第55話〈神様の心〉

「……エグゼが、来てほしいって」


 走るサヴァイヴに並走しつつ、のんびり落ち着いた口調でアリスは言った。それに対し、緊迫した慌しい様子のサヴァイヴが、早口で答える。


「ごめん!今無理だから、そう伝えて!……先生、この薬で大丈夫ですか?」


 ドリュートン先生の元に駆け寄り、薬瓶を渡す。先生はそれを受け取り、中の液体を別の薬と混ぜ合わせる。そして調合したものを目の前に横たわる患者にゆっくりと飲ませた。高熱に苦しんでいた患者の表情は、やがて穏やかなものへと変わっていった。ドリュートン先生が言う。


「ひとまず、危険な状態は脱しました。しかし、まだまだ油断はできない。常に容体を見て、少しでも異変があったらすぐに処置をお願いします」


「分かりました」


 傍らに控えていた医者が頷いた。ドリュートン先生はニッコリ笑うと、すぐまた速足で別の患者の元へと向かって行った。サヴァイヴもそれに続く。


「次の患者さんは、どういった状態なんですか?」


「どうやら治療薬が体質に合わなかったみたいでね。軽い拒絶反応が出たらしい……」


 そんな話をしながら、二人は駆けて行く。私と、私を抱きかかえるアリスは、その後ろ姿をジッと見ていた。


「……忙しそう」


 アリスが呟いた。私も頷く。


「エグゼになんて伝えようかな」


 そう呟き首を傾げるアリスに対し、私も揃って首を傾げた。それから彼女の元から羽ばたいて、サヴァイヴの後を追った。


 二人は病院中を駆け回って、数多の患者さんの対応をしていた。ほとんどが入院中の死裂症患者であるが、その合間に、先のブラックカイツの起こした事件で負傷した者の治療も行っていた。


 ドリュートン先生は主に、現場の担当医への情報伝達……具体的には治療薬やワクチンの使い方、その性質や、不慮の事態への対処法等の様々な説明に重点を置いていた。これはつまり、ドリュートン先生がいなくなった後も現場の医療従事者達が正しく死裂症への対応を行えるようにするためであった。そしてそれについて回るサヴァイヴの仕事は、荷物持ちや言われた薬の出し入れ。簡単なお使い等の、言ってしまえば誰でもできる雑用であった。彼には医療の知識が無いので当然と言えば当然の話である。


 治療薬の拒絶反応が出た際の対処手段を用紙に記しつつ、その作業の合間に先生はサヴァイヴへ声をかける。


「大丈夫かい?無理をしていないかい」


 サヴァイヴはこう見えても病み上がり。先の戦闘で受けた傷はまだ完全には治っていない。そんな彼のことを気遣っての言葉だった。そもそも体の傷を別にしてもドリュートン先生の仕事内容は超ハードワーク。並大抵の根性ではついていけない。しかし、そこはサヴァイヴも戦場で鍛えられた心根と体力で食らいついていた。


「大丈夫です」


 そう言ってサヴァイヴは笑った。それから、薬鞄の中を整理しつつ、少し息をついて続ける。


「大丈夫ですが……しかし、正直想像より大変ですね。勉強になります」


 サヴァイヴの言葉に、先生も頷いた。


「体力的にも、精神的にも過酷な仕事だよ。でも必要なものだ。私は医者になったことを後悔したことは一度も無いが、人に勧められる仕事じゃあ無い」


 包帯の奥に見える乾いた瞳を見つめながら、サヴァイヴは尋ねた。


「シーナが医者になりたいのは、先生の事を傍でずっと見ていたからなんですね」


 ドリュートン先生は若干困ったように笑う。


「……シーナは、実は一度も医者になりたいとは言ったことは無いんだよ」


「そうなんですか⁉」


 サヴァイヴは意外そうな声を上げた。先生は書く手を止めてゆっくりと頷いた。


「私もあの子を医者にしようと思ったことは無い。でも、あの子を一人にしないためには常に仕事の場に連れていく必要があってね。今の君のように、私の仕事の手伝いをしてもらっているうちに、いつのまにか色々な知識を吸収して成長していったんだ。今や、薬草に関する知識は私より上だよ」


 苦笑いをしつつも、そこか誇らしげに語る先生を、サヴァイヴは何も言わずに見つめていた。


「私がいなくなった後、どんな道を選ぶのか……それは、シーナの自由だ。どんな将来を選んだとしてもあの子ならばきっと上手くやれるだろう」


 包帯の奥のその目は、すでにこの世のものでは無い何か遠くを見据えていた。サヴァイヴは少し不安そうに呟く。


「いなくなるなんて……」


「いなくなるのだよ。人は、必ずいなくなる。それは絶対なんだ。どんなに離れがたく、まるで自分の身を二つに裂いてしまうような辛く苦しい別れだとしても。いつかは必ず訪れる」


 サヴァイヴは何も言うことなく、黙りこくってしまった。傭兵として戦場で生きてきた彼には、その事実が痛いほど分かっているはずなのだ。


 しばらくしてサヴァイヴは、先生の包帯で覆われた乾いた手を掴み、小声で尋ねた。


「じゃあ、先生はなんのために人を治すんですか?先生がどんなに頑張って、身を粉にして働いて、人の命を助けたとしても、いつかそれにも必ず終わりが来る。……大切な人との別れを先延ばしにしているだけなのに……」


 言いながら、どこか心配そうに先生の顔を見上げた。先生は特に動揺した様子も無く、変わらず穏やかな視線と口調で、答える。


「それはね、分からないんだ。私も何度も考えた。これまでの医者としての人生全てを費やして考え続けて、それでも答えは出なかった。なぜ人を治すのか。私には分からなかった。もしかしたら、答えなど無いのかもしれない。……それでも、一つだけ確かなことがあるんだ」


 先生はニッコリと笑った。


「結局……目の前に苦しむ人がいたら、私は治療しようとするだろう。その事実だけは確かにあるんだ。理由も分からないのに。それは、もしかしたら私の中のただのエゴなのかもしれないけれど……でも、その事実だけは信じられる」


 それから先生は、書き終えた書類をまとめると、サヴァイヴの背を軽く叩いて励ますような声をかけた。


「さあ。まだまだ、患者さんはたくさんいるんだ。ついて来れるかい?」


「……!もちろんです!」


 サヴァイヴは両手で自身の頬を叩いて気合を入れなおす。それから二人はまた院内を駆けて行った。


 二人の仕事が終わったのは、夕刻の、陽が地平に沈み切る直前の頃であった。


「お疲れ様です」


 サヴァイヴが先生に言った。二人は病院の裏庭にやってきて、辺りに咲く野草を見ながら話していた。


「サヴァイヴ君こそ。ありがとう。おかげで私の仕事は全て終わったよ」


 先生の仕事。すなわち、この国立病院の医者たちへ死裂症の治療法を完全に伝授するというものだ。この仕事があるからこそ、サヴァイヴ達は薬のみならず先生も無事な状態でここへ送り届ける必要があったわけだ。正直、今の先生の状態は無事とは言い難いかもしれないが……だとしても、今を以てサヴァイヴ達の任務は完遂された。


「これで、僕達も船に帰れます。エグゼも多分、馬車に乗って移動できるくらいには回復しているでしょう。途中の港町でベンさんと合流して、皆で帰りましょう。ソフィー号へ」


 明るい笑顔でドリュートン先生を見上げるサヴァイヴ。先生は何も答えずにただ微笑んだ。


 しばらく静寂が続いた。それは何らかの意味を持った静けさであった。


 陽が完全に沈み切って、飲み込まれるような暗闇が周囲を覆う。サヴァイヴは、ふと思いついたように、先生に尋ねた。


「……ドリュートン先生にとって……神様って、どういう存在ですか?」


 夜の闇に隠されて、先生の目は我々には見えない。包帯に包まれたその顔面からは表情も読み取れない。やがて、言葉のみが返って来た。


「そうだね……万能の力を持っている存在、かな……。そして自分の力の使い方を知っているんだ」


 サヴァイヴは、続きを促すかのような無言を先生に示した。先生は少し間を開けてから話し出す。


「もし神様がこの世界にいるとして……なんで私達の前に姿を現さないのだろうと、考えたことがあるんだ。世の中には、神様が現れることで容易く解決する問題が多々ある。なのになんで出てこないのだろうと。なんで私達がその存在を確信できるような形で、その力を示さないのだろうかって。……考え続けて、ちょっと分かった。つまり、万能の力には相応の責任のようなものが伴うのだと」


 神の考えを想像する。その表情は依然、闇に包まれて私とサヴァイヴの目には映らない。


「万能の力は、万能であるが故に……使ってはいけないんだ。……あるいは、使い道を精査しなければいけない。だから、おいそれとは使えない。そう簡単に人前にその御姿を現せない。……時に人は、神の力に憧れてそれを欲する。でも、我々が本当に習うべきは、神の『力』ではなく『心』なのではないかと、私は思う」


 神の力を望む人間。私の小さな脳裏には、褐色肌の青年医師の姿が浮かんでいた。恐らく、サヴァイヴの頭にも同じ姿が映っているのではないだろうか。


「神の持つ力を欲すると、人は必ず間違える。その強大すぎる力に値する心を人は持っていないから。神に憧れこそすれど、決して神になろうとしてはいけない。我々が神から習うべきは、その心なのだと私は思ってしまうんだ。自分自身の持つ『力』をどう使うか。それを思案する心」


「先生にとっての神は、万能の力を持ち、その力を扱うに値する心をも持っている存在ということですか」


 サヴァイヴがまとめる。暗闇の中で、先生の首が頷くのを私は見た。サヴァイヴはまた少し考えた後、ぽつりぽつりと話し始める。


「レイモンドさんは、自身の事を『死神』と称していました。神にも等しい力を手にした、と。レイモンドさんは……力のみを追い求めてしまった故に間違えてしまったという事でしょうか」


「……彼は、聡明で優しい子だ」


 先生の声色には悲しみと悔恨が滲んでいた。


「医者と言うものに憧れて、まだ子供の身でありながら足繁く私の病院へ通っては勉強していた。真綿のように知識を吸収する子だった。目の前で苦しむ全ての命を救いたい。それが彼の口癖だった。……でも、全てを救う力など、それこそ神にしか許されないものだよ。彼は、その力を求め過ぎたことで……壊れてしまったのだろう」


 そう言って、先生は黙りこくった。サヴァイヴは様子を伺うように先生の顔に視線を向けて、確かめるように声をかける。


「……先生?」


「命とは、決して人には触れることが出来ないものだよ。その瞬きが消えるのを、人は止められない。そして一度消えたそれを再び点けることだって、できないのだ」


「でも……でも、先生!見てください。自分の手を。その姿を。あなたは……一度死んでしまったけれど、今再び動いています。もちろん、元の姿と全く同じとは言い難い……完全な復活と呼べるものではありませんが……それでも、人の治療を行うことは出来る。先生の医療技術は……先生の持つその力は、まだまだ世界に必要とされている。そういう事では無いでしょうか?」


 私は、鳥であるが故に人よりも感覚が鋭い。動物的勘という奴だろうか。その勘が、私に言っている。すぐそばに、今にも消え入りそうな灯がある。


 サヴァイヴもまた私の勘に近い感覚を持っているらしい。戦場で培ったものだろう。彼は自身の中の不吉な知らせを打ち消すかのように、まるで、今にも寝てしまいそうな人間を起こし続けるかのように、声の音量を上げて、先生に向かい話し続ける。


「先生には、まだまだたくさんの仕事があります。世界中に、たくさんの患者さんが待っています!ソフィー号に、帰りましょう。船の皆だって待っているはずです。そう、シーナなんか特にそうです。先生の帰りを心待ちにしているはずです。先生は、シーナを一人にしないために今までだって……」


「あの子は、もう一人じゃないよ」


 今にも眠りに落ちそうな、トロンとした口調で先生が答えた。


「船の皆がいる。……それに……私の仕事は、もう、終わった……」


「終わってません!終わってません!世界は、皆はまだまだ先生を必要としているんです。先生は、まだ休んではいけないんです。これからも、これからもずっと……」


「ごめんね……眠くってね」


 サヴァイヴの言葉が止まった。彼は何か言葉を探している様子であったが、先生を説得できるそれが浮かばないようであった。しばしの無音の後に、先生の呟くような声が聞こえてくる。


「……今まで……医者の身になってから……本当に熟睡できたことなんて、無い。いつ訪れるか分からない急患や、容体が急変するかもしれない患者さん、今まで助けることが出来なかった数えきれない人達の姿や、その家族友人恋人たちの顔。そういったことを考えると、ぐっすりと眠る事なんて、できない。……でも、そうだね……今ならば、よく眠れそうだ」


「……もう少し……待っていただけませんか?」


 サヴァイヴが絞り出すような声を出す。


「もう、じゃあもう、働かなくても良い。ずっと休んでいたって、構わない。でも、ずっとシーナの傍にいてあげて欲しい。彼女の姿を、ずっとずっと見ていてあげて欲しい。……それが駄目なら、せめてせめて、あと一度だけでも良い。最後に一度だけで良いから、彼女に会って、彼女に、伝えてあげて欲しい。どんな言葉でも良いから。シーナに……」


 そこで言葉が詰まってしまった。どんなに話し続けても、堅く定まった意思を変えることが出来ないと悟ったようだった。その意思が、先生のものか、神と呼ばれる者によるものかは分からないが。


「この身が死んでから、今に至るまでの……私の役割とは、薬を運び届けて、死裂症の治療法を伝えること。それだけなのさ。私には、責任がある。私の力を、どのように使うか、考える責任がある。力は、使い道を考えなくてはいけない。私に許された時間は、もう終わったんだよ」


「……先生は、もう一度会いたくはないんですか。……シーナと……」


 最後の抵抗をするかのように、サヴァイヴが小声で言う。その紅い瞳はもはや先生を見てはおらず、暗く黒い地面を見つめていた。先生は、頭を動かしてサヴァイヴに視線を向ける。


「会いたいさ。……でも、私は、その願いを叶えることが出来なかった数多の人達を……見てきた。抜け駆けは……できない。でも……そうだね……もしも、一つだけわがままを言っても良いのならば……伝えて欲しい。シーナに、私の、言葉を……」


 サヴァイヴは顔を上げて、先生を見た。


「なんですか?何を伝えれば良いんですか?」


 先生の目は、闇に隠れて見えなかった。


「何を伝えれば良いですか?先生?……先生?」


 耳を塞ぎたくなるような静寂の中、サヴァイヴの声だけがこだまする。


「シーナに、何を伝えるんです?先生?ちょっと‼聞いていますか⁉ねえ先生⁉」


 先生は何も答えずにただその場に立っている。その体はまるで石膏像のように固く静止して、時の干渉を拒絶するかのように、異質な存在感を纏っていた。サヴァイヴを含むこの俗世との間に、一枚の巨大な壁を隔てているかのように。その壁の先に、サヴァイヴの声はもはや届かない。それを感じ取った時、彼の口から出たのは怨嗟の如き怒りであった。


「……なぜですか。……おい、なんでだよ。ねえ、神様とやら、聞いていますか?今まで、あなたの心に習って、自分を犠牲にして、世のため人のために尽くしてきたドリュートン先生だ。それを、あんたも見てきたのでしょう?なのに、なんで、なんで、ただの一言のわがまますら、許してくれないんだよ?なぜですか?答えてよ。それすらも駄目なのですか?万能の力の責任ってやつか?」


 サヴァイヴの問いに答える者は、もはやここにはいなかった。


 暗闇とは、静止の世界。しかしその日は雲一つ無く月が出ており、星が天空に散らばっているのが見えた。空を見上げればそれらが天を回り、時の流れを可視化する。


 どれほどの時が経っただろうか。ただ空を仰ぐサヴァイヴに、声をかける者が現れた。


「……探したぞ。まさかこのような場所にいたとはな……」


 神経質で苛立ちを含んだ少年の声だ。サヴァイヴは、その声の主の方へ振り返った。


「エグゼ」


「……貴様の愚かな行為のせいで、貴重な時間を無駄にした。もはや一刻の猶予も無いのだ。さっさと来い」


 エグゼは松葉杖をつきながら、いつにも増して不機嫌な表情でサヴァイヴを睨みつけている。その背後には、心配そうな顔でエグゼを見るリカと、何を考えているのか分からない無表情のアリスが佇んでいた。


 サヴァイヴは顔を顰めて、エグゼを睨み返した。


「愚かな行為だって?」


「碌な医療知識も無い者が、ドリュートンについて行ってどうなる?そのような無駄な事をしている間にも、この国は危機に陥っているというのに、貴様の頭はそこまで回っていないようだな」


 苛立ちを募らせるエグゼに、サヴァイヴはさらに反論した。


「無駄じゃない。僕は、先生の仕事を近くで見て、知りたかったんだ。医者と言うものがどういうものか。人を治すと言う行為がどういうことか。そして、シーナやレイモンドさんが見ていた景色がどんなものか……」


「それが何だと言うんだ⁉」


 堪忍袋の緒が切れたように、エグゼが怒鳴る。


「……貴様のような罪人が、そのような事をして罪滅ぼしのつもりか?状況を考えろ‼良いか、貴様ら罪人は、人を傷つける能しか無いのだ‼であればせめて、その能力を罪の無い者達のために役立てる努力をしろと言っている‼……だというのになんだ⁉本来の役割を放置して医者の真似事などして何になる⁉そのようなもの、貴様の自己満足を満たすだけの行為だ‼そのような偽善的なエゴイズムに時間を費やして……」


「エゴでもなんでも、構わない。ただ信じられる事実が欲しかったんだ」


 サヴァイヴは、真っ直ぐにエグゼを見据えてはっきりと言った。エグゼは大きく舌打ちをして問い返す。


「信じられる事実だと?」


「僕の中にぼんやりとある、人を助けたいという感情。それと同時に存在する、戦って人を殺したいと言う感情。どれが本当の僕か、分からない。でも、そんな感情なんていう曖昧なものにこれ以上翻弄されるのは嫌なんだ。だから、信じられる事実が欲しい。どれほど自分の心が信じられなくても、それでも、僕はこうするだろうっていう、事実に基づいた自信が欲しい。あの村で、あの子の元へ駆けて戻って、植物学者のあのお母さんの治療に行った時みたいな、事実が」


「……この時間が無い時に、意味の分からないことを言うな‼」


 エグゼがサヴァイヴに掴みかかろうと足を踏み出す。しかしそれが腹の傷に響いたらしく、小さく呻き声を上げてその場にうずくまった。リカが慌てて駆け寄る。


「そんな怒鳴ったりするから!傷に障ることはやめてください‼……サヴァイヴも、こちらの話を聞いてください!シーナの治療薬が盗まれて……」


「知ってるよ。僕もソフィー号からの手紙なら読んだ。あれ最初に受け取ったの僕だし」


 サヴァイヴが落ち着いた口調で返した。リカは少し安堵した様子で話を続ける。


「それなら、話は早いです!今朝の新聞を見てください!クラフトフィリアが、国政評議会との会談を行って……」


「それも見た」


 サヴァイヴはまた静かに答える。話を遮られ続けたリカは、ここからどう言ったものか困ったように口をパクパクと動かしていた。その横で腹の傷を抑えるエグゼが、サヴァイヴを見上げて言う。


「そこまで知っているならば、考えれば分かるだろう?このままでは、この国は戦禍に巻き込まれる。それを阻止するために、すぐにでも奪われた薬の製法を取り返しに……」


「そもそも、それって僕らの仕事なの?僕らはこの国の人間じゃない。僕らの仕事は、治療薬を届けることだけだ。それ以上、この国のために働く必要が、僕らにある?一介の船員に過ぎない僕らに……」


 エグゼが目を見開く。サヴァイヴの突き放すような言葉に衝撃を受けたようであった。リカもまた、驚きを隠せないと言った表情でサヴァイヴを見つめた。


「サヴァイヴ‼あなたって人は……」


「貴様、それは本気で言っているのか……?」


 二人の非難するような目と言葉に臆することなく、確固とした意志を持った言葉で、サヴァイヴは言う。


「本気さ。この国は、僕達に守ってもらう必要があるほど弱い国じゃないってことさ!この国は、自分で自分を守れるだけの力を持ってる!でも、気づいていないだけなんだ。この国の人達も。……皆も‼」


 サヴァイヴの言う事が理解できないエグゼとリカは、何も反論できずにただその言葉を聞いていることしかできない。サヴァイヴはさらに続けた。


「僕が出会った植物学者のお母さんは、この国で産まれて、外の国に出て、学者になった。そして、フォルトレイクにいた時には分からなかったこの国の魅力を再認識したんだ。この国の植生は、世界的にもかなり珍しい特別なものだってことをね。それでも、そのお母さんは気づかなかった。植物の薬理作用に関しては専門じゃ無いから気づかなかった。その特別な植生で生える葉の一つが、自分の病気を治す薬になるってことに。……レイモンドさん達死神部隊の連中は、狡猾だよ。医療の知識を持っていて、それに基づいてシーナの薬の有用性を理解した。そして、その肝となるアバシリの葉を抑えてしまえば、自分達がその薬を独占できるって分かったわけだ。でも、レイモンドさん達は気づいていない。そもそもなんで、フォルトレイクのすぐ隣にある島で、イスラルシージャ島で、あの薬草商人の人がアバシリの品種改良を行っていたのか、そのわけに。……クラフトフィリアの人達は目ざといよね。この国の豊かな資源を見つけてそれを手に入れようとしてる。でも、彼らは気づいていない。水や木材、果物だけじゃない、さらなる可能性を持った資源の存在に。……新しい薬を生み出してしまうほどに薬草知識に長けたシーナも、世界中を回ってたくさんの知識を持っている船長も、気づいていないんだ。この国に住んだことが無いから。この国の住民としての視線は持っていないから。この国に一般的に生える葉の事なんて知らないんだ。……そして元々国民だったベンさんも気づいていないんだ。薬草の知識が無いから。自分達が当たり前に見てきたものの価値に気づけないんだ」


「長々と、つまり何が言いたい⁉」


 サヴァイヴの回りくどい言い方に嫌気がさしたようにエグゼが怒鳴った。サヴァイヴは自身の言葉をまとめる。


「……僕にはシーナやレイモンドさんのような薬草の知識も無ければ、ベンさんのようなこの国への深い知識も無い。でも、僕はこれだけは知っている。この『チバシル』っていう赤い葉が、フォルトレイク全土に生えているっていう事を。そして、知っている。世界の薬草学会において、このチバシルは、『アバシリの葉』って呼ばれていることを」


 足元に生えていた葉を手に取って、サヴァイヴは示す。エグゼは目を大きく開いてそれを見つめ、リカは両手で口元を覆った。アリスは一人よく分かっていない様子できょとんとその赤い葉を見つめていた。


 サヴァイヴは、ニッと笑った。


「この国は、最初から自国の住民を救う術を持っていたんだ。皆、気づかなかっただけなんだ。さあ、ソフィー号に連絡しよう、薬の製法を公開するようにってね。もちろん、『アバシリの葉』の部分を『チバシル』に変更して、ね」

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