第41話〈ヴィンテージの持ち主〉
「周りを敵に囲まれて、死神部隊の長であるこの私に阻まれているこの状況で、馬のいない馬車を、どうやって運び出す?君の策を見せてくれよ。サヴァイヴ・アルバトロス……!」
黒髪褐色肌の青年、ハクア・C・レイヴンが虹色の瞳をサヴァイヴへと向けて試すように問う。
サヴァイヴは、馬車の前に立つ包帯男に声をかけた。
「手筈通りに、お願いします‼」
包帯男は無言で頷くと、馬車のくびきを両手で掴み、思いっきり引っ張った。驚くべき怪力により、馬車が動き出す。包帯男はさらに唸り声を上げ、走り出した。
「ふんがぁぁぁぁぁぁぁっぁぁっぁぁあぁぁぁぁ‼」
馬車が倉庫の出口へ爆走する。顔面包帯ぐるぐる巻きの男が一人で馬車を引っ張り駆け出すと言う、余りにも異常な光景に恐れ慄いた様子のブロンズ達は、馬車に轢かれないよう、慌てて道を開ける。包囲網が崩れた。
……かと思ったがその直後、銃声が鳴り、包帯男は頭に弾を受けてその場に倒れた。馬車が急停止する。銃を構えたハクアが、少し驚いた様子で額に汗を滲ませつつも、口元には余裕を残した苦笑いを浮かべて、馬車に乗るサヴァイヴへと声をかけた。
「いや……なんというか、予想の範疇を超えた突破方法だったな。なんだ、その妖怪のような男は……?どこで見つけて来た?」
サヴァイヴは何も答えず、ハクアを睨む。
「……まあ、良い。これで君の策は一つ潰えた。そもそも、この私を何とか攻略しない限り、君達がここから抜け出すことは不可能なわけだが、そこまで考えは至らなかったかい?」
ハクアは軽く笑いながら、促すようにサヴァイヴへ問う。
「ほかにも考えはあるのだろう?それとも、これで万策尽きたかい?」
「……ありますよ。あなたに少しでも隙を作れば、そこを突いて、逃げ出せます。あなたを動揺させることができれば」
サヴァイヴが低い声で、狙いを定めるようにハクアを見据えつつ、言う。そんな彼の表情を面白そうに見ながら、余裕綽々といった様子のハクアは両腕を大きく開いて、芝居がかった口調で挑発するように言った。
「面白い。ぜひやってみてくれ。この私に隙を生じさせることが出来るかな?君に。楽しみだ」
笑うハクアを見て小さく溜め息を吐いたサヴァイヴは、手を口元にあてて、軽く思案するように、話し始める。
「前に、言っていましたよね?レイモンドさん。本当の罰とは、死ではなく、死を伴わない苦痛。死をも超える、心を侵す苦痛だって。あなたにとって、それが一体何なのかを考えてみたんです」
「それで、答えは出たか?」
面白がるような口調で、ハクアが尋ねる。サヴァイヴは無言で頷いた。
「なんとなく……引っかかるところがあったんです。何故あなたは、ドリュートン先生を背後から、頭を撃って即死させたのか。いや、もちろん、理由は簡単だ。仕事として、最も抵抗のされにくい、すぐに死に至る無駄のないやり方を行っただけと、言ってしまえばそれまでだ。……でも、なんでだろう、それだけじゃ無い気がしたんです。あなたは、僕達にたくさんの嘘を吐いてきた。なんの抵抗も罪悪感も持つことなく、僕達を騙してきた。……でも、嘘じゃない部分もあったと思うんです。あなたが完璧に僕らを騙すことができたのは、あなたが虚実を混ぜていたから。多分、ドリュートン先生への尊敬、信頼、敬愛、その感情だけは……嘘では無かったと思うんです」
「その通り。先生が私にとって恩人である事実には変わりない。あの方は、私の知る限りで最高の医学者だった。尊敬していたよ」
一瞬、懐かしむような、名残惜しく思うような、不思議な色を瞳に浮かべたハクアであったが、即座にまたいつもの余裕のある表情に戻って、笑った。
「だから、私が先生を殺そうとしているという事実を、先生に知られたくなかった。私は先生自身に気づかれないように先生を殺した。先生本人が、自分が誰に殺されたのか気づく事なく死ぬように。君は、そう言いたいわけだろう?なるほど、あるいはそうかもしれないな」
クククッと笑いながら、ハクアは持っていた銃をサヴァイヴへと向けた。
「だが……それがどうした?もしもそうだとして、その事実がこの私を動揺させるものだとでも?私が先生を敬愛していたことなど、私自身が一番知っている。今さら、君に教えてもらう必要など無い」
「ええ、そうですね。だから……できればこの手段は使いたくは無かった」
悲しげな、切なげな表情で、サヴァイヴは包帯男へと目を向けた。頭を撃たれて倒れていた包帯男は、いつの間にか起き上がっていてハクアを無言で見つめている。ハクアは訝しげに包帯男を見て銃を向けた。
包帯男はゆっくりと、顔に巻いてある物をほどいていった。やがて現れた青白い素顔を見たハクアの顔面から、笑みが消えた。持っていた銃が彼の手から離れ、地にぶつかる音がした。
「…………先生……?」
生まれたその隙を見逃すサヴァイヴでは無かった。勢いよく地を蹴って、鋭い蹴りをハクアへと食らわせる。明らかな動揺により一瞬の回避に遅れたハクアはサヴァイヴの蹴りをその身にまともに受けて、倉庫内の壁に叩きつけられた。
「今だ‼」
サヴァイヴが叫びながら飛び乗った直後、ドリュートン先生が全力で馬車を引く。走り出したそれは瞬く間にブロンズ商会の敷地を抜けて、ルトレの大通りへと出てそのまま駆けて行った。
※
「クククク……」
軋むような笑い声が、ハクアの口から洩れる。
「……なるほどなあ……最悪だ。どのような手品を使ったのかは知らないが……君は、私への最適解を出したと言うわけだ。やられたよ。確かにこれは、俺への罰だ」
「ハ……ハクアさん⁉く、薬が持って行かれましたよ……!早く追わなければ……!」
目の前で何が起きているのか、いまいち理解が出来ずに混乱するブロンズが、倉庫の壁にもたれかかるハクアへと急かすように言った。
ハクアは、囁くような低い声で、答える。
「……馬を用意しろ……」
「え?なんです?」
聞き返すブロンズの口を乱暴に掴んで引き寄せると、ハクアは狂気の笑みを浮かべて怒鳴った。
「馬を用意しろ……‼あんたが所有する中で最も速い馬だ……‼一刻も早く、あいつらに追いつくためになぁ……‼」
その瞳には怒り、悲しみ、動揺、混乱、高揚、愉悦、歓喜、まるで虹のようにありとあらゆる色を湛えた、非常に混沌とした感情を帯びていた。
※
「このまま、国立病院へと向かいます‼」
馬車の中から背後を確認しつつ、サヴァイヴが言う。馬車を引くドリュートン先生が、黙って頷いた。
ここルトレの街は、フォルトレイクで最も発展した都市であるため人も多い。道行く人の数も多く、それらを轢かないよう注意しながらもなるべく速く進まなければならない。辺りの民衆は青白い顔をした老人が引く馬車に驚き、奇異の目をこちらへと向けていた。だが、そんなことを気にしている場合ではない。ハクアやブロンズ商会、ブラックカイツの追手が来る前に目的地へと辿り着く必要があるのだ。
「待ってください!前方で何やら暴動のようなものが起こっています!」
耳を澄ませて周囲を探っていたリカが、サヴァイヴへと告げる。
「これは……ブラックカイツと憲兵隊が争っているようです!」
「また⁉ここでも⁉」
マクロの町の、モルト農場の近辺で起きた騒ぎと同じようなことが、この街でも起きているわけだ。
「この先には国政評議堂があるはず……もしかして、そこで?」
サヴァイヴの問いに、リカが頷いた。サヴァイヴは小さく舌打ちをして、唸るように呟く。
「ブラックカイツが国政評議会を襲撃しているのか……っ」
今いる地点から国立病院へと向かう道中に国政評議堂のすぐ近くを通る必要がある。つまり、ブラックカイツと憲兵隊との争いの渦中へと突っ込んでいくことになるのだ。
「別の道を使う?」
アリスがサヴァイヴに指示を仰ぐ。その問いには、サヴァイヴとリカがほぼ同時に答えた。
「僕らには土地勘が無いから……。このルトレの街は建物が多い上にだいぶ細かく入り組んだ形状をしているから、迷う可能性が高い……!」
「私の感知でも、国立病院の方角なら分かりますが、そこへ行く最短ルートを導き出すことはできません。辞めておいた方が良いかと」
「……だったら……強行突破?」
アリスが呟く。サヴァイヴは彼女を見てニッと笑った。
「そう。評議堂周辺の暴動を無理矢理に超えて行くしかない!面倒な交渉事や駆け引きなんかよりもよっぽど僕らに向いたやり方だ」
方針は決まった。私は小さく頷いて、サヴァイヴの肩から飛び立った。
「テイラー?」
サヴァイヴが、頭上に舞う私を見上げて戸惑いの声を上げる。私は彼を見下ろしてもう一度頷いた。
私はドリュートン先生の引く馬車よりも速く飛ぶことが出来る。一足先にその評議堂へ向かって、暴動の様子を見てこようと思うのだ。見て来た状況を上手くサヴァイヴ達へと伝えられるかどうかは分からないが、ただ肩に留まっているだけではいられない。私にも何か出来ることがあるのならば、サヴァイヴ達の役に立ちたいのだ。
私は馬車の先を行き、全速力で羽ばたいた。暴動の現場、評議堂へ近づくほどに、そちらの方向を避けるように逃げて来る人たちが多く見られ、彼ら彼女らの動揺の声が多く聞こえるようになった。やがて、私は争いの渦中へと辿り着いた。
荘厳な赤レンガ造りの大きな建物の前を囲むのは、顔を布で隠し、銃や刃物で武装した集団、ブラックカイツだ。金属製の盾のようなものを構えながら応戦するのが評議堂を守護する憲兵隊である。乱戦の中、ブラックカイツ陣営において二人だけ、布をつけずに顔が確認出来る者達がいた。一人は華奢な赤毛の青年、クレバイン。もう一人は背の高い、細身だが筋肉質で、神経質そうな表情をした男であった。男は刀身の錆びついた古いメタナイフを手にして憲兵隊を睨みつけている。憲兵達はその男が手に持つメタナイフを強く警戒している様子であった。
クレバインがニヤッと笑って男へ指示を出す。
「人が多くて面倒だ。やっちゃって。ヴァシリス君」
ヴァシリスと呼ばれたその男は、錆びついたメタナイフを素振りのようにその場で振るう。刃の周りを漂っていた赤黒い煙のようなものが刃の形となって憲兵達へ向けて飛んで行った。即座に回避する憲兵達であったが、数人、避けきれずに被弾してかすり傷を負うと、その傷の周りには錆色の痣が広がった。
痣は瞬く間にその者の全身を覆いつくした。錆色に変色した体は砂の城のように崩れ去り、その場に残ったのはつい先ほどまで一人の人間であった赤黒い砂塵のみであった。周囲の憲兵達はその光景に戦慄した様子でヴァシリスからさらに距離を取った。
そんな憲兵隊の中でただ一人、ヴァシリスの斬撃に怖気づくことなく真っ直ぐに彼の持つ錆びたメタナイフを見据える男がいた。男は左目を覆う黒い眼帯を軽く掻きながら、低い声で独り言のように言う。
「……その力ァ……見たことあるぞ。戦場でだ。だが、持ち主が違うなァ。そうだろ?どこで拾った?」
ヴァシリスは何も答えずに刃を振るう。眼帯男は死んだ憲兵が落としていた銃を拾い上げ、飛んで来た赤黒い斬撃を受け止めた。銃は即座に砂塵となって崩れ落ちる。
「隊長‼」
憲兵の一人が眼帯男へと声をかけた。眼帯男はハンドサインで憲兵達へ下がるよう指示を出すと、ヴァシリスの横に立つクレバインを見据えた。
「お前が拾ったのか?そのメタナイフ……戦場でェ」
「ああ。そうだよ。そういうあんたも傭兵かな」
クレバインがニヤニヤ笑いながら眼帯男へ問う。眼帯男は深く息を吐くと、また低い声で呟いた。
「『元』傭兵だァ……」
「所属は?」
「『C・サンドパイパー』」
聞いたことがある。前に、サヴァイヴの口から語られた傭兵団の中にその名もあった気がする。だが、どこの国の陣営だとかどういう特徴がある団だとかは分からない。とにかく確かなのは、この眼帯男もまたサヴァイヴやクレバイン達と同じ戦場で戦っていたということだ。
眼帯男はまた深く溜め息を吐くと、ヴァシリスに話しかけた。
「そのヴィンテージのメタナイフ……強力な呪いを帯びている。傭兵の持つ『裂傷の呪力抗体』すら通り抜けるほどに強力な呪いだ。そうだろ?使用者もただでは済まないと思うぜェ。お前、使い続けたら死ぬぞ」
眼帯男の忠告に一瞬息を呑んだヴァシリスだったが、その表情に闘志を強めると声を張り上げた。
「死が怖くて革命など成せるものか‼私は、名誉ある戦士なのだ。そのようなことで怖気づきはしない‼」
眼帯男はまた溜め息を吐いた後、クレバインを睨みつけた。
「プロの傭兵がァ……力の無い一般人を巻き込むんじゃねぇよ。俺の部下達だって、お前の率いるブラックカイツの連中だって……家族、友人、恋人がいるんだ。そうだろ?守るべき平穏な生活があるんだ。俺やお前と違ってなァ……。そうじゃねぇか?」
自身の背後に並ぶ憲兵隊と、クレバインの周囲に立つブラックカイツの面々へと目を向けて、眼帯男は諭すように言う。
「戦場なんてイカレた空間で過ごしてきたァ……俺やお前では……手にすることのできない幸せを、こいつらは持つことが出来る。そうだろ?それは、とても尊いことじゃないかァ。戦場の狂気を、平和な世の中へと持ち込むんじゃねぇよ」
「つまんない考え方」
クレバインは、眼帯男の言葉を一笑に付した。
「おっさんさあ、あんた低レベルだよ。『平穏』『平和』そんなもんをありがたがっちゃったりしてさ。面白くないじゃん。ワクワクしないよ。あんたとは、戦う気になれないなー」
「そういうわけにもいかないさァ」
眼帯男は懐からメタナイフを取り出して抜刀した。
「俺はァ……この街を守る憲兵だ。だからお前達の横暴を見過ごすわけにはいかない。そうだろ?」
「あっそ」
あまり興が乗らない様子のクレバインは、ヴァシリスの肩をポンと叩いて囁いた。
「傭兵を超えるチャンスだ。ここは、君一人でやっちゃいな。任せるよ」
「……はい‼」
ヴァシリスは呪いのメタナイフを構えるとニッと笑って、その場で素早く空を切った。刀身から飛び出した斬撃が憲兵隊へと襲い掛かる。
「身を伏せろ‼あるいは何か物で防げ‼絶対に体に傷貰うんじゃねぇぞ‼」
眼帯男が部下達へ命令を下した。フォルトレイクの中心都市であるルトレの防衛を任される憲兵隊なだけあって、やはり精鋭揃いであるらしく、的確に指示に従って斬撃をやり過ごす。そのまま勢いに乗って、銃を構えてブラックカイツへと攻撃を開始した。
ヴァシリスもまた自身の部下達へと怒鳴りつける。
「何をしている!応戦しろ‼戦士としての矜持を国家権力の飼い犬共に見せてやれ‼」
ブラックカイツは怒号を上げて憲兵隊を迎え撃つ。混戦はさらに激しさを増し始めた。その混沌の隙間を縫うように動く眼帯男がクレバインめがけて斬りかかるが、行く手をヴァシリスが阻んだ。
「俺は……傭兵すらも超える力を手に入れた……‼もはやこの俺に敵はいない‼」
神経質な笑いを浮かべて眼帯男を睨みつける。睨まれた男は健常な右目で注意深くヴァシリスの動きを見極めながら、気を散らすかのように問いかけた。
「お前……天使を見たことはあるかァ……?」
「なんだと?」
訝しげに顔を歪めるヴァシリスに対して男は続ける。
「俺は見たことがある……。今でも戦場の白昼夢だったんじゃ無いかとすら思うけどなァ……。圧倒的な力を持つ殺戮者。だがその挙動は思わず見とれてしまうほどに美しい。残酷な芸術品。完璧な怪物」
語りながら眼帯男は手の指で銃の形を作ると、ヴァシリスの持つ刃を指した。
「お前にそれはふさわしくねぇ。お前はそのヴィンテージを使いこなせてねぇ。そうだろ?それは、人に扱える代物ではないってことさァ」
「何だと……?何の話をしている?」
苛立ちを募らせて歯ぎしりをしながら、より神経質さに拍車のかかった声色で、ヴァシリスが唸る。眼帯男を睨みつけ、怒鳴り散らす。
「このメタナイフさえあれば……俺は貴様にも憲兵隊にも負けることは無い……‼」
直後、大きく振りかぶったかと思うと、そのまま錆びた刃を横一線に払った。これまで飛ばした斬撃の倍近くはある、巨大な赤褐色の刃が混戦の中心を突っ切っていく。
「まずい。回避‼回避しろ‼」
眼帯男が叫ぶが、既に時は遅かった。敵味方構うことなく放たれたその刃はその場にいた憲兵、ブラックカイツ、双方を切り裂いて散っていく。二十を超える人体が錆色に朽ちて砂と化し、地を覆う血塗られた塵となった。その粉末を足で蹴り散らしながら、ヴァシリスは狂喜の高笑いを上げた。
「俺は最強!至高の戦士へと生まれ変わったのだ‼もはや何者も、この俺の行く末を妨げることは無い‼」
眼帯男は眉を顰め、音もなく無言で斬りかかる。ヴァシリスは男へ向けて刃を振り下ろした。
飛んでくる呪いの斬撃を紙一重でかわしつつ、男はヴァシリスへと迫る。男が避けた斬撃は背後にいた憲兵やブラックカイツの体を裂いて塵へと変えていった。
「貴様が避けたら、後ろにいる部下達が被弾して死ぬ……‼犠牲者が増えるぞ……‼」
笑いながら言うヴァシリスに対し、舌打ちをした眼帯男は次の斬撃をメタナイフで受け止めた。呪いの直撃により、男のメタナイフは即座に錆色に染まり、朽ちて崩れ落ちた。
敵の武装が無くなったのを確認したヴァシリスは、勝ち誇った笑みをその顔面に湛えながら、とどめの一撃を食らわせる。眼帯男は地に落ちていたナイフを拾い上げ応戦しようとするが、ほんの一瞬の回避が遅れて、その片腕に呪いの斬撃を受けた。
薄皮一枚を切るようなかすり傷だが、その傷を中心として、男の腕には赤黒い染みが広がってゆく。男は躊躇うこと無く、手にしていたナイフで朽ちた腕を切り落とした。鮮血が飛沫を上げ、切り離された男の腕は、着地する前に塵と化して風に飛んで消えた。切断面から流れ出る血を布で縛って抑えつつ、男は虚ろな目でヴァシリスを睨む。
「俺も……焼きが回ったもんだなァ……」
そう呟く眼帯男に向けて、ヴァシリスは最後の斬撃を放った。
「死ね‼」
呪いの刃にその身を裂かれる刹那の瞬間、眼帯男は目の端に映る影を見た。視線の先に見えたそれは、こちらへ向かってくる奇妙な馬車と、羽根のようにふわりと軽やかに飛び立った何か。
銀色に輝くそれは軽やか宙を舞って、男の目の前に降り立った。片腕を払って錆色の斬撃を弾く。それは、絹糸のような光沢の美しい髪をなびかせる少女であった。
赤黒い刃を弾いた少女の腕に、一線の切り傷が入る。しかしその傷は即座に再生した。
「『裂傷の呪力抗体』……」
目を見開いて、眼帯男は少女の背中を見つめた。少女を正面に対峙したヴァシリスは、怒りの絶叫を上げる。
「貴様は……‼あの時の小娘‼」
叫びと共に、ヴァシリスは刃を振り乱して斬撃を連射する。その全てが少女に命中して、その白い肌に傷を描いた。しかし、それらは全て瞬く間に再生する。
「何……⁉」
ヴァシリスの絶叫は困惑の色を帯び始める。ゆっくりと歩いて向かってくる少女に対して何発も、何発も何発も呪いの刃を飛ばすが、どれだけ傷を与えても消えてしまう。それどころかどんなに強く斬りつけようとも、少女の体にはかすり傷以上の深手を与えることが出来なかった。
「なぜ死なない⁉崩れ落ちない⁉この呪いの力が……⁉」
「私に、呪いは効かない」
少女は……アリスは、囁くように言った。クレバインが片眉を上げて興味深げに呟いた。
「まさか、『解呪体質者』?」
いつの間にか、アリスはヴァシリスのすぐ目の前に立っていた。細かく震えながらも刃を構えて動けないヴァシリスに、一言。
「……返して。私が置いてきた……昔のお友達」
そう言って、ヴァシリスの手からヴィンテージのメタナイフを取り上げた。
眉を顰めて見ていたクレバインは、やがてその口元から笑い声を漏らした。その表情は愉悦を帯びたものへと変わり、無表情で銀色の瞳を向けてくるアリスに対し、笑いかける。
「そうか、そのヴィンテージの持ち主……君だったのか‼」
アリスは無言で頷いた。
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