第8話〈ソフィー号での仕事〉

「ベンさん、起きてください!時間ですよ」


 小汚い小さな部屋の中で、いびきをかいて爆睡するベンの体を、サヴァイヴが揺らす。時は朝。日が昇って間もないくらいの時間帯である。


 トカゲ船『叡智のソフィーズ・ひび割れクラックド・王冠号クラウン』、通称『ソフィー号』の船員としての初めての朝がサヴァイヴに訪れた。寝ぐせのついた黒髪をそのままに、必死にベンを起こそうとする。


 やっと起きたベンと二人で慌てて部屋を飛び出し、洗面場で顔を拭いて、身支度を整える。背後から、同じく起きたばかりと思われる灰色髪の若い船員が声をかけた。


「おう、ベン。今日非番?」

「馬鹿言え、仕事だ!お前もそうだろニコラ!」

「うんにゃ。俺、非番」

「はあ⁈」


 そんな会話をしているうちに、サヴァイヴは身支度が終わったようであった。


「ベンさん!早く行きましょう!」


 急かすサヴァイヴを、ニコラは興味深げに見た。


「こいつが、新人の子か。俺、ニコラ・アルジェント」


「サヴァイヴ・アルバトロスです!よろしくお願いします!」


 早口で言うと、サヴァイヴとベンは水場を後にした。


 サヴァイヴ達の部屋『B-22』と同じB2階層にある開けた部屋。食堂、と言うほど立派なものでは無いが、船員が食事をする場所らしい。カウンターのようなところに行き、飯を取る。オートミールのようなシリアル状の穀物と、サボテンに似た多肉植物の一種、それと酢漬けの野菜だ。席に移動すると、アリスとリカが待っていた。


「遅い!いつまで待たせるんですか!約束の時間とっくに過ぎてますよ!」


 ブルーアッシュの長髪をまとめながら、リカが言う。ベンはばつが悪そうに笑って食事をテーブルに置いた。


「いや、悪ぃ。普通に寝坊しちまった」


 フンッと鼻を鳴らすと、リカはその鋭い目線をサヴァイヴに移した。


「今度から、起きないようなら引っ叩いて良いですから」


「あ、うん。……分かりました」


 サヴァイヴは答えた。それから「早く食べ終わってください」とリカに促され、サヴァイヴは食事を口に運ぶ。リカは既に食べ終わっているようだ。アリスは先ほどからずっとシリアルを食べ続けている。


「私とアリスなんて、日の出前にはもう起きていましたよ。ベンジャミン先輩も、ちゃんとしてください。……サヴァイヴ、あなたも連帯責任ですから」


 再びサヴァイヴの方を睨みながら、リカは言う。サヴァイヴは苦笑いでそれに答えた。どうも、昨日のファーストコンタクトから、リカはサヴァイヴに対し当たりが強いようだ。


 それは昨日、第4階層での仕事内容を簡単に教わっていた時のやり取りだ。


「頑張ってね〜リカ!上手く教えられると良いネ!応援してる!」


「だから、子ども扱いしないでくださいリラン先輩‼」


 そう言ってリランを部屋から追い出すと、今度はベンを睨みつけた。


「あ、俺も邪魔なのね。ハイハイ、分ぁーったよ」


 くすんだ金髪を掻きながら言うと、ベンはサヴァイヴに言う。


「終わったら、B2の部屋に戻ってこい。アリスはリカの隣の部屋だから、案内してもらいな」


 そう言って出て行った。第4階層支配人室にはリカ、サヴァイヴ、アリスの三人と私、そして層支配人のハミオ・ハンデのみが残された。ハミオが机に向かって仕事をする横で、リカが話を始める。


「それで、具体的にはどんな仕事があるの?リカさん」


 サヴァイヴが聞く。リカは顔を赤くして言った。


「だから、先輩‼私先輩ですから!もっと敬うように喋りなさい!」

「……分かりました、リカ先輩」


 サヴァイヴはリカに従って訂正する。しかし、サヴァイヴの敬い方には心無しか『(笑)』がついているような気がした。どうも無意識的にリカを舐め始めているようだ。私の中の動物的勘がそう言っている。


 リカも私と同じものを感じ取っているのだろう。サヴァイヴの言い方に顔をしかめつつ、アリスの方を見て言う。


「あなたも傭兵なんですか?歳は?」


「『元』傭兵……。十四歳」


 リカは驚いたように目を見開いた。


「その歳で傭兵……。凄いですね。でも、私の方が一つ年上で、先輩ですから。敬ってくださいね」


「……うん。リカ姉さん」


 いきなりの親密な呼び方に戸惑った様子のリカだったが、どうやら尊敬されているらしいと思い直したのか、満足げに話を進めた。おそらくアリスは敬称をつけたく無いだけだと思うのだが、まあそれは良いだろう。


 まず仕事内容を二人に軽く説明するリカ。要はお客様対応なわけだが、そもそもこの船は、部屋の値段に四つのランクがあるらしい。この第4階層を主に使うのは、上から二つ目のランクの部屋を買ったお客様。つまり、比較的上の階級の人間が多いと言う。そのためこの第4階層では飲み物や食事のサービス等も行ったりする。それも仕事の一つらしい。ここまで説明を聞いたところで、サヴァイヴが手を挙げた。


「……あの、それって僕らの仕事なんですか」

「は?」

「僕とアリスの仕事は、この船の警備ですよね?だったらこの階層でもそれに徹するべきでは無いの?」


 特に、上流階級の者が集まるのなら余計に警備を強くしておく方が良いのではないかというわけだ。


「それに、いざという時はお客様だけでなく、他の船員も守らなくちゃいけないよね?リカ先輩とか、リランさん達も。それを考えると……」


「あなた、ベンジャミン先輩から何も聞いていないんですか?」


 目つき鋭く、リカは言う。


「船内の安全を揺るがすような事件なんて、そう頻繁には起きません。だから、普段は警備以外の仕事も行うのです。それに……」


 一歩前に出て、サヴァイヴに顔を近づけ睨みつけながら続ける。


「……私達は、あなたに守って頂く必要があるほど弱く無い!」


 下から嚙みつくような目を向けるリカを、サヴァイヴは見下ろして言った。


「……そうですか。分かりました」


 その声色に、納得は見られなかった。


 どうもサヴァイヴは、戦闘の技量においては傭兵でない人間を下に見ている節がある。傭兵としての強い誇りが、自負がそうさせるのだろうか。


 背後でハミオ・ハンデがニコニコと見守る中、リカとサヴァイヴは暫し見つめ合い……もとい、睨み合っていた。


 ……と、まあそんなことが昨日あったため、リカはサヴァイヴを気に入っていないらしい。


 本日の仕事は、午前中第4階層で働いた後、午後はベンと共に船全体のパトロールを行うというものだ。朝食を終えた後、サヴァイヴとアリスはリカについて第4階層に移動した。


 第4階層の中心部は、開けた空間に椅子が点々と並ぶラウンジのようになっている。比較的裕福な者が生活する階層なだけあって、席に座り談笑する人々の所作には品の良さが見て取れる。


「暖かいお茶を一杯、くれないかな。それと、なにか軽食を一つ」


 身なりの良い紳士が、読んでいた新聞から目を離し、礼服を身に纏ったサヴァイヴに声をかけた。サヴァイヴは笑顔で答える。


「少々お待ちください」


 それからてきぱきとお茶の準備をし、サンドイッチも作って素早く紳士のもとへ持って行った。どうやら満足して頂けたようだ。サヴァイヴはこれまで料理をしたりお茶を入れた経験がほとんど無いそうだが、一度教えられただけでもう覚えてしまった。器用なものだ。


「こちら、残量となります。ご確認ください」


 サヴァイヴは領収書のような小さな紙を紳士に手渡した。何の残量かと言えば使用可能な水の残量だ。このトカゲ船では、一人当たりが使える水の量が決まっているのだ。買った部屋のクラスが上であるほど、つまり、より高い金を払うほど使える水の量は多くなるらしい。


 戻ってきたサヴァイヴに対しリランが言う。


「凄いね~!私なんて、ちゃんとスムーズに対応出来るようになるまで数か月はかかったヨ!もう私は超えられました!お疲れ様でした〜。なんてネ」

「いやいや、そんな」


 冗談めかしてはしゃぐリランに対し、サヴァイヴは謙遜の笑顔を向ける。そのすぐ横でリカが「私は半年……っ」と悔しそうに呟いていた。


 キャラクター通りと言うべきか、サヴァイヴの仕事の出来は非常に優等生的だ。なんなら初めてにしてはちょっとおかしいレベルでもある。もし私が先輩だったら、こんな新人は逆に嫌だ。ではもう一方の新人、アリスはどうかと言うと……。


 ガチャン、と何かが割れるような音がした。今日はこれで三度目である。


 リカとサヴァイヴが音のした方へ向かうと、辺りには割れたティーカップが散乱し、服の一部が濡れたお客様と、ぐっしょりとスカートが濡れて無表情で床にひっくり返るアリスがそこには居た。リカとサヴァイヴはお客様へと謝罪し、手早く掃除をしてカップの破片とアリスを回収した。


「これで何度目だ⁈貴重な水分だ、もっと注意して動け!」


 先輩船員の一人である、黒い礼服を着た青年がアリスを叱る。アリスはただ無表情で青年の鋭い目を見つめていた。リランとリカが、アリスを弁護する。


「最初の日だから!そんな怒らないであげてヨ~!ボリスさん!」


「そうですよ!私だって、最初の数か月くらいはカップ割りまくっていたじゃないですか!サヴァイヴがおかしいんです!」


「お前はお前で、開き直んじゃねえよリカ!」


 先輩船員ボリスは、血管を浮かせた額に手をやって、ため息を吐きつつ言った。


「まぁ、なんだ。落ち着いてやれよ!」

「はい。すいません」


 アリスは無表情で答えた。そんな彼女のもとにリカが駆け寄る。


「私も最初そんな感じでしたから、大丈夫です!私はあなたの味方ですから!」


 アリスを励ましながら、横目でサヴァイヴを睨んだ。


「……調子に乗らないで下さいね」


 カップを拭くためにサヴァイヴの横に来たリカが、静かに言う。


「先ほどからの行動、全て手際良く正確です。優秀ですね。それは認めます。でも、だからと言って油断しないように」

「当然ですよ。先輩」


 サヴァイヴも静かに返した。お互いに目を合わさず、暫し無言で作業を行う。やがて再びサヴァイヴが口を開いた。


「どんな仕事にも、向き不向きがありますよね?」


 リカが横目でちらりとサヴァイヴを見た。サヴァイヴは続けて話す。


「アリスは、僕も一回手合わせしたことがあるんですが、凄く強いです。本気でやったら、僕も勝てないかもしれない。傭兵として、とても優秀です。でも、今やっている仕事はあまり得意ではないみたい」


「……だから、アリスには戦いの仕事だけさせるべきだとでも?」


 リカが付け足すように言う。サヴァイヴはさらに続けた。


「……もったいない気がしてしまうんです。あれほどの戦闘の才能が、技量があるのに、苦手なことをやらされて、怒られて。同じ傭兵として歯痒いと言うか……」

「だから、そういうのを『調子に乗っている』と言うんです」


 サヴァイヴは横を向いてリカの顔を見た。リカは目を合わさず、言葉を続ける。


「あまり得意でないみたい?そりゃあ、初めてやることです。得意なわけ無いでしょう。あなたが特異なんです。たった数度のミスで人の能力を決めつけないで下さい。不愉快です。この勘違い上から目線男」

「う、上から?」


「まあまあ!仲良くしなヨ、仲良くネ~」


 リランが仲裁に入る。近くにあった紙の裏側に『みんななかよく』と書くと、壁に貼った。それを即座にボリスが剥がす。


「ガキか!紙を下らんことに無駄遣いするな!」


 ボリスに怒鳴られるリランを背景に、サヴァイヴとリカは睨み合う。リカはさらに追い打ちをかけた。


「アリスが昨日、自分のことをなんて言っていたか覚えていますか?『元』傭兵です。あなたは、『まだ』傭兵みたいですけどね」


 サヴァイヴは眉をひそめた。二人はそれ以降一言も会話を交わすことなく、その日の午前は過ぎて行った。その間、アリスはさらに二回、食器を割った。


 午後の仕事、パトロールを行うためベンと合流すべく、サヴァイヴとアリスはB1の食堂へと降りて行った。皆仕事中のためか、人はほとんどいない。ベンもまだ来ていないようだった。古い木製の椅子に座り、二人は何もせず、無言でベンを待っていた。


 手持ち無沙汰なサヴァイヴは、右側の少し離れた席に座るアリスにそっと目を移した。アリスはきめ細かい銀髪を木製のテーブルに垂らし、木目を凝視していた。


「……アリスはさ、なんでこの船に乗ろうと思ったの?」


 サヴァイヴが声をかける。特に何か深く考えて発した言葉ではないだろう。ちょっとした雑談の調子だ。アリスはテーブルの木目から目を離すことなく聞き返した。


「なんで?」


「いや、だって君、強いから。傭兵としての天賦の才能に恵まれているのに、続けていればその実力を遺憾なく発揮できたのに、って思っちゃって。それなのになんで辞めてこの船の船員になろうとしたのかなって……」


「……戦うことしかできないと言いたいの?」


 静かに、無感情な声色で、アリスが言う。サヴァイヴにとっては意外な反応だったのか、彼は少し驚いた目でアリスを見た。アリスは木目から視線を離してサヴァイヴの方を見ていた。


 その顔は相変わらず無表情のままだった。しかし、目がいつもより煌いて見えた。それは、彼女の瞳の水分量がいつもより多くなっているかららしい。つまり、彼女の目は潤んでいた。今にも泣き出しそうな目をしていたのだ。


「いやっ、ごめん。そういうつもりじゃ……。そういうことが言いたかったわけじゃ」


 サヴァイヴが慌てて謝る。アリスは指で目の辺りを拭うと、何も感じていないような表情で言う。


「……確かに、私は戦うこと以外何もできない。今日、改めてそれがよく分かった」


 淡々と話すアリス。それに対しサヴァイヴはどうしたらいいか分からないといった表情で口をもぐもぐと動かしている。


 アリスは、常に無表情だ。だが、どうやら無感情では無いらしい。考えてみたら当たり前のことだが、私もサヴァイヴもそのことに気づいていなかった。今日の初めての仕事での失敗は、我々の想像以上に彼女を悩ませ、心を曇らせていたらしい。


 暫し、気まずい沈黙が流れた。サヴァイヴは恐る恐ると言った感じで口を開いた。


「……戦うのが嫌なの?」

「別に」


 アリスが素っ気なく返す。


「……でも、傭兵のままじゃ幸せになれないから」

「幸せ?」

「……人は、幸せになるために生きているって、本に書いてあった」


 サヴァイヴは少し首を捻って、いまいち納得のいっていないような表情になった。


「それは、そうかもしれないけど、でも傭兵は一般の人達の幸せを守るために、人々の代わりとなって戦う存在だよ。そういうのも幸せって言えるんじゃ……」


「私は、幸せになるにはどうしたら良いか分からない」


 サヴァイヴの言葉を無視してアリスは語る。


 まあ、正直無視するのも仕方ないと思う。サヴァイヴの言っていることは若干趣旨がずれている。アリスは独り言のように言葉を続けた。


「幸せを知りたくて、色々なお話を読んだ。お話の中のお姫様は、皆辛い目に遭って、でも王子様に出会って、最後は幸せに暮らす。いつまでも。幸せになるためには、王子様に会う必要があるみたい。だから私も王子様を探すことにした」


 アリスは相変わらず無表情のまま。声色にも抑揚が無く、感情が感じられない。それでも恐らく、彼女の心の中には様々な気持ちが渦巻いて、葛藤を超えてその結論に至ったのだろう。


「……私は、私の王子様を探すために、見つけて、幸せになるためにここに来た」


 サヴァイヴは何も言わず、不思議そうにアリスを見ていた。彼の予想していたどの返答とも違う、突飛な答えが返ってきたからだろう。


「あなたは?」

「え?」

「なんで来たの?」


 唐突に、アリスが聞き返した。その目線は左側に座るサヴァイヴではなく、真正面のカウンターに置かれた木箱に向けられていた。


 少し間を置いて。サヴァイヴは答える。


「今まで戦場以外の場所を見たこと無かったから、船に乗って、海を越えて色々な所に行って、広い世界を見て、知りたいと思ったから……かな」


 アリスは左に目線を移すと、珍しく、ニマッと意地の悪い顔で笑った。


「……うそつき」


「お!悪ィ悪ィ!待たせたな!」


 ベンが駆け足で食堂に入ってきた。


「ベンさん」

「さぁ、ここから先は、俺らの本職。船内警備の主要任務、パトロールだ」


 そう言うと、ベンはカウンター上の木箱の中に手を入れ、中から何かを取り出し、サヴァイヴとアリスに向けて投げた。サヴァイヴがキャッチしたものを見ると、それは卵であった。


 サヴァイヴは困惑気味に、ベンを見た。ベンは卵の殻を剝き、中のゆで卵を齧っていた。


「腹ごしらえしたら、行くぞ。色々面白いモンを見せてやる」

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