第29話〈翡翠色の髪の女性〉
「サヴァイヴ?……サヴァイヴ!」
ゴルダの町の中心部の大通りで、アリスが呟くように呼びかける。彼女の体にもたれかかって意識の無いサヴァイヴは、全身真っ青で血の気が見られない。
アリスはひたすらに声をかけ続ける。このような時にどうするべきか分からないのだろう。人の多い大通りのど真ん中。行き交う人たちが、アリスの横を素通りして行く。
と思っていたら、一人の女性が立ち止まってアリスに声をかけた。
「どうしました?」
翡翠色の長く美しい髪が特徴的な女性だ。アリスは無言で助けを求めるように女性を見つめる。彼女は意識の無いサヴァイヴを見ると、両手で彼の体を支えてアリスに言う。
「この少年、気分が優れないご様子ですね。自分の住居がすぐそこです。まずは横になって安静にしたほうが良いでしょう」
アリスは頷く。そして二人はサヴァイヴを女性の家へと運んだ。女性の家は、大通りから少しだけ外れた小さな裏道の奥にある小ぢんまりとした建物だ。植物の蔓のようなもので外壁が覆われ、所々で赤い実がなっている。小さな庭もついており、色とりどりの花が咲いていた。その庭の中心を通る小道を歩き、大きなベルがついた木製の扉を開けて、女性は二人を招き入れた。
寝室のベッドにサヴァイヴを寝かせる。毛布には楓の葉っぱのような薄緑の模様が描かれている。建物は小さいがいくつかの部屋があり、そのすべてに大きな本棚が置いてあって大量の書物が所狭しと置かれている。本棚に収まりきっていない本が机の上やベッドの上、挙句の果てには床にまで大量に積んであった。女性がサヴァイヴを寝かせる横で、アリスが呆然とそれらの本を眺めていると、女性は恥ずかしそうに苦笑いをする。
「仕事柄……それと、そもそも本を読むのが好きと言うこともあって、たくさん買ってしまうのです。しかし場所は有限なのでどうしてもしまいきれなくて」
アリスが納得したような、共感したような表情で頷く。それから女性は自己紹介をした。
「自分はロウカンって言います。まあこれ以外にもたくさん名前はあるんだけれど。今はそう名乗っています」
そう言って笑う。アリスは少し不思議そうな顔をしながらも、お辞儀をして答えた。
「私は、アリス……です。あの……助けてくれて、ありがとうございました」
「いえいえ。アリスちゃん、ですか。不思議の国に迷い込んだ子かな?」
ロウカンは小さく微笑みながら呟くように言う。アリスは彼女の言葉の意味が分からなかったらしく、首をかしげる。それに対し「なんでもありませんよ」と言って、ロウカンはベッドに眠るサヴァイヴを見つめた。
「彼、何か呪いにやられたのですか?かなり消耗しているようですが」
「えっと……その……」
アリスはどう説明すれば良いか分からないといった様子で言いよどむ。確かに、呪いであることには間違いないのだろうが、他者からかけられたものでは無く自分で発動したものだ。そう考えるとなんて言ったら正解なのだろうか。そもそも、自分達の素性やサヴァイヴの事などを出会ったばかりの人に軽々しく話して良いのかという葛藤も見られた。
そんな困った様子のアリスを優しく見つめながら、ロウカンは続ける。
「この少年の体には、二つの呪いが仕込まれていますね。そのうちの一つが暴走した影響で、こうなったのかな?」
独り言のように、ぶつぶつと呟いた後、唐突にアリスの方を向いてにっこりと笑った。
「クッキー食べません?」
アリスは困惑顔で小さく頷いた。
窓の外は裏路地の暗闇で真っ黒に染まっている。二人はリビングのような部屋に移動した。やはりこの部屋にも大きな本棚と地面やテーブルにたくさん積まれた本がある。ロウカンがキッチンの棚から瓶に入ったクッキーを取り出している間、アリスは本棚に近づいて置かれている本のタイトルを眺めていた。様々な種類の本があるが、『M・B・イデス』という作者の物語本が特に多い。そのうちの一つに、アリスの大好きな『木苺姫』もあった。アリスは目を輝かせてそれらの本を見つめていると、花柄の皿にクッキーを盛ったロウカンが優しくアリスに話しかける。
「本、好きなんですか?」
「うん。……はい」
敬語に言い直して、アリスは答える。それから、『木苺姫』を指した。
「この話……好き、です」
「それは、趣味が良い」
ロウカンは嬉しそうに笑った。それから二人はランプの淡い灯りが照らす部屋で、椅子に座ってクッキーをつまみながら物語談議に花を咲かせる。意外にも、二人の会話ではアリスの方が多く喋っていた。ロウカンが聞き上手で、アリスの感情を上手く引き出しているようだ。
「私……その……物語のお姫様に憧れているんです」
アリスが少し照れながら言う。
私の知る限り、アリスがこの話をサヴァイヴ以外にするのは初めてだ。この短期間で、それほど心を開いたのか。あるいは、赤の他人だからこそ話せることもあるのだろうか。そんな彼女の言葉に対し、ロウカンは穏やかに頷く。
「素晴らしい夢です。自分と同じだ」
アリスは驚いた様子でロウカンを見た。まさか、肯定のみならず共感まで得られるとは彼女も思っていなかったのだろう。アリスは身を乗り出してロウカンに尋ねる。
「お姫様になるには……どうしたら、良いの……ですか?」
「前提として、現実に『物語のお姫様』っていませんよね」
唐突なマジレスを行うロウカン。アリスは不満そうな様子ながら頷いた。そんな彼女の表情を観察するように見ながら、ロウカンは笑って続ける。
「それならば、書いてもらえば良いのです。あなたをお姫様にした物語を」
アリスはさらに不満げになって彼女を見る。そう言う事じゃないと、言いたげな表情だ。そんなアリスの心境を読み取ったかのように、ロウカンは微笑んだ。
「つまり、そういう子になれば良いのです。『この子の物語を書きたいっ』って誰かに思ってもらえるような、そんな子に。物語のお姫さまになるって、そう言う事じゃないかな……?」
少し納得した様子でアリスはまた頷いた。
しかし私が思うに、先ほどからロウカンは何も具体的なことは言っていない。アリスが聞きたいのは『そういう子』になるにはどうしたら良いのか、ということだと思うのだが。
ロウカンはテーブルに留まる私をジッと見た。それから軽く微笑んで、アリスに告げる。
「……具体的に、『そういう子』になるには……そうですね、面白い女の子になれば良いんじゃないかな……。自分にも、正解は分からないけれど」
ロウカンの言葉に、アリスはまた無言で頷く。いつのまにか、皿の上のクッキーは無くなっていた。
チラッと、壁にかけられた時計に目を向けたアリスは、いきなり立ち上がって言う。
「皆に……伝えなくちゃ……サヴァイヴが倒れた事……」
仕事の上で、報連相は大事だ。今頃はレイモンドも野暮用を終えて馬車に戻っているだろうし、一人積み荷の番をしているエグゼも腹を空かせていることだろう。二人がなにやら異変を察して下手に大ごとになってすれ違いが起こる前に、今の状況を二人に報告する必要がある。ロウカンは椅子に座ったまま、立ち上がったアリスを見上げて穏やかに言う。
「確かに、早く教えてあげた方が良いでしょうね。下手に心配をかけないように。……彼は、自分が見ていますから、アリスちゃんは報告しに行ってあげて下さい」
その提案に対し、アリスは深くお辞儀をする。そうしてロウカンに見送られて、アリスは夜の町を駆けて行った。
アリスがいなくなった後、ロウカンは寝室へ向かい、ベッドのそばの小さな椅子に座ると、布団に横たわるサヴァイヴを見つめた。そして、独り言のように呟く。
「今の『呪縛人形』には……こんな子供もいるのね」
悲しそうな、だがどこか満足そうにも見える不思議な表情で、ロウカンはサヴァイヴを見つめていた。
しばらく無言の時間が続く。まあ、この部屋には寝ているサヴァイヴとロウカンしかいないから当たり前なのだが。ロウカンは別の部屋から毛糸玉を持ってきた。眼鏡をかけて、なにやら縫い物を始める。
やがて……サヴァイヴの体が寝返りをうつと、その瞳がうっすらと開き始める。半目でベッドのふちを見つめていたサヴァイヴは、突然目を開けると、その上体を勢いよく起き上がらせて周りをきょろきょろと見た。そして、すぐ横で椅子に座り縫い物をしているロウカンに気づいて、呆然とした表情を彼女に向ける。彼女はにっこりと笑った。
「気が付きましたか」
「ええ……。あの、あなたは……?ここは……?」
「自分はロウカン。作家です」
そう言って、彼女は簡潔に説明をする。意識を失ったサヴァイヴをアリスと共に家に運んだことや、今アリスが報告に戻っていることなどだ。サヴァイヴは納得した様子で、ロウカンに頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。助かりました」
「迷惑なんて、そんな」
穏やかに言うと、ロウカンはまた縫い物を始めた。その間、サヴァイヴはまた部屋の中を見渡して、たくさんの本に目を向ける。
「本、好きなんですか?」
アリスに対するのと同じように、ロウカンはサヴァイヴに尋ねた。サヴァイヴは頷く。
「ええ」
「どういう物を読まれます?」
「伝記とかですね」
「物語は読まないのですか?」
ロウカンは縫い物の手を止めて、のんびりとしたまなざしをサヴァイヴに向ける。サヴァイヴはその瞳を見つめ返してしばらく黙った後に、ニヤリと笑った。
「読みますよ。例えば……この本棚にも多いM・B・イデス先生の『木苺姫と妖精の王子』とか」
「そうですか。趣味が良いですね」
ロウカンは満足げに笑った。そんな彼女の瞳を見つめていたサヴァイヴは、小声で問う。
「あなた……イデス先生ですか?」
ロウカンはピクリと眉を動かして、サヴァイヴを見た。
「読解力がありますね」
そう言って笑うと、彼女は人差し指を伸ばして口元にあてた。「内緒にしてね」という意味らしい。察したサヴァイヴはクスリと笑うと、話を続ける。
「ロウカンさんは……『木苺姫』好きですか?」
「もちろん。作者は天才だと思います」
どこかいたずらっぽく笑って、ロウカンは答えた。サヴァイヴもまた小さく笑いながら、さらに尋ねた。
「『木苺姫』の話の中で……魔皇子が木苺姫に言う台詞があるじゃないですか。『夜の空を彩る満天の星々でさえも、貴様と共に見上げれば、ただの取るに足らない光の屑へとなり果てるだろう。しかし私はその様を見てみたい』って。……あの台詞、ずっと気になっているんです。何を言っているんだろうって。どう思います?」
なんというか、作中の台詞の意味を作者自身に問うのはかなり野暮な気がするのだが。あくまで読者同士の会話という体で、サヴァイヴは尋ねているようだ。ロウカンは少し真面目な表情で考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「言葉は……時に、その人の感情を表すものです。感情にも名前はある。しかし『名前』とは『呪い』です。感情を鎖で捕らえ、箱詰めして、分かりやすい記号へと変えてしまう呪い。人は古来より……その感情を記号では無く感情としての姿のまま表現しようとしてきたのです。魔皇子の台詞もその一つでしょうね」
サヴァイヴはよく分からないといった表情で首をかしげる。ロウカンはさらに続ける。
「ある人は、その感情を月の美しさで表した。またある人は夕日の煌きや、肌に感じる暖かさで表現した。全てある一つの感情です。でもそれは、ただの記号にしてしまいたくない、特別な感情なのです」
「それは……『恋』というものですか?」
サヴァイヴはあっさりと記号化してしまった。つくづく野暮な男だ。ロウカンは面白そうに笑う。
「あなたにも、いずれ分かる時が、もしかしたら来るのかもしれませんね……。世界を滅ぼしてしまっても構わないと思うほどの……感情に」
サヴァイヴはよく分からないといった顔で首をかしげて呟く。
「世界を滅ぼしたりはしませんよ。僕は……世の人達のために存在する傭兵ですから」
ロウカンは何も言わずに、サヴァイヴに向けて穏やかな笑顔を向けた。サヴァイヴは不思議そうな表情をしていたが、やがてゆっくりと体を動かすと、ベッドから起き上がった。
「もう大丈夫なのですか?」
ロウカンが尋ねる。サヴァイヴは笑顔で頷いた。
「僕には、やらなければいけないことがあるので」
そう言って、部屋を出る。ロウカンは特に止める様子も無く、玄関まで彼を見送りに来た。サヴァイヴは扉の前でもう一度ロウカンに向けて頭を下げると、ドアノブに手をかけた。扉の上につけられたベルが鳴る。
ドアが閉まる瞬間まで、玄関近くに立ったロウカンがサヴァイヴの背を見つめていた。私はサヴァイヴの頭に留まって彼女の姿を最後まで見ていた。何か既視感を覚える。
なぜだか分からないが、ふと思う。もしかしたら私は、前にどこかで彼女と会ったことがあるのでは無いのか。
夜もだいぶ更けており、通りを歩く人もまばらになっている。先ほどのサンドイッチ屋もとっくに店じまいをしていた。サヴァイヴの歩みは少しずつ早くなり、早歩きからやがて駆け足へと変わった。灯りの減ってゆく町を走りながらサヴァイヴは皆の待つ馬車へと向かう。中心部から離れるほどに歩く人は少なくなり、とうとう誰もいなくなった。
そんな無人で暗い町はずれの通りを走るサヴァイヴの眼前に二つの人影が見えた。こちらに向かってくるその影は、アリスとレイモンドであった。
サヴァイヴは速度を落として二人を見る。こちらに気づいたアリスが、速足で近づいて来た。
「サヴァイヴ……もう大丈夫なの……?」
「うん。ごめんね。色々迷惑をかけて」
サヴァイヴは小さく笑って言う。アリスはそんな彼の顔を見て少し頬を膨らますと、彼の髪を引っ張って、二、三本抜いた。
「痛っ」
サヴァイヴが声を上げる。アリスはジトッとした目でサヴァイヴを見上げていた。
「ありがとうね」
抜かれた部分の髪をさすりながら、サヴァイヴが言う。アリスは小さく頷いて呟いた。
「……心配した」
そんな二人の元へ、レイモンドが近づいてきた。彼はこれまでに無い真剣な表情でサヴァイヴを見つめると、尋ねる。
「正直に言いたまえ。今の、君の身体の状態は?」
サヴァイヴは少しバツが悪そうにレイモンドを見ると、ゆっくりと口を開いて答えた。
「……歩くのが精いっぱいってところです。しばらくは……戦うことができない」
「だろうな」
レイモンドは小さく溜め息を吐く。
「どうも、戦闘の直後から様子がおかしいと思っていた。……今度からは、身体の状態が悪い時は正直に言うんだ。身体のダメージを隠すのは恰好の良いことでは無いぞ」
厳しい口調で言われ、サヴァイヴは少しうなだれて呟くように答えた。
「……すみません。そうします」
反省した様子のサヴァイヴを見て、レイモンドはニヤリと笑った。それから三人は馬車へと戻る。そこではいつも以上に不機嫌な様子のエグゼが待っていた。
「……なんだ、生きていたのか」
「あいにくね」
サヴァイヴが返す。エグゼは小さく舌打ちをした。
「まあ、良いだろう。貴様に必要なのは我ら処刑人による裁きだ。それ以外で死ぬことは許されない」
そう言って、エグゼは顔を反らした。サヴァイヴは呆れ笑いでエグゼを見る。
直後、エグゼの腹が鳴った。サヴァイヴは、エグゼのために買ったサンドイッチをロウカンの家に置き忘れたことを思い出したらしく、小さく声を上げた。
そんな彼らの元に、白い鳥が飛んできた。連絡用の鳥、プラチナだ。ソフィー号に我々の今の状況を伝えて戻ってきたのだ。足には小さな手紙が括り付けられている。サヴァイヴはその手紙を外して開き、内容に目を通すと、途端に深刻な表情になってその場の皆に告げた。
「ソフィー号内に捕らえていたヘルシング・バザナードが、脱走したって……!」
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