第4話〈乗船〉

 私の名前は『テイラー』。鳥である。前世は人である。


 我ながらスマートな名前を貰ったと思う。この名前の由来は『語り部テラー』をもじったものであり、決して鳥肉料理屋の名前から取られたものではない。少なくとも、私自身はそう思い込んでいる。そのほうが格好がつく。


 そんな私は今、名付け親である少年サヴァイヴの頭の上に留まり、海と港を区切る巨大な防壁の中から海を眺めていた。


 防壁の中はあらゆる業種の人間で溢れている。その中でも特に多いのが運搬業者らしき男達だ。布一枚の薄着で筋骨隆々とした身体つきがよく分かる。果物や野菜、干した肉から陶器まで様々なものがたくさん詰まった巨大な木箱を運び、小型のトカゲ船から港におろしたり、他国に運ぶ積み荷をトカゲ船に乗せたりしている。


 そんな働く男達が行き来する中、ムスタファとサヴァイヴ、アリスの三人は石造りのベンチのような横に長い椅子に座って何かを待っていた。


 ふと、唐突にムスタファが口を開いた。


「その昔、海は水に覆われていたらしい。超巨大な塩水の湖だったそうだ」


 サヴァイヴとアリスは、不思議なおとぎ話を聞くような表情でムスタファの顔を見た。それもそうだろう。二人が知る海は乾燥に覆われた巨大な塩の砂漠であり、水などとは全く縁のない代物なのだから。


「最近見つかった数千年前の遺物から、海に水があったことを示唆する文書が見つかったらしい」

「本当だとしたらすごいですね」


 サヴァイヴが興味深げに言った。一方アリスはこの手の歴史ロマン的な話にはあまり関心が無い様子で、辺りを行き来する人々に目を移していた。


「しかし、海が全部湖だったとしたら、水が不足することなんて無かったんでしょうね」

「だが、全部塩水だからな。飲めたかどうか」


 そんな話をするムスタファ達のもとに、一人の男が近づいてきた。紺色の燕尾服じみた礼服に身を包んだ、細身で背の高い男だ。帽子を深く被っており、顔はよく見えない。男はムスタファに対してお辞儀をして言った。


「船長。お待たせいたしました」


 爽やかな美声だ。またその声質から、まだ若い、青年と呼べる年齢であろうことが推測できた。足が長く、全体的にほっそりとしたスマートな体形だ。


 青年は、深く被った帽子を取り、我々に顔を向けた。そこには頬が痩せこけ目元が深く窪んだ骸骨のような恐ろしい顔があった。


「わっ」


 青年の顔を見たサヴァイヴが声を上げた。一方のアリスは特に表情を変えず声も出さなかったが、まじまじと青年の顔を見つめていた。


「驚かせてしまったかねえ」


 青年は痩せこけた頬を撫でつつ朗らかに言った。


「ちょっとした呪いの影響でねえ。初見だと驚く方が多いんだ」

「す、すみません……」


 謝るサヴァイヴに対し窪んだ瞳で笑いかけ、青年は言った。


「気にすることはないさ。ところで、君が噂の新入りかな」


 そう言いながらサヴァイヴの横に座るアリスを見た。


「いや、君『達』か。船長、新入りは一人ではなかったのですか?」

「ああ。良いのがいたからな。増えた」


 ムスタファはこともなげに言った。青年は苦笑いして言う。


「しかし、寝る部屋がありませんよ。一人分しか無いです」


 前にムスタファが言っていた「空きが一つしかない」という言葉は、あながち嘘でも無かったようだ。


「サヴァイヴはベンと同室で良いだろ。あの野郎に部屋一つは広すぎる」


「いや、私は良いですけどねえ。ベンの説得は船長ご本人でお願いしますよ」


 青年は呆れ顔で笑いつつ言った。


「……そのベンって人はどういう方なんですか?」


 サヴァイヴが不安気な表情で聞く。青年は頭を掻きつつ、その不気味な顔に笑顔を湛えてサヴァイヴを安心させるように、静かに言った。


「君たちの先輩さ。まあ心配することは無いよ。ちょっと口が悪くて破天荒な奴ではあるけど……」


 破天荒な奴だが心配するな。と言われて安心する者はまずいないだろう。しかもサヴァイヴはその男とルームシェアすることになるのだ。


 相変わらず心配そうな表情のサヴァイヴと、一貫して無表情なアリスに対し交互に手を差し出し握手をすると、青年は名乗った。


「私はトーマス・ストーンズ。一応、君たちの上司ということになるね。『トム』と呼んでくれ。よろしくねえ」


「トムさん。よろしくお願いします。サヴァイヴ・アルバトロスです」

「アリス。……です」


 名乗り返した二人にニッと笑いかけると、トムは帽子を深く被った。それから私を見ると、再びサヴァイヴに尋ねた。


「頭の彼の名前は?」

「あ、テイラーです」


 サヴァイヴは私の代わりに名乗った。本来、私が自分で名乗るのが礼儀だろうが、喋れないのだから仕方がない。代わりにお辞儀をしておいた。


 それからサヴァイヴ達はトムに連れられて防壁の中を歩き、船と防壁を繋ぐ木製の簡易的な橋の前にやって来た。


 防壁から延びる橋の先は、大トカゲの背中に背負われた巨大な石の建物だ。近くで見ると、宝石の原石のような所々透き通った色とりどりの石材が、薄く鱗のように重なり船の壁を構成している。その中に、各種食材や大量の水が次々と運び込まれてゆく。この橋は主に積み荷を運び入れる専用の橋らしく、乗客が使うものとは別のようだ。


 橋を渡り始める一行。すぐ横を、巨大な木箱を乗せた荷車が通った。その木箱の中から、何かが小さく呼吸するような音が聞こえた。


「色々な物を運ぶんですね……」


 すぐ横を通り過ぎた木箱に目を向けつつ、サヴァイヴが言った。


「ん?ああ。まあな。航海中は食いもんや飲みもんは手に入らないから、特にそいつらは多種多様に積んでおく。あと、もちろん薬草類なんかもそうだな」


 そうこう言っているうちに、船の入り口のすぐ前にたどり着いた。ムスタファは立ち止まり、後ろに続く新入り二人に体を向けて言う。


「いいか、この橋を渡り切ったら、お前たち二人は俺の船の船員だ。正式に俺の部下ということになるわけだ。だから、俺のことは『船長』と呼んでもらう」


 そうして船内に入ったムスタファに続き、サヴァイヴとアリスも船内に足を踏み入れた。そして二人はムスタファの顔を見上げると、交互に言った。


「了解しました。ムスタファ『船長』!」

「……船長」


 ムスタファは満足気にニヤリと笑うと、続けた。


「じゃ、俺はこれから色々と仕事がある。出航前だからな。船長は忙しいんだ。あとはトムの話を聞いて、上手くやってくれ。じゃな。がんばれよ」


 早口で言うと、ムスタファ船長は、速足で船の人ごみの奥へ行ってしまった。


「あれ?結局私がベンを説得するんですか……」


 トムが茫然と呟いた。


 そして、サヴァイヴとアリスは、速足で歩くトムに連れられて船内を奥へと進んだ。歩きながら、トムは二人に尋ねた。


「この船の中を歩いていて、何か気づくことはあるかい?」

「え?気づくことですか?」


 急に問われ、サヴァイヴは辺りを見回した。こんな曖昧な質問を急にされたら、誰だって焦るだろう。無論、私だって焦るし困る。


「……人が多いですね」


 サヴァイヴは見たままを言った。


「そうだねえ。特に、今は出航前だからね。皆仕事で大忙しだからね」


 トムは相変わらず速足で進みながら答えた。ふとその時、サヴァイヴの後ろを無言でついて歩いていたアリスが口を開いた。


「さっきからずっと歩いてる。……坂道になってるから?」


 つまり、階段が無いということだろう。トムは立ち止まってアリスを見た。どうやら正解だったらしい。アリスに笑いかけて言う。


「良い所に気が付いたね。この船は、巻貝のような形状をしているからねえ」


 巻貝と聞いてきょとんとした表情をする二人。それに気づいたトムは、懐から巻貝の貝殻を取り出して見せた。光の加減で所々虹色に輝く、美しい貝殻だ。


「これが巻貝。この船もこいつと同じように、螺旋状をしているんだ」


 この世界は乾燥に覆われた世界である。海には水が無く、湖や河川も非常に少ない。ましてやそんな湖に住む水生生物などなおさら貴重で、サヴァイヴとアリスが貝を見た事が無いというのも無理の無い話である。


 巻貝をしまい、トムは続けた。


「この船は全部で十の階層に分かれている」


 小さな紙切れに何かを書くと、サヴァイヴに渡した。アリスも覗き込む。そこには数字が書かれていた。


 6、5、4、3、2、1、C、B1、B2、B3


「Cと書かれている四段目の階層が『中央階層セントラルエリア』。それより下が『下部階層ベイスメントエリア』。上が『上部階層ナショナルエリア』。中央及び上部の階層がお客様の利用する階層。下が我々船員の階層さ」


「今いるのは何階ですか?」


 サヴァイヴが尋ねた。


「B1階層だよ。そして、ここから先がB2階層」


 ふと見ると、三人の前には石の門が立ちふさがっていた。


「螺旋状だからね。このように、階層と階層の間は壁で区切られているんだ」


 そう言うとトムは再び懐から虹色の巻貝を取り出し、その外側を指で弾いた。音叉を鳴らしたような長く響く音が出たかと思えばその直後、重く低い音と共に、石の門が開いた。


「ここから先が、我々船員の居住区になっている」


 門を超えると、その先には、通路際に複数の扉が並んでいた。トムがその扉の一つを開けると、その奥にも長く細い通路があり、やはり扉が並んでいる。その道を少し進み、やがて一つの扉の前で立ち止まった。『B-22』と書かれている扉だ。


 トムは、その扉を強く叩いた。だが、中からの反応はない。


「ベン!おいベン!居るんだろう?」


 そう言って扉を叩くが、やはり反応はない。


「ベン!ベンジャミン‼」


 やがて、何かがゆっくりと起き上がるような音が聞こえた。それから物が倒れる音がしたかと思ったら、直後、扉が開いた。出てきたのは下着一枚の無精ひげを生やした青年であった。


「なんすか?今は非番ですが?」


 くすんだ色の金髪をぐしゃぐしゃと掻きながら青年がぼやいた。


「悪いね。だがほら、前に話した君の後輩が来たから、紹介しようと思ってね」


 そう言いながらトムは、サヴァイヴとアリスを指した。ベンと呼ばれる青年は眠そうな目で二人を見ると、訝し気な表情になり言う。


「どっちっすか?」

「両方だよ。船長が一人多く連れてきたんだ」


 それを聞き、ベンは顔をしかめた。


「寝るとこが無いでしょ」

「そう。だから申し訳ないけど、少年のほうは君と相部屋って事になったから。よろしくねえ」


 トムはにこやかに、早口で告げた。


「はぁ⁉どういうことだよ?」


 声を荒げるベンを、トムがなだめる。


「悪いけどね。これは船長が決めた事だから……」

「やっと一人部屋になったばかりなんすよ?」


 二人の言い争いはしばらく続いた。その間、サヴァイヴはどうしたものか困ったような顔で一部始終を見守っていた。その隣でアリスは、少し飽きたのか眠そうな表情でぼーっと立っていた。


 やがて、深く長い溜息がベンの口から洩れると、彼は頷いた。


「あー、はいはい。もう分かりましたよ……。どーせ俺が文句言ったって、一度決めたことは変えねーんだ。あのオッサンは……」


 このベンという男、反抗的に見えて、意外にも物分かりが良いようだ。


 ベンは髪を掻きながら、新入り二人の顔を見て言った。


「ベンジャミン・ゴールドだ。お前ら、名前は?」

「サヴァイヴ・アルバトロスです」


 サヴァイヴが答える。


「ふーん。つかお前、戦えんの?」


 ベンの舐めた言葉を聞き、サヴァイヴは表情を変えた。先ほどまでの困惑顔とは違う、鋭い表情で一言、答える。


「ええ。あなたよりはね」

「ハッ。威勢がいいな」


 一瞬黄色い歯を見せて笑った後、今度はアリスのほうを見た。ベンの顎あたりを見ながら彼女は一言「アリス……です」と自分の名前を呟いた。


 ベンはしばらく物珍しそうにアリスを見ていたが、やがて笑って言った。


「ヘえ。『シルキードール』か」


 その言葉を聞いたアリスは、眉をひそめてベンを睨みつけた。横で見ていたトムも苦い表情になり言う。


「ベン。そんな言い方をするものじゃないよ」


トムに窘められてもなお、ベンは、悪びれもせずニヤニヤと笑っていた。


『シルキードール』とは、綺麗な銀髪を持つ者を指す言葉である。それだけ聞くと誉め言葉のようにも思えるが、そうではない。差別用語の一種だ。


その昔、美しく輝く銀髪は『絹糸の髪』とも呼ばれ、非常に高値で取引されていた。故に、そういった髪を持つ人々が家畜のように売買されていた時代があったのである。今はほとんどの国で違法とされているが、未だに裏で取引されることも多いそうだ。『シルキードール』という言葉はそういった歴史的背景が元となった呼称であり、それを面と向かって言うのは大変な失礼に値する。


「んで、この威勢のいい坊やと髪のきれーな嬢ちゃんが、俺の後輩だって?面白え話だよ」


「不満かい?」


 トムが聞いた。ベンは乾いた笑いを辞め、途端に真面目な表情になると首を振った。


「いーや、船長のお墨付きがあんのなら、こいつらの能力は十分なんだろうさ。ただ、問題は俺と上手くやれるかでしょう。現に、前来た後輩とは駄目だったし」


 ベンは髪を掻きながら言う。その表情は意外にも、不安気な色を帯びていた。前の後輩との間に、何があったのだろうか。そんな彼に対しトムは笑みを浮かべて言う。


「大丈夫。さっき会ったばかりだけど、この子達は良い子みたいだからね。仲良くやれるさ。前の彼は、かなり難しい性格だったし……」


 そう言って励ますとトムは、サヴァイヴとアリスの肩を叩き、囁いた。


「私もこれから仕事でね。行かなきゃいけない所がある。あとはベンの言うことを聞いてくれ。彼が、君達の直属の上司になるからね。ちゃんと話せば良いやつだから、仲良くやっておくれ」


「あ、はい……」


 サヴァイヴは答えた。アリスも無言で頷いた。トムはその骸骨顔で微笑むと、ベンの顔を見て言う。


「じゃあ、ベン。あとは頼んだ。この船の事や、君たちの仕事のことを教えてやってくれ」

「え?おい!」


 そのままトムは駆け足で行ってしまった。


 しばらく残された三人は黙ってその場で突っ立っていた。


 やがて、ベンはため息をつくと「まあ、入れよ」と言い、二人を部屋に招き入れた。


 中は七畳くらいのワンルームであり、あまり広いとは言えない。奥に置かれた二段ベッドがかなりのスペースを占めている。辺りにはゴミが散乱し、小型で木製のちゃぶ台を思わせるテーブルの上には酒の空きビンが転がっていた。また、室内全体的に煙草の臭いが充満しており、アリスは眉をひそめて鼻と口を手で覆った。


 ベンは小型テーブルの横にどかんと座り胡坐をかくと、サヴァイヴとアリスにも座るよう促した。サヴァイヴは正座をし、アリスは体育座りのような恰好を取った。


「……何から話すかな」


 ベンは髪を掻きながら呟いた。


「まあ、詳しい仕事内容は追々話すわ。まずは、こいつの使い方を教える」


 そういうと、ベンは懐から出した何かを投げた。サヴァイヴがキャッチして見ると、それは光を反射して虹色に輝く貝殻であった。トムが持っていたのと同じものだ。


「これは……?」

「『トンツー貝』の貝殻よ。指で弾くと、遠くまで響く音が鳴んだ」


 やってみろ、と促され、サヴァイヴは貝殻の表面を指で小突いた。先程と似た、音叉を思わせる小さく長い音が鳴り響いた。


「この音を使って、船内の人間同士で連絡を取り合うわけよ」


「この音で……?遠くにいる人は聞き取れるんですか?」


 サヴァイヴが訝し気な表情で言った。その横で、サヴァイヴから渡された貝を耳に当てていたアリスが呟く。


「……聞こえる」

「え?」


 ベンがアリスを見てニッと笑った。


「そーだ、そいつが正解だ。貝殻を耳に当てると、他の奴が鳴らした音を聞き取ることができんのさ」


 アリスから渡され、サヴァイヴは再び貝殻を手に取り、耳に当てた。先ほどとは少し違い、殻の表面が細かく振動している。


 不思議そうに貝の音を聞くサヴァイヴを眺めながら、ベンは話を続けた。


「貝殻の表面がなんかピリピリしてんだろ?他の奴が鳴らした信号を受けると、貝が細かく震えんのよ。それでどっからか連絡が来たなっつーのが分かるわけだ」

「なるほど……」


 貝殻を耳に当てたまま、サヴァイヴが呟いた。


「すごい道具ですね」

「だろ?だから、お前らにはまず、この信号の意味を覚えてもらう。音が聞こえても、何喋ってんのか分からなきゃ、意味ねぇもんな」


 ベンの話を聞きつつも、未だにサヴァイヴは貝殻を耳に当てていた。アリスがベンに問いかけた。


「今、鳴っている音はどういう意味なの……ですか?」

「あ?そうだな。貸してみな」


 そう言うとベンは、サヴァイヴから渡された貝殻を耳に当てた。


 瞬間、その目つきが変わった。表情が強張った。


「……なんて言っているんです?」


 静かに尋ねたサヴァイヴを横目で見つつ、鋭い目つきで答える。


「『緊急事態、即時集合』だ」

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