第33話〈ミイラ先生と死裂症〉

 朝日が昇り始める頃、サヴァイヴ、アリス、エグゼと、蘇ったドリュートン先生の四人は、小さな町に辿り着いた。


 本来、これほど早くこの町に着くとは想定されていなかった。と言うのも、この時間に着くには森の道を一晩中進まなければならず、高齢のドリュートン先生への負担を考えるとそれは不可能と思われたのだ。


 だが、むしろ今最も足の進みが速いのはドリュートン先生であった。サヴァイヴとエグゼが息を切らす中、軽やかな足取りで進んで行く。


「いやあ、何だか体の調子が良いよ。凄く軽いと言うか……いくら歩いても全く疲れないんだ」


 そう言って、競歩のプロ選手のような速度で快活に進む先生を小走りに追いながら、サヴァイヴは苦笑いをした。


「よ、良かったですね……」


「体が軽いのって、多分全身の血液が流れ出たから……」


 余計な事を言いかけるアリスの口を塞いで、サヴァイヴは提案する。


「ひとまずこの町で少し休憩しましょう!」


「そうだね」


 先生の早足が止まった。休憩と言っても、このような早朝に開いている飯屋など無いので、とりあえず建物の影の小さな路地に移動してその地べたに座り込んだ。夜通し歩き進んで流石に疲労が隠せない様子のサヴァイヴとエグゼに対し、先生は元気いっぱいだ。アリスは一見よく分からないが、おそらく彼女も疲れているだろう。


「もう少しして、人が起きてくる時間帯になったら聞き込みをしよう。レイモンドさんを見た人がいるかもしれない」


 サヴァイヴが、エグゼに向かって囁くように言う。レイモンドが敵であったと言う事実は、未だドリュートン先生に告げていなかった。エグゼは深呼吸をして息を整えつつ、小声で返す。


「それは構わないが……その前にドリュートンを何とかすべきでは無いのか?人前に出せる風貌では無いぞ」


 二人はそっと、ドリュートン先生の姿を盗み見る。先生は体力が有り余っているかのように謎の屈伸運動を繰り返していたが、その肌は信じられないほどに真っ白で、文字通り血の気が無い、亡霊のような顔色をしていた。


「顔を隠してもらおう」


 そう小声で呟くと、サヴァイヴはドリュートン先生に声をかけた。


「先生!敵は先生を狙っているわけですから、顔を隠していた方が良いと思います!」


「確かに、その通りだね」


 先生は屈伸を止めて頷いた。


「実際、昨晩は森で襲撃されたわけだからね。私は覚えて無いけれど……」


 昨晩の出来事を、先生には『敵に襲撃されて先生が気絶している間に馬車ごと薬を奪われて、レイモンドは先にそれを追っている』と説明してある。サヴァイヴが咄嗟に吐いた嘘だ。レイモンドが先生を騙していたことに憤っていた彼だが、もはや人のことを言える立場ではない。


「貴様のせいで、話がややこしくなっているじゃないか!」


 エグゼがサヴァイヴを非難する。サヴァイヴは額に汗をかきつつ彼の言葉を無視して、アリスに尋ねた。


「何か、顔を隠せそうなもの持ってない?」


「ない」


 アリスは首を振った。荷物の大半を馬車に乗せていた彼ら彼女らは、今最低限の持ち物しか持っていない。サヴァイヴとアリスは、無言でエグゼの背負う大剣を包む布袋を見つめた。二人の視線に気づいたエグゼが、何か言われる前に口を開く。


「断る。……そもそも、この袋は顔を覆うには大きすぎるだろう」


 エグゼの言うことも尤もだ、と頷くサヴァイヴ達。そこへ、先生が自身の手持ち鞄から包帯を取り出した。


「これなんてどうかな」


「良いですね!それを巻けば、顔は隠せます!」


 サヴァイヴが笑顔で言うと、エグゼと二人で包帯を先生の顔に巻き始める。やがて鼻の穴と目の辺りを除く顔の全てを包帯が覆った。そんな姿を見て、アリスが呟く。


「……ミイラ男」


「何それ?」


 サヴァイヴが問う。アリスは首を傾げつつ、答えた。


「船長から聞いたことある……昔の本に書いてあったっていう怪物。包帯ぐるぐる巻きの死体が、動き出すって……」


「やっぱりやめよう!この包帯解いて!」


「何を貴様⁉今巻き終わったばかりだぞ⁉」


 あまりの不謹慎さに、思わず先生の包帯を解こうとするサヴァイヴと、それを止めるエグゼ。揉める二人にアリスが無表情のまま近づいて、それぞれの頭をポカと叩いた。


「……喧嘩、しない」


 やがて、町に人通りが見え始める。一行はとりあえず何か腹ごしらえをしようと言うことで、食事のできる店を探して町を歩く。辺りを歩く町民のうちの何人かは、布のようなものをその口元に巻いていた。


「首都に近づくほど、死裂症の患者は多くなっていると聞いた。この辺も結構多いのだろう。あの布は、予防だろうね」


 先生が包帯ごしにモゴモゴと言う。つまりマスクを着けているようなものだろう。サヴァイヴが頷いた。


「なるほど、しかし不幸中の幸いですね。これなら、包帯を顔に巻いている先生もあまり目立たない」


「いや目立っているだろう!」


 エグゼが舌打ちをしながら怒鳴った。サヴァイヴ達のそばを通る町民達は皆、先生に向かって奇異の目を向けて来る。明らかに悪目立ちしていた。先生の顔を人に見られないように包帯で隠したわけだが、これでは逆効果では無いだろうか。


 しかしそんな視線も、町の中心部に着く頃には彼らに向けられなくなっていた。他に視線の集中する対象が現れたのである。ある一つの建物の前で、周りの目を気にせずに叫び声を上げる男がいる。その背には、小さな子供を背負っていた。


「人殺し‼貧乏人は人間じゃないってのか⁉ドアを開けろよ‼中に入れてくれ‼」


 近くを通る人々は、そんな男の姿を見て、顔を顰めながら距離を取って離れて行く。サヴァイヴはなおも怒鳴るその男を遠巻きに見ながら、先生に向かって小声で聞いた。


「あの人……どうしたんでしょう?」


「うん。あの建物はどうやら医者の家らしい。背負っているお子さんが病気なんだろうね」


 サヴァイヴは少し憐れむような視線を男に向けた。そんな彼を、エグゼが睨みつける。


「言っておくが、俺達に時間は無い。見ず知らずの者にいちいち同情して、助けようとしたりする余裕など無いからな」


「わ、分かってる!けど、少し話を聞くぐらい……ねえ、先生!」


 サヴァイヴとエグゼは、同時に先生の方を見る。しかし、さっきまでそこに立っていた先生はいなかった。


「あれ?」


「……あっち」


 アリスが、怒鳴る男の方を指す。彼女の指の先には、男の元へ近づくミイラ男の姿が見えた。


 やがて怒鳴り疲れたらしい男が力無くその場に膝をついて、泣きそうな声で地を見つめた。


「カ、カレンが……俺の娘が死んじまう……!頼むよ、開けてくれよ……」


「どうかしましたか?」


 声をかけられて、男はゆっくり顔を上げた。そして、目の前に現れた顔中包帯ぐるぐる巻き男に驚いてその場に尻もちをつく。


「なっ……なんだアンタ⁉」


「大丈夫。怪しい者じゃないよ」


 しかし男が今まで見てきた中で、ここまで怪しい者は初めてだったのだろう。明らかに警戒した様子で先生を睨む。先生はそんな彼の視線を気にも留めず、彼の背負う幼い娘の様子を観察していた。


「この子……死裂症だね」


「や、やっぱりそうなのか……!」


 立ち上がって先生から小さく距離を取りつつ、男は言う。


「熱が高くて、苦しそうだ。今朝見たら、腕に切り傷みたいなもんが出来始めた……!だから、慌ててここの医者に連れて来たんだ……!だが、もう満員だとか薬が無いだとかで、診てもくれねェ!俺らに金が無い事を分かっていて、診察を拒否してやがるんだ!」


 不安と怒りとで、明らかに感情の高ぶっている男を落ち着かせるように、静かな口調で、先生は諭すように言う。


「そんなことは無いよ。おそらく、ここのお医者さんが言っていることは嘘じゃないと思うんだ。この国では、死裂症が流行っているんだろう?首都や港に近い町ほど感染者は多いと聞く。この町もそうなのだろう。病床数が足りないんだ。ここの医院はもう満員なのだ」


 先生の言葉を聞きながら、男は歯ぎしりをする。そして半泣きになって、絞り出すような声で反論をした。


「……うるせぇ!……分かってる、そんなこと本当は分かっている!でも、じゃあどうしろってんだ⁉俺の子は見殺しにしろってのか⁉」


「落ち着きなさい。そんなことは言わないよ。私が診よう」


 男は、酷く驚いた様子で、目を見開いて先生を見つめた。サヴァイヴ、エグゼ、アリスの三人も先生の元へ駆け寄って口々に尋ねる。


「先生⁉今の僕達には、治療薬は無いんですよ?」


「そもそも俺達にそのような時間は無い!任務を優先すべきだ!」


「せんせい……この子、治るの?」


 先生は穏やかな笑みをその目元に含ませて静かに答えた。


「どのような状況であれ、目の前で病に苦しんでいる人がいるのなら、見捨てることは出来ない。私の中の医者としての誇りが、それを許さないからね」


 そう言うと、先生は男を促して、彼の家へと案内してもらった。家は古びた木製の小屋であり、所々腐って崩れかけている。こう言っては何だが、裕福では無いであろうことが見て取れた。


 家の中の、これまた古びた小さな毛布に娘を寝かせる。先生は寝かされた娘の様子を暫し見た後、やはり死裂症である、と言うことを確信したらしく、手に持っていた鞄を開いて何やらかなりの数の薬品を取り出した。


「どうするつもりなんです?治療薬は無いんですよ?」


 サヴァイヴが尋ねる。先生は薬品同士を混ぜ合わせつつ、早口で答える。


「完全に死裂症を抑え込むことは出来なくとも弱毒化させることなら何とか出来るはず。それと合わせてこの子自身の免疫力を上げてあげれば、少なくとも命を助けることはできる……はずだよ」


 先生は男に頼み、何か布を持って来るよう言う。男から渡されたその布を、先生の持つ瓶の一つに突っ込んだ。この瓶の中には油のような透明な液体が入っている。先生が言うには、この油は消毒作用のある冷たい油らしく、それに漬け込んだ布を娘の額に乗せて高熱を下げるらしい。


 さらにいくつかの調合した薬を娘にゆっくり投与していった。やがて、苦しそうであった娘の呼吸はゆっくりと落ち着いてきて、表情も安らかになった。先生は娘の肌の裂傷にドロリとした薬を塗りながら、一息ついて男に言う。


「とりあえず……落ち着いたようだ。まあ、まだ油断はできないが……安静にしていれば、やがて回復するだろう。でも、まだ後遺症の危険も……」


 先生が話し終わる前に、それを遮るように男が声を上げて、先生の手を掴む。


「ありがてぇ!感謝してもしきれねえ!あんたは恩人だ、神様だ!」


 感激しながら叫びつつ、大粒の涙を流して感謝の気持ちを告げる男。やがて少し落ち着いて、涙をぬぐいながら呟く。


「……しかし、あんた体温低いな。すっげえ冷たい手だったぜ。まるで死んでるみたい……」


「さっき、ひんやりとした薬を扱ってたから手が冷えてるんですよ!ね、先生?」


 サヴァイヴが慌てて言った。


 それから一気に機嫌が良くなった男は、先生の肩に手を置くと、ウインクをして言う。


「礼をさせてくれ。俺の行きつけの酒場があるんだ。ごちそうするぜ。行こう!」


 そう言いながら半ば無理やりに先生と、サヴァイヴ達を家から連れ出すと、男はその酒場とやらへと向かう。先生は顔を顰めて男に諫めるように言った。


「娘さんを、家の中に放っといてはいけないよ。戻ろう」


「大丈夫、もうすぐ女房が仕事から帰って来るんだ。あいつに任せるさ」


 そんな感じで気楽に言いつつ、男は陽気な調子で進む。先生は少し困惑している様子で、サヴァイヴ達の方へ目を向けた。サヴァイヴもまた先生と同じく、困ったように男の背中を見ている。エグゼは不快感を露わにした表情で舌打ちをし、アリスは無表情だが酷く冷たい目で男を射るように見つめていた。


 町行く人々の中の何人かがこちらへ目を向ける。先ほどまで医者の家の前で喚いていた男と、怪しげな包帯男が一緒に歩いているわけだから、怪しむのも無理はない。そんな町民の中の一人が男へ声をかける。


「おい、娘さんが病気なんだろ?大丈夫なのか?」


 どうやら知り合いらしいその声へ、男は機嫌よく答える。


「心配ねえよ。ここにいる名医の大先生が、治してくれたからな!」


「ちょっと、まだ治ったわけでは無いよ。そんなことを言いふらすものじゃない」


 先生の言葉も、今のこの男には届いていない様子であった。


 やがて、男の行きつけと言う酒場に着いた。まだ昼間だからか、客はほとんどいない。店内に入り席に座ると、自分と先生の酒と、サヴァイヴ、アリス、エグゼの三人に向けた木の実ジュースを注文した。人数分運ばれてきたそれらに口をつけつつ、男は先生に尋ねる。


「そうだ、まだ名前を聞いていなかったな。あんた、名前は?」


「私は……」


 名乗りかける先生の背中を、サヴァイヴが突っつく。ここで名を明かしてしまったら、顔を隠している意味が無い、と言いたいのだ。それに気づいた先生だが、咄嗟に嘘の名前も思い浮かばなかったようで、困ったように口を噤んだ。そんな先生の様子を察したサヴァイヴは、助け舟を出す。


「先生のお名前は……えっと、ほら、あれ……だよね?アリス?」


 助け舟を出したものの、サヴァイヴも仮の名前が思いつかなかったらしい。そんなものスティーブだのボブだのジョンドゥだの、なんでも良いと思うのだが、よりによってアリスに話を振ってしまった。彼女は即座に仮の名前を決定する。


「ミイラ先生」


 サヴァイヴとエグゼは口に含んでいた飲み物を噴き出した。


 男は早くも酒が回ったらしく、高笑いをして先生の肩を抱く。


「ミイラ先生!世界一の名医だ!」


「そんなことは良いから、早く家に戻って、娘さんを見てあげないと……」


 そう言う先生の声も、男の耳には届かない。エグゼが舌打ちをして呟いている。


「病気の娘を放っぽって昼間っから酒を飲んでいる屑の相手をしている場合ではない……っ。さっさとブラックカイツの連中を見つけなければ……」


「ブラックカイツゥ?なんだあんたら、アレに入りたいのか?」


 エグゼの言葉に反応して、男は声を大きくして語り始めた。


「俺も好きだぜ、あいつら!あのクソみてぇな病気をこの国に持ち込んだ異国の連中を蹂躙して、革命を成す!女房の反対が無ければ、俺もダチに着いて行って参加していたんだが……」


「『ダチに着いて行って』?お友達は、参加しているんですか?」


 サヴァイヴの目つきが鋭くなる。低い声で、男に尋ねた。男はすでにかなり酔っているらしい、恐らく体質的に酔いが回りやすいのだろう、ペラペラと話を続ける。


「こっから首都に向かう途中にあるマクロっつう町で……本隊と合流するらしい。んで、ついに革命を起こすんだとよ。俺も参加したかったぜェ……」


 サヴァイヴとエグゼが無言で目を合わせる。アリスも静かに頷いた。思わぬところでブラックカイツの情報を得た。サヴァイヴは先生に囁く。


「行きましょう。そのマクロという町に!」


「う、うん」


 先生は男の体を支えつつ、答えた。男は今にも眠ってしまいそうにゆらゆらと体を動かして先生にもたれかかる。男の体を椅子の背もたれで支えて眠らせると、先生は酒場の店主へ金を払った。そうして店を出ようとしたところへ、扉が開いて、酒場に似つかわしくない幼い少年が店内に入ってきた。先生の姿を見つけて、言う。


「おじさん、すごい医者なんでしょ。俺の母ちゃん死裂症で苦しんでんだ。助けてくれ!」


 おじさんと言うよりはお爺さんなのだが、包帯で顔が覆われているため分からないらしい。そんな少年の、今にも泣き出しそうな顔を、先生は苦悩の表情で見つめた。それから少年の目の前に座り込むと、持っていた鞄を開いて中身を彼に見せた。


「……実は、さっきの患者さんの治療で持っている薬を使い切ってしまったんだ。だから……今の私には、君のお母さんを治すことが出来ない。ごめんよ。この町のお医者さんにお願いして欲しい」


「う、嘘だ!そんなの信じないよ!医者には断られたんだ!おじさんが治してよ!名医の大先生なんだろ⁉」


 どうやら、先ほど男が町中で言いふらした話を聞いてやって来たらしい。先生は心底困った様子で少年の今にも泣き出しそうな顔を見つめていた。先生の背後から、サヴァイヴが声をかける。


「……何か、方法は無いんですか……?」


 先生は無言で、首を振った。いくらドリュートン先生と言えども治療道具が無ければ何も出来ない。エグゼがサヴァイヴを睨みつける。


「いい加減にしろ。ドリュートンは全ての人間を助けられるような万能の存在では無いんだ。……もう、行くぞ。俺達には俺達の仕事がある」


 そう言って、エグゼは扉を開いて店を出て行った。アリスもまた、悲しげな表情でその後に続く。サヴァイヴはその場に立ち止まって少年を見つめた。少年は、ついに涙を流し、先生に縋りついた。


「お願いだよ‼母ちゃんを助けてくれよ‼死んじゃうよ‼母ちゃんが……死んじゃうよ‼嫌だよ嫌だよ‼なあ、助けてよ‼おじさん‼母ちゃんを……俺の母ちゃんを……っ死なせないでよ‼」


 泣き声を上げて先生に訴える少年。先生は少年に向けて、小声で言う。


「……とにかく、高熱を下げるんだ。何か冷たいものを、額や脇にあてて少しでも熱を下げること。……出来る限り栄養と水分の補給もさせるんだ、それから何より、君自身に感染しないように、お母さんに近づくときは口と鼻を覆って……」


「そんなこと、分かんないよ‼おじさんが何とかしてくれよ!医者なんだろ⁉ねえ、なあ……!」


 先生はその場に立ち上がると、絞り出すように一言、呟いた。


「……ごめんね」


 そして、振り返ること無く扉を開けて、店を出て行った。最後に残ったサヴァイヴは、ただただ泣く少年の顔を見て立ち尽くす。少年は何も言わずにサヴァイヴに目を向けた。二人の視線が合う。サヴァイヴは顔を反らして、店の外に駆けて行った。


「人殺しーっ‼母ちゃんを、見殺しにするのか‼助けてよ‼なんでだよ‼なんでだよっ‼なんでだれも母ちゃんを助けてくれないんだよ‼お願いだよう‼」


 少年の声は、その姿が見えなくなった後も途絶えることは無かった。


「医者と言うのは……人を助ける素晴らしい仕事だと、よく勘違いされる。でも、違うのだよ」

 早足で歩きながら、先生は語る。


「医者とは……誰か一人の命を助けているその間に、その時に本来助けることが出来たはずの別の誰かを見殺しにする仕事なんだ。助けることのできた人達の、その何倍もの数の患者を、見捨て続ける仕事なんだよ」


「当然だ。貴様は神ではない。全てを救うなど不可能だ。それを気に病む必要など無いんだ!世の中は平等ではないのだから、それは当然なんだ」


 エグゼが、励ますように言う。その表情は非常に苦々しげであった。エグゼの言葉に対して、力無い笑みをその目元に浮かべつつ、先生はさらに続ける。


「その通り。平等では無いのだよ。世界は何もかも、不平等。生まれ、育ち、出会いや巡り合わせ、取り巻く環境や、体の大きさ、能力、性別、何もかも。全て不平等。それでも唯一、平等なことがある。私達人間だけでなく、全ての生き物に、一つだけ平等なものがあるんだ。それが、死ぬこと」


 先生はその場に立ち止まった。町外れの人通りの無い小さな通り。もはや人の住んでいないらしい古びて朽ちた建物の囲む中で、心配げに見つめるサヴァイヴ達に言う。


「全ての生命は、いずれ死んでしまう。それだけが、私達に許された唯一の平等なのだよ。……悲しいけれど、だからこそ、死んだ者が蘇るなんてことがあってはいけないんだ。そんなことが現実となったら、この世界に……平等は無くなってしまう」


「先生……もしかして、気づいていたんですか。その……」


 言いかけて、サヴァイヴは口を噤む。先生は悲しげに笑った。


「私が死んでいることに……かな?うん。分かっていたよ。医者だからね」


 手首をつかみ、自分自身の無い脈を測りながら言う。


「今の私は……本当は存在してはいけないんだ。世界が平等であるためには。……でも、もしこの私に、何か理由があるのだとしたら……それは、さっきみたいな悲劇をこれ以上繰り返さないこと」

「『さっきみたいな悲劇』ですか……」


 先程から思い悩んでいた様子のサヴァイヴは地面を見つめながら、呟いた。


「もしかしたら、まだ悲劇にせずに済むかもしれない……」


「貴様、まだ余計な事を考えているのでは無いだろうな」


 エグゼが釘を刺すように、サヴァイヴを睨む。サヴァイヴは彼の目を見て頷いた。


「余計な事、うん。考えてるよ。でも、君の言っていた事が正しい。それも分かってる」


 エグゼはフン、と鼻を鳴らした、分かっているなら良い、と言いたいらしい。  


 しかしサヴァイヴは言葉を続けた。


「君の言うように、全ての人を助けることは出来ないし、僕らには任務がある。……でも、なんでだろう、抑えられないんだ。人を殺した後の湧き上がる感情や、戦いの時の高揚と同じで……止める事が出来ない。さっきのあの子の目が、頭から離れない」


「何?」


 エグゼがまた念を押そうと口を開いた瞬間、サヴァイヴは踵を返して来た道に向かい駆け出した。


「サヴァイヴ⁈」


 アリスが声を上げる。サヴァイヴはしきりに叫びながら、走り続ける。


「ごめん!ごめんね!先行っていて!必ず追いつくから!」


 私はサヴァイヴの頭上に留まったまま、背後のエグゼ達三人を見ていた。彼らの影はどんどんと小さくなっていき、サヴァイヴが町の角を曲がった事でその姿は完全に見えなくなった。

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