第41話 ろくでなし

○ 門脇リコ・門脇ミコ 2日目12時30分


 姉妹ペアは焦りを感じていた。グリーンカードのお題をクリアしたはいいが、獲得賞金の合計は六千八百万円で、まだ昨日の途中経過発表時点の二位にさえ追いついていないという状況だった。ライバルペアが今日さらに獲得賞金を上乗せすることを考えたら、ここで追撃の手を止めるわけにはいかなかった。

 ファストフード店で軽い昼食を取りながら二人は話し合い、その結果、連続でグリーンカードに挑戦することを決めた。


「押すよ」

「うん」


 KARIMOを手にしたリコが、グリーンカードをタップする。


【自己破産した人】


「自己破産って、借金をチャラにするやつだっけ?」


 ミコが聞く。


「そうだね」

「どうやって探す?」

「手当たり次第に聞いていくしかないんじゃない?」

「また数打ちゃ当たる作戦か」


 うんざりしたようにミコが言う。


「自己破産してる人ってどのくらいいるのかな」

「わかんないけど、何百人に一人じゃない?」

「マジか……」

「ウダウダ言ってても時間もったいないから、行くよ」


 リコはより人通りの多い場所へ移動しようと歩きだした。


「あ、ちょっと待って」


 ミコの声に振り返る。


「何?」

「あいつ、確か自己破産してるよね?」

「あいつ?」

「だから、あいつよあいつ」


 ミコがリコの前であいつと呼ぶ人物は一人しかいない。


「海藤さん?」

「そうよ」


 血の繋がっていない元父親、海藤正弘のことは、お題が出た時にリコの頭にも思い浮かんではいた。しかし、どうしてもあの男にだけは頼りたくないという思いがあったため、口にしなかったのだ。


「うん。あの人は、自己破産してる」


 元父親が自己破産したという事実は、母親から聞かされていた。


「だったら、あいつ連れて来ようよ。散々お母さんからお金せびってるんだから、断ることなんてできないでしょ」

「でも、あの人には頼りたくないじゃない……」

「そりゃ私だって嫌だけど、今回ばっかりはしょうがないでしょ」

「そうだけど……」

「お姉ちゃんの言うように自己破産した人が何百人に一人だったとしたら、見つけだすのは相当大変だよ? もし見つけてもテレビに映りたくないって断られる可能性だって高いよ。だったらあいつを連れて来たほうが確実じゃない?」

「まあ……そうかもしれないけど」


 悔しいけれど、ミコの言う通りかもしれないと思った。


「でも、一人は新宿に残って該当者を探したほうがいいんじゃない? もし海藤さんがダメだった時のことを考えたら、そのほうがいいと思うんだけど」

「え~? そう?」


 不満げな顔でミコが言う。


「わたしがここで探すから、ミコが行ってくる?」

「やだよ。あいつに一人で会いに行くなんて。二人で頼んだほうがいいって。一人より二人で頭下げたほうがあいつの心も動くって」


 ミコが必死に訴えてくる。


「ね? ぱっと行ってぱっと連れて来て、それで終わりだよ」


 そう言うと、ミコはもう駅のほうへ向かって歩き始めている。

 これ以上言って機嫌を損ねられてもやっかいなので、ここはミコに従うことにした。リコとしても、一人で元父親を尋ねるのは気が進まなかったので、内心少しほっとしたのも事実だった。

 実家の近くに住んでいる元父親のもとへ向かうため、二人はJR中央線の青梅特快に乗った。


「あいつ、いるかな」

「ほとんど家に引きこもってるって、お母さん言ってたよね」

「うん。たまに日雇いの仕事に行く時以外はね。ほんと、どうしようもないクズだよ」


 ミコが吐き捨てる。

 今日がその仕事の日ではないことを祈るだけだ。

 しばらく電車に揺られていると、リコは徐々に眠気に襲われ、ゆっくりと目を閉じた。その瞬間、かつて父親だった男から暴力を受ける自分の姿が頭の中に浮かび上がってきた。拳で殴られるようなことはなかったが、頭をはたかれたり、頬を平手打ちされたりなどの暴力が、日常的に繰り返された。その理由は、テストの点数が悪かったり、返事の仕方が良くないといった些細なことだった。

 一番下のカコに手を上げたのを見た時は、実家の階段から突き落としてやろうかと思うほどの怒りを覚えたが、結局離婚して離れ離れになるまでリコは何もできなかった。


 リコの脳裏に、また別のシーンが再生された。

 あれはリコが小学校から帰って来た時のこと。

 リコとミコが二人で使っていた部屋に誰かがいる気配がして、ドアの隙間から覗いてみると、父親が下着の匂いを嗅いでいたのだ。その下着が二人うちどちらのものかわからないが、全身の毛が逆立つほどの嫌悪感を抱いた。

 その時「この男は自分たちの父親なんかじゃない」と強く思ったが、母親にその日見たことを言うことはできなかった。



「着いたよ」


 ぼうっとしていたリコは、ミコに声をかけられ慌てて立ち上がった。

 元父親が暮らしているアパートは、駅から十五分ほど歩いたところにある。時代に置いてけぼりを食らったような雰囲気をまとってひっそりと佇むアパートは、築五十年は経過しているのではないかと思わせるほどオンボロだった。

 現在も姉妹が住んでいる実家の近くでもあるため、何度もアパートの前を通ったことはあるが、元父親の部屋を訪ねるのは今回が初めてだった。


「101だったっけ?」

「うん」


 二人は一階の端にあるドアの前に立った。名前のない表札に101号と書かれてある。

 リコはゆっくりと息を吐いた後、


「いくよ」

「うん」


 控えめにドアをノックした。

 反応がない。

 もう一度、今度は強めに叩く。

 やはり反応がない。

 日雇いの仕事に行っているのだろうか。それともコンビニに行っているのか。


「なんだよ。あいつ」 


 そう言ってミコがドンッと強く叩くと、


「はぁい」


 急に間延びした声がして、リコは身体がビクッとなるほど驚いてしまった。

 ドアがゆっくりと開き、中年男が姿を見せた。

 顔の下半分にぼんやりと広がっている無精ひげ、古びた質感のヨレヨレのTシャツ。

 約五年ぶりに会った元父親の雰囲気は、みすぼらしい、の一言につきた。


「あ」


 男はそれだけ発すると固まってしまった。


「どうも」


 リコが言う。


「リコと、ミコ?」


 リコは頷いた。


「久しぶりだねえ」


 男の顔に笑みが浮かんだ。


「お久しぶりです」


 何の感情も込めずに返す。


「どうしたの? UKCに出てたんじゃなかったの?」


 男の口から予想外の言葉が飛び出し、リコは驚きを隠せなかった。


「知ってたんですか?」

「うん。毎年観てるからね。昨日もずっと観てて、君たちが出てきたからもう驚いちゃったよ。それで明け方までずっと観てたんだけどそのまま寝ちゃってね。今君たちに起こされたとこだから、今日はまだ観てないんだよ」

「そうですか……」


 画面越しにでもこの男に観られていたのかと思うと、途端に気分が悪くなってくる。しかし、そうなると話も早いというものだ。


「今出されているお題が【自己破産した人】なんです。海藤さん、確か自己破産してましたよね?」

「お母さんから聞いたの? そうだよ。離婚後に自己破産したよ」


 言いながら男は頭をぽりぽりとかいた。


「わたしたちと一緒に来てもらえませんか?」

「俺が?」

「はい」


 男はぼさぼさの髪の毛をかきむしった後、上を見上げてう~んと唸った後、


「いいよ」と言った。

「ほんとに?」


 リコとミコがほとんど同時にそう言った。


「でも、条件がある」

「条件?」

「二人のうちどっちでもいいんだけどさ、抱かせてくれないかな」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。


「は? ……何言ってんのあんた」


 ミコが睨みつける。


「何って、そういうことだよ」


 男がそう言った瞬間、ここに来たのは間違いだったと気づいた。なぜ新宿で探す努力をしなかったのだろう。なぜミコの言うことを聞き入れてしまったのだろう。


「あんた、散々お母さんからお金せびってきたじゃない。こんな時くらい協力してくれたっていいでしょ!」


 ミコが詰め寄る。


「それとこれとは別だよ」


 冷静な口調で男が言う。

 そのあまりな台詞にミコは返す言葉もなく、肩を震わせながらただ男を睨みつけた。


「嫌ならいいから」


 男がドアを閉めようとする。


「待って。その条件を飲んだら、一緒に来てくれるのよね?」

「ああ。いくよ」


 リコは男の目を見すえたまま、


「わかった。条件を飲むわ」

「ちょっと待ってよ。お姉ちゃん本気で言ってんの?」

「本気よ」

「なんでよ。そこまでしなくても……」

「そうするしかないでしょ。ここから新宿まで戻るのに一時間以上かかるのよ。残りの時間で都合よく見つけられると思う?」


 ミコは唇を噛んで黙り込んだ。


「わたしがいくから」


 リコは言った。ミコがその役回りを絶対に引き受けないことはわかっているし、どちらが抱かれるのかを決めるためにごちゃごちゃと揉めるのも時間の無駄だ。


「でも……」


 そう言ってミコは宙に浮かんでいるDBに視線をやった。


「大丈夫よ。そういうシーンはさすがに放送されないだろうから」


 とはいえ、いかなる状況でも不正防止のためDBが撮影するのは間違いなく、運営の人間にはその様子を観られることにはなるだろう。


「じゃ、どうぞ」


 男が促す。

 リコは覚悟を決め、部屋の中に足を踏み入れた。背後でガチャリと鍵をかける音が聞こえた。

 男の部屋は雑誌や段ボールが散乱していて、すえた臭いがした。

 

 どうしてこうなったのだろう。

 何でわたしはここにいるのだろう……。

 この役目はやっぱりミコがやるべきじゃないのか?

 いつも貧乏くじを引くのはわたしだ。

 そう思うと、ミコに対する憎しみのような感情が湧いてきた。

 涙が溢れ出そうになるのを必死で堪えていると、背後から男が抱きついてきた。ねっとりとした息づかいが、耳元で聞こえた。

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