第57話 最後のカリモノ

 連行人と一緒にスタジオへ戻り、リッキーから改めて説明を受けると、ようやくくるみは状況を理解した。

 くるみと最後まで争っていたもう一人の競技者は、ルール違反を犯したことで失格となり、その時点でくるみの優勝が決まったとのことだった。

 万策が尽きて精神的に追い込まれてのことだったようだが、それは自分も同じだった。父親が大けがを負ったうえに連行され、何をすればいいのかさえもわからず、精神も肉体も、崩壊寸前だった。もう少しライバル女性の失格が遅かったら、自分のほうが先に壊れてしまっていたかもしれない。


「チャンピオンとなったくるみさんに、もう一度、盛大な拍手を!」


 割れんばかりの拍手と歓声。ちらほらとブーイングも聞こえてくる。きっと私以外の競技者に賭けて大損してしまった人たちだろう。


「くるみさんの最終的な獲得賞金額は、三億二千万円です! やりましたねえ。億万長者ですよぉ」


 大金であることは理解できるが、特別な喜びはなかった。


「改めて、今のお気持ちをお聞かせください」


 リッキーからマイクを向けられる。


「優勝したら、パートナーの連行を取り消すことができるんですよね?」


 リッキーの質問を無視して、そう聞いた。


「ええ、はい。優勝特典のことですね。パートナーが連行されていた場合、一億円で連行を取り消せます。そのこともこのあとに聞こうと思ってたんですが」

「お願いします。父の連行を取り消してください」

「はいはい、わかりました。でもとりあえず、今のお気持ちを」

「いいから早くして」

「……そうですか、わかりました。では、一億円でパートナーの連行を取り消しにさせていただきます」


 くるみはリッキーの目を見据えたまま、頷く。


「本来ならすぐにパートナーの方をスタジオにお連れするのですが、お父様は現在、治療を受けているはずですので、今回はそれが終わって回復したらご自宅にお帰りいただくということになります」

「わかりました……ありがとうございます」


 そう言って、ほっと息を吐いた。


「ということで、獲得金額は二億二千万円になりました。しかしですね、まだ優勝者特典があるのです。あるのですよ!」


 リッキーが大きく息を吸い込み、何かを叫ぼうとしたその時、一人の若いスタッフがリッキーのもとに駆け寄って来た。こそこそと耳打ちをする。

 頷きながら聞いているリッキーの眉間に皺が寄った。

 くるみの背筋が無意識に伸びた。喉がひりつき、呼吸が浅くなる。

 話を終えたスタッフが離れると、リッキーはくるみに向き直った。


「くるみさん。非常に残念ですが……お父様は先ほどお亡くなりになったそうです」


 その一言が耳に届いた瞬間、くるみの世界は音を失った。次に聞こえるはずの言葉は何も頭に入ってこない。ただリッキーの口が動くのを見つめながら、呆然としているだけだった。


「医療班による治療は行ったのですが、思いのほか重傷で、どうにもならなかったそうです……」


 リッキーが初めて見せる神妙な顔。


「嘘でしょ……?」


 くるみの声はかすれ、消え入りそうだった。足元が崩れ落ちるような感覚。

 視界は涙で滲み、リッキーの姿がぼんやりと揺れる。


「本当です。そういうことなので、お父様の連行取り消しは実行されません。よって、一億円の支払いもなしとさせていただきます」


 何かを言おうとしたが、声が出ない。心臓がぎゅっと掴まれたような痛みに襲われた。


「くるみさん、お父様の分まで、あなたが幸せになることですよ。人生ここからですから」


 くるみはただ黙ってリッキーの言葉を聞き流した。スタジオに漂う熱気が粘り気を帯びて、くるみの全身にねっとりと絡みつく。


「では、改めて、もう一つの優勝者特典〝ボーナスチャレンジ〟についてご説明します。これはですね、お題にチャレンジして成功したら、今持っている獲得賞金額が倍になるという特典です。つまりくるみさんの場合、成功したら六億四千万円になるということです!」


 くるみはぼうっと視線を宙に投げかけ、ただそこに突っ立っている。思考が働かない。


「しか~~し、失敗してしまうと、賞金額が三分の一になってしまいます。くぅぅ~」


 涙を拭うお馴染みのポーズ。観客もそれを真似しながらくぅぅ~と叫ぶ。

 六億四千万円……そう言われても、まったく心が動かなかった。なんの感動も興奮もない。


「制限時間は五時間。カードの色はサイコロを振って決めます。ブラウンが出たら簡単にクリアできますが、ゴールドが出たらさあ大変! というチャレンジになります。

 任意ですので、やるもやらないもくるみさんの自由です。やらないのであればそのまま三億二千万円獲得となります。さあ、どうしますか。じっくりと考えて決めてください」

「やるわ……」

「はい……? やる? と言いましたか?」

「……ええ」

「失敗したら獲得している賞金が三分の一になるんですよ。いいんですね?」

「…………いいわ」


 後悔しても、父は戻らない。それならば、もう何がどうなってもかまわない。そんな考えが頭を支配していく。

 失敗したら失敗したでいい。すべてが崩れ去っても、元々何もなかったのだから。


「くるみさんがボーナスチャレンジへの挑戦を表明しました! なんという勇気でしょう。なんという精神力でしょう。では、さっそくいってみましょう。ボーナスチャレぇぇぇンジ!」


 リッキーのがなりと同時に、スタジオが七色の光で輝き、ど派手な音が鳴った。

 スタッフが大きなサイコロを持って来て、リッキーに手渡す。


「運命を握るこのサイコロは、カリモンに振ってもらいます。カリモン、かもーん」


 マスコットキャラクターのカリモンが、ひょこひょことやって来る。


「ではカリモン、振ってちょうだい!」


 リッキーからサイコロを受け取ったカリモンが、高々とそれを放り投げた。床にバウンドしたサイコロは、カメラマンの足元近くまで転がって、止まった。

 上になっている面は、銀色に輝いていた。


「シルバーです! 挑戦するカードはシルバーに決定しましたぁぁぁ!」


 シルバーカード……。ゴールドほどではないにしても、難易度はとてつもなく高い。結局クリアすることができなかった【動物の死体】のお題もシルバーだった。


「ではくるみさん、KARIMOでシルバーカードを選んでください」


 促され、KARIMOを手に取る。

 画面を暫く見つめたあと、シルバーカードの画像を軽くタップする。

 カードがめくれて、お題が現れた。


【妊婦】

※産婦人科やレディースクリニックから連れてくるのは禁止


「出ました! 妊婦! お題は妊婦です! しかも、産婦人科やレディースクリニックから連れてくるのは禁止という条件つき。新宿にはそういう場所がたくさんありますから、そこを利用するのは禁止ということですね。いやこれは手厳しい。くぅ~」


 妊婦……どうやって見つければいいのかわからない。

 考えないと……でも、頭が回らない……。


「電車の優先座席に座ってるかもよ!」


 客席から声が飛ぶ。


「ダメですよ! ヒントを与えたら!」


 リッキーに注意された男性は、半笑いでごめんごめんと謝る。

 そこへスタッフが二人がかりで円形の物体を運んで来た。


「これは簡単に言うと、乗るタイプの妊娠検査薬です。妊婦さんを見つけてスタジオに連れてきたら、この上に乗ってもらいます。それだけで妊娠しているかどうかを瞬時に判断します」


 リッキーの説明が、ほとんど頭に入ってこない。

 十分なお金を手に入れたはずなのに、なぜリスクを追って更なる挑戦を選んだのか……。自分でもまったく理解できないが、今さら後悔してもどうにもならない。


「泣いても笑ってもこれが最後の挑戦となります。ではくるみさん、張り切って、いってらっしゃーい!」


 とりあえず、街に出て、お腹の出ている人に声をかけていく? そんなことしか思いつかない……。

 膝が小刻みに震え、重力が全身にのしかかるような感覚の中で、くるみは一歩を踏み出した。騒がしいスタジオの中に、自分の足音が響いた気がした。

 数歩進んだところで、視界がぐらりと揺れた。

 視線の先にある出口の扉が遠ざかるような錯覚に陥り、足元が不安定になる。


「行かなきゃ……」


 くるみはそう呟いたが、次の瞬間には全身の力が抜け、膝から崩れ落ちた。何かの冷たい感触が頬に刺さる。立ち上がろうとしたが、どこにも力が入らなかった。誰かが自分の名を呼ぶ声を聞きながら、次第に意識が遠のいていった。



      *



 父親が使っていた古びた小さな木の椅子に腰を下ろし、くるみはぼんやりと庭先を眺めていた。

 日本中を湧かせたあの狂気的な大会に参加してから二ヶ月が経過したが、今でもたったひとりきりの勝者となったことに実感が持てないでいる。

 少し大きくなってきたお腹を優しくなでながら、あの日の出来事を思い出す。

 意識を失っていたくるみが目を覚ますと、そこは控室だった。UKCのプロデューサーだという太った男から、自分の身に何が起こったのか、簡単に説明を受けた。

 くるみが突如倒れ込んで意識を失ってしまったことで、スタジオ内は騒然となったという。しかしルール上、誰かが手助けすることはできないため、迂闊に触ったり、救護班を呼んで診てもらうわけにもいかない。

 リッキーやスタッフがどうしたものかと困り果てていたところ、ピピピピッと判定器から音が鳴り、もしやと思いリッキーが確認してみると、陽性反応が示されていたという。


 倒れ込んだ時に、偶然にもくるみの上半身が判定器の上に乗るカタチとなったため、自然と機器が作動したとのことだった。陽性反応が示されたことで、【妊婦】のお題のクリアが認められ、くるみは意識のない状態のままで、さらなる賞金を手に入れることになったというわけだ。


 UKCが終わってからすぐに産婦人科で診察してもらうと、妊娠三ヶ月だった。父親として心当たりがあるのは、もちろん隆一だけだ。付き合っている頃は、結婚するならこの人しかいないと思っていたけれど、今はなんの未練もない。妊娠したことについて隆一に連絡を取ることもない。

 この子は、一人で育ててみせる。生まれてくる子供とポンと三人で、穏やかに暮らしていければ、それで十分だ。


 大会が終わった直後、世間は騒がしかった。テレビや雑誌、あらゆるメディアがくるみを「借りスマ」と持ち上げ、注目を集めた。だが、くるみにとってその熱狂も虚しいばかりで、喜びは一切なかった。取材の依頼も多数あったが、すべて断った。

 そのまま都会で暮らしていくことが煩わしくなり、東京の部屋を引き払って長野の実家に住むことにした。

 それでも時折、どこで住所を知ったのかわからないが、カメラを持ったYouTuberらしき人たちが、くるみの元を訪れることがあった。畑作業をしているところを勝手に撮影されたり、インタビューさせてくれと家に尋ねて来られたり――。グループで活動している有名なYouTuberから、借り物競争の企画に出演してほしいと持ちかけられたこともあったが、もちろんきっぱりと断った。

 自分が求めているのは、そのような非日常ではなく、平凡な日々なのだ。


 獲得した賞金額は、六億四千万円。非課税のため、まるまる手元に残った。あまりに額が大きすぎて、使い道がわからない。

 ただ、子供がある程度大きくなったら、二人でいろいろな場所に行ってみたい。遊園地や動物園に出かけたり、美味しいものを食べに行ったり、旅行したり――。

 そんなことを考えるだけで、幸せな気持ちになれる。

 ポンがくるみの足元に走り寄って来て、指先をぺろりと舐める。抱き上げて頭を撫でてやると、小さな声でくぅんと鳴く。

 先日、保護犬を救う活動をしている団体の特集をテレビで観たことを思い出す。運営資金が足らず、寄付を受け付けているとのことだった。翌日くるみは銀行へ行き、三百万円の寄付を行った。

 今のくるみにとっては大きな金額ではなかったが、手続きの最中は、心臓が痺れるほどの緊張感を味わった。それと同時に、どこか晴れやかな気持ちにもなった。今後ほかの団体も含めて、保護犬を救うための寄付は行っていこうと思っている。


 それとは別に、お金の使い道で言うと、くるみにはひとつだけささやかな計画があった。

 地元のどこかで、スナックをやりたい――。

 笑顔でお酒を注ぎ、さまざまな人とたわいもない会話を交わす。ただそれだけ。熾烈な順位争いもなければ、無理してお酒を飲む必要もない。

 子育てをしながらでもできるように、営業時間は午前中から夕方まで――。

 同僚だった凛ちゃんに声かけたら来てくれるかな? 私の店で一緒に働けたら最高だ。

 とめどなく妄想が膨らんでいく。ぼんやりと未来を思い描くこと、それが今のくるみには最も幸せを感じる時間だった。

 幸せ……そのようなものを自分が感じてもいいのだろうか……。明るい未来を手に入れる権利があるのだろうか……。考えても答えは出ないけれど、考え続けなければいけないと思う。考え続ける中で、それでもささやかな夢を実現させていくことが、これからの自分の生き方なのだろう。


 くるみは椅子から立ち上がり、台所へ向かう。昼食の支度をしようと手を洗い、棚からまな板と包丁を取り出す。東京では一度もやったことがなかったが、実家に戻ってからは料理をするのが日常の一部になっていた。

 父親の畑を引き継いで、野菜作りも始めた。収穫したばかりのニンジンが、カゴの中で鮮やかに輝いている。土の香りがほんのりと鼻腔をくすぐる。

 ニンジンは父親が育てていたもので、畑ではほかにも父親が植えた数種類の野菜が育っている。くるみは一から野菜作りの勉強をしながら、日々畑での作業に没頭している。単純な作業の中に、確かな喜びがあった。何かを育てるという行為が、こんなにも心を静めるものだとは思ってもみなかった。


 一本のニンジンを手に取る。小さな傷を見つけ、そっと親指で撫でる。

 水で汚れを洗い流し、包丁で丁寧に皮を剥いていく。

 いずれスナックを出したら、畑で採れた野菜を使った料理を出そうかな……。ママの作る美味しい手料理が食べられたら、それを目当てに来てくれるお客さんもいるかもしれない。

 ポンが駆け寄って来て、くるみを見上げ、尻尾を振る。


「この辺りでお店を出しても、お客さん来ないかな……」


 皮を剥きながら、ポンに向けて呟く。

 市内にお店を出せば、たくさんの人が来てくれるかもしれない。けれど、生まれ育ったこの場所を離れようという気にはどうしてもなれない。賑やかで便利な街よりも、この静かな家と父から受け継いだ小さな畑が、自分の居場所だと心から感じられるから――。

 お店は生活費を稼ぐためにやるわけじゃない。近所の常連さんたちが来て一緒に楽しく過ごすことができれば、それで十分だ。


「ポンちゃん、お昼はニンジンのスープにしようか?」


 小さく微笑み、包丁を握り直す。

 まな板の上で軽やかな音が響き、切り口から瑞々しい香りが広がっていく。


                        (了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

UKC ―アルティメット・カリモノ・チャンピオンシップ― 武市(たけち) @taKechi8

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画