第31話〈白鴉の見た世界〉

 時は少し遡る。ソフィー号の中央階層にある第二食室にて、赤毛の青年コリングと金髪大男トロンハイムが主催するダンスパーティが行われていた。


 踊り疲れて簡易的な木製ステージを降りたコリングは、辺りをキョロキョロと見ながら酒のジョッキを手に、誰かを探していた。


「サヴァイヴやリカちゃん、まだ来てないのかな〜」


 そんな事を呟きつつ、壁際にもたれかかる。喧騒の中、コリングは独り言のように、小さく呟く。


「……未だ、副隊長からの連絡は無いよ」


「そうか」


 コリングの『独り言』に答える声がする。少し離れた位置で一人酒を飲む黒髪褐色肌の青年、レイモンドの声だ。二人は顔を合わせることも無く、それぞれ別の方向を向きながら小声での会話を続ける。


「このパーティ……お前達が開いたんだって?どういうつもりだ」


「いやあ、船での仕事が少し退屈だったからさ。刺激が欲しくってね」


「……遊びもほどほどにしろよ」


 レイモンドは小さく溜め息を吐いて言う。それから、懐から何か小さな紙に包まれた薬のようなものを取り出すと、コリングの方へ向かい、すれ違いざまに彼に手渡した。コリングは渡されたそれを見て聞く。


「これは?」


「……お前達の遊びを、私の任務に利用させてもらう。酒の成分が回りやすくなる薬さ。人を悪酔いさせる効果がある。適当な誰かに飲ませろ」


 コリングは何か理解したようにニヤッと笑うと、薬を口に含んでから再び中央のステージへと戻って行った。


 しばらくして、ちょっとした騒ぎが起こった。一人の女性が酔いすぎて体調がおかしいらしい。船員と思われる少年少女が対応しているのを見たレイモンドは、そこへ早足で近づいて声をかける。


「横向きに寝かせろ!頭を後ろにそらして、気道を確保する」




 それから数日が経過した。ソフィー号の医務室でかつての恩人であるドリュートンと再会したレイモンドは、その医務室へと度々通うようになっていた。そこで知り合った元傭兵の少年、サヴァイヴが働いていると言う第四階層の共用エリアへ向かうと、そこでは見知った二人組が騒がしく話していた。サヴァイヴが二人に注意をしている。その様子を見て、会話の内容を聞いたレイモンドは顔を顰めた。


(あいつら……騒ぎすぎて素性がバレてるな)


 どうやら監視もついているらしい。なんとかして二人から任務の進捗を聞くべく、レイモンドは他人を装って声をかける。


「煩いな。もう少し周囲に配慮は出来ないのか。育ちが疑われるぞ」


 レイモンドに突然声をかけられた二人は、少し驚いたような、キョトンとした様子でこちらを見ていた。


(……分かっているだろうな。我々は『他人同士』だぜ)


 頭の働かない二人が、レイモンドの意をくんで対応出来るかどうか、正直言ってこれは賭けであった。やがて、コリングが自嘲するように笑って答える。


「実際、育ちが悪いもんでね。金も教養も無い哀れな僕らを大目に見てよ」


「清貧という言葉を知らないのか?」


 コリングは若干気分を害したように顔をしかめた。おそらくこれは演技では無い。単純で感情的になりやすい上、自身の知能に劣等感を持つ彼は学の無さを指摘されるとすぐに機嫌が悪くなる。レイモンドは心の中で呟いた。


(おっと、言いすぎたかな?)


 そんな二人の間に割って入り、不機嫌気味なコリングを宥めるようにトロンハイムが笑って言った。


「まあまあ、副隊長から送られてきた手紙にあったみたいに、俺達は明日着く島で下りるんすから!変な騒ぎとかは起こさないっすよ。怒らない怒らない!」


 『副隊長からの手紙』つまり、副隊長からの接触があったと言うこと。これは、ソフィー号に薬があるということを示している。そして、二人が明日船を下りるという報告も入っている。


 コリングは、トロンハイムの意図を察して笑い、補足するように言う。


「はいはい、分かってるよ。もうこの船でやることもねーし。せいぜい船上ライフを満喫するさ」


『もうこの船でやることは無い』。つまり、『任務は完了した』だ。


 ……上出来だ。レイモンドは心の中でニヤリと笑った。




 フォルトレイク上陸前日。フォルトレイクに上陸する者達へのワクチン投与に追われ散らかった医務室において、レイモンドは一つの薬瓶を手にしていた。ドリュートンは船長と共に倉庫へ向かっており、不在だ。懐から小さな瓶を取り出すと、シーナの目を盗んで薬を移した。金属を腐食させる効果のある劇薬だ。


 薬品を小瓶に移し終えたレイモンドの服の袖から、小さなトカゲが這い出て来る。このトカゲの背に小瓶を括り付けると、そっと放した。トカゲは素早く動いて物陰に潜みつつ、下の階層へと、侵入者が捕えられている部屋へと向かって行った。




 フォルトレイク上陸後、サヴァイヴ、エグゼと共に移動していたレイモンドは、ベン達との合流地点であるゴルダの町近くの立派な宿に辿り着いた。しかし、どうも様子がおかしい。宿の入り口付近には三人ほど顔を布で覆った武装した者達が立っており、中から何か剣呑な物音が聞こえてくる。


「……事件でしょうか?」


 木の陰に隠れ、遠くから宿の様子を伺いつつ、サヴァイヴが言う。レイモンドは小さく頷いた。エグゼも小声で呟く。


「複数の……罪人の気配がする。気分が悪い」


 とにかく宿の中へ向かおうとするサヴァイヴを止めて、レイモンドは提案した。


「状況が分からない以上、我々三人が固まって行くのは得策ではない。エグゼ君と……言い出しっぺの私があそこの入り口から様子を伺うから、君は別の入り口を探して、いつでも突入できるように待機していてくれ」


 サヴァイヴは無言で頷いた。エグゼからも反論は無い。それからエグゼとレイモンドの二人は、入り口の前に立つ覆面達に声をかける。


「やあ。我々、この宿に泊まりたいのだが、やっているのかい?」


 気さくに声をかけるレイモンドに対し、覆面は脅すような声を上げる。


「この建物は、我々ブラックカイツが占拠した。危ない目に遭いたくなければ何も聞かなかったことにして立ち去るが良い。言っておくが、憲兵を呼んだりするなよ?そんな事をすれば、その瞬間に貴様らは大罪人となる」


「大罪人だと?」


 エグゼが顔を顰めた。レイモンドは小声で彼に促すように言う。


「構わない。君の思うようにやってしまえ」


 次の瞬間、エグゼは目の前の覆面の体を両手で掴むと、力を加えてその体を回転させ、地面に叩きつけた。受け身すらとれずに覆面は気を失った。周りにいた二人の覆面達がエグゼとレイモンドに銃を向ける。エグゼは動じることなく、素早い動きで一人から銃を奪って、その銃でぶん殴ると、もう一人の発砲した銃弾を避けて背後に周り、首を絞めて意識を落とした。レイモンドが宿の入り口をノックする。中から返答は無い。彼はゆっくりと扉を開けた。


 宿の中には、レイモンドにとっては部下に当たるヤタラス・C・レイヴン……またの名をガルザヴァイル・エシャントがいた。複数人の覆面にアリスを抑えさせて、ステンドグラスの大窓のすぐ近くに立ってこちらを訝しげに見ている。彼が何か問いたげに口を開いたのを見ると、余計なことを言い出す前に、レイモンドは言葉を発した。


「残念。我々は囮だ」


 次の瞬間、ステンドグラスの大窓が割れて、サヴァイヴが建物の中へと飛び入ってきた。


 サヴァイヴとガルザヴァイルの戦闘が始まる。白熱する戦闘に酔ったガルザヴァイルはどんどん没頭してゆく。テンションが高まり、任務すら忘れてただ目の前の戦闘を楽しんでいる様子であった。しかし、あまり調子に乗ったままでは困る。相手は『アルバトロス』。追い詰めすぎて『奥の手』を使われた場合が非常に厄介だということを、何とかして部下に伝える必要がレイモンドにはあった。


 彼はニヤリと挑発的に笑って口を開いた。


「ガルザヴァイルとやら、油断は禁物だぜ……そんなに洞察力に自信があるのなら、言い当ててみるが良い。今戦っている少年が何者なのか……」




 そして、現在。


「……だから、これから起こることに関して君は、自分を責めてはいけない。……本来、君には不向きなことなのだから……」


 満天の星空の下、そう囁くように言ったレイモンドは、直後、懐から取り出した拳銃をドリュートンに向けて引き金を引く。レイモンドが懐に手を入れた瞬間に発せられた殺気に感づいたサヴァイヴは反射的にメタナイフを抜いてレイモンドに斬りかかるが、時は既に遅く、発砲音と共にドリュートンは頭部から血を流してその場に倒れこんだ。その瞳は穏やかに開かれたまま、何もない虚空を見つめている。自分の身に何が起こったのかも分からないまま、彼は死んだのだ。


 サヴァイヴの振るう刃を軽々かわして、レイモンドは銃を懐にしまった。サヴァイヴは信じられないという動揺を露わにした瞳でレイモンドを見つめて、メタナイフを構えていた。震える唇を動かして、絞り出すような声を発する。


「……敵……だったんですか。レイモンドさん」


 自分の言っている言葉ながら、未だに受け入れがたいという口調で、サヴァイヴがレイモンドに問う。そんな彼の姿を見て小さく悲しげに笑いつつ、いつもの調子でレイモンドは答えた。


「残念ながらね。だが、世の中にはよくあることさ。『アルバトロス』の生き残りである君ならよく分かっているだろう。……人は、嘘を吐く。そして、裏切る」


 心の傷痕に触れられたかの如く、サヴァイヴは顔を顰めて鋭くレイモンドを睨んだ。


「……あなた、誰なんですか?本当に、レイモンドさんなんですか?もしかして、別の誰かと入れ替わっているのでは……」


「レイモンド・キャビックは、確かに私の名前だよ。だが、過去に捨て去った名。今、改めて名乗らせて頂こうか……」


 口元に笑みを浮かべ、姿勢を真っ直ぐに礼儀正しく、その掌で自らを指しながら彼は自己紹介をする。


「私の名は、『ハクア』。しがない人殺しさ」


 サヴァイヴはメタナイフを強く握って構えなおすと、低い声でレイモンド……いや、ハクアに問いかける。


「……わざわざご丁寧に名乗ったということは……この僕も生かして帰す気は無いと、そういうことですね?」


「いいや、そういうわけでは無いさ」


 ハクアはその虹色の瞳を細めて笑う。


「前にも言ったと思うが……私は、口説き落としたい者以外に嘘を吐く気は無い。それは、女だけでなく男も当てはまるのさ。君の前で嘘を吐き、ただの医者である『レイモンド』を演じてきたのはそのためだ。つまり……私は君を落としたい。手に入れたい」


 白い歯を見せて爽やかに笑いかけ、彼は続ける。


「サヴァイヴ、私の仲間にならないか?」


 そう言って、右手を差し出した。サヴァイヴは不快さを露わにしたような表情で目を尖らせると、静かに問う。


「……一つ教えてください。ドリュートン先生にお母さんを助けてもらったと言う話は……本当ですか?」


「本当だよ」


 レイモンドは自嘲気味に笑いつつ答える。


「先生に憧れて医者になったのも本当さ」


「……そうですか」


 サヴァイヴはメタナイフの刃をハクアに向けて、吐き捨てるように言った。


「僕らに嘘を吐き、大恩あるドリュートン先生を裏切った。そんな人の仲間に、僕がなると思いますか?……僕はあなたに強い怒りと不快感を覚える。拒絶反応を感じます。……一刻も早く、その存在をこの世から消し去ってやりたい」


「そうかい、意外だな」


 ハクアはニヤニヤと笑いながら言う。


「君には、私の気持ちが分かると思っていたが……。私達は似た者同士だからね」


「どういうことです?」


 レイモンドは芝居がかった口ぶりで、手を大きく動かしながら語り出す。


「傭兵団『アルバトロス』は、最強の傭兵団と呼ばれた。それがなぜ滅んだのか?どういういう理由で、たった一人の少年を残して全滅したのか?考えられる理由はただ一つ。『団の中に裏切り者がいた』というその事実……!ではその裏切り者とは一体誰だ……?最も疑わしい人物がいるじゃあないか?『唯一の生き残り』……‼」


 サヴァイヴはメタナイフを振るって、ハクアに向かって斬りかかった。しかし、その動きはいつもの彼のものとは違い、勢いが乏しくキレも無い。前日使用した『暁血』のダメージが未だ残っているためだ。サヴァイヴの緩慢な斬撃を軽々かわしつつ、ハクアはさらに言う。


「『殺人』に感じる悦び。『戦い』に対する高揚。全て、『命』へと直に触れたいと思うが故の感情だ。君はその感情を知っている。分かっているはずだ。それが、自分自身でも抑えきれないものであるということが」


 サヴァイヴは再びハクアを斬りつける。刃が何やら硬いものとぶつかり、鋭い金属音が鳴る。ハクアは、服の胸元から取り出した納刀状態のメタナイフの、その鞘でサヴァイヴの斬撃を受け止めていた。鞘の装飾は荊と鳥の翼。死神部隊の印だ。


「我々傭兵にとって、鳥とは特別な存在。戦いを象徴する神のようなもの。その翼をモチーフとすることは恐れ多く傲慢なことであるとして、暗黙の了解でどの団も避けてきたと言う……。しかし私の部隊は違う。『命』に触れる感情を理解できる者達。殺し合いの刹那にのみ生きる意義を見出すことのできる傭兵の中の傭兵。それが我が第十三番部隊。私が厳選した精鋭達。そこへ、君も加えたい」


 サヴァイヴのメタナイフを弾いて、再び自身のナイフを胸元にしまうと、ハクアはサヴァイヴの体を思いっきり蹴り飛ばした。勢いよく吹き飛び、地面に叩きつけられたサヴァイヴの口からうめき声が漏れる。明らかに万全では無い様子の彼を見下ろした後、ハクアは背を向けた。


「嘘を吐いていたことは謝罪する。だが仕方が無かったのだ。こちらも仕事なのでね……。まあ、ゆっくりと前向きに考えておいてくれ。君自身の持つ傭兵としての心に問いかければ、答えは一つであるはずだ。私は待っているよ」


 そう言って、ハクアは馬車の御者台に腰掛けた。弱った体に蹴りを入れられて起き上がることが出来ないサヴァイヴは、憎々し気な瞳でハクアを見上げて声を荒げ、唸るように言う。


「……僕に吐いていた嘘なんて、どうでも良いんだ。僕が許せないのは、あなたがドリュートン先生を裏切ったことなんだ……!先生だけじゃない、シーナのことだって、そうだ‼二人はあなたを信頼して……」


「シーナか。彼女は優秀だ。良い医者になっただろうが、残念だ」


 ハクアは溜め息交じりに言う。


「彼女は優秀すぎた。死裂症の新たな治療法を開発し得るほどに。……優れた邪魔な芽は、早いうちに摘まなければ」


 ハクアのその言葉の意味に気づいたサヴァイヴは、目を見開いて絶句する。ハクアは冷酷に続けた。


「ソフィー号にいるフギオンに……命じてある。『邪魔な芽を摘め』と」


 そう言い残し、軽く手を振ると、ハクアは馬車を動かし去って行く。治療薬とワクチンを積んだ馬車は夜の森の中へと消えて行き、後に残されたのは地を這うサヴァイヴと冷たくなったドリュートンのみであった。


 自分達に任務を託したベンの声と顔が頭に浮かぶ。この国を、死裂症を何とかしたいと言った町医者の声が、その声に答えたドリュートンの力強い言葉が、思い返される。そしてドリュートンと話すシーナの笑顔が脳裏をよぎる。


 握りこぶしを何度も地面に叩きつけながら、悔しさと悲しさと、その他様々な感情が心の内をぐちゃぐちゃに入り混じったサヴァイヴは、天を覆う星空に向けて怨嗟の声を上げた。


「なんで……なんでっ‼なんでいつもこうなんだ‼誰も守れなくって何も成せないって……‼どうしたら良い⁉僕は……殺すことしか出来ないのか⁉壊すしか能が無いのか⁉だとしたら、だとしたら僕は……そこに意義を見出すしか無い……‼」


 その叫び声は、深い深い夜の闇に流れて溶けて、四散して行った。

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