第13話〈中央客室のダンス・パーティ〉

 ソフィー号中央階層は、乗客の居住エリアの中では最下層に位置し、船と港の出入り口となっている。このエリアにある客室は最も安価であるため、所持金に余裕の無い者や、少しでも旅費を抑えたい者が滞在している。また、基本的に相部屋であるため、旅先の友を作りやすいと言う理由で好んで泊まる者も、もちろんいる。


 この中央客室には、乗客専用の食事部屋が二つある。それぞれ第一、第二食室と呼ばれ、前者は無料、後者は有料となっている。第一食室の無料というのは厳密に言えば無料ではなく、部屋代の中にその分の食費も含まれているということだ。船内で食料を購入する金が無い者でも食事ができるようになっているわけだ。


 一方、第二食室は有料、すなわち通常の飯屋と同じように、金を払えばその金額に見合う食事を食べることができる。全体的に価格は安価で、そのラインナップもシンプルなものが多くなっている。


 そんな第二食室の入り口の前に、サヴァイヴとアリス、リカの三人は立っていた。ゆっくりと木製の厚い扉を開くと、そこでは異国情緒あふれる陽気な音楽が演奏され、沢山の乗客達がそれに合わせて踊り騒いで酒を飲み交わしていた。


 サヴァイヴは中を見渡す。第二食室の中は、庶民的な酒場に近い雰囲気である。木製のテーブルやカウンターの他に、大きな樽が並び、その樽に料理や酒を置いたり、あるいは椅子代わりに腰掛けたりしながら酔っ払った乗客達が楽しそうに飲み食いをして歌う。中央には誰かが即席で作ったと思われる、板張りの小さなステージのようなものがあり、自信のある者がそこで踊り、観客達を沸かせていた。


「おや、君達も呼ばれたのですか。この『ダンスパーティ』に」


 『ダンスパーティ』という言葉に皮肉を含ませた、聞き覚えのある声がサヴァイヴとアリスにかけられた。見ると、そこにはなんとブルース・アスターラントが木製のジョッキを片手に立っていた。サヴァイヴは驚きの声を上げる。


「ブルースさん⁉あなたも来ていたんですか」


「ええ。まあ、こういう低俗な集まりは私の趣味ではないけどねえ」


 顎を撫でながら、彼は言う。確かに、参加していることが意外だ。基本的に上流階級の者達との交流を好み、こういう庶民的な宴には興味が無さそうなものだが。というか、彼の態度を見るに、実際興味は無いようだ。一体何をしに来たのだろう。


 私と同じ疑問を抱いていたらしいサヴァイヴが、ブルースに聞く。


「……なぜ、ここに?」


「彼に呼ばれたのですよ」


 ブルースは簡易ステージの上で軽やかにタップダンスを踊る人物を指した。赤毛の華奢な青年、エル・コリングだ。


「今日、偶然出会って少し話したのですが、彼も傭兵らしいからねえ。もっと色々と聞いてみたくてね」


 そう言いながら、手に持つジョッキに口をつけ、少し飲み、顔をしかめた。お金持ちのお坊ちゃんであるブルースの口には、ここの酒は合わなかったようだ。


「安酒……。ソルティ・リザードっていうやつか」


 そう呟いて、ブルースはジョッキを近くの樽の上に置いた。


「ソルティ・リザード……?」


 不思議そうに呟くサヴァイヴ。それに対し、ブルースは若干馬鹿にするようにフッと笑った。


「おや、知らないのですか……?船員なのに」

「知っていますよ。お酒の名前でしょう?」


 先ほどから黙っていたリカが、いつもの強気な調子を取り戻して語り始めた。


「ソルティ・リザードとは、バッカスゴードと芋を発酵させて作ったお酒に、塩を入れ混ぜたものです。ここで使われる塩は、肉や果物、野菜の塩漬けに使われたものが主に用いられますね。元々、トカゲ船の船員が安いお酒を少しでもおいしく飲むために編み出した手法で、ある地方で『船員』を意味するスラング『ソルティ・リザード』の名前がつけられたとか」


「……あなたも、この船の船員の方ですか。さすが、博識ですね」


 ブルースは軽く手を叩く動きをして言った。


「これくらい、常識です」


 サヴァイヴをジロッと見ながらリカは答える。サヴァイヴは苦笑いし、アリスは会話に興味を持たず、ずっと踊る人々を見つめていた。


 そんな四人のもとに、人ごみをかき分けて大柄な金髪の男が近づいてきた。


「おーい!やあ、皆さん!来てくれたんっすね、嬉しいっす!」


 そう言って、傭兵二人組の片割れ、カインズ・トロンハイムが笑いかけた。


「どうっすか、楽しいでしょう。まだまだ本番はこれからっすよ!」

「ええ、まあ……」


 困り顔で笑いながら言うサヴァイヴ達の手元を見て、トロンハイムはどこからか人数分のジョッキを持ってきた。


「皆さん飲んでないじゃないっすか~、そんなんじゃアガれないっすよ!ホラホラ、ぐっといってぐっと!」

「いや、私は結構」


 と、断るブルースだが、トロンハイムの耳には届かない。無理やりジョッキを押し付けられた彼は、眉を顰めつつ一口舐めた。


「君達も!さあ!」


 サヴァイヴとアリス、リカも渡される。三人とも十代なのだが、そもそもこの世界に飲酒の年齢制限は無い。子供が飲むと体に悪いからやめた方が良い、という暗黙のルールのようなものはあるが、法律などで禁じられてはいないのだ。なんなら、サヴァイヴの年齢である十六歳くらいなら、普通に飲む者は多い。


 だが、サヴァイヴは飲む気は無いようであった。渡されたジョッキを持ったまま、特に口をつける様子は無かった。一方、アリスは十四歳なのでサヴァイヴ以上にやめておいた方が良いのだが、興味深げに顔を近づけて匂いを嗅いでいた。そんな彼女からリカがジョッキを取り上げ、自分のものと共に近くの樽の上に置くと、毅然とした口調で「私たちは結構です」と断った。


「そーっすか~。ウマいのにねぇ~」


 などとぶつぶつ言いながら、自分のジョッキを一気に飲み干すトロンハイムに、サヴァイヴは尋ねた。


「ここにいる人たちは、皆さん中央客室の乗客なんですか?」


「まー、他のエリアの人もいるっすけど、ほとんどはそうっすね~」


 話を聞いていたブルースがフッと軽く笑った。サヴァイヴはジョッキの中身に一口だけ口をつけながら、辺りの人たちを見渡す。皆、飲んで食べて、歌い踊り、笑い合っている。恐らく大半がお互い初対面なのだろうが、まるで旧知の友人のごとく親しげに話していた。サヴァイヴは軽く微笑む。思いのほか悪くないかもしれない。こういうのも、偶には。


「……ま、あまり遅くまで騒ぎすぎないように。それと、羽目を外しすぎないようにしてくださいよ」


 リカが、まるで引率の先生のようなことをトロンハイムに言った。言われて彼は笑顔を返す。だが、すでにだいぶ酒が回っているようで、リカの注意をちゃんと理解できているのか怪しいところではある。


 演奏される曲は、やがてテンポの早いケルティック調のものに変わっていた。その途端、周囲から歓声が上がった。中央のダンスフロアで若い女性と踊っていたコリングが、踊り終えたその女性の唇にキスをしたのだ。女性はだいぶ酔っているようで、陽気に笑いながら黄色い声を上げ、倒れるように、低いステージを降りた。


 ステージから手を振っていたコリングの目が、こちらに向いた。彼は軽やかに近づいて来て、サヴァイヴに声をかけた。


「よ、来たんだねー同志!」


「同志じゃないです」


 サヴァイヴが顔をしかめて否定する。その様子にコリングは自身の赤毛を撫でつつニヤニヤ笑いながら「傭兵はみんな仲間!」と言うと、近くの樽に置かれたジョッキを手に取り、その中身を飲み干す。先程から紅潮していた顔がさらに赤くなる。


 ふと、サヴァイヴが何かを思い出したかのように目を見開くと、コリングに向かい言う。


「……傭兵って言いますけど、僕は正直、あなた達が傭兵だと言うことを信じていませんから」

「は?」


 飲む手を止めて、コリングがサヴァイヴを見る。サヴァイヴは、挑発するようにニヤリと笑った。


「だってあなた、傭兵にしては細すぎますしね。とても、戦えるようには見えない……」


 正直、サヴァイヴだって人のことは言えないと思うのだが、まあそれは今は良いだろう。コリングは空のジョッキを地面に捨てると、舌舐めずりをして、サヴァイヴを見つめた。


「……どうしたら、信じてもらえるかな?僕と一戦交えてみる?」


 その身体からは、殺気が滲み出している。サヴァイヴやアリス、それに先日の侵入者のそれと遜色ない強烈な殺気だ。この時点で既に、私から見たら傭兵であることは間違いないと思うのだが。


「サヴァイヴ?……二人とも、問題は起こさないでくださいよ?」


 何か不穏な雰囲気になってきたのを感じたリカが釘を刺すように言う。一方、その隣で無言で会話を聞いていたブルースは、何かを察したかのように頷くと、顎を撫でながら会話に入ってきた。


「……まあまあ。そんな物騒な話にしなくても、所属する傭兵団の名前を言えば済むことでは無いですか?」


 サヴァイヴとコリングは揃ってブルースの顔を見る。それから、サヴァイヴはまた軽く笑うと「僕は良いですよ、それで」と言って、自分の傭兵団を告げた。


「傭兵団『アルバトロス』。その唯一の生き残りです」

「『アルバトロス』!あの……?」


 トロンハイムが驚いたように呟く。コリングは少し不機嫌そうに半目でサヴァイヴを見ていたが、唐突に口を開いた。


「僕は、傭兵団『……」

「はい!ストップ‼︎」


 そう叫んで、トロンハイムが口を塞ぐ。それから暴れるコリングを抑えながらトロンハイムは愛想笑いをサヴァイヴ達に向けた。


「いやあ〜、ごめんなさいね。実は今、訳あって、団の名前明かせないんすよ。勘弁してほしいっす」


 そう言いながら、抑えていたコリングを離した。コリングは不満そうな顔でサヴァイヴを見つめた。サヴァイヴは「そうですか、それなら仕方ないですね」と言うと、懐から自分のメタナイフを取り出した。その鞘にはオリーブの装飾が施されている。


「よく考えたら、所属傭兵団の名よりもさらに確実な証明方法があるじゃないですか」


 そう言いながらサヴァイヴはメタナイフを二人に示した。なるほど、メタナイフは傭兵専用装備。これを持っていることが、すなわち傭兵であることの証明になり得るのだ。


 コリングはニヤッと笑うと、首元から服の内側に手を入れて、メタナイフを取り出した。荊の蔓と鳥の翼のような装飾が施された鞘に収まっている。見せてすぐしまうと、「これで信じたか?」と一言聞いた。サヴァイヴは軽く頭を下げた。


「……いや、疑ったりしてすみませんでした」


 それを見てコリングは満足げに笑う。トロンハイムが彼の肩を叩き、「気分直しにまた踊ってきたらどうっすか?」と笑いかけた。コリングは無言で頷くと、サヴァイヴの傍にいたリカにウインクした。


「ね、一緒に踊ろうぜ」


 そう言って、リカの手を引いた。リカはぎょっとした表情になり、手を払おうとしたが、コリングは離さない。


「わ、私は結構です!踊りなんて苦手ですから!」

「つれないねえー。大丈夫だって!僕が手取り足取り教えてやるから!楽しいよ」


 詰め寄るコリングの腕をアリスが掴んで、リカの手を離させる。


「……離して。嫌がってる」


 男前に、はっきりとした口調で言うアリス。その瞳はジッとコリングを凝視していた。コリングは若干低い声になり、薄く笑う。


「へえ。じゃあ、キミが相手してくれんの?」

「……望むところ」


 アリスが答える。それを聞いたサヴァイヴが「えっ」と呟いて彼女を見た。コリングはニヤリとして言う。


「僕、幼女は趣味じゃないからさあ」


 それを聞いたアリスは、表情で明確に不快感を示した。アリスはあどけなさのある顔形ではあるが、それでも『幼女』と言うほど幼くは無い。なんなら、リカとも一歳しか違わないのだが、コリングの中の年齢判断はどうなっているのだろうか。十四歳と十五歳の間に何か大きな壁でも聳えているのだろうか。


 アリスはコリングの顔を睨みつけると、軽やかに地面を蹴ってステージの上へと上がった。新たな踊り子の登場に湧く観客たちを尻目に、テンポの早い音楽に合わせて体を回転させた。白銀のポニーテールが美しくなびく。


 両の手を広げて滑らかに動かしつつ、地面を蹴って高く跳び、空中で縦に一回転。直後、着地と共に低い姿勢で大きく足を回し、ブレイクダンスを思わせる動きで体を起こして腕を複雑に艶めかしく動かしながら、またくるりと回った。体を激しく動かし、回転し、跳ぶたびにきらめく銀髪が効果的に、見る者の視線を鷲掴みにする。


 周りの歓声は大きくなり、曲の演奏もよりテンポ良く、ノリの良いものになっていく。その曲調に合わせて、アクロバティックで華やかな、全身を華麗に使った踊りでアリスは人々を魅了する。その動きの激しさの割に息を切らす素振りは一切ない。だが、その頬は薄く紅潮しているようであった。リカが、ジョッキの中の匂いを嗅ぎながら「まさか、香りだけで……?」と呟いた。


 サヴァイヴとブルースの目線もまた、アリスの舞に釘付けになっていた。


「……美しい。彼女、古流武術『ガルダ』の使い手ですね?」


 ブルースが顎を撫でながら、高揚を露わにして呟く。それに対し、サヴァイヴはアリスから目を離すことなく無言で頷いた。


「『ガルダ』?」


 リカが小声で聞いた。サヴァイヴが説明を始める。


「古流武術『ガルダ』は、傭兵の戦闘術の一つ。習得難易度が高いから、今は、使用者はほとんどいないけど……。元々、木の多い森などでの戦闘を想定されて出来た術だから、地面や壁を蹴って飛び回る、立体的な動きが特徴的。そしてこのガルダの基礎技術はダンスの形で代々伝承されていると言われているんだ」


 だからこそ、その使い手であるアリスは、基礎技術の含まれるダンスも得意としているわけだ。リカが小さく頷いた。


「……なるほど。さすが傭兵、よく知っていますね」

「これくらい、常識だよ」


 そう言ってサヴァイヴはニヤッと笑った。リカはフンッと小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 やがて踊りを終えたアリスに、万雷の喝采が降り注ぐ。コリングもまた、ゆっくり拍手をしながらステージに上がって、アリスに近づいて言う。


「やるね。見くびっていたよ。顔も可愛いし、あと二、三年くらいしたら相手してやっても良いかな」


 その言葉に対し、アリスは馬鹿にするようにベーッと舌を出して答えた。コリングは、さらに顔を突き出して、アリスに近づけた。


「……キミみたいな子の死に顔が一番興奮するんだよね。傭兵だよね?ぜひ、戦場でもお相手したいなあ……」


 口元は相変わらずニヤニヤと笑っていたが、目は笑っておらず、ひたすらにアリスを見つめている。……いや、むしろ、心の中はこれまでで一番高揚しているようにも見えた。


 コリングは、唐突に「あははははは」と声を上げた。かと思ったら、いきなりバタンと後ろに倒れた。サヴァイヴとリカは驚いてステージに上がり、コリングの様子を確認する。彼は、その赤毛と同じくらい真っ赤になって、ぐっすりと眠っていた。リカが安堵の溜め息をつく。


「まったく……」


「いやあ、ごめんなさいね。いつものことっすから!」


 そう言って笑いながら、トロンハイムがコリングの体を引きずってステージから下し、近くの樽に寄りかからせた。コリングはずっと、気持ちよさそうに眠りこけている。


 サヴァイヴがステージ上から見渡すと、コリング以外にも、何人か酔いつぶれて眠る者、地べたに倒れこむ者もちらほら見られた。リカがパンッと手を叩いてパーティの参加者たちに言う。


「はい!皆さん。もうだいぶ長いことやっているでしょう?そろそろお開きにしてください!」

 素直に従い、退散の準備を始める者。名残惜しそうに、不満げにブツブツ言いながらも部屋を出て行く者、また、特に終わらせる様子は無く、依然飲み続け騒ぎ続ける者、十人十色ではあるが、少しずつ、先ほどと比べると人の数が少なくなっていく。


「……では、私もこれで」


 そう言うとブルースは、サヴァイヴ達に軽く手を振った。コリング達から傭兵の詳しい話を聞くことが出来なかったと不満そうな様子で、彼は第二食室を後にした。その後ろ姿を見届けながら、リカがサヴァイヴに言う。


「私達も、帰りますか」

「そうだね」


 その時、サヴァイヴの横で眠そうな顔でボーッと立っていたアリスが、唐突によろめいてサヴァイヴに体を寄せた。


「うわっ、アリス?」


 戸惑いの声を上げながら、サヴァイヴはアリスを支える。彼女は頬を赤らめて、小さく寝息を立てつつ眠っていた。リカが彼女の肩を支えて言う。


「疲れちゃったんでしょうね。慣れないお酒の匂いも嗅いでしまいましたし」


 それから少し微笑んで、小さく呟く。


「……ありがとうございました。アリス」


 そうして、アリスを連れてステージを降りるリカ。サヴァイヴもその後に続こうとしたその時、ステージから目に入った一人の女性に、サヴァイヴは違和感を覚えたようだ。


「サヴァイヴ?」


リカの声を後ろに、サヴァイヴはステージを降りてすぐに人ごみをかき分けると、壁に寄りかかる女性のもとに向かった。


その女性は、先ほどコリングと一緒に踊っていた女性であった。コリングやアリスのように眠っている……ように見えるが、何かおかしい。大きないびきをかいて、呼吸が苦しそうに見える。さらにその顔色は、真っ青で血の気が無かった。


「あの、大丈夫ですか?大丈夫ですか!」


 女性の体を揺らし、声をかけるサヴァイヴ。だが女性は反応しない。意識が無いようであった。アリスをそっと寝かしたリカもまた駆け寄ってくる。


「サヴァイヴ!揺らしてはいけません!」

「ど、どうしたら……」


 焦りの表情をサヴァイヴに向けられ、リカも言葉に詰まる。そこへ、一人の青年が駆け足で近づいて来た。


「横向きに寝かせろ!頭を後ろにそらして、気道を確保する」


 そう言って、女性の体を横向きに倒すと、彼女の頭を動かし、足を曲げさせた。『回復体位』というやつか。それから青年は、リカの方へ振り向き、さらに指示を出した。


「この船にも、医療設備はあるだろ、そこへ運ぶ!誰か人を呼んで来い」

「わ、分かりました!」


 返事をして、リカは駆けて行った。さらに青年は、第二食室のカウンターに向けて「ビッテゥルカクトの果汁を絞って、あるだけ持ってこい!」と叫んだ。『ビッテゥルカクト』とは、多肉植物の一種で、多くの水分を含むがその味は渋苦く、食用には適さないと言われている。基本的にその汁は食品を煮たり、消毒したりするのに使われるのだが、今は背に腹は代えられない。恐らく、水分補給とビタミン補給を兼ねているのだろう。


 的確で素早い判断を行い指示をする青年に、サヴァイヴが問う。


「あ、あなたは一体……?」

「レイモンド。医者だ!」


 名と職を告げる青年。黒髪に濃い褐色の肌、さらにサヴァイヴの方に向いた彼の目は、世にも珍しい虹色の瞳であった。それから、リカの連れてきた応援に手伝ってもらい、サヴァイヴ達は第二食室から女性を運び出し、ドリュートン先生のいる医務室へと向かった。


 そのような騒動を、うつらうつらと眠そうな表情をしたコリングが、樽に寄りかかり赤毛を掻きながら遠目に見つめていた。それから、彼はまた眠りの世界に落ちて行ったようであった。




 

 赤毛の青年、エル・コリングは眠りに落ち、夢を見ていた。それは、このソフィー号に乗船する前の光景だった。港近くの酒場にて、上司から指示を受けている時であった。


「良いかい、俺達の任務は、あのソフィーズなんとか号に例の薬があるのかどうかを確かめることさ。それともう一つ、その薬の製法を知っているとかいう医者を見つけ出し、始末する」


 コリングの上司である、プラチナブロンド短髪のどこか品のある顔をした青年が、仕事の内容をゆっくりと告げる。それに対し、コリングが尋ねる。


「……でもさ副隊長、そんなのどうやって探すんだよ?薬なんか運んでるって言ったって、あるとしたら貨物庫とかで、客は入れないんじゃないの?」


「その通りさ、クレバイン」


 副隊長と呼ばれたその上司の青年は、コリングのことを『クレバイン』と呼び、さらにコリングの隣に座る人の良さそうな顔をした金髪大男にも言った。


「ペンタチ、クレバイン。お前達二人は、乗客として潜入。俺からの指示を待つのだ。俺は、貨物庫に潜り込む。薬の存在を確認したら、何らかの形でお前達にそれを伝える。そしたらお前達は、他の船に潜入している奴らに、薬の所在を伝えるのだよ」


「何らかの形って、具体的に何すか?」


 『ペンタチ』と呼ばれた金髪男が、不安そうに尋ねる。副隊長はニヤリと笑った。


「……そんなもの、状況によるだろう。だが、船内で俺のほうからお前達二人にコンタクトを取ってきたとしたら、それがどんな形であれ、『薬があった』というメッセージと捉えるのさ。良いな?」


「りょーかい」


 コリング……もとい、クレバインは小さく頷いた。それから、テーブルの上のジョッキを飲み干すと、別の話題に移った。


「それと、もう一つの任務、なんだっけ?製法を知っている医者を殺るとか?なんて名前なの」


「『レイモンド』」


 副隊長は静かに言った。クレバインとペンタチが、意外そうに目を見開く。副隊長は二人の表情をニヤリと笑って見ていた。


「覚えやすい名だろう?だが、これはお前達の仕事じゃあ無い。また別さ。とにかく、今は自分達の任務に集中しろ。良いな……?」


 そう言って、副隊長は、任務の成功を祈るように、ジョッキを掲げた。クレバインとペンタチもそれに続き、三人は共に酒を飲み干した。

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