第32話〈理を殺す呪い〉

「団長のその力……一体何なんですか?」


 辺りを木々に囲まれた森林の中。そこへテント状の簡易的な拠点を築く男達がいる。そんな男達の中では場違いに幼い少年、サヴァイヴが、リーダー格の男に質問をする。尋ねられた男は、サラサラの長い黒髪を頭の後ろに束ねつつ、細目でサヴァイヴを見ると、小さく笑った。


「コレは、『力』では無い。『呪縛』だよ。僕の身を縛る呪いだ」


 そう言うと、男は自身の右手をサヴァイヴの目の前に差し出す。彼の右手は皮膚が裂け、そこから筋繊維のようなものが伸びてきて絡まり合い、銃口が形成された。その様子をまじまじと見ながら、サヴァイヴは呟いた。


「でも、強いし……。強力な武器じゃ無いですか。見えない砲弾を飛ばすんでしょ?」


「まあね。でもそれは、『空砲』に過ぎない」


 男は自身の右手に生える銃口へ視線を向けながら、サヴァイヴへと説明する。


「今はまだ、弾が装填されていない状態なんだ」


「弾?……この呪いの銃口って、どんな弾を装填するんですか?」


 サヴァイヴの問いに対し、男は静かに答えた……。





「おい。おい、目を覚ませ」


 自身の体を乱暴に揺らされ、サヴァイヴは目を開けた。依然、空には星々が輝き、周囲は闇に包まれている。混乱と動揺、それに身体に残るダメージの影響か、気を失っていたサヴァイヴは瞬時に起き上がり、辺りに目を向ける。私は小さく羽ばたいて彼から離れた。


 近くには、サヴァイヴを心配そうに見つめるアリスと、詰問するような目つきで睨むエグゼの姿があった。火の消えかかった焚火のすぐ横には、ドリュートン先生の死体が見える。


「何があった?状況を端的に説明しろ」


 エグゼが責め立てるような口調でサヴァイヴに言う。サヴァイヴは苦虫を噛み潰すような表情で答えた。


「……レイモンドさんが、敵だった。死神部隊だ。不意打ちでドリュートン先生が撃たれた。薬も馬車も奪われた」


 起こった事実を羅列すると、見事な完敗である。だが、仕方が無いと私は思う。まさかここまで共に旅してきたレイモンド・キャビックが、C・レイヴンの一員とは思いもよらなかった。

エグゼは小さく舌打ちをした。


「やはり、奴は屑の罪人だったな……俺は、ずっとそう言ってきた。我々は、奴の手の上で転がされていたと言うわけだ。そして貴様は護衛としては何の役にも立たず、ドリュートンを殺され薬も奪われた、と」


「エグゼ……!」


 アリスが、非難するような目でエグゼを見た。言い過ぎだと言いたいのだろう。

 そんなアリスの言葉を意に介さずに、エグゼは続ける。


「まあ良い。奴はどの方向に行った?追うぞ」


 サヴァイヴは、レイモンドが馬車で走り去った方向を指差した。それは、我々の進行方向である首都ルトレへ向かう道であった。布を巻いた木の棒に焚き火の火を移し、残った火を消して進もうとするエグゼ。だが、サヴァイヴは動かない。虚ろな目で、ドリュートン先生の死体を見つめていた。


「サヴァイヴ……?」


 アリスが声をかける。エグゼも振り向いて、サヴァイヴを睨んだ。サヴァイヴは小声で呟くように言う。


「先生をこのまま林の中に放置しては行けない。シーナのところに連れて帰らないと……」


「正気か、貴様」


 エグゼが顔を顰めた。


「良いか?ただでさえ移動手段が歩きしか無いこの状態で、奪われた積荷を一刻も早く追わなければいけないのだ。ドリュートンの体を運ぶ余裕は無い。この場に埋葬する事くらいが、今ドリュートン対して出来るせめてもの餞だろう」


 そう。サヴァイヴの言う事も分からないでは無いが、エグゼの言う方がおそらく正しい。悲しいが、仕方が無い。


 だが、サヴァイヴは納得しない。


「……ソフィー号にいるシーナも、フギオン・S・C・レイヴンに狙われている。一刻も早く戻らないと……。ここは、船に戻る方と積荷を追う方と二手に別れるべきだ」


「それで、貴様は戻る方か?」


 エグゼがサヴァイヴを睨んだ。


「我々の任務はなんだ?薬を首都に届けることだ。我々はその任務を完遂するために行動すべきでは無いのか?ただでさえ少ない人数を二つに分ける余裕などあるものか。シーナ・ドリュートンが危険だと言うのなら、その事実を船の連中に伝えれば良い。奴らも無力では無い。……貴様と違って、シーナ・ドリュートンを守ることくらいは出来るだろう」


 サヴァイヴはエグゼから目を逸らして、地面を睨んでいた。彼自身も、エグゼの言っている事が正しいと理解している。しかし感情が受け付けない、といった様子だ。そんなサヴァイヴの顔をジッと見つめていたアリスが、ボソッと呟く。


「……怖いの?レイモンドさんが」


 アリスの言葉に驚いたように、サヴァイヴは彼女の顔を見た。エグゼが舌打ちをする。


「怖いだと……?同類の癖に。何を恐れることがある?」


「同類だって……?」


 サヴァイヴがエグゼを睨んだ。サヴァイヴが心に負った傷に、悩みの中核に、エグゼは触れてしまったようだ。


「ああ、そうさ。同類だよ。僕も。レイモンドさんと同じ殺人者で悪人だ。……戦う事が楽しくて、人を殺す事に興奮を覚える……。気持ち悪い。怪物さ。もしかしたら僕も……嘘つきの裏切り者かもしれない。怖いのは僕自身だ」


 レイモンドと対面すると、嫌でも思い知らされるかもしれない。そのような恐怖心を、サヴァイヴから感じられる。エグゼはその声色に苛立ちを滲ませつつ、切れ長の赤い瞳でサヴァイヴを睨みつける。


「何を今更。俺は最初からそう言っているだろう。貴様らは同類だ。屑で愚かな罪人だ」


 サヴァイヴは歯軋りしてエグゼの目を睨み返した。


「……なりたくてそうなった訳じゃ無い‼︎殺し合いが楽しい、人の死を見たい。そう言う人間になりたいなんて、思ってない。でも、そうなっていたんだ‼︎いつのまにか‼︎戦場に最適化された心に、戦場以外では生きられない人間になっていたんだ‼︎」

 サヴァイヴの叫びを聞いた私は、赤毛の青年クレバインの言葉を思い出していた。

 


「それでも、どんなに美味いものを食ったって、酒を飲んで騒いだって、女の子たちと遊んだり、踊りはしゃいだりしたって、それでも満たされない。戦場のあの、血と硝煙の匂い。刺激と狂気に包まれた空気には及ばない。それに気づいた時……途方もない寂しさを感じたんだ。平和な世界の人間と僕らは違う。命の殺り合い以上の自己表現の術は無い。戦場以上に安らぐ場所は無い。同じ傭兵以上に僕らを理解する者はいないってね……」



 サヴァイヴはさらに続ける。


「平和な世界で生活していれば、普通の人間になれるって……思ってた。まともになれるって……そうなりたいって、願っていて……そうなれたとも思ったよ。なのに……そうじゃ無かった。ドリュートン先生が死んだ時……撃たれた瞬間……僕は先生の死に顔を見た。その時、どう思ったか分かる⁈感動したんだ‼︎まるで、分厚い一冊のドラマチックな伝記を読み終わった時のような満足感を感じて鳥肌が立った‼︎気持ち悪いよ、自分が‼︎こんな怪物みたいな心……‼︎」


 これまでに見たことが無いくらいに感情を露わにするサヴァイヴを、エグゼは冷たい目で、アリスは心配そうな瞳で見つめていた。


「……僕には、何かを守ることなんて、向いていないんだ。無理なんだよ。何かを破壊する事しか出来ない……」


「呆れ果てた奴だ」


 エグゼが吐き捨てるように言う。


「俺は貴様という男を買い被っていたようだ。見損なった。もう良い。罪人としての自分自身を甘んじて受け入れると言うのなら。今ここで、俺が処刑してやる」


 そう言って、エグゼは背負った大剣の柄を握る。サヴァイヴはその場に座り込んだ。アリスが無言でサヴァイヴの前に立って、エグゼを真正面に見る。


「……今は争っている時じゃない」


「争ってなどいない。そいつも抵抗していないだろう。甘んじて俺の処刑を受け入れようというつもりでは無いのか」


 アリスはエグゼの言葉には答えず、サヴァイヴの方を向いてしゃがみ込み、真っ直ぐ彼の顔を見つめて言う。


「……私だって、戦うことしか出来ない。私だって、『普通』は向いていない。私より……サヴァイヴの方がよっぽどマシ。でも、私は諦めない……から……サヴァイヴも諦めないで」


「アリスは、強いね」


 サヴァイヴは力無く笑って言う。それから少しの間、辺りは無音に包まれた。誰も何も言わず、少しずつ時が流れていく。エグゼの持つ灯のみが、この暗闇を照らしていた。


 サヴァイヴは無表情でドリュートン先生の体を見つめており、アリスは何かサヴァイヴの心に響く言葉を言えないかと思案している様子で、サヴァイヴをジッと見ていた。エグゼはひたすらにイライラしているらしく、小刻みに片足で地を蹴っていた。


 ふと何かに気づいたような表情で、サヴァイヴが口を開く。


「……エグゼ、一つ聞かせて。『買い被っていた』って、どういうこと」


 サヴァイヴの言葉に反応して、アリスが背後のエグゼの方へ振り向く。先ほどエグゼが言っていた話の中で、その言葉が妙に引っかかったらしい。『買い被る』と言う言葉は、元々一定以上の評価をしていないと出てこない。エグゼは、一体どのようにサヴァイヴを評価していたのか。今のサヴァイヴは、エグゼの言葉に何かしらの救いと答えを求めているようであった。


 二人はエグゼの不機嫌そうな顔を見上げて、返答を待っていた。エグゼは物凄く嫌そうな表情で口をモゴモゴ動かしていたが、やがて観念したのか、ゆっくりと口を開く。


「……罪は許されない。許されたいと思うこと自体が愚かな行為だ。貴様ら罪人は、大なり小なり、自身の罪を正当化したがる。『悪かったとは思っている』『反省している』、そのような言葉だけを並べて、心の内では『それでも仕方が無かった』『自分の行為で救われた人間もいる』などと考えている。それ故に、貴様らの罪が無くなる事など永遠にあり得ない。……だが、別に、罪人が人を救うという事も……不可能では無い」


 サヴァイヴは少し意外そうな表情でエグゼの話を聞いていた。


「貴様は、傭兵を美麗に語り過ぎる。それは自らの罪から目を背ける行為だ。傭兵など、醜い罪人に過ぎない。……だが、貴様が自身の罪を受け入れ、己が信じる傭兵の矜持とやらに則って、何か一つでも、罪の無い善人のためになる何かを成し遂げる事が出来ると言うのなら……それは少しだけ見物だと思っていた。だが……思い違いだったようだ。今、貴様が言っている事を要約すると、こうだ。『自分は気持ち悪い怪物だった。その事実を嫌でも思い知ることになるから、レイモンドに会いたくない』」


 忌々しげな溜め息を挟みつつ、エグゼは続ける。


「……ふざけるな。良いか?俺は、何度も言っている。何度も、何度も。これまでに何っ度も言ってきた!そして、この先も何度だって言ってやる。貴様は愚かで醜く悍ましい、化け物のような心を持った罪人だ!その事実をいい加減に受け入れろ。そして、罪を受け入れたその先に、貴様が何を成せるかを考えろ。……もしそれが出来ないと言うのならば……やはり貴様に価値は無い。今ここで処刑する」


 布袋に巻かれたままの処刑刃『ルイゼット』を片手に持ち、しゃがむサヴァイヴの真横へ振り下ろした。ギロチンを思わせる形状の刃が、袋に包まれた状態で地に当たる。


「……だが、貴様がまだ何かを成せると言うのならば、それまでは猶予を与えてやる。今この場で選べ」


 サヴァイヴの瞳に、一筋の光が灯ったように見えた。小さく揺らめく、今にも消えてしまいそうな灯火だが、確かにそれは光であった。


 サヴァイヴは、ゆっくりと口を開き、エグゼに向けて言葉を発する。その言葉は、同時に自分自身に対しても向けられているようであった。自身の中の、核となる大切な何かを再確認するかのように。


「傭兵は、世界中の争いを請け負う仕事だ。人が決して逃れる事の出来ない強大な呪い……『戦争』。そんな、世界の負の部分を背負って、世界中の人達が戦争で苦しむ事が無いように、争いの悲劇に見舞われる事が無いように、その全てを背負って、世界の平穏を守る者達……英雄なんだ。僕にとっての」


「くだらない。勘違いも甚だしい。……やはり、貴様は傭兵を美麗に語り過ぎる」


 エグゼは大きく舌打ちをした。


「そうかもね」


 そう言って小さく笑うと、サヴァイヴは立ち上がった。エグゼの持つ灯が、彼の暗闇を照らしたのだ。


「傭兵とは、命を壊す事に特化していて、守る事には向いていない。レイモンドさんはそう言っていた。……あるいは、そうかも知れない。実際、僕はそうだったみたいだ。君の言葉が少しは理解できた気がする。戦場では気づかなかった、僕の異常性。平和な世界に身を置いたからこそ見つかった、僕の中の怪物。……それなら、それで良い。だったら特化している部分を活用してやる。怪物としての僕を使いこなしてやる。レイモンドさんの……死神部隊の企みを、計画を、壊してやる。僕らの仕事を邪魔しようとしてくる全ての要素を、破壊してやる。全部破壊して……任務を完遂する。全部破壊して……この国を健康にする」


 『この国を健康に』。ドリュートン先生の言っていた言葉だ。アリスは少し安心したような視線を彼の顔に向けた。エグゼは小さく舌打ちをして、大剣を背負いなおし、柄から手を離す。サヴァイヴの復活を、二人は感じ取ったのだ。


 その時だった。


〈呪弾装填〉


 と、言う声が聞こえたのは。


 三人は互いに顔を見合わせた。この場にいる誰の声でも無い。もっと年齢が上の、男の声であり、その声はサヴァイヴの体の中から聞こえたようであった。少し驚いたような声で、サヴァイヴが呟く。


「団長……⁈」


「なに?」


 その呟きを、エグゼは耳ざとく聞き取った。だが、サヴァイヴがさらにもう一言発するより先に、その体に異変が起こる。


 サヴァイヴの右目が、赤い瞳が、青く変化して輝いた。その直後、彼の右腕の皮膚が裂けると、筋繊維のような物が伸びて絡まって銃口を形成する。例の、サヴァイヴが体に持つ呪いの銃口だ。だが、いつものそれとは違い、さらに変化が起こる。


 骨を思わせる、白く硬い物質が筋繊維の銃口を覆った。丸い銃口の先端から四つの白い鉤爪のような物が長く伸びる。形成された銃口の奥が、青白く輝いた。


 サヴァイヴは、何かに取り憑かれたかのようにその青い右目を見開いてドリュートン先生の死体を見つめると、無機質な声色で小さく言う。


「……そうだ。思い出した、団長の話を。この呪縛の正体を。……人の強い感情、自分を取り巻く世界や運命への呪い、それを弾としてこめて、この世のありとあらゆる物を破壊する……どんなに硬い物体だろうと、不定形の物質だろうと、不死の存在や、世界の理ですら、『殺してしまう』呪縛」


 言いながら、サヴァイヴは銃口をドリュートン先生に向ける。直後、青白い炎のような物が放たれ、それがドリュートン先生の体を包んだ。辺りは寒々しい青い光に満たされた。


 やがて、光は消え、再び暗闇が周囲を飲み込む。星の灯りと、エグゼの持つ火のみが照らす静寂の中、森の木々のこすれ合う音や、野生の鳥の鳴き声に混じって、何かが動き出すような音が聞こえる。エグゼが、音のする方へ火を向けた。松明を持つ手は小さく震え、冷汗が滲んでいる。


 松明に照らされたドリュートン先生の死体は、ゆっくりと起き上がって、まぶたを開けた。その瞳は灯りに照らされて光を受け入れてもなお、瞳孔が開いたままであった。頭の銃創からぽたぽたと、涸れかけの血を流しつつ、ドリュートン先生は三人に尋ねる。


「……あれ?レイモンド君はどうしたのかな。姿が見えないけれど……」


 サヴァイヴとエグゼはその光景に驚愕して引きつった表情を互いに見合わせた。アリスもまたキョトンとした顔でドリュートン先生を見つめていた。


 人を殺し、命を壊す。レイモンド風に言えば『命に直に触れる』ことを生業としていた三人だからこそ、余計に感じるのかもしれない。壊れたはずのものが、動き出すということへの恐怖を。


 この世の絶対的な決まり事が破壊されたかのような、肌寒さを。

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