、くるみがあんなふうにほかの競技者を騙すなんてね」
博は自販機で買ったアイスコーヒーを口に運びながら、まだ信じられないといった様子でくるみを見つめている。
くるみは金崎という金髪頭を騙すアイデアを閃いた瞬間からそのことで頭がいっぱいだったので、博に作戦について話すことをすっかり忘れていたのだった。
「勝つためには仕方がなかったけど……後味は悪いね」
くるみは視線を落とし、呟くように言った。
「うん。でも、相手も同じようなことをしてくるかもしれないわけだから。先に仕掛けていくのは当然のことだと思うよ。父さんにはあんなことは絶対にできない。本当に感心するよ」
くるみを元気づけるように、博が言う。
残り時間は約二十四時間。実質的な活動時間としてはその半分もないだろう。ここからはどれだけ迅速に、どれだけ計算高く動けるかが勝負を左右する。
「次、どうしようか」
博に聞かれ、くるみは腕時計に視線をやる。体力も精神力も限界に近づいているのを感じるが、いつまでも休んでいるわけにはいかない。
くるみは博に向き直り、真剣な眼差しを向けた。
「現時点ではこっちがだいぶリードしてるけど、ゴールドカードに挑戦中のあの女の人がもしクリアしたら、逆に大きくリードされることになるよね」
「うん」
「そうなると、次は最低でもシルバーに挑戦しないとダメだと思うの」
「えーっと……あの女性の獲得賞金が今朝の時点で六千八百万円だったから、こっちがシルバーをクリアしても、向こうがゴールドをクリアした場合、まだ五千万円近くの差があるけど……」
「それはそうだけど、こっちもここでゴールドに挑戦するのはリスクが高すぎるよ」
「確かに……。うん、ここはひとまず、くるみの言う通りシルバーを選ぶのがベストだね」
博はそう言うと、残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。
くるみは立ち上がり、空のペットボトルをゴミ箱の穴に押し込むと、「行こう」と言った。
外へ出る。夏の陽射しが容赦なくアスファルトを照らしつけ、街全体が熱気を帯びている。
くるみは手に持ったKARIMOに視線を落とす。ここまではレッドとグリーンしか選んでこなかったが、ここに来て初めてシルバーカードへ挑戦する……。緊張感が、くるみの全身を覆う。
「じゃあ、押すよ」
「うん」
くるみは大きく息を吸い込み、慎重にシルバーカードの画像をタップした。
【動物の死体】
※魚介類・爬虫類・両生類・昆虫は不可
「なに、このお題……」
くるみが顔をしかめる。
「動物の死体って……嫌なお題だなあ……」
博が呟く。
「魚介類、爬虫類、両生類、昆虫はダメなんだ……」
「簡単にゲットできそうなものはNGってことか……」
「魚介類がオッケーだったら、魚屋で借りればすぐ終わるのにね」
うんざりしたような声で博が言う。それができたらどんなに楽だろう。
「ペットショップで借りようにも、殺すことを前提に貸してくれるわけないしね」
生きている動物ではなく、死んでいる状態のそれでなくてはならないという条件が、くるみの心を重くする。
「自分たちで捕まえるしかないってことか……」
「山に探しに行く? 小動物がいるんじゃない? リスとかウサギとか」
「そう……だね。まずはそれかな。……いや、でも、捕まえられるかなぁ……」
博は腕を組み、考え込む。
「あ、これって、鳥類はオッケーってことだよね?」
くるみが気づく。
「ん? ああ、そうだね。鳥類がダメとは書いてないね」
「鳥なら比較的捕まえやすそうじゃない?」
「うん。それに、殺めるのもほかの動物と比べると……まあ、なんというか」
博が言いよどむ。
言いたいことはわかったが、それについてくるみは何も言わなかった。
「鳥を捕まえるのが一番いいかもね」くるみが言うと、
「焼き鳥屋さんにないかな?」と博。
「肉の状態のやつしかないでしょ」
「……だよね」
苦笑いしながら、博が頭をかく。
「鳥がいそうなとこって言ったら、神社や公園じゃない? スズメとか鳩とか」
「そうだね。いいと思う。このへんのそういう場所、知ってる?」
「どうせなら大きな公園に行ったほうが可能性は高いんじゃないかな」
「確かに。近くにある?」
くるみは宙に視線を向け、思い出す。行ったことのある大きな公園は、井の頭公園と代々木公園だ。代々木公園のほうがより大きく、ここからも近い。
「代々木公園に行こう」
二人は新宿のホームセンターで伸縮式の虫取り網と鳥の餌、捕まえた鳥を収めるプラスチック容器を購入し、山手線に乗り込んだ。原宿駅で降り、公園へと早足で向かう。
「鳥なんて本当に捕まえられるのかな」
くるみが不安を口にする。
「父さんが子供の頃はよく山で捕まえたもんだよ」
「そうなの?」
「手で捕まえたこともあるよ。今は俊敏性がないから無理だけど、網があればなんとかなると思うよ」
博の口調には、わずかだが自信が滲んでいた。
長野の実家は山に囲まれていて、くるみもよくそこで遊んではいたが、鳥はおろか昆虫さえ捕まえたことがない。ここは父親に期待するしかないようだ。
二人は並んで、代々木公園の門をくぐった。緑豊かな芝生が広がり、その向こうには噴水が見える。その周りには、家族連れやカップルがのんびりと過ごしている。
二人で注意深く見回してみるが、肝心の鳥の姿はどこにも見当たらなかった。
「鳥の鳴き声は聞こえるんだけどなあ」
博がじれったそうに呟く。くるみは木々を見上げ、耳を澄ませた。確かに聞こえる。種類はわからないが、鳥のような鳴き声が確かに聞こえる。
二人はさらに奥へと進んで行った。
公園はくるみの記憶の中のそれよりも広大だった。こんなに広かったっけ? これだけ広いなら鳥の十匹やニ十匹くらいいそうだけど……。焦燥感が募る中、くるみはふと顔を上げた。
「お父さん、あれ!」
くるみが指さす先、木の枝に小さな鳥がちょこんと止まっていた。
「おっ、いた」
スズメと同じくらいのサイズのその鳥は、茶色いボディに黒い羽を付け、人間の子供のような愛くるしい表情をしている。
「よし、これで捕まえよう」
博はホームセンターで購入した鳥の餌を手のひらに乗せ、ゆっくりと近づいていく。
「ほら、おいで」
博がささやくように言う。
その声に反応するように、鳥は顔を下へ向けた。手のひらの餌をじっと見つめているようにも見える。
しばらくその状態が続いたが、鳥は餌をついばみに来ようとはしなかった。
「警戒してるのかな」
「……まあ、そんなうまくはいかないか」
そう言って、博は餌を投げ捨てた。伸縮式の虫取り網を手に取り、目一杯に伸ばす。
「やっぱりこれを使うのが一番だな」
博はゆっくりと鳥に近づいて行く。
「いい子だから動かないでね」
優しい声で諭すように呟きながら、さらに一歩近づくと、鳥は警戒心を強めたように、羽を震わせ始めた。
その瞬間、博が素早く網を被せにいった。
しかし、危機を察知した鳥は一瞬早く飛び立ち、木々の間へと消えていった。
「ああ……くそ」
博は悔しさのあまり、網で地面を強く叩いた。
「ごめん……」
「いや、惜しかったよ」
それほど惜しかったとは思わないが、ここで父親をなじっても仕方がない。気持ちを切り替えてさっさと次の鳥を探しに行かなければ。
とその時、
「あの」
声をかけられた。
五十歳くらいの男の人だった。
「はい?」
博が応える。
「さっきから見てましたけど、鳥を捕まえようとしてますよね?」
言葉は丁寧だが、男の口調には、二人の行為を咎めるニュアンスがはっきりとまじっている。
「ええ、まあ」
「ダメですよ。そんなことしちゃ」
「いや、えーっとですね、これにはちょっと事情が……」
「どんな事情か知りませんけど、やめたほうがいいですよ、そういうのは」
男は喋っているうちに怒りが高まってきたのか、顔が紅潮し始めている。
「僕は静岡からここのバードサンクチュアリに来た者なんですけどね、鳥好きとしては……許せないというか、えーっと、……とにかくですね、鳥は捕まえないでください」
「バード、サンクチュアリ?」
「鳥が生息しやすいように整備された区域ですよ。日本の都市公園で初めて作られたバードサンクチュアリが代々木公園にあるんです。知らないんですか?」
そんな場所があったなんて、まったく知らなかった。つまりこの人は、鳥好きのバードウォッチャーということか。
「とにかくですね、」
「わかりました。どうもすみませんでした」
くるみが割って入った。
行こう、と小声で博に言って、二人はその場を離れた。男は背後でまだ何か言っていたが、かまわず歩いた。
「ちょっと怖かったね、あの人」
博は困惑した様子で振り返る。
「面倒な人に絡まれちゃったね……よっぽど鳥が好きなんだろうけど」
くるみは苦笑する。
二人は鳥を求めて再び歩き始めた。公園内をあちこち探し回り、何匹か見つけはしたけれど、どの鳥も警戒心が強く、網を近づけるだけで飛び立ってしまう。
「思った以上に難しいな……」
博は額の汗を拭った。くるみも肩を落とし、ため息をついた。時間は刻一刻と過ぎている。
「お父さん、網、貸して」
ここまで見てきて、父親の網さばきはあまり上手とは言えなかった。自信があるわけではないが、自分でやった方が捕まえられる可能性は高いだろうと思った。
「やっぱ昔みたいにはいかないね。めんぼくない」
博から網を受け取り、しっかりと握りしめた。
再び鳥を探すために歩き出したが、その足取りはすぐに止まった。目の前に、男女の警察官が立ちはだかっていたのだ。
「すみません、ちょっとお話よろしいでしょうか」
女性警察官が口を開いた。
「通報がありましてね。鳥を捕まえている人がいると」
男性警察官が告げた。くるみは、心臓がドキリと跳ねた。
「通報?」
まさか、さっき鳥を捕まえるなと注意してきたおじさん?
「野生の鳥を捕まえる行為は、法律で禁止されているんですよ」
くるみと博は、目を丸くした。そんな法律があるなんて、知らなかった。
くるみはふと、小学生の頃、同級生がケガをして動けなくなっていたムクドリを連れ帰って飼っていたことを思い出した。
小さな鳥は昆虫などと同じように、自由に捕まえてもかまわないと、漠然と考えていた。
「詳しい事情を聞きたいので、署まで来ていただけますか?」
女性警察官が穏やかな口調で言った。
心に大きなとげが刺さったように、ジクリと痛んだ。
密猟業者になったような気分だった。
くるみは虫取り網を握りしめたまま、呆然と立ち尽くす。
どこかから、ピーっという甲高い鳥の鳴き声が聞こえてきた。
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