第54話〈大国の魔手〉
私の名はテイラー、鳥である。前世は人である。私は今、フォルトレイクの首都ルトレにある国立病院の裏庭にいる。戦闘の傷がある程度癒えたサヴァイヴの頭上に留まり、彼の息抜きの散歩に同伴しているのだ。
「やっぱりこの国は自然豊かだね」
辺りに生える野草に目をやりつつ、サヴァイヴが呟く。私は肯定の意味で頷いた。淡い色の小さな花や、真っ赤な葉。様々な植物が活き活きと茂っている。
「そういえばあの植物学者のお母さんが言ってたんだけど、あの葉っぱ、この国では『チバシル』って呼ばれているんだって。それと、あっちは『フレベッ草』」
サヴァイヴが話しているのは、レイモンドに奪われた薬を追う道中に出会った、死裂症に罹ったお母さんの話だ。ドリュートン先生の治療が功を奏して病状が安定した後に、自身の専門である植物学の話を少ししてくれたのである。
そんなサヴァイヴの元に、包帯ぐるぐる巻きの男が近づいて来て声をかけた。
「サヴァイヴ君、怪我はもう良いのかい」
「ドリュートン先生!ええ、もう大丈夫です」
サヴァイヴは笑顔で答えた。それから少し考えて、付け足す。
「……まだ、戦えるほどでは無いですが。普通に生活する分には全然大丈夫です」
「そうか。良かった」
そう言って微笑む先生。ミイラスタイルもだいぶ板についている。先生がこの国立病院に辿り着いてしばらくは職員の皆さんも不審がっていたが、死裂症患者を治療するため懸命に働く先生の姿に心動かされたのか、今となっては誰もが先生のその姿を受け入れるようになっていた。
「今日もお忙しいんですか?」
「ああ。患者さんはまだまだたくさんいるからね。ワクチン投与の作業もあるし、それと職員の皆さんにも治療薬の扱い方をしっかりと教えとかなくちゃいけない。治療した患者さんたちの経過も確認しないといけないし、他の地方への治療薬の配布に関することも……」
「大忙しじゃないですか」
サヴァイヴは驚きの声を上げた。先生はニコニコと頷く。
「確かにね。でも、今の私の体は全然疲れないんだ。だから、どこまでも働ける。動けば動くほど、一人でも多くの患者さんを治療することが出来る。これは素晴らしい事だよ。それを考えると、とても嬉しいのさ」
そう。治療薬を無事届け終わり、この病院に滞在している間、先生は文字通り昼夜休み無く働いていた。今のゾンビのような体でも無ければ、三回は過労死しているだろう。
サヴァイヴはぽかんと口を開けて先生の話を聞いていた。それから、まだまだやることがあるからと言って去ろうとするその背中に、こう声をかける。
「あの、僕にも手伝わせてくれませんか」
「え?でも、病み上がりだろう?無理したらいけないよ」
「大丈夫です。言ったでしょう。もうかなり回復してるんです。傭兵の身体の強さ、舐めたらいけませんよ」
サヴァイヴはニッと笑った。
※
「おい、奴はどこに行った?」
「サヴァイヴの事ですか?」
リカが聞き返した。エグゼが頷く。
「病室にはいなかった。いったい奴はどこで油を売っているんだ?」
苛立つエグゼを見て、リカは嬉しそうに笑った。
「サヴァイヴのお見舞いですか?エグゼ。知らない間に、だいぶ仲良くなったんですね」
「違う!そういうことではない!船や、ベンジャミン・ゴールドらとやっと連絡がついた。状況を整理して共有しておきたいんだ!」
怒鳴った直後。顔を顰めて腹の傷を抑え、座り込む。リカが慌てて駆け寄った。
「もう!あなたの方が重症なんですから、無理しないで下さいよ。そんな叫んだりしないで……」
「そうそう。安静にして寝ていた方が身のためよ」
からかう様な落ち着いた声がして、二人はそちらへ目を向けた。病院の廊下をゆっくり歩いて近づいてきたのは、背中に長い布袋を背負った濃い茶髪の少女であった。
「あなた、ただでさえ血気盛んなんだから。無理して動いたりしていたら、すぐに傷口が開いて失血死しちゃうわ」
「バイオネット・マキシミリアン」
エグゼが舌打ちをして少女を睨みつける。リカは不思議そうな表情で二人を交互に見て尋ねた。
「えっと……お知り合いですか?エグゼ」
「あらら、私のことはお仲間さんに話していないの?薄情ね」
そう言って、バイオネットは意地の悪い笑みを浮かべた。
「紹介しなさいよ。重傷を負っていたあなたを治療して、この国立病院まで連れてきた命の恩人だって」
「そうなんですか⁉」
リカが驚いたような声を上げる。それから姿勢を正すと、バイオネットに向けて頭を下げた。
「ありがとうございました!うちのエグゼがご迷惑をおかけしたようで……」
「どういたしまして。本当に、とても手のかかる迷惑な男でしたわ……」
「おい!やめろ!こんな奴に感謝する必要は無い‼」
エグゼが噛みつくように怒鳴った。それからまた傷口を抑えてうずくまる。リカは呆れ顔を浮かべた。
「ほら、だからそんな怒ったりしちゃあ駄目ですってば……」
「こいつは、処刑人の名折れ……傭兵団の犬だ!」
「傭兵団?」
リカがきょとんと目を丸くして、バイオネットをまじまじと見つめた。
「『エレヴェイテッド・ロビン』」
にっこりと笑って、バイオネットが告げる。
「クラフトフィリア王国直属の傭兵団よ。安心して、私はあなた達の味方。この国を守るために来てあげたの」
「そうなんですね!」
明るい表情でバイオネットを見るリカの肩を掴み、引き寄せてエグゼが立ち上がる。そしてまた大きく舌打ちをした。
「味方だと?よく言う。俺達が貴様らに救援を呼んだか?頼みもしないのに勝手に介入して来やがって……」
「エグゼ!そんな言い方は……」
「今朝の新聞を見たぞ……」
リカの制止にかまわず、エグゼはさらに続ける。
「……貴様の上司が、フォルトレイク国政評議会の議長と面会しているそうだな。助けに来たから褒美をよこせとでも言いに来たのか?」
クスクスと、バイオネットが笑った。
「懐疑的ね……。でも、もしそうだとしても、それの何が悪いの?助けてもらったらお礼をするのが、普通じゃない?」
※
「今回の一件で、改めて分かったでしょう。国を守るには、兵力が要る。ブラックカイツのような……武力に任せて国に仇なす者達を即座に鎮圧するためには、戦闘のプロフェッショナルが必要不可欠だ。我々は今後も貴国と親密な関係を築いていきたいのです。これは、言わば我ら二国間の友情の証。弊国の誇る『E・ロビン』を、他国よりも安く貸し出します。いついかなる時でも、出動要請があれば貴国を守るべく全身全霊で働きますよ」
広く重厚な装飾で彩られた室内にて、小柄な青年が話し慣れない様子の敬語を用いて熱く語る。その相手は、フォルトレイク国政評議会議長であった。場所は議長の住む屋敷の応接間。国政評議堂が崩れ去った今、急遽決まったクラフトフィリアの使者との会談のため、議長が自らの住居をその場所として開放したのである。
クラフトフィリア王国の代表として会談の席に立っているのは、熱弁を振るうこの小柄な青年。傭兵団E・ロビン第一大隊第四進攻部隊隊長、マルコシアス・E・ロビンであった。
「我々は、互いに多くの利を得られる良きパートナーになれるはずです。弊国は、決して礼を惜しまない。……例えばの話ですが……貴国の誇る、素晴らしい自然資源の数々、世界有数の水源や、その湿潤な環境下で育った動植物。栄養に富んだ土壌や上質の木材など。そういったものを我が国へ優先的に輸出して下さるとなれば、こちらもそれ相応の御礼でもって返させて頂きます。具体的には……先日お送りした死裂症の治療薬。これに関しましても、この先も定期的に貴国への輸出を続けるということも、やぶさかではないのです……」
長時間に及ぶ話し合いが終わり、マルコシアスは議長の屋敷を後にした。
「ひぃ~……疲れたぁ~……。いんやぁ、慣れねぇことはするもんじゃねぇべなあ。おれぁ、こんな仕事、向いてねぇってば」
そうぼやきつつ、トレードマークの大きなカウボーイハットを被る彼に対し、背後に付き添う部下の一人が囁く。
「……国政評議会は、我々の話に乗るでしょうか?」
「乗る……しかねーだろなぁ……。でも、やっぱ渋ってたよお。無理もねぇべや。この国は、他の国に頼らずにずっと独立と中立を貫いてきたっつーのが売りだかんよぉ。国民も反対するだろーし、そう簡単にはなびかんべや。……けど……」
帽子の陰に隠れた瞳が、鋭く光る。
「けど、奴らは断れない。『治療薬』っつー餌をちらつかせられてんだもんなぁ。薬を輸入し続けるにゃあ、抱き合わせで売られて来るおれら『E・ロビン』のことも受け入れなくちゃなんねぇ。んで、大国と仲良くすりゃあ、ブラックカイツみてーな連中が暴れ出して、おれらが大活躍。クラフトフィリアに金が入り、恩まで売りつけられる。やがて膨らんだ恩と癒着っつー借金を返すには、資源を売りさばくしか無くなるってな。こうやって我が国に取り込まれていった小国はいくつもあらぁ」
神妙な面持ちでパイプを咥え、火をつける。フーッと煙を吐いて、また呟いた。
「うちのお偉いさんは、自国第一主義だ。そんでもって非情だよお。おれぁフォルトレイクに同情するぜぇ。死裂症なんか流行らなければなあ……」
※
翌日。どこで嗅ぎつけたか、あるいは何者かによって意図的に情報が漏らされたか定かでは無いが……その会談の詳細な内容に関する記事が、複数の新聞社の朝刊にて一面を飾った。
フォルトレイク最大の港町、プエルトフォルツの医院にて、病室でその新聞を目にしたベンジャミン・ゴールドは、記事を読み終わるや否や、感情に任せて手でグシャリと潰して床へ投げ捨てた。
「……っざっけんな」
吐き捨てるように呟いたその直後、ノックの音がして、栗色髪の少年が爽やかな笑顔と共に部屋に入って来た。
「おはようございます!ベンジャミンさん。良い朝ですね!」
そう言って朝食を届けに来た彼は、シヴァルリィ・B・E・ロビン。サヴァイヴと同年代くらいの傭兵であった。ベンジャミンは、不機嫌気味の表情でシヴァルリィを一瞥した。
「おや、どうしたんです?そのゴミ」
そう言って丸められた新聞を拾い上げ、広げて読んだシヴァルリィは、明るい笑顔をベンジャミンに向け、言う。
「これは、素晴らしいニュースですね!我が国と正式に同盟を結べば、この国はより発展するでしょう。それに、我らE・ロビンが守るのですから、より安全になるでしょうし、またブラックカイツのような連中が現れても、即座に対処して殲滅することができます」
それは、彼の心からの言葉であった。純粋に、喜ばしい事として話すシヴァルリィを冷ややかに見つつ、ベンジャミンは何も言うこと無く、朝食のパンへと手を伸ばした。
※
「……それ見た事か。結局は奴らも、資源目当てにフォルトレイクを取り込もうとしているわけだ。味方面をしている分、ブラックカイツやC・レイヴンなどよりよっぽど質が悪い」
病室のベッドの上で苦虫を噛み潰したような顔で唸っているのはエグゼだ。手に持っていた朝刊を、近くに座るリカへと放った。それをキャッチしたリカは、懐から複数の手紙を出してそれらを並行して読みつつ、眉をひそめた。
「困ったことですね。……それと、さらに大きな問題があります。船からの手紙によりますと、シーナが完成させた新しい治療薬とその製法が、死神部隊の手に渡ってしまったみたいです」
「何?」
エグゼが大きく舌打ちをした。
「……そうか。つまり、奴らの手に新たな治療薬が渡った。俺達が必死こいて薬を奪還した意味が無くなったわけだな……」
「そんな言い方……でも、まあ、そうかもですね……」
沈んだ表情で呟くリカは、さらに話を続ける。
「今の状況下では、事態はより深刻です。クラフトフィリアの治療薬に頼らざるを得ない、そのことに対して国中から反発が起こっている今、自国でも製造可能な薬の存在を、ブラックカイツが公開してしまえば……。そちらを支持する者が増えてしまいます」
「そうだな。だが、自国で作れるという事は、ブラックカイツや死神部隊の手で独占することが不可能ということだ。製法さえ明かせば、国の医療機関が自ら製造することが出来る。クラフトフィリアにも、ブラックカイツにも頼ること無しに治療薬を得ることが出来るわけだ。……この状況、逆にフォルトレイクにとってこれ以上なく都合が良いじゃないか。船の連中は何をしている?手紙を送るぞ、すぐに製法を公開するよう……」
「ダメなんです!」
リカが叫んだ。エグゼが訝しげに彼女を見る。リカは一回息を吸って落ち着くと、また話し出した。
「……シーナの治療薬には、どうしても必要な材料があるんです。新鮮なアバシリの葉。通常、アバシリの葉は人里離れた山奥や森林にしか生えないことから、新鮮なままで成分抽出することが不可能に近いそうです。シーナは、イスラルシージャ島の薬草商人が開発した、『人の手による栽培に適したアバシリの苗』を用いることで薬を完成させたのです。つまり……シーナの治療薬を大量生産するには、その特別なアバシリの苗がなるべくたくさん必要です。でも……」
一瞬言いよどんだ後、リカは続けた。
「……でも、その薬草商人をシーナに紹介したのは、レイモンドさんです」
エグゼは事態を察して目を見開いた。それから背後の壁を拳で殴り、舌打ちをする。
「そうか……すでに死神部隊によって独占されている可能性が高いのか。その苗が……っ」
「『可能性が高い』というより、『確実』でしょうね。船長からの手紙にも書いてありました。その薬草商人の方に手紙を送ったそうですが、返事がないとのことです」
しばらく無言の時間が続いた。頭を整理し終えたエグゼが、状況をまとめる。
「……現時点、治療薬をクラフトフィリアに頼るしかない国政評議会は、そいつらの言いなりになろうとしている。そしてそのことに不満を持つ国民がこの国には多く潜んでいる。国内での生産が可能なシーナ・ドリュートンの新薬は、死神部隊によって独占された。もし新薬の存在を公開すれば……国中の、クラフトフィリアへの不満分子が、ブラックカイツへと集まる」
「そうなったら、先日のブラックカイツの暴動とはけた違いの動乱へと発展する可能性があります」
リカがエグゼの後に続けて言う。
「今度こそ本当に国が二分されて、内戦へと発展しかねません。……そしてなにより、そうなった場合、得をするのは死神部隊だけではありません」
「……ああ。内戦が起きて最も得をするのは、兵力を売りつけようとしているクラフトフィリアだ」
二人は、また黙り込んでしまった。フォルトレイクで戦争が起こることを防ぐべく治療薬を運び、奪われたそれらを取り返すために命がけで戦った彼らにとって、この結果はあまりにもやるせない、残酷な現実と言わざるを得なかった。
※
「なんだか、難しそうなお話してるね」
エグゼの病室の外で、二人の話に聞き耳を立てていたアリスが呟く。抱きかかえられた私は、彼女の言葉に頷いた。
詳しくは分からないが、どうやらかなり深刻な事態らしい。しかし、そんな話もアリスにはいまいちピンと来ていないらしく、のんびりと落ち着いた口調で私に語り掛ける。
「……サヴァイヴ、今日も先生のお手伝いをしてるんだ。テイラー、置いてかれちゃったの?」
私はまた頷いた。昨日ドリュートン先生に手伝いを申し出てから、彼はずっとつきっきりで先生の仕事を補佐していた。とはいえ医学の知識は無いので、荷物持ちや物を運ぶ、持ってくるなどと言った誰にでもできる作業だけだが、それでも懸命に努めている。今日、私が目を覚ました時にはすでにベッドはもぬけの殻だった。朝早くから働いているらしい。
サヴァイヴは偉いね、という話でアリスと盛り上がっていたその時、病室の扉が開いて、エグゼが顔を出した。アリスに目をやり、低い声で言う。
「奴を連れて来い。今すぐだ。緊急の用があると言え」
「奴って、サヴァイヴ?」
首を傾げるアリスに対し、エグゼは無言で頷いた。
「……分かった」
そう答えると、アリスは私を抱えたまま、小走りで廊下を駆けて行った。
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