第52話〈柑橘香の援軍〉

 瞳を開けると、木製の天井が目に映った。暖かなベッドに横たわっていることに気づいた青年は衝動的に体を起こしたが、左肩に激痛を感じてまた倒れる。


「痛っ……。クソっ、どこだ、ここは?」


 くすんだ金髪を掻きながらぼやいていると、部屋の扉が開いて、栗色の髪の少年が部屋に入って来た。


「ベンジャミン・ゴールドさんですね?気が付いたようで良かった。結構危ない状態だったんですよ」


 そう言って爽やかに笑いながら、傍にある木製の椅子に座る。サヴァイヴと同い年ぐらいに見えるその少年は、手に持っていた果実をクルクルと指で回したかと思うと、懐から出したナイフで皮をむき、尖った山のような形の絞り器に押し付けて果汁を絞り始めた。ベンジャミンは包帯の巻かれた左肩を手で抑えつつゆっくり上体を起こすと、記憶を掘り起こすように目を動かしながら少年に尋ねた。


「確か、俺は……ガルザヴァイル・エシャントと戦っていたはずだが……そうだ、アイリスは……セトラは、どこだ?二人は無事なのか⁉」


「落ち着いてください」


 興奮するベンジャミンに対し、酸味の強い果実のしぼり汁を木製カップに注ぎながら、少年はゆっくりと答える。


「あなたと一緒に倒れていた女性と、少年のことであれば、無事です。安心してください」


 その言葉を聞いたベンジャミンは深く息を吐き出し、心臓部に手を当てる。それから先ほどよりは多少落ち着きを取り戻した声で少年に尋ねた。


「ここは……どこなんだ?あとあんたは誰だ?」


「ここはプエルトフォルツの医療機関です。私の名はシヴァルリィ・B・E・ロビン。傭兵団『エレヴェイテッド・ロビン』第一大隊、第一進攻部隊所属の傭兵です」


 そう言ってまた爽やかに笑うと、木製カップをベンジャミンへと差し出した。


「ベンジャミンさん、私達はあなた方の味方です。あなた方の運ぶ治療薬は、元々我らが祖国クラフトフィリアがこの国へと送ったもの。それが悪しき者達の手に渡りかけていると聞きつけたので、我々E・ロビンが駆けつけたのです。目的は、ブラックカイツとその背後にいるC・レイヴンを叩く事。……しかし、来るのが遅くなってしまった。申し訳ありません。我々がもう少し早く着いていれば、あなたもこのような深手を負わずに済んだものの……」


 悔し気に言いながら、少年は頭を下げる。ベンジャミンは受け取った果汁をひと舐めした。


「酢っぱ‼……あんたに謝られる筋合いはねぇよ。俺らは俺らの仕事をしたまでだ。……にしても……」


 そこまで言って、ベンジャミンは口を閉じた。命の恩人に対して自分の心中を明かすのが憚られたからだ。


 国政評議会とクラフトフィリアとの間に密約があった。ブラックカイツの危惧していたように、政府が大国の傀儡であるというわけでは無いにしろ、クラフトフィリアとのパワーバランスを考えれば当たらずとも遠からず。フォルトレイク国民の一人であるベンジャミンからすると、大方予想していた事ではあるものの、どうしても複雑な思いを抱かざるをえなかった。そんなベンジャミンに対して少年、シヴァルリィが尋ねる。


「つかぬことを伺いますが……あなた方ソフィー号の船員の中に、元傭兵の者がいると聞きましたが?」


「ああ。いるけど……」


「それが、サヴァイヴ・アルバトロスだと言う話は本当なんですか?」


 身を乗り出して聞いてくるシヴァルリィに対し、ベンジャミンは少し驚いたように言う。


「あんた、サヴァイヴを知ってんのか?」


「もちろん!やはり、噂は本当だったんですね!ついに見つけた……!」


 喜びの声を上げて、シヴァルリィは何もない空間に向けて独り言のようなものを呟く。


「ああ、そうさ。やっぱり私の考えは正しかったよ。そうじゃないか?どうだい、我々は運命で結ばれた、無二の戦友なんだ!サヴァイヴ・アルバトロス!再開の時は近い!」


 そう言って高らかに笑うシヴァルリィの姿を、ベンジャミンは困惑気味に見つめていた。





「少し、遅かったかしら?」


 フォルトレイクの首都であるルトレの隣にあるマクロの町。その外れに存在するブラックカイツのアジトの前で、負傷し座り込むエグゼと、治療を行おうとする憲兵達の元へ少女が近づいて来て声をかけた。布袋に包まれた長い何かを背負った少女だ。エグゼはその顔を見上げると、眉をひそめて小さく唸る。


「貴様……バイオネット・マキシミリアンか。なぜここにいる?」


「お久しぶり。エグゼ・リヒター」


 少女はニヤリと笑って答えた。


「私の名前、憶えていてくれたのね。光栄だわ。でも……」


 カールのかかった長髪を指で弄りながら、彼女は補足するように続ける。


「でも、正確には違う。今の私は、バイオネット・M・E・ロビン。一応、傭兵団『E・ロビン』の一員よ。第一大隊第一進攻部隊所属の特別契約隊員ってとこね」


「なんだと?」


 エグゼは驚きの声を上げると、忌々しげに舌打ちをした。


「元々、気に食わない奴ではあったが……まさか、傭兵団に入るとはな……恥を知れ、処刑人の面汚しが」


「おかしなことは無いでしょう?傭兵団に入れば、効率的にたくさんの罪人を捌くことが出来る。理にかなっているわ。……それに、誤解しないで欲しいのだけれど、私は戦場に行く気はない。私のE・ロビンでの仕事は、平時における本国の治安維持に限る。そういう契約よ。つまり私は、クラフトフィリア王国に従い、国の法に則って処刑を執行するの。あなたのような野良の処刑人と違った、合法な存在」


 話しながら、バイオネットは懐から橙色の果実を取り出し、エグゼへ差し出した。


「いる?」


「いらん」


 そのエグゼの答えに反し、彼女は手に持っていた果実をエグゼへ放る。エグゼは渋々キャッチしようと手を伸ばしたが、途端に傷口から鋭い痛みが走り、顔を歪めた。果実は地に落ち、少し転がった。


 その姿を見て、「思ったより重症なのね」と呟いて果実を拾い上げると、バイオネットは近くに倒れている首の無いペンタチの死体へと目をやりながら背後の傭兵達に指示を下す。


「あなた達は、この罪人の遺体を運んで。そこのあなたは、この手負いの処刑人さんを手当てしてあげて。ちゃんとした、手当をね」


 エグゼの傷に応急処置を施していた憲兵が、少し眉を顰めてバイオネットを睨んだ。


「私達の方が、まともな治療器具を持ってるから」


 そう言って、エグゼを見下ろしてクスクス笑うと、彼女は果実を懐にしまった。


「動けるようになったら、首都へ向かいましょう。あなたのお仲間が、待っているそうよ」


 からかう様な口調で言うバイオネットを見上げ、エグゼはまた大きく舌打ちをした。

 




 フォルトレイクの首都ルトレ。その街の中でもひときわ大きく聳え立つ大聖堂の中で、サヴァイヴとハクアが血塗れで横たわっている。


 そこへ一人分の足音が、男の声と共に近づいてきた。


「素晴らしい戦いだったなあ。特等席で見させてもらったよ」


 その声を聞いたサヴァイヴの全身から、血の気が引いた。それは、聞き覚えのある声だった。かつて辛酸を嘗めさせられた敵の声。ソフィー号への侵入者、ヘルシング・バザナードのものであった。


「なぜ……ここに⁉」


 かすれ声を上げるサヴァイヴに対し、バザナードは静かに答える。


「落ち着きなよ。ただの回収係さ。隊長を連れて帰る……そのためだけに来たのだよ」


 言いながら、ハクアの元へ近づいて動かないその体を担ぎ上げた。その姿を警戒しつつ見つめながら、サヴァイヴは問う。


「僕らの戦いを……見ていたんですか?」


「ああ。そうだよ」


「……なぜ、レイモンドさんに加勢しなかったんです?」


 当然の疑問に対し、バザナードはこともなげに答えた。


「隊長がせっかく戦いを楽しんでいると言うのに、水を差すことなどできないさ。それに、どちらにしたって俺達の仕事はもう不成功に終わっているからね」


 サヴァイヴはよく分からない様子で眉をひそめた。バザナードは捕捉するように続ける。


「さっき君が言っていた通りさ。薬が病院に渡った時点で……俺達の負けなのだよ」


 そう説明されてもなお、サヴァイヴは納得がいっていなかった。心に残る疑問を口にすべきかどうか迷っている様子であったが、やがて意を決して尋ねる。


「……先ほどレイモンドさんも言っていましたが……病院を襲撃して薬を奪うことも可能なのでは?」


 この問いは、サヴァイヴにとってはかなりの賭けであった。もし実際にバザナードがそれを実行しようとすれば、今のサヴァイヴにそれを止める手段は無いのだから。


 しかしバザナードはその通りに動き出すことは無く、小さく笑い、言った。


「隊長が、そのようなことをするわけが無いだろう?」


 サヴァイヴは少し驚いたように目を開いてバザナードを見た。バザナードはニヤッと笑って続ける。


「隊長は、傭兵であると同時に医者だ。患者や同業者の命を奪ってまで薬を手に入れようとするわけが無い。そういう人なのだよ。口ではああ言っていたが、隊長に病院襲撃などできない……それに……」


 一瞬、自身の背後に警戒するような視線を向けた。


「……厄介な連中がこの国に来ている。君達にとっては援軍かな。俺達はすぐにこの場を離れなければならない。幸運か、不運か、もしまた会うことが出来たならば……その時は覚悟をすることだね。俺達と共に歩む覚悟か……俺達に殺される覚悟か、どちらか」


「……待て‼……待ってください。シーナは……シーナはどうしたんですか?」


 サヴァイヴが問い詰める。バザナードはニヤリと笑った。


「案ずるな。無事さ。無傷で、健康体。良いことだ」


 そう言って手を振りながら、ハクアを担いだバザナードは教会から去って行った。


 辺りはしばし無音に包まれた。だがやがてその静寂を破るような羽ばたきの音がサヴァイヴの耳に聞こえてくる。サヴァイヴのすぐ近くに降り立ったそれは、色彩豊かな翼を持つ鳥のテイラーであった。


「テイラー……あの黒い鳥に勝ったんだね。無事で良かった」


 サヴァイヴの呟きに答えるように、テイラーは小さく頷いた。


「……僕は……勝った……のかな?」


「おう、おめぇの勝ちだぜ。少年!」


 たくさんの足音と共に、屈強な一団が教会に入って来る。その先頭に立つ、大きなカウボーイハットを被った小柄な青年が、両手を大きく広げて拍手をしながら、「やァやァやァ!」と言ってサヴァイヴの傍に近づいて来ると、横たわる彼に手を差し出した。


「おめぇがサヴァイヴ・アルバトロスか!シヴァルリィから話に聞いてっぜ~戦場ですっげー強かったってよ」


 顔をすっぽりと覆うハットの陰から、青年の大きく笑う口が見える。差し出された手を取り、ゆっくりと上体を上げたサヴァイヴは、青年とその背後に控える集団に目をやり、若干怪しむような表情で尋ねる。


「あなたは……?」


 青年はニッと笑うと、ハットを外して顔を見せた。暗い銀色の短髪が特徴的な、童顔の無邪気な顔が表れた。


「おれぁ、マルコシアス・E・ロビンってんだ。マルコって呼んでくれよ。エレヴェイテッド・ロビン第一大隊の、第四進攻部隊っつーとこで部隊長をやってんだ」


 青年、マルコシアスは輝く笑顔をサヴァイヴへ向ける。サヴァイヴは少し驚いたように目を見開いた。


「E・ロビンですか⁉なぜここに⁉」


「この国の、国政評議会から要請があったんだよぉ。ブラックカイツと、C・レイヴン第十三番部隊を止めろってな。おれらクラフトフィリアはフォルトレイクと密約を結んでんだ。フォルトレイクの水資源を優先的に我が国に輸出する代わりに、有事の際にはE・ロビンが国政評議会に加勢するってよぉ」


 説明をしながら部下に指示を出し、サヴァイヴを運び出して外に待機させてあった馬車へと乗せた。


「おめぇらソフィー号の仕事についても聞いてっぜ。よーくやってくれた。これからおめぇを国営病院へ連れていく。そこで仲間たちも待ってっぜ」


「皆、無事なんですか⁉薬は……届きましたか⁉」


 サヴァイヴの必死の問いかけに対して、マルコシアスは尖った八重歯を見せて太陽のような笑顔を浮かべた。


「完璧だ!おめぇらの仕事は、大成功だ!」


 その言葉に安堵の表情を浮かべたサヴァイヴは、そこで緊張の糸が切れたのか、そのまま意識を失い、深い眠りについた。


 寝息を立てるサヴァイヴのすぐ横に黄色い果実を一個置いた後、マルコシアスは部下に馬車を進めるよう促した。





 私の名はテイラー。鳥である。前世は人である。


 国政評議堂でのアリスとクレバインとの死闘が終わり、クレバインがその場を去った直後、逃げまどうブラックカイツ団員とそれを追う第一憲兵隊との間で軽い撃ち合いが行われていた。アリスは憲兵隊に加勢してブラックカイツの団員達を一人ずつ気絶させていたが、そんな最中に、五十人を超える大所帯の一団がどこからか現れて、瞬く間にブラックカイツを制圧してしまった。


 それが世界最大の傭兵団『E・ロビン』の者達であった。私とアリスは彼らと共に治療薬の運び先である国営の医療機関へと移動し、ドリュートン先生とリカと合流した。


 そこで、サヴァイヴが白翼の死神と戦うため大聖堂へ向かったという話をリカから聞いた私は、E・ロビンの小柄な部隊長と共に大聖堂へ向かい、サヴァイヴを見つけ出したのだ。


 そして今私はアリスと共に、国営の医療機関にてベッドに横たわり眠るサヴァイヴを見ていた。

木製の椅子に座ったアリスは私を膝に乗せて抱っこしながら、何も言わずにジッとサヴァイヴを見つめている。


「サヴァイヴ……負けたのかな」


 独り言のようなアリスの言葉に対し、私は首を横に振った。サヴァイヴが負けたはずはない。もし負けていたならば、命は無かったはずだ。彼は、ハクアに勝ったのだ。私はそう信じている。


「もし負けていたとしたら……きっと落ち込んでいる。慰めてあげなくちゃ」


 アリスはまた独り言をつぶやき続ける。何故かアリスの中では、サヴァイヴが負けたという方向で話が進んでいるようであった。私はまた首を横に振って否定した。


「……どういう負け方したと思う?……それによって……慰め方が、変わって来る……」


 アリスが私に問う。私はひたすら首を横に振り続けた。しばらく無言のまま時が流れた。やがてアリスは、どうやらただサヴァイヴの寝顔を見ていることに飽きてきたらしく、枕元に置いてある黄色い果実を手に取り、顔に近づけて香りを嗅いだ。果実の香りは私の鼻にも入って来る。柑橘系の、爽やかな香りだ。


「……サヴァイヴ、起きないのかな。起こしちゃ、だめかな」


 そう言ってアリスは、手に持った果実を寝るサヴァイヴの頬に押し付けた。しばらくそのままグイグイと押し続けていると、やがてサヴァイヴの表情が歪んできて、口元からはなにやら呻き声が聞こえてきた。よく分からないが、悪夢にうなされているようだ。


 しばらくして、サヴァイヴの目がゆっくりと開いた。赤い瞳がぐるりと動いて、頬に押し当てられている果実に向けられる。


「……?」


 口をポカンと開けつつ、サヴァイヴの視線は果実を持つ手へと移り、そのままその手の主であるアリスの顔へと移った。


「……アリス、何してるの……?」


「目が覚めた。良かった」


 そう言ってニッコリと笑ったアリスは、サヴァイヴの頬から果実を離して、枕元に置いた。それから再度サヴァイヴをジッと見つめて、尋ねる。


「……大丈夫?元気を出して」


「え、ああ、うん」


 サヴァイヴはきょとんとした顔でアリスを見返した。アリスは励まし続ける。


「負けたからって、あなたが弱いわけじゃない。敵が強すぎただけのこと。あなたは弱くない」


「うん……あ……ん?え?何?」


 サヴァイヴは困惑気味に眉をひそめてアリスを見た。アリスはまだまだ続ける。


「……負けたってことは、敵に比べて、サヴァイヴの方が弱かったってことだけど……でも、問題ない。サヴァイヴは敵より弱かったけど……問題ない。きっと、どこかには、サヴァイヴより弱い人は絶対いるから、大丈夫。まあ……私は、強いけど……。でも、大丈夫。サヴァイヴは、弱くない。大丈夫。……でも今回負けちゃったってことは敵よりは弱いってことだけど……サヴァイヴより弱い人は、世界中のどこかにはきっといるから……弱いからって、落ち込まないで」


「えっと……それは、慰めているの?煽っているの?」


 サヴァイヴが呆れ顔でアリスに尋ねた。アリスは真剣な表情で答える。


「慰めてる」


「そう……ありがと」


 苦笑いを浮かべながらも、サヴァイヴは礼を言う。それから少し自慢げな表情になって、アリスに告げた。


「でも、実は僕、負けてないんだよね。つまり、レイモンドさんに勝ったってこと。どう?意外だった?」


 アリスは目をまん丸くして、ぱちくりとまばたきをした。それから穏やかに笑った。


「レイモンドさん……弱かったんだ?」


「違うって!僕が強かったの!」


 サヴァイヴは強く主張した。それを見たアリスは可笑しそうに笑いながら、枕元の果実をまた手に取って差し出した。


「じゃあ……この任務は……私達の、勝ち?」


「そうだね。そうだと思う。僕達の、勝ちだ」


 そう言ってサヴァイヴは、アリスから果実を受け取り、また笑った。私は傍らで首を縦に振って頷いた。

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