第49話〈頭を使わない攻防〉

 私の名はテイラー。鳥である。敵の配下である大鴉との死闘に勝利し、それを見事追い払った私は、サヴァイヴ達とはぐれてしまったためとりあえず国政評議堂の付近に戻ってそこに残っているアリスと合流することにした。体中傷だらけで割と痛いが、飛行に支障はない。私は勝ったのだ。これは名誉の負傷である。まあ、正直言えば防戦一方であったが、最終的に敵が私から逃げて行ったので私の勝ちである。ただ飽きて去って行ったという説も無くは無いが、私のタフさに恐れをなして逃げて行ったと考える方が自然だ。去り際に「カー」と鳴いていたが、あれはおそらく負け惜しみであろう。


 しかし、そのような話は今どうでもいい。それより問題なのは、つい先ほどまでこの付近にあったはずの国政評議堂がどこにも見当たらないという点である。羽ばたく私の眼下に見えるのは、巨大ながれきの山と、その周囲に佇む人々。まさかとは思うが、このがれき山が国政評議堂の成れの果てなのだろうか。ブラックカイツの連中、ここまでするのか。なんという奴らだ。国政評議堂は、昔からフォルトレイクの行政の中枢を担ってきた歴史ある建造物。この国の重大な遺産の一つと言って良い。それをこのようにしてしまうとは、過激派組織ブラックカイツ、彼らには人の心が無いのだろうか。


 がれきの中から、小さな人影が飛び出してきた。粉塵を払いながら着地したそれは、銀髪の少女、アリスだ。周囲の人々がどこか畏怖のこもった視線を彼女に向ける中、彼女はそれに気づかない様子で、ただ崩れた評議堂の成れの果てに目を向けている。


 アリスの目線の先のがれきが吹き飛び、その中心から赤毛の青年、クレバインが現れた。


 クレバインはニヤリと笑ってアリスに言う。


「今のは結構面白かったな。爽快で、スカッとしたよ。色々と」


 なるほど、今の言動で分かった。この評議堂をこのように破壊したのはクレバインらしい。この華奢な体のどこにそのような破壊力を秘めているのか、恐ろしい話である。


 アリスは何も答えずジッと注意深げにクレバインを見つめていたが、やがて口を動かして、何かを呟いた。


「……斬って」


 彼女の言葉に呼応するように、がれきの中から複数の錆色の斬撃が飛び出してクレバインを襲う。クレバインは、近くに転がっていた崩れた壁の破片を手に握ると、宙にぶん投げると同時に粉々に砕いた。小石大に粉砕されたそれが、クレバインの頭上ではじけ飛ぶ。それらの欠片が錆色の斬撃に触れると赤黒い塵となって四散した。


「そのヴィンテージの攻略法はもう分かった。僕には効かないよ」


 そう言ってクレバインは余裕そうな表情を見せた。


「君、なんか笑えるなあ。なんだろう、何が出てくるか分からないビックリ箱みたいだ。次はどう来る?」


 そう言うクレバインを無表情に見つめつつ、アリスは暫し思案しているようであった。


 よくは分からないが、アリスはどうやらあのヴィンテージのメタナイフの持ち主であり、遠隔操作でその斬撃を操れるらしい。しかし、その攻撃の対処法をクレバインは見つけてしまった。だがアリスにはまだ近接の格闘術がある。サヴァイヴが『ガルダ』と呼んでいた、古流武術の一種だったか。そっちで戦えば良い。……はずなのだが、アリスはどういうわけか、クレバインに近づこうとせず、注意深く一定の距離を保っていた。


「近づきませんね」


 憲兵の一人が眼帯男と話す声が聞こえる。


「やはり、あれを警戒しているのでしょうか」


「だろうなァ……。奴の、『死神の知恵の輪』。次あれに引っかかったら……今度こそアウトだァ。そうだろ?」


 眼帯男がブツブツと呟くように言う。『死神の知恵の輪』とは、一体何なのだろうか。クレバインの能力か何かか。


「でも、また捕まってもさっきみたいにラスティヘイズの刃を飛ばして解除すれば良いのでは?」


 憲兵が眼帯男へ問う。何だその『ラスティヘイズ』とは。例のヴィンテージの名前だろうか。


「さっきのがァ奴の全力であるという保証は無ェよ。そもそも……腕のある傭兵ってもんはァ……そう易々と本気は出さねェ。自分自身の実力を何層にも分けて、相手によってその深度を使い分ける。さっきの『知恵の輪』がァ……果たして奴の本気の何割だったことか……奴のような戦いに楽しみを見出すタイプは特に、力を抑えがちだァ。相手に全力を出させて、奥の手を使わせて、全てを出し切らせたうえで……それを攻略するのを楽しみたいってわけだな。もしかしたらァ……本当は硬化した混血鉄器すらも砕けるくらいに奴の本気の『知恵の輪』は強力かもしれねェ」


 この眼帯男の話から察するに、その『知恵の輪』とやらを警戒して、アリスはクレバインに近づけないようだ。おそらく、国政評議堂を破壊したのもその技なのだろう。それほどまでに強力な力を、クレバインは隠し持っているわけだ。


「あれ?来ないの?じゃあ、こっちから行こうか」


 ニヤニヤと笑いながら、クレバインが声をかける。アリスはまた何も答えずに、ひたすら考え事に集中していた。


 クレバインが不快げに顔をしかめる。


「……無視すんなよ。何考えてんのか知らないけどさ。操り人形の君に、そんな大層なこと考える頭なんて無いんだから、頭空っぽにして向かって来いよ」


 この言葉がアリスの癇に障ったらしい。眉をひそめてクレバインを睨みつけた。


「……あなたのような、馬鹿な人に、そんなこと言われたくない」


「は?」


 クレバインの声のトーンが下がる。


「僕が、馬鹿……?……まあ、そりゃあ、色々考えるタイプで無いのは認めるさ。でも、君みたいな子に馬鹿呼ばわりされる筋合いは無いな。ムカつく」


 苛立ちを隠すことなく、小刻みに貧乏ゆすりをするクレバインに向けて、アリスはさらに続ける。


「自覚が、無いの?あなたは馬鹿。私よりも、よっぽど、考え無しで、馬鹿。馬鹿。馬鹿」


「頭が悪い人の事を、『馬鹿』としか表現できないんだ?使える言葉の種類が少ないね!君の方がよっぽど馬鹿でアホだろ!」


「私はアホじゃない」


 クレバインの嘲笑に対し、明らかに気分を害するアリス。二人の口論はだんだんとヒートアップしていく。


「あなた……本とか……読まないでしょ?私は、読む。頭が良いから」


「本読んでりゃ頭良いって考え方がもう馬鹿だな!そんなの、ただの頭でっかちだろ?本当に頭いい奴は、頭の働きが柔軟なんだよ。君、パズルとかやったことないだろ?僕は毎日知恵の輪で頭鍛えてっから!」


「こ、これはどういう状態なのですか、隊長……」


 憲兵が、眼帯男へ尋ねる。眼帯男は鋭い眼光で二人のやり取りを見据えていた。


「戦闘においてェ……精神の安定は勝敗を大きく左右する重大な要因だァ。だからこそ時に戦場では相手の精神を揺さぶるスキルが求められることがある。的確な言葉で相手の感情を乱し、冷静さを損なわせるわけだァ……。この二人も一流の傭兵であるがゆえに……そういうスキルにも長けている。これは、静かだが高度な戦いだァ。精神面の戦いなのだ」


 元傭兵である眼帯男の言葉には重みと説得力がある。部下の憲兵も納得した様子で二人の煽り合いに見入っていた。


「ほんと、君はつまんない奴だよ。本読んだだけで全部を知った気になってるから、そういうつまらない子になるんだ。もっと現実に目を向けた方が良いね!」


「現実に……?あなたは、現実を見ているの?戦い以外は全部つまらないって決めつけちゃうあなたは、何を見ているの?現実の、普通の人は、戦いなんか好きじゃない。自分に都合の良いものしか認めないあなたの方が、現実が見えていない……」


 そう言うと、アリスは馬鹿にするようにベーと舌を出してクレバインを挑発する。負けじとクレバインは声量を上げてさらに続ける。


「現実が見えていない?へー、『お姫様になりたい』とか言ってた君は、どうだよ?お姫様って!ちっさい子供だってそんなこと大真面目に言わないぜ!」


「隊長!今はどちらが優勢なのですか⁉」


 憲兵がまた眼帯男へ尋ねた。眼帯男は注意深くアリスの方へ目を向けつつ、苦々し気に呟く。


「……軟体のクレバイン。奴に分があるなァ……。奴の言っていることの方がァ、『確かに』って思ってしまう。『お姫様って……』とはァ……俺らも薄々思っていた事だァ」


 アリスがジロリと眼帯男を睨みつけた。それに気づいた眼帯男は、慌てて弁明する。


「……いやァ、しかし、夢とは本来自由なものだァ。『お姫様』という、正直意味わからん夢……じゃなくて、可愛らしい夢よりも……この国を戦場に変えたいという奴らの目的の方が、よっぽど下劣でろくでもない」


 そう、その通り、と言うような表情で、アリスはクレバインを見た。クレバインは眼帯男をチラッと見て、鼻で笑う。


「僕は僕らの考え方を理解してもらおうなんて思ってないし、どうでも良いよ。君らの価値観なんてさ」


「……そんなことより、『軟体のクレバイン』って、変なあだ名。なんでそう呼ばれているの?気持ち悪い」


 アリスの煽りの話題が変わった。クレバインはどうやら気にしているところを突かれたようで、一層不機嫌になった。


「僕が知るか!マジで誰だよ、最初に呼んだやつ⁉ぜってーぶっ殺す!」


「体がぐねぐね柔らかいから……?それとも、女の子大好きな軽薄なその性格から……?どちらにしろ、カッコ悪い二つ名……」


 アリスが小さく笑って言った。すかさずクレバインが反撃に転じる。眼帯男を指さしつつ嗤う。


「お前こそ、どうだよ?さっきあのおっさんに、『天使』とか呼ばれてたぜ?なに、天使ってさ?自分で名乗ってたの?自分で自分のこと天使とか言ってたの?」


「……言ってない。それは初耳。……どういうこと?」


 アリスは少し困惑気味に眼帯男へ目を向けた。眼帯男は少しバツが悪そうに目を反らしながら答える。


「……つまりィ……なんだァ、戦場でカワイイ子が無双してたから、なんか人智を超えた化け物みたいって思ったわけで……化け物って言い方も良くねェし、なんか神々しかったから天使って呼んでみただけだがァ……つーか、こんな説明要るかァ?」


「化け物……」


 アリスが呟く。その表情は暗かった。クレバインが勝ち誇ったように笑う。


「お姫様はお姫様でも、化け物姫だな!お似合いの肩書きだよ!」


「……うるさい。ふにゃふにゃぐにゃぐにゃの軟体クレバイン。へなちょこ」


「だ、誰がへなちょこだ⁉」


 ここまでの会話を聞いていて分かった。この二人は間違いなく似た者同士だ。基本的には直感型で、あまり頭を働かせるタイプではない。しかし戦闘に関しては天性の才能を持ち、恐らく何も考えずに感覚で戦った方が強い。ナチュラルに人を見下してよく相手を煽るが、自分自身は謎に自身家でプライドが高く煽り耐性を持っていない。さらには二人とも、どこか世間の常識とずれた変人。お互いにあまり良い感情を抱けないのも、同族嫌悪というやつだろう。


 そして、どうやら双方ともに気づき始めているらしい。このまま煽り合いを続けても、あまり意味は無いと。相手にダメージを与えても、すぐに自分も傷を負う。先ほどから互いに相手の能力を警戒し無暗に仕掛けられずにいたが、段々そんなことを頭で考えていることも馬鹿馬鹿しくなってきたようだ。


「……なーんかさ、遠くから君の攻撃をうち消したり、何とかして近づいてやろうと様子を伺ったり、チマチマチマチマめんどくさいよ。バッて行って一気に絞め殺して、はい終わり。この方がよっぽど簡単で爽快だ」


「……同感。あなたの技から逃げながら、頑張って攻撃を当てようとするのも、疲れた。あなたの技なんか、もうどうでも良い。殺される前に、こっちが殺してやればいい話」


 つまり、頭を使った戦いなど、そもそもこの二人には向いていないのだ。


 アリスは国政評議堂の成れの果てであるがれき山の、一部赤黒い塵となった部分に手を突っ込むと、そこからヴィンテージのメタナイフ『ラスティヘイズ』を取り出した。それを見つつ、クレバインも構える。


「……あいつらァ……一騎打ちで決める気かァ?」


 眼帯男が、緊張の面持ちで生唾を呑んだ。


「どちらも、傭兵すら即殺できる文字通り『必殺技』の使い手だァ……先に技を食らわせた方が生き、遅れた方が死ぬ……!下手すりゃァ、相討ちだってあり得る……!」


 もはや誰にも止めることは出来ない。睨み合う二人を、周囲の人々はひたすらに無言で見守っていた。


 ラスティヘイズの刃を真っ直ぐにクレバインへ向け、アリスは地を強く踏みしめる。一方のクレバインもまた、片足の膝を上げ、息を深く吐いてアリスを見据えている。


 暫し静寂が辺りを満たした。


 全く同時に、両者は地を蹴り飛び出した。真っ直ぐに、ただひたすらに一直線に、撃ち出された弾丸の如き変更の効かない軌道で、標的へ突っ込んでいく。


 ぶつかり合う直前、アリスは跳び上がり、宙で一回転した。その勢いのままに、下方へ斬りかかる。アリスの下のクレバインは、両の手を地について側転のような体勢で両足をアリスへと向けており、大トカゲの強靭な顎を思わせる両脚をぱっくりと開いて、下りてくるアリスの身体を噛み砕かんとしていた。


 クレバインの脚とアリスの刃がぶつかり合う直前、クレバインが体を捻り、刃を避ける。そしてアリスの身体のみを待ち構え、捕らえる。しかしアリスの振るう刃はクレバインの胴体を狙っていた。クレバインの技が決まるのが先か、アリスの刃が斬り裂くのが先か、刹那の一瞬、二人の身体は、恐らく彼ら彼女ら自身の意思とは関係なく、互いから離れた。


 つまり、アリスの身体を捉えかけていたにもかかわらず、クレバインは彼女を見逃し、アリスもまたクレバインを斬りかけていたにもかかわらず、途中で刃を下ろしたのだ。


 二人は即座に、互いに距離を取って見つめ合った。双方とも、何が起きたのかよく分からない、と言った困惑の表情で相手を見ていた。


 静寂が破れた。憲兵の男が、眼帯男を見る。


「あっ……えっと……今、何が……?早すぎて、何が何だか……」


 私は鳥特有の動体視力で視認できたが、常人の目には二人が高速で接近し、あたかも同極の磁石のように強く反発し合い、離れてしまったように見えただろう。周囲の人々の中で唯一状況を把握できたらしい眼帯男は、目をこすりながら、言う。


「つまり……あの二人、完全に互角だったというわけだァ……あのままいっていたらァ、互いの技が同時に決まり……相討ちとなっていた。だが、それぞれの意思とは別に……身体の方がそれを察して、自身の命を優先するためにとった本能的な行動によってどちらとも同時に回避に走ったことからァ……すれすれで激突することなく済んだということだァ……」


 二人とも、頭で考えて動くタイプではない。その鋭い感覚を頼りに死の戦場を生き抜いてきたのだ。だからこそ、飛び込めば確実に死に至るという状況で頭よりも体が勝手に動き、ぶつかり合わずに済んだのだ。


 解せないと言った表情でアリスを睨んでいたクレバインが、大きく溜め息を吐いた。


「なんか……萎えた‼なに、今の避け合い⁉もー良いよ、めんどくせえ‼……君をぶっ殺すのは次の機会にとっといてやる!」


 真っ直ぐに指さすクレバインに、もはやこれも反射的な行動なのか、アリスが挑発するように言う。


「逃げるの?」


「そーいうこと言うなよ‼まーたさっきみたいなうざいやり取りが続くだろ⁉」


 クレバインは自身の赤髪をぐしゃぐしゃ掻いて苛立ちを発散させながら怒鳴る。


「なんか分からないけど、今のままだと決着がつかないみたいだ。なら、君を殺すのは、君なんか簡単に捻れるくらいに強くなってからにしてやんよ。じゃな!」


 そう言い残して、クレバインはどこかへ行ってしまった。


 あとに残されたブラックカイツの面々は、ポカンと口を開けて、互いに顔を見合わせる。それから粉々に崩れた国政評議堂を見た後、憲兵隊にその視線を向ける。


 暫し見つめ合った両陣営であったが、やがて眼帯男の「確保‼」の号令に合わせて憲兵隊がブラックカイツへ攻めかかる。もはや完全に戦意を喪失していたブラックカイツから反撃は無く、その大半は捕らえられ、逃れた団員もまた散り散りに逃げ去って行った。

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