第38話〈花束に伸ばした手〉

「私の会社は、父から受け継いだものでしてね」


 高級な果実酒をグラスに注ぎながら、男は語る。フォルトレイク最大の薬品商会を率いる会長、エラルド・ブロンズだ。上質な木材で作られた、黒い艶のある長テーブルに果実酒の瓶を置き、向かいに座る黒髪褐色肌の青年、ハクアへとグラスを差し出した。


「産まれたころから裕福な暮らしをしているとね、世の中の一般的な遊びは大概やりつくしてしまう。そうなると、より刺激的で、普通では体験できない遊戯をやってみたくなるのです」


 話をしながら、自身のグラスに口をつける。


「あれはちょうど、国の研究機関に勤めていた頃でしたかね。とある遊びにはまっておりました。ギャンブルの一種ですよ。金の無い、明日を生きるにも困っている者達を集めて、その者達に対し、命を賭けさせてゲームをするのです。そこで、たくさんの『死』を見ました。なかなか面白いものでしたよ」


「へえ、なかなかいい趣味をしているじゃないか」


 ハクアはニヤリと笑ってブロンズの顔を見た。ブロンズもまた彼を見返し、笑う。


「あなたがおっしゃる『命に触れる感覚』というものでしょうか。命というものは、素晴らしい感触をしているものですね」


「なるほどね。だから、我々の計画にもここまで協力してくれるわけか。合点がいったよ」


 果実酒を一気に飲み干し、目の前の皿に盛られたレアのステーキにナイフを入れる。切り口から鮮やかな紅みが顔を出す。


「私との賭けに敗れてその命を散らす者もいれば、勝利して少しばかりの金銭を掴む者もいました。そのような中で、一人、今でも記憶にはっきりと残る少年がおりましてね」


 ハクアは、ステーキを切る手を止めた。興味深げに、ブロンズへ問う。


「少年だって?」


「ええ。幼くして両親を亡くし、頼れる親族もおらず、たった一人で生きて来たという少年です。当時、まだ6~7歳ほどとか言っていましたかね。この国の闇を凝縮したような目の色をしていましたね。体中薄汚れて、グシャグシャでくすんだ色の金髪の少年でした。そんな彼に私が提案したゲームは、拳銃を用いたルーレット」


 手で拳銃の形を作り、その銃口を自らの頭に向ける仕草をして、ブロンズは笑う。


「私が知り合いのツテで手に入れていた、二丁拳銃です。それぞれの銃にこめる弾の数を少年に決めさせ、自らの頭を撃たせるのです。二丁とも。その両方で空砲を引き当て、生き残ることが出来たら少年の勝ち。決めた弾の数に対応した額の金を手に入れることができるのです」


 話しながら、真っ赤な果実酒を口の中へと注ぎ込む。その姿はまるで、人の生き血を啜る怪物の様であった。ハクアは、肉汁滴るステーキを頬張りながら、尋ねた。


「……それは、例えば、二丁ともこめた数が一発ずつだとしたら、あなたの勝率は低くなるのでは?」


「決めた通りの弾数にするわけが無いでしょう。二丁とも、空砲は一つだけです。『外したら死ぬ』その可能性が一寸でもある限り、人は正気ではいられない。そしてその引き金を引くのは自分自身。顔と心を恐怖に歪ませながら、自ら頭を撃ちぬくその様を見るのが堪らなくって、私はゲームの虜になっていました」


 愉悦と興奮、それに酒の酔いも相まって、ブロンズの頬は紅潮し、その口調はより熱を帯びた。


「少年が告げた弾数は、二丁両方とも、半分の数をこめる、というものでした。いくら金に目がくらんだとはいっても、ここまで多くの弾数を提示した者は後にも先にもおりません。私は興味を持ちましてね、聞いてみたのです『なぜそのように自分の命を賭けることができるのか』と。そしたら少年は答えました。『おっさんは、生きるために命を賭けられねえのか』。その考え方は、私にはとても新鮮だった。生きることを、命がけと考えたことは無かったのでね」


「で?少年はどうなったんだい」


 ハクアはステーキの最後の一切れを飲み込んで、果実酒を口に含んだ。


「勝ちましたよ。二丁とも見事に空砲を当てて、戦利品として金とその二丁拳銃を手にしました。それ以降、少年がどうなったのかは知りませんけどね」


 ブロンズは再び瓶を手に取り、果実酒をグラスに注いだ。





 ブロンズとの賭けに勝ったその後、少年は手に入れた銃を商売道具として人を傷つけた。二丁拳銃を『相棒』と呼び、自身も傷つきながら孤独に生き続けた。掃き溜めのような日常を送る中で、彼は一人の少女に出会う。傷を負って裏路地に倒れた少年を、少女は手当てして彼に一輪の光を手渡した。


「花はお好き?」


 少女は花屋の娘だった。その日から少年は、花屋に通うようになった。相棒と共に人を殺して得たはした金で、彼女の花を買おうとする。ところが彼女は少年に花を売ってはくれなかった。


「誰かを悲しませて手にしたお金で、花を買うことはできないわ」


 少年は誰も傷つけない生き方を探した。そんなことは初めてだった。それもこれも皆全て、少女の花を手に入れるため。重い拳銃の引き金を引くために、少年の手は筋肉質でごつごつとしていた。そんな手では柔い花びらを潰してしまう。少年は悩んだ。





 フォルトレイク最大の港町プエルトフォルツ。多くの建物が並ぶ中の一つ。小さな花屋の、薄暗い室内にて、ベンジャミン・ゴールドが一人立っていた。彼以外誰もいない。ベンジャミンは、自身の筋肉質でごつごつした手に若干の冷汗を滲ませながら、店内を見回した。


「なんだ……誰もいないのか?」


 そう呟く彼の背後から、聞き覚えのある少年の声がかけられた。


「……やっぱり、うちに来たんだね。ベン兄さん」


 ベンジャミンが振り向くと、入り口の扉を開けて入ってきた一人の少年が、緊張したような面持ちでこちらを見ていた。緑がかった黒髪の少年、セトラ・フロント。この花屋の息子である。


「セトラ!お前大きくなったな!……どうした?もしかして何か……」


 ベンジャミンが何か言いかけるのを、セトラは手を伸ばして止めた。そして、荒い呼吸と共にベンジャミンに言う。


「僕は……賭けたんだ。あんたがこの町に来るならば、うちに寄るだろうって。花を買いに……姉さんに、一瞬でも会いに来るだろうって、賭けたんだ。そして、僕は賭けに勝った。兄さんを見つけるという使命を果たせたんだ」


「お前、何言ってんだ?……アイリスはどこだ?」


 訝しむような、不安を押し殺すような声色で尋ねる。セトラは震える唇を開いた。


「姉さんは、待ってるよ。僕が案内する」


 馴染みの相手と再会したというのに、セトラはまるで危険な相手と会敵したかのような鬼気迫る表情で、ベンジャミンを睨みつけた。


「アイリスが、何か危険に晒されてんのか?」


 ベンジャミンが低い声で問う。瞳に薄っすらと涙を滲ませながら、セトラは声を張り上げた。

「ベン兄さんを見つけ出して連れて来いって、ガルザヴァイル様から直々に指令を頂いた!これは名誉あることなんだ!……でも失敗したら姉さんが……っ……だから、引きずってでもあんたを連れていく!僕は、姉さんを守るために強くなったんだから‼」


「……っ」


 セトラの言葉に、ベンジャミンは息を呑む。それから長く息を吐くと、ゆっくりと近づいて、彼の頭に優しく手を置いた。


「……そうか。分かった。じゃあ連れて行ってくれ。俺を」


 直後、警告するかのように、背中の傷がズキリと痛む。ベンジャミンは顔を顰めて少しだけよろめいた。今の状態でもう一度ガルザヴァイルと戦えば、今度こそ殺される。そんな事は分かっていた。


 だが、逃げるわけにはいかなかった。背を向けることは出来なかったのだ。彼は、ずっと追い求めていたのだから。


「俺は、花を買いに来たんだ。そのためには……売ってくれる奴がいねぇとな」


 そう呟いて、ニヤッと悲しげな笑いを浮かべる。セトラは唇を噛んでその笑顔を見つめていた。


「……お前、ブラックカイツに入ったんだって?」


 町のはずれにあるブラックカイツのアジトへ向かうその道中、ベンジャミンがセトラに尋ねる。セトラはベンジャミンの顔を見ず、苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。


「姉さんに聞いたの?」


「……おう」


「そう……。やっぱり、情報を流していたのは姉さんだったんだね」


 小さく舌打ちをした。そして暫しの沈黙の後、再び口を開いた。


「……僕は、ずっと兄さんみたいになりたかった。ベン兄さんみたいに強い男になって、姉さんを守れるようになりたかったんだ。ベン兄さんは、僕の『ヒーロー』だったから」


 ぽつりぽつりと、セトラは語る。その少し後ろをついて歩きながら、ベンジャミンはぼやいた。


「お前には、俺のようになって欲しくなかったんだけどな……。お前達姉弟には、俺と同じ世界で生きていて欲しくなかった」


「僕らを、弱い者扱いしてたんだ」


 セトラは歯ぎしりをした。そして責め立てるような口調で問う。


「だから、この国から逃げ出したの?ブラックカイツの仲間や、僕や……姉さんを捨てて、逃げ出したの?」


「あー、そうだよ」


 ベンジャミンは自嘲するように笑った。


「周りの全てが敵に見えて、関わる全てを殺して生きた、幼い頃のバカな俺。そんな俺を救い出してくれたのが、アイリスと、お前さ。……でも、俺はお前達の様にはなれなかった。お前達姉弟と深く、深く、関われば関わるほど、俺の心の溝も深くなった。俺は、ずっとお前達みたいになりたかったんだな……」


 しかし、それは叶わなかった。人殺しを辞め、人を傷つけることを辞め、真っ当に生きる努力をした。それでも、ベンジャミンの手はごつごつとしていて、花に触れるには力を持ちすぎている。潰してしまうのが怖くて、触れられなかった。


「お前達みたいに優しく暖かな、誰も傷つけない、殺さない人間になって、アイリスの花を買う資格のある男になりたかったわけだ。国の未来を憂い守る組織『ブラックカイツ』に所属すれば、俺も善人になれると思った。でも、駄目だった。ヴァシリスやスタナムのような過激派を止めることが出来なくって、ブラックカイツはおかしくなってしまった。俺は……ダメな奴だな。ほんと、ダメだ。俺自身の過去が、罪が周りの人達に伝染していくのが見ていられなくって、逃げ出したんだ。広い世界を巡って、今度こそ真っ当な人間に変わりたかった」


 二人は、古びた倉庫のような建物の前に辿り着いた。


「これまでずっと逃げ続けてきたツケが回ってきたっつーわけかもな……」


 相変わらず、背中の傷は痛み続ける。体が思うように動かせない。そのような満身創痍の状態ながらも、五体満足でも敵わないであろう相手に、ベンジャミンは挑むのだ。今度こそ、逃げるわけにはいかないのだ。


「僕は、本当は兄さんにも死んで欲しくないんだ」


 セトラの目から一筋の涙が零れ落ちる。


「……でも、姉さんのために、死んでもらう」


 そう呟くと、セトラはアジトの扉を開いた。扉の奥は真っ黒く淀んでいた。


 アジトの中の、開けた空間。その中心に、わざわざ運ばせたのか、黒い革張りのソファが置いてあり、二人の人間が座っている。一人は、腕を縛られ猿ぐつわを噛まされ細かく震える女性である。彼女の肩に手を駆けながら横に座るのは、趣味の悪い装飾品を体中に身に着けたドレッドヘアの男だった。


「……!……‼」


 猿ぐつわのせいで言葉にならない声を上げながら、アイリス・フロントがベンジャミンを涙目で見つめる。首を振りながら、何かを訴えている。その隣に座るガルザヴァイル・エシャントは、ニヤリと笑ってセトラに言った。


「よーぅ、ちゃんと連れて来たか……偉いじゃねぇか」


「はい。……僕は、戦士として、自分の使命を果たしました。……ですから、姉さんを開放して下さい」


 震え声で、セトラは懇願する。そんな彼の表情を味わうように見つめながら、ガルザヴァイルは笑う。


「分ぁーってるよ。約束は守ってやらァ」


 そう言うと、手に持っていた小型ナイフを目にも止まらぬ速さで振るい、アイリスを縛る縄と猿ぐつわを切り裂いた。アイリスは即座に駆けだして、ベンジャミンに抱き着いた。


「姉さん‼」


 セトラが、姉とベンジャミンの元へ駆け寄る。アイリスはベンジャミンの顔を上目に見て、泣きながら言った。


「ごめんなさい、ごめんなさい!私のせいで……!今からでも、逃げて!殺されちゃう‼」


「……そうしたいけどな、そうもいかねぇみたいだ」


 震えるアイリスの髪に優しく触れながら、ベンジャミンは目の前に座る男を見据えた。見られたガルザヴァイルは立ち上がり、嘲笑うように言う。


「また会ったなァ……腰抜けの死に損ない野郎。俺は、テメェみたいなゴミを始末するためだけに、わざわざ首都からここまで戻って来てんだ。おかげで俺ァ今、機嫌が悪ィ。せめて少しでも楽しませて貰いたいモンだが、雑魚のテメェには期待できねェ……」


 ゆっくりと、ベンジャミン達の周りをぐるりと歩きながら、獲物を見る捕食者の如き眼を向けている。


「……そこで、考えた。聞いた話だとこの女とこっちのガキは、テメェの古馴染みだそうだが」


「二人を傷つけたら、許さねえぞ」


 静かながら殺気を十分に含んだ声色で、ガルザヴァイルを睨みつける。


 ベンジャミンに抱き着いたままのアイリスが、涙目で彼の顔を見上げて首を振る。戦ったらいけない、逃げなくちゃ、と、そう言いたい様子だった。そんな彼女を横目に見ながら、ガルザヴァイルは告げた。


「傷つけやしねェよ。……俺はな」


 自ら殺した人間の『指骨』で作った指輪をはめて、派手に飾った自身の手を天に向ける。ギャハッと笑うと、ガルザヴァイルは指を鳴らした。


 唐突に、アイリスの泣き声が止んだ。そして抱きしめる力が強くなる。ベンジャミンの横に立っていたセトラもまた、その表情から感情が失われ、物を考えない人形のような視線をベンジャミンに向けていた。


「黒死術『統治者の指先ヘルシャフトスレイヴ』」


 ドレッドヘアの悪魔が、ベンジャミンの耳元に囁く。


「二人を傷つけるのはァ……『テメェ』さ」


 ガルザヴァイルは歯を剥き出して笑い、持っていた小型のナイフをアイリスに向けて投げた。アイリスは一般市民とは思えない俊敏な手の動きでナイフをキャッチすると、それを逆手に持ちかえ、ベンジャミンの首元に振り下ろす。ベンジャミンは即座に彼女の手首を掴んで阻止するが、彼女の力はその細腕ではありえない強さであった。


「何をした……お前アイリスに何をした⁉」


 必死に彼女のナイフを抑えながら、ベンジャミンは怒鳴る。その様子を、まるで愉快な催し物を楽しむように観ながら、ガルザヴァイルは言った。


「何の力も能も無ェ雑魚どもに、俺の見る世界を味合わせてやる……これは、俺の人形劇。これからテメェは愛しい二人の皮を被った二人の俺と、殺し合うのさァ‼数瞬前のテメェ自身に言われた言葉は覚えているか?『二人を傷つけたら許さねえ』。だからせいぜい気をつけろ‼二人を傷つけないように……一体どうやって戦うのか、こいつァ見物だ、ちったぁ暇をつぶせるショーになりそうだぜ‼」


 悪鬼羅刹の如き嗤い声を浴びせられながら、ベンジャミンは絞り出すような唸り声を上げた。


「……っつゥゥゥゥッ……グッゥゥァァアアア‼」


 段々と力が増していき、刃の先を首元へと押し付けてくるアイリスを、必死の形相で抑えながら、視線の端にいるガルザヴァイルを射殺すように見つめて怒鳴る。


「おまっ……お前……悪趣味だな……ッ……ああ、悪趣味だよ!悪趣味が過ぎるぜ……‼ガルヴァザ……ッゥ……ガルザヴァイル・エシャント……‼このクソヤロウが‼」


 ベンジャミンの呪詛の如き叫び声と、ガルザヴァイルの高嗤いが、アジト内に響き渡った。

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