第50話〈不可視の剣戟〉

 フォルトレイク最大の港町プエルトフォルツ。その中心部から外れた、人通りの無い林の中にある古びた廃倉庫。ブラックカイツのアジトの一つだ。その建物内にて、意識を失い、血を流して倒れているベンジャミンを、ドレッドヘアの人相の悪い男が見下ろしている。


 無言で佇むその男へ、一人の少女が声をかけた。


「ヤタラス、早く行きましょう。厄介な連中がすぐそばまで来ています」


 黒いフリルのついた服装に身を包み、プラチナブロンドのミディアムヘアと品のある顔立ちが特徴的な美しい少女だ。呼ばれたヤタラス・C・レイヴンは、少女の方へ目を向けて尋ねる。


「参謀長。よく俺の居場所が分かったな」


「ライアを通じて隊長に聞きました。わたくしの仕事は、貴方達の回収ですから」


 『参謀長』と呼ばれたその少女は、地に倒れるベンジャミンへ視線を移すと、クスリと笑った。


「……それにしても、貴方ともあろう人が、こんな傭兵でもない者に負けたのですか」


「負けてねェ‼……相討ちだ」


 声を荒げるヤタラスを見てクスクスと笑っていた少女であったが、やがて真剣な表情になって、低い声で言う。


「どうします?この男、このまま放っておけば死にますが……殺しますか?」


 ヤタラスは何も答えずベンジャミンを見つめていたが、やがて独り言のように呟いた。


「このまま置いて行けば、コイツは死ぬ。……だが……もし偶然にでもここへ助けに来る奴がいれば……もしかしたら、生き残るかもしれねェ。これは、『賭け』だな」


 ニヤッと笑い、意識の無いベンジャミンへ声をかける。


「おう、これは……勝負だ。テメェの命を使ったゲームだ。……このままテメェを放置して、そのまま死んじまえば、俺の勝ち。運良く助けが来て死なずに済めば……テメェの勝ち。賭け事は得意なんだろ?」


 返答は無い。ヤタラスは一方的に言いたいことを言った後、機嫌良く笑いながら、少女と共にその場から去って行った。





「刮目せよ……!……まあ、見ることができるならば、の話だがね……。俺のもう一つの黒死術『不可視の血判インヴィジブルクレスト』‼」


 その言葉と共に、青い閃光に包まれたハクアの身体は直後、サヴァイヴの眼前から消えた。サヴァイヴは目を見開くと、警戒を強めてメタナイフを構えなおす。


 何も無い空間から、ハクアの声だけが聞こえてくる。


「視覚情報は、鋭敏な感覚器を持たない我ら人類種にとって欠かせないものだ。それを失ったらどうなる?……答えは簡単。何もできなくなる。しかし、それは常人に限ったこと……君ほどの傭兵、しかも『暁血アルバ』を発動している場合、話は変わってくる」


 鋭い視線を周囲に向けて耳を澄ませていたサヴァイヴであったが、やがて見えない何かに反応してメタナイフを振るう。直後、手応えと共に金属音が鳴った。目に見えない刃と斬り合ったのだ。


 ハクアの声だけがサヴァイヴの耳に届く。


「……やはり、暁血によって強化された聴覚、嗅覚……触覚。それらによって視覚を補っているな。たとえ私の姿は見えずとも、大まかな動きは把握できるわけだ」


 機嫌よく喋るその声を頼りに、ハクアの位置を導き出したサヴァイヴは、彼がいるであろう位置を睨みつけた。その視線の先から、笑い混じりの声が続く。


「……ただし、あくまで『大まかな』動きだがね……」


 直後、銃声が鳴った。暁血による神速の反応で即座に体勢をずらしたサヴァイヴであったが、見えない銃弾は避け損ねた肩を擦り、抉る。


「うぐッ」


 顔を顰めるサヴァイヴの耳に、姿の見えないハクアの笑い声が聞こえた。


「ははっ。……やはり、透明化と銃の掛け合わせは反則だな。君は誇って良い。よく今の弾を回避できたものだ。やはり恐るべきは暁血の人智を超えた反応速度……」


 しかし、どれほど素早く動けようと、見えない相手の放つ銃弾をいつまでも避け続けることはできない。暁血の効果で五感が強化されているとは言え、やはり視覚を封じられた状態は圧倒的不利であった。


 さらに危惧すべき点は、ハクアが暁血の速度に対応し始めているという事だ。残像と共に繰り出される剣捌きに、的確に剣で応える。ハクア自身の動きもサヴァイヴに合わせて速度を増していた。銃弾と刃をかわして捌きながらサヴァイヴは、おそらくハクアがいるであろう位置に向かってメタナイフを振るった。しかし手応えは無い。


「残念。だが、ここまで私の攻撃を避け続けているのは大したものだよ」


 ハクアの口調は余裕を崩さない。この戦いの中、姿が見えないという事実はかなりのハンディキャップとなっていた。サヴァイヴは攻めるのを辞め、しばし防御に徹して考える。


(……このままでは、埒が明かない。考えろ)


 思考を巡らし、打開策を探す。だが画期的な解決案というものは、すぐには見つからない。


「来ないのかい?ではこちらからいくよ」


 防戦一方となったサヴァイヴに対し、ハクアの攻めが勢いを増す。不可視の猛攻にサヴァイヴの反応は遅れ始める。刃が皮膚を裂き、銃弾が肉を抉る。それらは全てサヴァイヴの呪力抗体を無効化するために、ついた傷は再生することなく蓄積されていく。傷口から血が舞い、サヴァイヴは顔を顰めた。


 その時、サヴァイヴの散った血液が空中に付着した。そんな違和感を見逃すサヴァイヴでは無く、すぐさま血の浮いた空中に向けてメタナイフを振り払う。手応えあり、何も無い空間から血が弾けた。


「ほう!見事だ、当たったな!」


 ハクアの茶化すような声が聞こえた。しかし、与えたのはせいぜいかすり傷程度。サヴァイヴは小さく舌打ちをして、息をつき、暁血に身を任せて剣速を上げた。


 サヴァイヴの速度に呼応するように、ハクアの動きも素早さを増してゆく。暁血の神速に引けを取らない動きで渡り合い、むしろサヴァイヴを圧倒しつつあった。


「君の動きにも、だいぶ慣れてきた……。暁血の速度も理解した。これまでの戦闘で得た情報は、私の身体に即座に吸収される。そして活用する」


 片手の銃に素早く次弾装填しつつ、ハクアは語り続ける。


「人に才能というものがあるとするならば、私の持つそれは、成長速度。神がかった対応力と言ったところか。一度見て理解した技術、戦闘スキルには完璧に対応できる。君の暁血も……もはや私の敵ではない!」


 呪術等で強化されたわけでも無い素の動きにもかかわらず、残像が現れるほどの速度で剣を突くハクア。サヴァイヴは自身の聴覚と第六感を研ぎ澄まし、見えない連撃に集中して防御に徹しざるをえなかった。


「この一瞬一瞬の間にも……俺は成長している!進化し続けている!留まることの無い無限の進化こそが、俺を死神たらしめる‼」


 その言葉に違わない驚異の成長速度で、ハクアは暁血の速度に迫る。黒死術『不可視の血判』による透過能力以上に、ハクア自身の学習速度がより脅威となっていた。


 サヴァイヴは、ふと、あることに気づく。


「あっ……そうか……あなたのその透過能力は……あなたの学習時間を作るための時間稼ぎなんですね」


 ハクアは肯定の意味のこもった笑みを浮かべた。


「暁血の情報は、既にこの身に刻み込んだ。もはや……私にとってそれは脅威に値しない」


 言葉と共に、不可視の刃がサヴァイヴを襲う。それらを寸前でかわし、剣で捌きながらも、サヴァイヴは不敵な笑みを口元に浮かべた。自身の全身全霊、命をかけた切り札である暁血。それを攻略されかけているにも関わらず、サヴァイヴの中の高揚感は高まっていく。


「全力を、全てを出し切って……もはや何の手札も残っていない。それでも届かない……今の自分の実力では敵わない……そんな状況だからこそ、燃えるのです」


 無数の傭兵が参加する戦場には、自分より強い者が必ずいる。実際にサヴァイヴは、これまでにも自身の全力が通じない相手と何度も相対してきた。そしてその度に、過去の自分を乗り越えて生き残ってきた。勝ってきた。


「今、僕は……これまでの僕を、殺す。過去の僕を乗り越えて……あなたに勝つ」


 オレンジに輝く瞳の色が濃くなっていく。


「僕も今、今この場で……成長する!進化する!あなたを超える‼」


「面白い‼君の進化と私の進化、どちらが上回るか、勝負だ‼」


 ハクアが吠えた。人智を超えた剣速で互いのメタナイフがぶつかり合い、空気が震える。互いの刃が残像を纏い、複数の剣戟が同時に展開されていた。 


 サヴァイヴが、ハクアの進化を超えるにはどうすれば良いのか。実はその心当たりが一つだけ、彼の中には残っていた。サヴァイヴが心に宿す、戦闘への高揚感。その感情が昂れば昂るほどに、サヴァイヴの戦闘力も増していく。それを彼は実感している。しかし、殺し合いに興奮する自身の心を嫌悪するサヴァイヴにとって、それは非常に恐ろしい事であった。高揚感に身を任せて浸りきってしまえば、ハクアを凌駕する力を発揮できるかもしれないが、もしそこへ完全に堕ちてしまったら、もう戻って来れないかもしれない。ただひたすらに流血のみを求める化け物に成り下がってしまうかもしれない。


「……何度言わせれば貴様は理解できるんだ?」


 サヴァイヴの頭の中に、声が聞こえてきた。それは、神経質でどこか苛立ちを含んだ、処刑人の声であった。


「良いか?俺はこれまでに何っ度も言ってきた!そして、この先も何度だって言ってやる。貴様は愚かで醜く悍ましい、化け物のような心を持った罪人だ!その事実をいい加減に受け入れろ!」


「……ああ、分かってるよ」


 サヴァイヴは一人呟く。


「そして受け入れた先で、自分が何を成せるかを考えろというんでしょ。でも……弱音くらい吐かせてよ」


「……怖いの?」


 また別の声が、サヴァイヴの頭に響く。自分と同じ傭兵である、美しい銀髪の少女の声だ。サヴァイヴはまた独り言を口にした。


「……うん、そうだね……怖いのかも。僕自身の力が怖い。この感情を、戦闘に昂る気持ちを、上手く扱えたことが無いから」


「そういうのを『調子に乗っている』と言うんです」


 さらに別の少女の声がサヴァイヴを叱った。


「たった数度のミスで、自分の能力を決めつけないで下さい。この勘違い上から目線男」


「そこまで言わなくても……」


 サヴァイヴは苦笑いをする。極めつけの、囁くような声がサヴァイヴの心に語り掛ける。


「……できるよ。サヴァイヴ、器用だから」


 その言葉と共に、アリスの笑顔が脳裏によぎる。


「私の王子様候補なんだから」


 サヴァイヴの心の中に何か暖かい塊が湧き上がってくる。


「戦い大好き人殺し大好きな……悪者みたいな王子様。それが、僕なんだ。それが、僕なんだ」


 サヴァイヴの振るう剣が止まる。異変に気付いたハクアは、探るように問いかけた。


「何か……覚悟を決めたようだな」


「ええ」


 深く吸った息をゆっくり吐き出すと、サヴァイヴは自身の心に命じた。


「人を斬り裂く悦び、血の匂いへの渇望、死を目の当たりにした瞬間の充足感。それら全てを、今だけは受け入れる。この感情は……砥石だ。この高揚感は、僕の刃を研ぎ澄ます!」


 目の前に永遠に広がる、巨大な血の海の心象風景。目を閉じたサヴァイヴの心は、その深紅の水面にダイブした。深淵へと、サヴァイヴの心は沈んで行く。戦闘への高揚感にその身を完全に委ねたのだ。


 サヴァイヴの全身の暁色の輝きが増していく。開いたその目に宿る眼光は、昇る朝陽を思わせた。


 ハクアの中の直感が、サヴァイヴの心に起こった変化を感じ取る。


「そうか、自分自身を完全に堕としたというのか。修羅の道へ」


 サヴァイヴは裂けるように深い笑みを、その口元に浮かべた。直後、サヴァイヴの刃はハクアの身を切り刻んだ。


「速度が上がったな‼」


 ハクアはニヤリと笑った。


「これが、最大か?それとも、さらに上があるのか?」


「……違います」


 サヴァイヴの声が答える。その声は理性を持たない、狂人のそれに近いものであった。


「これは、無限の進化の一過程に過ぎない……。僕は、あなたを殺せるまで進化し続けるのです。あなたの身体を切り刻むまで……あなたの心臓を抉り出すまで……あなたの脳髄をぶちまけるまで……この僕が、成長を止めることは無ぃ」


 その顔は、まるで酒に酔っているようであった。敵を蹂躙する戦闘という美酒への酔い。それは決して綺麗な酔い方ではなく、どちらかというと泥酔に近いものであった。


「無限の進化が……僕を作る。何度も何度も……何度だって……今ここで僕は産まれ落ち続ける。過去の僕を……数瞬前の僕を斬って薙ぎって殺し続けて……新しい僕を産んでいく。あなたを殺すことが出来る僕を産み出すまで……僕は僕を殺していく」


「全く。言っていることが支離滅裂だな……」


 ハクアは呆れ笑いを浮かべた。


「先天的に戦闘への抵抗を持たない、いわゆる『戦神の愛し子』と呼ばれる者のみが到達できるという、修羅の領域……。久しぶりに見るが、やはり理解が難しいね。面倒くさい酔っぱらいを相手にしているような気分だ」


 戦闘へ陶酔し、理性を欠いてもなお、サヴァイヴの頭は思考を止めていなかった。それどころか、心が血の海を深く深く沈んでいくほどに、暁血による身体強化の深度も高まり、思考速度も上がっていく。その高稼働する頭脳の働きは全て、より効率的に確実に目の前の相手を殺すための最適解を出すという一点にのみ注がれていた。


 やがて修羅に染まった赤い脳髄は、一つの記憶を掘り起こす。つい先ほどの、サヴァイヴの散った血液が空中に付着した、その光景がフラッシュバックした。


 サヴァイヴは独り言のように呟く。


「……そうか……見えないなら色を付ければ良いんだ。実体はあるんだから」


「透明なものへの対処法としては基本だね」


 軽く笑いつつ、ハクアの声が答える。


「しかし……果たしてこの場に絵の具はあるかい?残念ながら、見当たらない」


 煽るようなハクアの声に、サヴァイヴは小さく返事をした。


「ありますよ……血だ」


 サヴァイヴの耳に、ハクアの笑い声がこだました。


「面白い。この私の全身を染めるのに、一体どれだけの血液量が必要か……試してみたら良い。君自身の体が果たしてどれほどの血を提供できるかな?私の姿が現れるのと、君が失血死するのと、どちらが早いか勝負と行こうか!」


「僕の血だなんて……言っていません。あるじゃありませんか。そこに……血の詰まった皮袋がたくさん」


 低い声で言った直後、サヴァイヴは駆け出した。その視線の先にはハクアが殺した聖歌隊の死体が積み上げられている。


 サヴァイヴの行動の意図を察したハクアは、苦笑い交じりの声を発した。


「おいおい、そうくるか。なんて罰当たりな……。罪の無い聖職者の遺体をバラバラにして、その血で私を染めようというのかい」


「罰当たり?殺したのはあなたでしょう」


 感情の無い、凍てついた声色で、サヴァイヴは答えた。その瞳は抜き身の刃の如くギラギラと輝き、ただ真っ直ぐに死体を見つめている。


 ハクアが焚きつけるように言った。


「だからこそ君は面白い‼︎よろしい、試してみたまえ!」


 サヴァイヴは、手に持つメタナイフを死体に向けて振り下ろした。


「サヴァイヴ」


 呼ぶ声が、サヴァイヴの手を掴んで止める。サヴァイヴの手を掴んだそれは、先ほど心の中に湧き上がって来た暖かな塊と同質の何かであった。


「サヴァイヴ」


 呼ぶ声を見る。それは、銀色の瞳。ただジッと、サヴァイヴを見ている。サヴァイヴを非難するでもなく、応援するでもなく、ただジッと彼を見ている。そこには何も感情が無く、ただ見つめるだけであった。


 そしてその澄んだ瞳には、サヴァイヴ自身の姿が映り込んでいた。化け物の皮を被った人間の姿でもない、化け物の威を借りた人間の姿でもない、ただの化け物、一体の修羅と成り果てた姿がそこには映っていた。


「ん……?どうした」


 ハクアが訝しげな声を出した。気がつくと、サヴァイヴはメタナイフを鞘に納めていた。それは彼自身も無意識の行動。ふと顔を上げると、ハクアの姿が目の前に見えた。自身の手足を観察しながら、ハクアは言う。


「……時間切れか。優れた術というものは……往々にして制限がつきものだ」


 しかし今や透過能力が切れたからと言って、ハクアの有利は変わらない。『不可視の血判』は既に『ハクアが暁血を攻略するまでの時間稼ぎ』という役割を果たしたのだ。


「……で、君の暁血は、あとどれくらいの時間もつんだい?」


 ハクアは挑発するように笑った。その言葉に答えるように、サヴァイヴは納めたメタナイフを再び抜刀する。そして深く息を吐いて、心の中で呟いた。


(……危なかった……)


 自ら血の海に身を投げて、修羅の深淵に沈んでいくほどに、戦闘力は上がるが同時に理性を失い人の心を無くしていく。人の道を逸れる寸前でサヴァイヴを引き上げたのは、彼を支える腕と見守る目であった。モヤっとした、言葉に出来ない感情がサヴァイヴの動きを止めた。血塗れの刃を、鞘に納めたのだ。


 狂気の領域、修羅。今のサヴァイヴがハクアの進化を超えてこの戦いに勝つには、もう一度修羅となる必要がある。自身の心に宿した鞘を、確認するように胸に手を当てる。暁血の効果時間があとわずかであることを、サヴァイヴは感じ取る。覚悟を決め、再度彼は血の海へ身を堕とした。


 橙色の瞳は爛々と輝いて、狙いを定めるように敵を見据える。直後、ハクアへ肉薄したサヴァイヴは、怒涛の剣戟を繰り出した。


 傭兵団アルバトロスが使用する固有剣術『双刀剣オルトロス』。傭兵の中ではメジャーな剣術の一つである『クー・デイル』の派生形であり、手首のスナップを利用した独特の剣捌きで、敵を翻弄する。目の錯覚を起こさせて、刃が二つに分かれて見えると言う。


「その戦法も、もはや私の理解の範疇にある!私にそれは効かないよ!」


 素早く変則的に踊る刃を、ハクアは的確に受けきって、逆に隙をついて斬りかかる。しかし、戦いの高揚に身を任せ修羅となった今のサヴァイヴは、ハクアの鋭く正確な突きをも捌ききった。嵐のような速度と勢いで互いに繰り出される二つの刃が、それぞれの身にかすることすらなく金属音だけが合奏のように鳴り響く。


 聖堂のステンドグラスを通り抜けた陽の光が二人を色とりどりに照らし染める。サヴァイヴを追い込み壁際へ追い詰めたハクアが、刃を大きく横に払う。サヴァイヴは倒れ込むように体勢を下げてそれを避け、サヴァイヴを仕留め損なったその刃は背後にあった立派なオルガンの鍵盤を裂く。白と黒の破片が散り、オルガンは断末魔のようなアルペジオを奏でて砕け散った。その隙に起き上がり、ハクアの背後に回ったサヴァイヴは縦一文字にメタナイフを振り下ろす。だが直前で自身を狙う銃口に気づいて腕を止め、放たれた銃弾を弾き飛ばした。振り返ったハクアとさらに斬り合う。


 サヴァイヴの剣速を、ハクアの刃が超える。速度を上げたハクアの的確な突きを捌きながら、サヴァイヴ自身の剣の技量も進化する。互いが互いを超え合って、戦闘の次元が変わる。


 暁血の神速はやがて音を追い越し、人の目に映すことすら叶わなくなった不可視の剣は、その残像に実体を残していく。超神速と呼べるサヴァイヴの剣戟に合わせて、ハクアの動きも加速する。


 二人がただ動くだけで、振るう刃が空を切るだけで、空気は金切り音を上げ、足を支える地面は窪む。空間の振動に耐えかねたステンドグラスにはヒビが走り、サヴァイヴがハクアを斬りつけたその瞬間に一斉に割れた。


 刃と刃がぶつかり合うごとに、爆発にも似た音と衝撃が生まれ、周囲を破壊する。それは生身の人間同士の戦闘を遥かに超えた、化け物同士の激突であった。


 その最中、サヴァイヴの心はさらに血の海を沈んでいく。その過程で彼の脳裏に浮かんだのは過去の記憶の断片。黒髪長髪の男が、その細い目をサヴァイヴに向けて話している。


「古代の剣術の一つに……居合術というものがあるらしい。鞘から剣を抜刀する瞬間に相手を斬る剣術だとか。我々の使うメタナイフは抜刀の際に流体金属が硬化する過程があるから、この術は使えないんだけどね。でも、この居合術のような刹那の一瞬で斬り裂く技は、我々アルバトロスの用いる双刀剣にも存在する」


 話す男は、傭兵団アルバトロスの団長。サヴァイヴのかつての主であった。


「この技は……完全に使える者が一握りしかいない、非常に難易度の高い技だ。先天的に戦に対する高揚感を持つ者でないと到達できない修羅の領域……その領域に至って初めて、繰り出すことが出来る奥義だ」


「団長は、使えるんですか?」


 幼いサヴァイヴが問う。団長はにっこりと笑って頷いた。


「もちろん。……そして、君にもいつかこの技を習得して欲しい。君には、その素養がある。よく見ていなさい。実演してあげる」


 そう話した直後、団長の身体は暁色の光に包まれた。そしてその輝きは増していき、団長の身から放たれる気当たりもまた増幅していく。ただその場に立っているだけで、地面に亀裂が走り、空気が振動し始めた。サヴァイヴは驚いて、本能的に団長から距離を取る。


「これが……修羅の領域。暁血は、この領域に至る手助けをしてくれる。そして、この状態まで堕ちることで……技を行うことが出来る」


 そう静かに呟くと、団長は自身のメタナイフを構えて、近くの大樹に視線を向けた。


「我々アルバトロスの用いる剣術、双刀剣は、その変則的な動きによって刃先が二つに増えたと錯覚させる。この動きに、暁血の速度を組み合わせる……」


 サヴァイヴの振るう剣から生じる残像が、やがて虚像では無くなってゆく。速度の臨界点を超えたそれは、質量を伴ってハクアを双方向から挟み撃ちに襲う。


 サヴァイヴの脳内で団長が言った。


「『暁血アルバ』を発動した状態での『双刀剣オルトロス』は、残像が実体を持つ。この技を……我々はこう呼称する」


 サヴァイヴの刃が二つに分離し、ハクアを斬り裂いた。


 目の前の大樹を粉々に斬り裂いた後に、団長が技の名前を告げる。記憶の中のその声と重なり合わせるように、サヴァイヴはその名を呼んだ。


「『暁双刀剣アルバトロス

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