第43話〈白翼の死神〉

 私の名はテイラー。鳥である。私は今、首都ルトレの大通りを走る馬車に並んで飛んでいる。馬車の中から顔を出したサヴァイヴが、前方を見ながら叫んだ。


「もう、そう遠くは無いはずです!あと少しで辿り着きます!このまま何事も無ければ……!」


 馬車を引くドリュートン先生が、小さく微笑んで頷いた。任務達成の時は近い。


 とは言え、このまま何事も起こらないと考えるのは正直言って楽観的と言わざるを得ない。ハクア達がこのまま大人しく我々を見逃すとは考えにくい。しかし背後には不自然なほどに追手が見られず、馬車は順調に国立病院へと近づいていた。それが逆に不気味なのだ。


「……何か、こちらへ飛んできます!」


 耳を澄まして周囲を警戒していたリカが、サヴァイヴへと告げる。二人の表情に緊張が走った。


 パタリ、と何かが倒れる音がした。馬車が通り去った背後を見ると、通行人の一人が地に伏して動かなくなっていた。


 次の瞬間、天空から黒い影が落ちてきて、馬車を引くドリュートン先生へとまとわりつく。


「うわあ!」


 先生が悲鳴を上げた。けたたましい鳴き声を上げながら先生の眼前を羽ばたくそれは、大型の黒鴉であった。先生の顔に爪を立て、目玉を狙って嘴を突いてくる。馬車の速度は著しく下がった上に大鴉を払おうとすることにより蛇行運転となって馬車はその車体のバランスを崩しつつあった。このままでは危ない。私はその大鴉に向かって真っすぐに飛んだ。


 ギャアギャアと威嚇するような声を出して先生の走行を妨害する大鴉に対し、私は渾身の突進を食らわせた。大鴉の体が横方向に飛び、先生から剥がれた。


 しかし、私の特攻はあまりダメージにならなかったばかりか、逆に相手を怒らせてしまったようだ。大鴉は凶暴な鳴き声を上げながら、標的を私へと変更して、その刃物のような嘴を私の身に向けて突き出してきた。私は正直言って武闘派では無いため、争いごとは得意では無い。しかしそれでも鳥の身となってはや二千年。年の功ではこのような若造鴉に遅れは取らない。そう簡単に負けるつもりは無い。


「テイラー‼」


 馬車から顔を出したサヴァイヴが心配そうに私を見る。私は彼を安心させるため、コクリと頷いた。


 爪と嘴を私に向けて突き出してくる大鴉に対し私も自慢の翼を大きく広げて迎え撃つ。今、世紀の空中大決戦が幕を上げたのだ。





「テ、テイラーちゃんは……あの、あれ置いて行って大丈夫なんですか⁉」


 リカが、空中で大鴉と突き合うテイラーを見上げながら不安げにサヴァイヴへ問う。一方のサヴァイヴはすでにテイラーから目を離し、前方のみを見ていた。


「大丈夫だよ。テイラーも多分強い。……それに、珍しいでしょ。あの子が自分から何かをしたいって言うの」


「珍しいっていうか……聞いたことが無いです!あの子の言葉!」


「だから、何か考えがあるのかもしれない」


「そうですか⁉本当にありますか⁉というかあの子本当に強いんですか⁉」


 そんなやり取りをしつつも、馬車は駆ける。アリスの時以上に心配そうな表情で後ろを見ているリカに対し、サヴァイヴは尋ねた。


「さっきの黒い鳥以外には、変な音は聞こえてこない?」


 その言葉でハッと何かを思い出したようにリカは言う。


「いいえ、さっき私が聞いた音はあの黒い鳥ではありません!私が聞いたのは銃弾が空気を切る音です!そして、今また聞こえ……」


 次の瞬間、馬車が急停止した。前のめりに傾く車体からサヴァイヴとリカの体がはじき出される。サヴァイヴは即座に受け身を取って地面に転がり、その勢いのままに立ち上がり、リカは空中で胸元に下げた青白い石『ムーンライトジェム』を開放した。肉食獣の瞳、生き物のようにうねる長髪を持つ呪われた姿となって、獣のようにしなやかで俊敏な動きにより綺麗に着地して四つん這いに体勢を低く落とした。馬車を見ると、前方で引いていたドリュートンが脚を撃たれたらしくその場に倒れていた。サヴァイヴが馬車の陰に身を寄せて呟く。


「銃撃⁉」


「まだ来ます‼」


 リカが、唸り混じりの声で言った。倒れるドリュートンを訝しげに見ていた近くの露天商の頭が破裂した。遠距離狙撃に適した高威力の弾丸が露天商の頭蓋を砕き、脳髄をぶちまけたのだ。それを見た通行人の女性が悲鳴を上げる。その女性も次の瞬間には同じ姿になって崩れ落ちた。


「そんな‼」


 通行人達の死骸を見たリカが悲鳴のような声を上げた。


 異常を察した周囲の人々が恐怖の声を上げ、その場から離れようと散り散りに逃げて行く。阿鼻叫喚が鳴り、辺りはパニック状態となっていた。そんな民衆たちの元にも無慈悲な死神の手が伸びる。冷徹な銃撃音に合わせて一人、また一人と鮮血を散らして肉をばら撒き、地に倒れていった。


「やめて‼」


 馬車の陰に隠れながら、リカが耳を塞いで叫んだ。彼女のその声も虚しく、銃弾の雨は止むことはない。幾つもの命がいともたやすく砕かれて行く。震えながらも馬車の影から出ようとするリカの肩を、サヴァイヴが掴んで引き戻した。


「今出て行ったら撃たれる‼」


「でも、皆さんを助けないと……‼私達の問題に巻き込まれて……たくさんの人が死んじゃいます……‼」」


 軽く混乱状態のリカに対し、落ち着かせるように、サヴァイヴはゆっくりと言う。


「とにかく深呼吸して、静かに考えてみて。無策で出て行っても無駄死にするだけだから」


「……あなたはどうしてそう冷静でいられるんです……?」 


 サヴァイヴを見つめるリカが恐怖と困惑の声を上げる。彼女の表情を見て一瞬言葉を詰まらせたサヴァイヴであったが、小さく苦笑いをして答えた。


「慣れてるからね」


 リカから視線を外して話を続ける。


「……あれは、僕達に警告しているんだ。『これ以上逃げ続ければ、無駄に犠牲者を増やすだけだぜ』って。……戦わなくちゃ、ダメなんだ」


 そう言って、サヴァイヴは馬車の陰からそっと顔を出す。狙撃手が潜む場所を特定しようとしているのだ。銃弾の飛んできた方向から、それはすぐに見つかった。このルトレの街で一番大きく聳え立つ大聖堂だ。サヴァイヴは意を決して馬車の裏からその姿を現し、大聖堂を真っ直ぐに見ながら、大声を出した。


「……聞こえないと思いますけれど!僕の口の動きは読めますか⁉今から、そちらへ向かいます!もう逃げません!ですから、これ以上街の人達を巻き込むのは辞めてください‼」


「また来ます‼」


 リカが叫んだ直後、サヴァイヴの頬を灼熱の塊がかすめ、皮を裂いて血が舞った。それは、狙撃手からの無言の返答であった。その弾丸は『戦場の呪力抗体』をすり抜け、出来た傷は『裂傷の呪力抗体』を以てしても治ることは無かった。サヴァイヴは唇を噛み、大聖堂を睨みつけた。


「『白翼の死神』……‼」


 銃弾の雨は止んだ。


「……先生が復活したら、すぐに走り出して国立病院へ向かって」


 サヴァイヴが、大聖堂の方角を睨みながら言った。リカが震え声で反論する。


「でも、そしたらまた銃弾が……」


「それは僕が食い止めるから!」


 そう言い残すと、サヴァイヴは一人、敵の元へ駆けて行った。


 フォルトレイク最大の中心都市であるルトレは、国内最大の人口を誇る。そのため住居を始めとする様々な建物が多く並び立つが、その中でもその石造りの大聖堂は頭一つ抜けて高く、塔のように天へと伸びていた。不気味なほどに静まり返ったその内部からは血の匂いが風に乗って流れ出ていた。


 鞘に納めたメタナイフを片手に持ち、いつでも抜刀できるよう柄にもう方手を当てた状態でゆっくりと聖堂内へ立ち入ったサヴァイヴが最初に目撃したのは、無数の小さな風穴が空き赤く染まった衣服に包まれ重なるように倒れた聖歌隊と思われる者達の屍であった。顔色一つ変えずにその死体の山から目を離して、周囲を注意深く見渡すサヴァイヴの元へ、足音と共に聞き慣れた声が聞こえて来た。


「どうだいこの光景は。芸術的な美しさを感じはしないか」


 塔の上へと続く長い長い螺旋階段をゆっくりと降りて来る黒髪褐色肌の青年が、虹色の瞳をサヴァイヴへと向けている。その背中には布に包んだ長銃を背負っていた。


「この聖堂内で賛美歌を歌っていた者達だ。死の直前まで神を讃えていた彼らは、恐らく天国へ行くのだろう」


 そう語るハクア・C・レイヴンを冷たい目でジッと見据えながら、サヴァイヴは聞いた。


「なぜ、この人達を殺したんですか」


「理由は二つある。一つは、私がこの建物を使いたかったから。このルトレの街を見通すことができる建造物はこの聖堂のみだからね。……もう一つは、先ほど述べた通り。神を讃えて歌う者達の死。それを鑑賞してみたくなったのさ。」


 ハクアは白い歯を見せて、無邪気にも見える笑いをサヴァイヴへと向けた。サヴァイヴは嫌悪感を露わにしてハクアを睨みつけた。


「悪趣味ですね」


「否定はしないよ」


 ハクアは自嘲するように笑う。


「……だが、少し考えてみて欲しい。そうおかしな価値観では無いと思うんだ。子供の時分に虫を潰してみたり、足をもいでみたり、あるいは小さなトカゲの尾を切り離してみたり、誰でも一度はやったことがあるのではないかい?純粋な好奇心さ。……それに、君には非難される筋合いは無いね。君は我々と同じ立場にいるはずだ。通常の人間には理解できないとしても、君ならば分かるはずだ……そうだろ?」


 サヴァイヴは何も答えなかった。肯定はしないが、否定もしなかった。メタナイフを持たない方の手で口を押え、聖歌隊の死体に目をやる。


 ハクアは穏やかに微笑んだ。


「君は、やはり我々と共に来るべきだ。君は世の大半を占める有象無象とは違う。また、戦闘のスキルしか無い凡庸な傭兵達とも違う。戦神の寵愛を受けた……我々の兄弟さ」


 サヴァイヴはただ黙ってハクアの話を聞いていたが、やがてゆっくりと口を開く。


「……正直言って……あなたの言っていることは理解できます。あまり認めたくはないですが、認めざるをえない。僕はあなた方と同類だと」


 ハクアはニヤリと笑った。


「そうだろう。であれば、君にとって今の環境は最善とは言えまい。ソフィー号の基本理念は『不殺』だろう?調和を重んじる上では素晴らしい理念だが、君にとっては枷でしかない。そう言っていたのは君だぜ?覚えているかい。フォルトレイクに上陸して、最初に着いた村での君の言葉さ」


「覚えています。そして今もその考えは変わりません。『殺さない』って、難しい。この大きな枷によって、僕は上手く戦えないから」


 サヴァイヴは頷きつつ言った。ハクアの語りはさらに勢いづいて、サヴァイヴの心を包んでいく。あと一押しで、口説き落とせる。そうハクアは確信したのだ。


「私には、今の君がもったいなく思えるのだ。それほどまでに殺しの才能、技量を持っていながら、不殺の鎖に縛られて、不得意な環境でしか動くことが出来ない。同類である私からすれば歯痒くて仕方がない。まさに宝の持ち腐れ。私であれば、君のポテンシャルの全てを有効活用できると言うのに……」


「そういうの、『調子に乗っている』って言うそうですよ。前にリカ先輩が言っていました」


 サヴァイヴは柔らかく笑ってハクアを見た。ハクアの口が止まる。


「リカが?……それは、一体なんの話だい」


「いえ、何でもないです」


 サヴァイヴが苦笑して言う。その視線はハクアから離れて、左上を、過去の記憶を見ているようであった。


「あの時のアリスの気持ちが……少し分かった気がするな」


 そう独り言をつぶやいた後、訝しげな表情をするハクアに向けて、サヴァイヴはぽつりぽつりと話し始めた。


「あなたに薬を奪われた直後に辿り着いた小さな町で、死裂症の患者さんに会ったんです。一人は幼い女の子で、もう一人は小さな息子さんと二人暮らしのお母さんでした。特にお母さんの方はとても危険な状態で、薬も治療の設備も無く、絶望的な状態でした」


 ハクアは、サヴァイヴが何を言いたいのかを測ろうとしているようで、彼の赤い瞳をジッと見据えて思案している。そんなハクアの様子を気にする事も無く、サヴァイヴは続ける。


「ドリュートン先生は、薬が無い中でもできることをやって少しでもそのお母さんの命を繋げるよう頑張っていました。……でも僕は何も出来なかった。ただ見ていることしか出来なかった。小さな息子さんの泣き声を聞いて、彼の話し相手になるくらいが精一杯。その子の心の支えになることすら出来なかった。信じられないほど、無力でした。今までに負ってきたどんな傷よりも痛かった。辛い、辛い、辛い気持ちで一杯で、情けなくって、虚しくって。死を伴わない苦痛とはこのことかと理解したのです。そして人を治そうとする医者は皆さんこのような辛い思いを経験してきたのだと、知りました。沢山の人達を救ってきたその誇りと達成感を遥かに凌駕するくらいの絶望と無力感を、あなたも、ドリュートン先生も、経験し続けて来たんだと」


「……結局、その母子はどうなったんだい」


 ハクアが神妙な面持ちで静かに尋ねる。サヴァイヴの口元に小さく笑みが浮かんだ。


「偶然、近くの森に自生していたアバシリの葉を見つけて、そこから先生が解熱作用のある成分の抽出に成功して、お母さんの一命はとりとめました」


「シーナが見つけた例の抽出法か」


 顎に手を当て頷きながら、ハクアが呟く。その表情からは心なしか安堵の色が感じ取れた。そんな彼の顔を横目に見つつ、サヴァイヴはさらに続ける。


「本当に偶然でしかありませんでした。もしあの時アバシリの葉を見つけられなかったらと考えると……ゾッとします。人の命を繋ぎとめるのがこれほどまでに難しいなんて。あの地獄のような無力感を、医者であるあなたは何度も何度も、感じてきたんですね。苦しんできたんですね。尊敬します。…………でも、だから逃げたんだ」


 ハクアの片眉がピクリと動いた。サヴァイヴは畳みかけるように言葉を吐き続ける。


「救うことも、壊すことも、どちらも『命に触れる』ということ。命を救う医者としてだけでなく、命を壊す傭兵としても、命に触れたい。その感触を味わいたい、あなたはそう言った。……でも、『救う』ことは難しい。だから、あなたは逃げたんだ。救うことが出来ない無力さをもう感じたくなくて、逃げたんだ。『壊す』っていう簡単な方へ逃げたんだ。……怖かったから。救えないのが怖かったから」


「この私が……逃げた、だと?」


「そうです。逃げたんです。あなたは」 


 サヴァイヴの赤い瞳が濃くなる。その色の変化を睨みつつ、ハクアは何か反論しようと口を開くが、そこから何も声が出なかった。


「……ドリュートン先生は……僕や、あなたなんかよりも、たくさん絶望してきたはずです。何十年も、何十年も、何度も何度も何度も。今に至るまでに、数えきれないほどたくさんの人達を治しながら、その何十倍、何百倍もの人達を救えずに、そのたびにあの地獄のような無力感を味わい続けて、それでも逃げずに戦ってきたんだ。ずっとずっと、終わらない地獄の中で生きてきたんだ。それがどれほど凄い事なのか。医者であるあなたはよく分かっていたはずだ……それなのに‼」


「……知ったような口をきくなよ」


 絞り出すような低い声で、ハクアが言う。その表情からは何も読み取れない。真っ黒な顔をしている。


「……言うまでも無い。だからこそ先生は偉大な方なのだ。……私は、ずっと先生のようになりたかったのだからね」


「それでも、なれなかったんです。あなたは。『こちら側』へ逃げて来てしまったその時点で」


 それは、『傭兵』サヴァイヴ・アルバトロスの言葉であった。


「僕は、あなたと同類だ。今まで『壊す』という簡単で単純なことしかしてこなかった。……だからこそ、かつてのあなたと同じように、人を治し救うその手を尊敬したんです。……僕はもう、あなたのように逃げたくはないんだ。だから、あなた達の仲間になる気は無い。僕は先生に憧れたから。先生のようになりたいから」


「かつての私のように、ね」


 ハクアの口から乾いた笑い声がカラカラと響いた。それは、サヴァイヴへと向けた決定的な決別の証であった。


「であれば、今の私は、かつての私を否定しなければいけない。そうしなければ、先へは進めない。存在することすら許されない」


 白く大きな翼が羽ばたくのを見たような、それほどに柔らかく美しく舞う殺意が、ハクアの体から広がった。サヴァイヴの瞳がさらに濃く血赤色に染まり、彼は手にしていたメタナイフを抜刀した。

虹色の瞳を妖しく光らせながら、ハクアは笑う。


「やはり君は面白い。君とは話したいことがたくさんあるんだ」


「同感です。僕も、あなたに尋ねたいことが山のようにあります。あなたの考えが聞きたい」


 サヴァイヴが答えた。ハクアはその白い歯を剥き出して笑うと、両腕を翼のように広げて芝居がかった口調で言う。


「面白い。では、平和主義者たちが大好きな『話し合い』とやらをしようではないか。彼らの言うそれとは違い、我々には調和を保つための嘘など必要ない。殺し合いの刹那に互いの心の奥の奥を擦り合わせる。それこそが、真の『対話』というものさ。そうではないかい?」


 左手に拳銃を持ち、右手には抜刀したメタナイフを構えて、ハクアはその刃をサヴァイヴへと向けた。


「討論をしよう!最初のテーマはそうだな……『なぜ人を殺してはいけないのか』。どうだい?」


 直後、互いの刃と刃がぶつかり合い、空間を裂くような金属音が響いた。

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