第17話〈航海の中で〉

 第4階層の螺旋通路にてサヴァイヴとエグゼがナイフを持った男と対峙していたちょうどその同時刻。中央階層にて、赤毛の華奢な青年と金髪の大柄な男が、コソコソと話しつつ、どこかへ向かう。


「……今いる場所は、中央階層。つまり乗客のエリア。ここより下に船員専用の階層がある。恐らく、副隊長が捕らわれているのはそこだ。さて、そこへ行くにはどうしたら良いと思う?」


 赤毛の青年コリングが尋ねる。金髪の大男トロンハイムは即座に回答した。


「階層間を移動する手段は二つしか無いっす。外側の螺旋通路か、船内に三つほど存在する人用リフトか。でも、螺旋通路は階層間を門のようなもので隔てられていて、それは船員にしか開けられない。と、なると……」


「僕達が利用すべきは人用リフトだ」


 コリングが言葉を引き継いだ。さらに続ける。


「それも、唯一下部階層へと通じている、第二リフト。この船の中心を一直線に通っているリフトだ。上で騒ぎを起こして、船員の戦力がそちらに集中している隙に、俺達はそいつに乗って下を目指す!」


「……甘いな。それを見越して警備はいつも以上に厳重にしてあるさ」


 二人に向けて声をかける男が一人。くしゃくしゃのくすんだ金髪の青年、ベンだ。腰につけた二丁のリボルバー式拳銃に手をかけ、今すぐにも撃ち出せるように構えている。


「この船には、若く優秀な人材が揃っている。お前らが仕組んだとかいう第4階層での騒ぎはそっちに任せるさ」


 そう語るベンの姿を、コリングは余裕を崩さずに見据えて言う。


「僕達傭兵に、銃は効かないよ」


 それを聞いたベンはニヤリと笑った。


「……どうかな。この銃、果たして普通の銃だと思うか?お前らのお仲間も、こいつの餌食になって捕まっちまった。その二の舞になりてぇか?」


 トロンハイムが、ピクリと興味深げに眉を動かした。


「へえ、あの副隊長が……面白いっすね」


 暫し、両者は見つめ合い、互いの出方を伺って膠着状態となった。コリングがボソッと呟く。


「……暴れるか?」

「……いや、どうでしょう。それはちょっとマズイんじゃ無いっすか」


 いくら二人が傭兵で、戦闘に自信があると言っても、ここは逃げ場のない海のど真ん中。そんな船の中で周り全てを敵に回すということは、さすがの彼らにとっても非常に厳しい状態である。


 とはいえ、このまま大人しく捕まるわけにもいかない。そこへ、威勢の良い男の豪快な声が。背後から二人に語り掛けた。


「そもそも俺達に見つかった時点で、お前さんたちのお仲間救出作戦は失敗だ。それより今は、自分たちの身の安全を考えるべきだと思うぜ。まあ、双方が納得できる結論に至れるよう、話し合いをしよう」


 二人は振り向いて、声の主を見る。大柄な髭面の男、ムスタファ船長だ。彼は手紙のようなものを差し出した。


「お前さんたちの上司から、手紙を預かっている。まあ読みな」


 コリングは、訝し気な目を手紙に向けつつ、ゆっくりと近づいて受け取った。

 

 

 この手紙に関しては、さらに少し時を遡る必要がある。丁度、リランがトンツー貝で緊急信号を送った直後だ。その信号を受け取るや否や、ムスタファは牢に捕えてある侵入者ヘルシング・バザナードの元へと向かった。


「……上で、ちょっとした騒ぎが起きている。もしかして、お前さんのお仲間の仕業かな」


 扉越しに声をかけられたバザナードは、笑いを含んだ声色で返答した。


「だろうね。あいつら、賢いとは言えないからなあ。無理やりの力技で俺との接触を測るとは思っていたが、やっぱり。割と大雑把な方法で来たね」


 それから一呼吸置くと、少し真面目な声色に変わり、バザナードは続ける。


「……あんまりあいつらを刺激しない方が良いよ。あいつらには、もし捕まりそうになったら、なるべく多くの乗客や船員を巻き込んで、最大限に抵抗しろと、言ってある。まぁ、こんな海のど真ん中で抵抗したとして、逃げ切れる可能性は皆無だが……それでも、タダでは捕まるなと念を押してある。どうだい、乗客や船員を殺されるのは、そちらとしては相当なデメリットだろう?」


「ああ。困るよ」


 ムスタファは余裕を崩さず、苦笑いで答えた。


「だがお前さんだって、できれば仲間を無駄死にさせたくは無いはずだ。まずは、話し合おう。お互いに納得できる方法があるはずだぜ」


 扉の前にどかっと腰掛け、言う。少し間が空いてから、バザナードからの返答が来た。


「こういうのはどうだろう。この船内において、俺の部下達はこの先、怪しげなことは何もしない。何かを探るようなことも、俺と連絡を取ろうとすることも無い。もちろん、四六時中監視をつけておいてくれて構わない。その代わり、俺にしているように捕えたりすることはせず、次の港で奴らを解放する……もとい、この船から追放するというのは?」


「そうかい。そりゃこちらとしては願ってもない申し出だが……そちらのメリットは?」


 ムスタファが若干怪しむように問う。バザナードはさらりと答えた。


「部下を無事にこの船から逃がせる。とりあえず、今はそれで十分さ。こちとら人手不足だしね、あんたの言ったとおり無駄死には避けたいのだよ」


 ムスタファは数瞬考えた後、彼の案を了承した。そして、バザナードに手紙を書くよう言った。部下達に、今締結した取り決めの内容を伝える文章だ。本人の直筆の手紙で示されたら、部下達も納得するだろうと言う判断だ。


 バザナードは扉を開けて部屋に入ってきたムスタファから紙と、鉛筆の芯を思わせる細く黒い棒状の筆記具を受け取り、鎖に囚われた手で器用にサラサラと書いてよこした。次のような内容の文だ。


【クレバイン、ペンタチ

この船に目的の物は存在しなかった。この先、一切の抵抗をすること無く、次の寄港地ウルス・マゼラ領イスラルシージャ島にて船を下りること。

フギオン・S】


「……悪いが、このままの文章では渡せない」


 手紙から目を離さずに、ムスタファは言う。


「お仲間同士だけで通じる暗号が隠されている可能性がある。『存在しなかった』という言葉が逆の意味を持っていたり、とかな。だから、この文章と近い内容で俺が文を考えるから、お前はそれをそっくりそのまま書き記せ」


 バザナードは観念したように肩をすくめて苦笑いをした。ムスタファの添削が入り、バザナードが書き直し、実際に二人に渡された手紙の内容は次の通りだ。


【ペンタチ及びクレバインへ

 我々の計画は既に漏れている。即座にお前達に課した任務は中止とし、次の寄港地にて船を下りるように。

フギオン・S】


 サッと手紙に目を通したコリングは、トロンハイムに目配せをした。トロンハイムは無言で小さく頷く。ムスタファが二人に向かって言う。


「お前さん達が抵抗しなければ、こちらも拘束したりしない。この船は明後日には次の寄港地であるイスラルシージャ島に到着する。そこで下りてもらう。どうだ?」


 何も言わずムスタファの話を聞いていたコリングは、やがてわざとらしく両手を上げて、降参の意を示した。


「分かったよ。副隊長に言われたんじゃ仕方がない。抵抗はしないさ。そのナントカ島とやらに着くまで、ただの乗客として居させてもらうよ」


「もちろん監視はつけさせてもらうぜ。だが、囚われの身よりゃ良いだろ」


 ベンが念を押すように言う。コリングはニヤッと笑って頷いた。


 ムスタファは相変わらず豪快に笑うと、監視要因としてトムを呼ぼうとトンツー貝を手に取った。だが、その瞬間、貝の表面に微振動が走る。連絡を取ろうとしたトムから、逆に信号が届いたのだ。内容は緊急連絡。第4階層の現在の状況を伝えに、ボリスが下部階層へ下りてきて、トムに報告したらしい。ナイフを持って暴れる不審者の呪術により、リカが負傷。エグゼが処刑の許可を求めている、とのことだ。ムスタファはその詳しい話を聞いて判断するべく、早急にトムとボリスをこちらへ呼んだ。


 駆けつけた二人から詳細を聞いたムスタファの判断により、殺傷の許可が下りた。サヴァイヴ及びエグゼの健闘によって不審者は死んだ。



 事件が終決してから少しばかり時間が経ち、日が暮れ始めた頃。B1階層医務室の奥にある小さな個室のベッドに寝かされていたリカが目を覚ました。その報告を受けたエグゼは彼女の元へと駆けつける。扉をノックして中に入ると、上体を起き上がらせて下の方を見ながら、何か考え込むリカの姿がそこにあった。


「意識は回復したらしいな」


「……エグゼ」


 リカがゆっくりとエグゼの顔を見る。それから頭を下げた。


「ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」


「別に、大したことはない」


 謝罪する姿から目を逸らしつつ、エグゼは言う。リカの方もまた、目線を下に逸らしながら恐る恐る聞いた。


「……怪我とかしませんでした?」


「貴様から傷をうけるほど、俺は柔ではない。気にするな」


「……気にしないとか、できません」


 リカは少し声を震わしながら呟く。その目には涙が滲んでいた。


「……私が意識を失っている間に、私自身の手で、私の大切な人達を傷つけてしまうかもしれない。……もしかしたら……殺して、しまうかもしれない。怖いです」


 首からペンダントのように下げられたカプセルを右手に掴む。その右手は呪いの後遺症か、未だ赤黒く染まっていた。カプセルを見つめて一筋の涙を零す。


「……このムーンライトジェムのお陰で、呪いを克服できたと思っていたのに……そうじゃなかった。私は、一生こうなのでしょうか。ずっと、誰かを傷つける恐怖に怯え続けるのでしょうか」


 ありもしない答えを求めるように、彼女はエグゼの顔を見た。エグゼは何も言わず、ただジッと彼女の顔を見ていた。彼女はまた目を逸らし、涙を拭った。


「ごめんなさい。こんなこと言われても困りますよね……。これは私自身の……」


 唐突に、エグゼがリカの右手を掴む。そして包み込むように握った。リカは驚いてエグゼの顔を見る。彼は変わらず真剣な表情で、力強く答えた。


「お前のような、誰も傷つけず、誰も殺さず、ただ平穏な日々を送りたい者達。そういった者達の安寧を守るのが、俺達処刑人の使命だ。……心配するな。もしまたお前が暴走したら、俺がこの身に変えてでもお前を止める。お前に誰も傷つけさせたりはしない」


 リカは目を潤ませながらエグゼの顔を見つめていた。エグゼはさらに続ける。


「……もし万が一にでも、お前が誰かを殺めてしまったら、その時は俺が責任を持ってお前を処刑してやる。だから安心しろ」


 力強く、真剣な表情でリカに向かい言う。リカの顔には思わず笑みが零れた。


「……何ですかそれ、ちっとも安心できませんよ……」


 涙を流しつつ、彼女は笑った。エグゼは少しキョトンとしたが、やがてリカの笑顔を見て、口元に少しだけ微笑みを浮かべた。



「何か、考え事の最中でしたか」


 B2階層の奥にある船長室を訪れた、骸骨顔の青年トムがムスタファに話しかける。ムスタファは小さく笑った。


「まあな」


「殺傷許可の件ですか」


 トムがさらに問う。ムスタファは頷いた。


「……船長の辛いとこだな。難しい判断を即座にしなくっちゃならない。後になってゆっくりと考えてはみたが、改めてその判断に間違いは無かった。……それはそうなんだが」


 彼にしては珍しく、沈んだ表情で小さく溜め息を吐いた。


「……あいつらの人殺しの経験を増やすようなこと、したくは無かったんだがな。少なくとも、この船に乗っている間だけは」


 事件の後、現場に訪れたムスタファはエグゼとサヴァイヴに謝罪した。二人は事も無げに、気にする必要は無いという旨のことを話した。むしろなぜ謝られているのかが分からない、といった表情をしていた。その表情が、ムスタファの心に何か悲しいものを生じさせるのであった。


 そんな彼に対し、トムは笑顔で報告する。


「喜ばしいニュースもあります。リカが目を覚ましたそうですよ」


 それを聞いたムスタファの表情が明るくなった。


「そうか!良かった。容態はどうなんだ」


「ドリュートン先生と……それと、偶然医務室にいた医者を名乗る青年の言うことには、とりあえずは問題ないとのことです。呪いの痕は残っていますが、それも数日で消えるだろうとのことです」


 ムスタファは安堵したように笑った。それから、トムの言葉に出てきた謎の人物に言及する。


「……その、『偶然医務室にいた医者を名乗る青年』って誰だ」


「なんでも、ドリュートン先生のお知り合いだそうで、抗呪医療に精通しているとか」


 ムスタファは興味深げに聞く。それから、何か思案するような顔でまた黙るのであった。



 ムスタファとトムが会話しているのと同時刻。B2階層にある書庫にて、サヴァイヴが椅子に座って本をパラパラと開いている。近くの小さなテーブルには分厚い伝記が数冊積まれており、そのすぐ近くに鳥のテイラーが留まって本の表紙を眺めていた。


 何か悩んでいるかの様な表情で本をめくっていたが、やがて最後のページに近づいたところでパタン、と閉じた。それから目をつぶって、手を額に当てる。その表情には自己嫌悪のようなものが見て取れる。テイラーがまるで心配するかのように彼の顔を見上げて覗き込んでいた。


「……何をしているの」


 アリスがどこからともなく現れ、声をかけた。結んだ銀髪が揺れている。その手には一冊の本を持っていた。


「アリス……。いや、別に」


 小声で言いながら、サヴァイヴは積んである伝記に手を伸ばす。それを少し開いてから、また閉じた。アリスが首を傾けた。


「読まないの?それ……」


「うん……。まあ、今は良いかな、って」


 作り笑いを浮かべて、サヴァイヴは小さく溜め息を吐く。しばらく二人は何も言わず黙っていた。本の表紙を無表情で眺めるサヴァイヴ。そんな彼の顔を、アリスはジッと見ていた。サヴァイヴは目だけを彼女の方へ動かすと、おもむろに口を開く。


「……本を……読み進んでいると、結末が知りたくなるんだ。どうしても……最期が見たくなっちゃう。どういう終わり方をするんだろうって……。自分でも止められないくらいに思っちゃう」


 気持ち悪そうに顔を歪めつつ、口だけは作り笑いを滲ませる。そんなサヴァイヴの言葉を嚙み砕くように、読み込むように、彼から目を離さずに、まばたきすらせずにアリスは聞いていた。


「終わりが見たくなるのは、悪いことだよね」


 サヴァイヴは苦笑いをしてアリスを見た。アリスは静かに口を開く。


「……良いか悪いかなんて分からないけれど。私にはその気持ちが分かる。でも、今は少し変わってきた」


 アリスはゆっくりと言葉を紡ぐ。自分の心の中にある不安定で不定形な何かを出来るだけ分かりやすく形にするにはどうしたら良いのか考えているのだ。


「……私は、今は続きが読みたいって思うようになった。もっと、続いてほしいって。お姫様は王子様といつまでも幸せに暮らす。幸せな暮らしって、具体的になに?……それが気になる」


 言いながらアリスは、先ほどから手に持っていた本を差し出した。サヴァイヴはそれを受け取る。それは、彼女の好きな物語『木苺姫と妖精の王子』であった。アリスは小さく微笑んで続ける。


「……知っている?それ、続編が出るんだって」

「え、本当⁉」


 サヴァイヴが驚きの声を上げる。


「……綺麗に終わった話なのに、なんで続きなんて……?蛇足になるんじゃ……」


「それは、読んでみないと分からない」


 アリスはニッと笑った。彼女は少しワクワクしているらしい。


「サヴァイヴも、『終わり』だけじゃなくって『続き』が見たいって思うようになったら、読んでみたらいい。私は先に読んでいるから。少しの間だけなら、内容を話すの我慢してあげる」


 なぜか自慢げな表情で笑うアリスの顔を、サヴァイヴは見上げた。それから、テーブルに佇むテイラーに目を移す。テイラーはまるで頷くかのように、二回首を縦に振った。


 そこへ、どこか品の無い足音が近づいてくる。本棚の影から、ベンが顔を出した。


「おう、お前らこんなとこにいたのか。リカが目を覚ましたらしいぜ」


 それを聞いた二人は、速足で本を棚に戻すと、医務室へと向かって行った。



 時刻は深夜。中央階層の客室の一つ。二段ベッドのように寝床が四つ押し込まれた狭い部屋。基本的に寝るくらいしか出来ない、最も安い部屋だ。四人用の相部屋となっているが、今この部屋に泊まっているのは二人だけであった。華奢な赤毛の青年と、大柄な金髪男だ。赤毛の青年が上の段のベッドに寝っ転がりながら、囁くような小声で言う。


「扉の外、こんな時間でもいるんだな。ご苦労なことだ」


 部屋の外には、二人を監視する船員が立っている。金髪男は下の段のベッドで座りつつ、手紙に目を通していた。そして人の良さそうな笑顔で答える。


「そうっすね~。そんな警戒しなくても、言われた通り大人しく次の島で下りるのに。信用無いっすね」


「まぁ、そりゃそうだろうな」


 赤毛男はくすくすと笑う。それからまた囁くように呟いた。


「あの手紙は、副隊長の方からコンタクトを取ってきたってことで良いんだよな?」


「はい。間違い無いっす。副隊長の字でしたから」


 金髪男が頷く。二人の脳裏に浮かんでいるのは、乗船前に上司に言われた言葉だ。



「船内で俺のほうからお前達二人にコンタクトを取ってきたとしたら、それがどんな形であれ、『薬があった』というメッセージと捉えるのさ」



「明後日、港についたら僕らは、大人しくこの船を去る。そんで……帰ろうぜ。仲間の元に」


 副隊長から伝えられた、情報と共に。

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