第56話〈弔い〉

 私の名はテイラー、鳥である。前世は人である。


 ドリュートン先生の葬儀が終わった。非常に簡素なものではあったが、先生に指導を受けたこの国の医者や看護師、治療を受けた患者等、様々な人々が参列する温かな式となった。


 サヴァイヴの謎の呪術により生き返っていた影響か、先生の遺体は死蠟と化しており、生前とほとんど変わらない綺麗な状態を保っていた。先生に感銘を受けた一部の人々の間ではそれは神の奇跡と噂され、先生を医神の化身と呼び崇めるような空気すら流れていた。しかし先生本人はそのような扱いを望まないであろう旨をサヴァイヴが語り、人々を軽く諫めた。


 葬儀が終わってすぐに、サヴァイヴ達は荷物をまとめる。ソフィー号がこの国に停泊する日数はもうあと僅か。すぐにでも港町に行き、ベンと合流して船に戻らなければならないのだ。


「あれ?アリスは?」


 馬車を手配してきたサヴァイヴが、リカに問う。リカは荷物を馬車に乗せながら周囲を見回す。


「さっきまでそこにいたんですけど……」


「この時間が無い時に何をしている⁉」


 エグゼが舌打ちをした。サヴァイヴも少し困ったように眉をひそめる。


 それではここは、私が一肌脱ぐこととしよう。私は鳥の身であるが故に、人とは違う鋭敏な感覚を持っている。それを駆使すれば、アリスを探し出すことも可能であり……。


「あ、国政評議堂の跡地の方にいるみたいですよ」


 リカが鼻を小さく動かして言った。そうか、そう言えばリカも五感が優れているのであった。私の出る幕では無かった。


 私とサヴァイヴは、アリスを呼びに国政評議堂跡地へと走った。厳密に言えば走っているのはサヴァイヴであり、私はその肩に留まっているだけなのだが。まあ、それはいい。


 アリスはすぐに見つかった。かつて評議堂の建物を形成していたがれきの山のすぐ近くにしゃがみこんで、なにやら手を合わせている。


「アリス!何してるの、もう行くよ!」


 サヴァイヴが声をかけると、アリスはこちらへ振り向いた。彼女の拝んでいたものを見ると、それは、がれきの麓に突き刺さったメタナイフであった。全体が錆だらけで鞘に納まっている。その鞘ごと地面に刺さっているのだ。


「……それは?」


 地に刺さる納刀メタナイフを見て、サヴァイヴが問う。アリスはゆっくりと口を開いた。


「私の……メタナイフ。でも、今の私には必要のない力だから……」


 感謝と決別の深い礼をした後に、彼女は立ち上がり、かつての相棒に背を向けて進みだした。埋められたメタナイフとアリスの背を交互に見てぽかんと口を開けたサヴァイヴに対し、アリスは振り向いて言う。


「行かないの?……早くしないと船に置いてかれちゃう」


「あ、うん。って、君がそれ言う⁉」


 苦笑いをして、サヴァイヴは彼女の背を追った。





「マルコ隊長!私シヴァルリィ、ただいま到着いたしました!」


 そう言って元気よく部屋に入ってきたのは、栗色髪の少年兵士シヴァルリィ・B・E・ロビンだ。フォルトレイクの首都ルトレにある宿泊施設の、高級感漂う広い一室にて彼を出迎えるのは、カウボーイハットを深くかぶった小柄な青年マルコシアスであった。


「おーう、よく来たなあシヴァ!疲れたろ?まま、座れや」


 マルコは自身の腰掛けるソファの向かいにある柔らかい材質の椅子を指し、労いの言葉をかけた。それに従い椅子に腰かけたシヴァは、隣の椅子に座る少女に話しかける。


「パイオネット、聞いたよ。治療薬の運び屋の中に、君の知り合いがいたそうだな。同じ処刑人の……」


「ええ。そうよ。それとあなたの顔馴染みの子もいたらしいわね。サヴァイヴとかいう……」


「そうだ、そうだった!」


 バイオネットの言葉で思い出したかのように立ち上がったシヴァは、勢いよくマルコに尋ねた。


「サヴァイヴ達は今どこに?」


「おう、惜しかったな~。ちょーど今さっき、この街を発ったとこだよぉ」


「なんと!」


 シヴァは悔しげな表情で額に手を当てる。バイオネットがクスッと笑った。


「残念ね」


「まァ、きっとすぐ会えんだろ!あいつらの船は、これからこのフォルトレイクを出てからクラフトフィリア領に入るからなァ」


 マルコが励ますように言う。シヴァは明るく頷いた。


「ですよね!」


「単純ねぇ……ま、そんなことより……良いんですか?隊長?」


 小さく呆れ笑いを浮かべた後、バイオネットは真面目な表情になりマルコを見た。


「例の新薬の件。あの話が出た途端に国政評議会も態度がすっかり変っちゃって。私達の交渉に支障が出ていますけど?」


 マルコはニヤリと笑った。口元の八重歯が白く光る。


「どーしたもんかね。まァ、どーしょうもねーだろな。もともとこっちはムチャクチャな要求をしてたんだ。治療薬をちらつかせた、強引で一方的な交渉さ。その薬っつー武器を失えば、一気に不利にならぁな」


 そんなことを言いつつも、口調は穏やかでその表情は心なしか爽やかでスッキリとしたものだった。


「おれぁ、もともとうちのお偉いさんのやり方は好かんかったかんな。むしろ良い流れよ。この話はいったん国に持ち帰ってやり直しだな」


 そう言って、豪快に笑った。シヴァとバイオネットも納得したように頷く。


「では帰りましょうか!他にも解決しなければならない問題が山積みですからね」


「そうね。うかうかしていたら海上封鎖されて帰れなくなるかもしれないし」


 バイオネットが意味深に言う。マルコは帽子を深く被ったまま、深刻な声色で呟いた。


「『蛇の目の海賊』な」


「ええ。そろそろ本格的に対処しないと」


 マルコは小さく頷いて立ち上がると、ハットのつばを上げて二人を見た。


「よし、んじゃあ帰んぞ!おれらの国へよ!」





「もう傷は大丈夫なの?」


 緑がかった黒髪の、柔らかい雰囲気を纏う女性が言った。ベンジャミンは、腹の包帯を軽くさすりつつ答える。


「ああ。問題はねぇ。船に戻るくらいは余裕さ」


 そう言って目の前の女性、アイリスを安心させるように笑いかけた後、周囲をザッと見る。辺りは人通りの多い大通り。フォルトレイク最大の港町であるこのプエルトフォルツの中心街だ。


「セトラの奴は、来てないか……最後に一目会いたかったんだが」


「……ええ」


 アイリスが悲しげな表情で頷く。ベンジャミンがガルザヴァイルとの戦闘で負傷し入院している間も、セトラは一度も病室へ顔を見せることは無かった。


「あの子、あれからずっと家に閉じこもっていて……話しかけてもなにも答えてくれないし。私、どうしたら良いのか……」


 震える彼女の肩に手を置き、ベンジャミンは力強く言った。


「……こればかりは、あいつが自分自身で乗り越えなくちゃいけないことだからな……でも、大丈夫だ。アイリス、お前が傍にいてやれば、大丈夫だ」


 アイリスは不思議そうな、心細げな目でベンジャミンを見上げた。ベンジャミンはニッと笑う。


「人を傷つけ、自分も傷ついた……罪悪感と自己嫌悪と世界への鬱憤でぐちゃぐちゃになった男の心を、お前は一度晴らしたんだ。今度も大丈夫。弟の事を見守ってやれよ。……本当は、俺もこの国に残って見守っていてやりたいんだが……」


 ベンジャミンの口が止まる。彼は直前まで葛藤していた。未だブラックカイツの残党が革命の火を燻らせ、情勢も依然不安定なこの母国に傷ついたアイリスとセトラを残して、自分だけ発っても良いものかどうか。病室でずっと考えていた。そんな彼の心中を察したアイリスは、慌てて自身の両頬をつまんで横に伸ばした。唐突な面白顔に、ベンジャミンは困惑した。


「え、え、何?なんだ?どうしたのお前」


「わひゃひひゃひひょほほは、ひひひはいへ」


「いや、分からん、分からん」


 指を離し、少し赤くなった頬をさすりながら、アイリスは笑った。


「私達のことは、気にしないで。あなたにはあなたの進みたい道を行って欲しいから。……なんか、久しぶりに会ったベンジャミンは、とても強くなってたよ。この国じゃ見ることが出来ないたくさんのものを見てきたのかなって分かった。私も見習わなくちゃ」


 そう言って、小さくガッツポーズをする。ベンジャミンは目を煌かせてなにか感じ入るように頷いた。


「そうか。……そうか、そうかそりゃあ良い。世界を一周してきた甲斐があったな。男前が上がったかな?」


「うん。上がった、上がった。男前だよ」


 二人してクスクスと笑い合った後、ベンジャミンは何か憑き物が落ちたような表情となって、アイリスの頭にぽんと手を置いた。


「じゃ、俺行くから。……またな」


「うん。……あ、違う、ちょっと待って!」


 アイリスは思い出したかのように、手に持っていた籠を開けた。中には綺麗にまとめられた花束が入っている。ドライフラワーのブーケだ。それを見たベンジャミンは、柔らかく微笑みつつ、首を振る。


「……悪ぃが、俺は今ジリ貧なんだ。そいつは、今の俺には高価すぎる。とてもじゃないが、買えないよ」


「違うよ。これは、私の気持ち」


 アイリスは少し照れくさそうに笑いながら、真っ直ぐにベンジャミンを見つめた。


「いつかお店に……買いにきてくれるのを、待っていますよ。お客さん」


 一瞬の静寂の後、ベンジャミンは自身のくすんだ金髪を掻いた。そして静かに花束を受け取った。


「……奢りならしゃあねえな。必ず行くよ。必ず、綺麗な金をそろえてさ」


 そう言って小さく手を振り、アイリスに背を向け振り返る。すぐ後ろに立ってこちらを見ていたのは、銀髪銀眼の少女であった。ベンジャミンは思わずあんぐりと口を開けた。


 ベンジャミンと少女は、しばらく無言で見合っていた。やがて少女が口を開く。


「……ベンさん、格好つけてる。なんか、嫌だ」


「アリス⁉」


 ベンジャミンが驚きの声を上げた。アリスの冷たい無言の視線が突き刺さるのを肌に感じ、彼は思わず赤面した。そんな二人の元へ、人ごみの影をかき分けて少年少女達が近づいてきた。


「ちょっとアリス!行っちゃダメだってば!なんかベンさん取り込み中だったでしょ!」


「そうですよ……ふふっ……ベンジャミン先輩……なんか、かっこいい雰囲気醸していたじゃないですか……あははっ……邪魔しちゃ、駄目ですよ……フフフッ……」


「下らん!良いからさっさと行くぞ!早くしなければ、船が出てしまう!」


 サヴァイヴ、リカ、エグゼが順々に言う。ベンは困惑気味に皆を見た。


「お、お前ら……!いつから見てた⁉」


「え、いやあまあ……」


 サヴァイヴが言葉を濁す。その横でアリスが表情を変えずに物真似を始めた。


「『罪悪感と自己嫌悪、世界へのうっぷんでぐちゃぐちゃになった男の心を……』」


「おい辞めろ‼」


 ぱしっと軽くアリスの頭をはたく。アリスは一瞬ニッと笑った。後ろのほうで笑いを堪えながら見ていたリカが、自身の隣に佇む少年に話しかける。


「いやあ、本当に……面白いですね。ベンジャミン先輩って、地元ではこんな感じなんですか?」


 話しかけられた少年は、目線をちらりとベンへ向けて、呟いた。


「……いや、ちょっとキメすぎかな……」


 その少年の姿を見たベンは驚きの声を上げた。


「セトラ!お前、なんで……」


「ベンジャミン先輩が入院してた病院で、偶然会ったんです」


 リカが答えた。


「そこで、彼も私達も、先輩がもう退院したって話を聞きまして……お知り合いなんですよね?」


 ベンとセトラの間に流れる異様な雰囲気を纏った沈黙を感じ取ったリカは、戸惑い気味に二人を見た。そんな沈黙を破るように、アイリスがセトラへ駆け寄る。


「セトラ!あなた……」


「姉さん」


 バツが悪そうに姉から目を反らした後、決意を固めたかのようにセトラは真っ直ぐにベンの目を見つめた。


「ベン兄さん。僕、ブラックカイツに残るよ」


「セトラ!」


 アイリスが非難するような声を上げる。近くで聞いていたエグゼもまた眉をひそめた。ベンは表情を変えず、黙ってセトラを見つめている。


「でも僕は、奴らの言いなりになるつもりはない。僕が奴らを変えてやるんだ。内部から、ブラックカイツを変える。外の国の悪い奴らに操られる傀儡なんかじゃない、真にこの国を守るための組織に。僕が作り替える」


「それがお前の償いか」


 ベンが静かに問う。セトラは頷いた。


「僕は、兄さんみたいに強くなる。兄さんみたいな、強い男になる。もう大事なものを傷つけないために」


 心配そうな表情の姉をチラと見て、セトラは言う。


「ベン兄さんに負けない力を、僕も手に入れる」


「……ベンさんは大して強く無いですよ。戦闘に関しては」


 サヴァイヴの言葉が割って入った。皆の視線が集中する。困惑気味に目を丸くするセトラに対し、サヴァイヴは笑いかけた。


「あなたが見習うべきなのは、ベンさんの『力』じゃなくて、『心』のほうです。違いますか?」


 その紅い瞳は、濃く深く、爛々と輝いている。これまでに見たことの無いその吸い込まれるような色に、セトラは気圧され息を呑んだ。


 ベンを乗せた馬車は、港を目指して進んで行く。その後ろ姿が見えなくなるまで、アイリスは手を振り続けた。セトラもまた、何も言わず見つめていた。


「……世界には、色々な人がいるんだな」


 独り言のように呟いた。アイリスが横目で見る。


「とても恐ろしい……不思議な瞳だ。ベン兄さんよりもずっと、強い威圧感だ。……そんな人が……兄さんの事を慕っているんだな」


「それがベンジャミンの凄いところよ」


 アイリスが自慢げに微笑んだ。セトラの口元も少しだけ緩む。


「……じゃ、僕ちょっと用があるから」


「どこへ行くの?」


 不安そうに尋ねる姉に、セトラは笑いかけた。


「スターナーさんのお店さ。ペルトの怪我が回復して、今日から店に立つらしいからね」


 その表情には決意と安堵が滲んでいた。





 牧場の朝は早い。陽が昇る前には目を覚まし、仕事が始まる。牛の乳を搾り、農作物を収穫し、馬車に積んで町の朝市へ向かう。


 マクロの町は首都ルトレの隣にあることから、比較的住人が多く、朝早い市場もたくさんの人で賑わっていた。牧場主のモルトがいつもの所定の場所で持ってきた商品を下ろしていると、顔なじみの農夫が声をかけてきた。


「やー、モルトよ。今朝の新聞見たかい」


「新聞だあ?」


 モルトはそのようなものは買わない。農夫に渡された新聞を開くと、最初に目に留またのは死裂症の治療薬に関する記事だ。しばらく無言で文面に目を通した後、モルトは新聞を突き返した。


「分からん。要は、何が書いてあんだ?」


「おめーなあ」


 農夫が呆れ顔になりながら要約して話す。


「つまり、新しい薬が出来たんだと。その作り方が公開されて、どうもそれが、国内で作れるらしいって話だ。それを知ってから、国のお偉いさんも他国との交渉で強く出れるようになったっつーわけだ」


 いまいち理解していない様子で首を傾げるモルト。そんな彼に構わず、農夫はさらに続ける。


「前に、国政評議会とクラフトフィリアが繋がってるって記事があったろ?……あったんだよ。で、そん時、国のお偉いさんが国民に黙って薬を買っちまったもんだからクラフトフィリアにつけこまれてるって問題になったじゃねぇか。その問題が解決するかもしれねえってことさ。うちの国だけで薬が作れるようになるんだからな」


「ほーん。よく分からんけど、そいつぁ、あのブラックカイツが起こした騒ぎとなんか関係あるのかい?」


 モルトの問いに対し、農夫は腕を組んで唸った。


「いや、知らねぇが……なんかあんじゃねぇかって皆言ってるよ。あの騒ぎ、お前の農場のすぐ近くで起きてたもんな?お前、なんか見てねえか?なんか変わったこととか無かったん?」


 農夫に聞かれ、モルトの脳裏に浮かんだのは数日前に出会った不思議な少年少女の姿であった。何やらブラックカイツの事を探っていた様子であったが、結局その正体は分からずじまいであった。モルトは小さく笑うと、また農作物の下ろし作業を再開した。





 サヴァイヴ達がフォルトレイクを後にした日の夜、マクロの町の憲兵詰所が何者かに襲撃された。死亡者や重傷人こそ出なかったものの、クラフトフィリアへ引き渡される予定だった『あるもの』が盗みだされてしまった。それは、マクロのブラックカイツアジトにて死んだ金髪大男の遺体であった。


 その犯行動機は不明だが、襲撃の手際の良さと犯人が皆手練ればかりであったという事から、死神部隊の者達が同志の弔いのために遺体を取り返しに来たという説が最有力とされている。

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