第7話
午前中の授業が終わったことを告げるチャイムが鳴り響き、私は溜まった疲労を取り除くように伸びをした。
伸びを終え机の上に弁当を並べている私が考えているのは、昨日私が別れを告げて彼氏から元彼となった瑛太のことだ。
元彼になったとはいえ、長年付き合ってきた瑛太が振られた後どうしているか気にならないほど私も人でなしではない。
瑛太のことが気になっている私は瑛太に別れを告げた翌日、何食わぬ顔でいつも通り学校に出てきて教室に入り辺りを見渡した。
しかし、教室に瑛太の姿は見当たらない。
昨日は感情的になり酷い言葉を吐いてしまったが、私はそれが原因で瑛太が自ら命を絶とうと考えていたりはしないだろうかと不安を感じていた。
いや、でも振られたからと言って自ら命を絶とうと考えるほど瑛太の心は弱くはないはず。
そのうち登校してくるだろうし、気にしすぎないことにして瑛太が登校して来るのを待とう--そう思っていたのだが、教室に入ってきた担任の先生から告げられたのは瑛太が風邪で欠席するとの連絡だった。
先生は瑛太から「風邪で休みます」と伝えられれば、常習的にズル休みをしている生徒でもないのでその理由が嘘だと疑うことはできないだろうが、私にはそれが嘘だとわかる。
瑛太が学校を欠席したのは振られたショックで寝込んでしまったか、学校に出てきづらいかのどちらかだ。
自ら命を絶とうとしているのではないかという懸念が消え去ったわけではないが、それほどショックを受けているのだとしたら振られた時にもっと必死に私を引き留めているはずだし、それについてはこれ以上考えないようにしよう。
ショックで寝込んだわけでも学校に出てきづらいわけでもなく、本当に風邪をひいたのだとしたらいい気味ね。
あんなクソ男、もっと罰を与えられてもいいくらいだわ。
私が高宮君を好きになったことを瑛太に伝え別れたいと言えば、瑛太が引き留めてくるのは容易に想像がついた。
しかし、その引き止め方は私の想像をはるかに超えるレベルで最低だった。
私のことが大好きで離れたくないと言われて引き留められたとしたら、私だって瑛太との関係を考え直したかもしれない。
それなのに瑛太は高宮先輩のこと悪く言うことで、遠回しに私を引き留めようとしてきた。
そして瑛太がそんな引き留め方をする最低な人間だと思っていなかった私は、思わず感情的になってしまい酷い言葉を投げかけたのだ。
瑛太がそんな最低な引き留め方をしようとしたのは、自分に自信が無いからだと私は思う。
そもそも私の瑛太に対する好意が薄れてきたのも、瑛太の自分に対する自信の無さが大きく関係している。
自分で言うのも変な話ではあるが、私はギャルで普通の人より目立つし、それでいて性格も人当たりも良く、人気者でクラスの中心人物だ。
更に正直に言わせてもらえば、内面だけでなく容姿のレベルも高い私は男子からの人気も高く、しばしば瑛太が私と付き合っていることを同級生から羨ましがられている場面も目にしていた。
そんな私とは対照的に、瑛太は昔から目立たず物静かな性格で、クラスメイトともまともに会話ができない、所謂陰キャに分類される。
そんな私たちが友達では終わらず恋人にまでなったのは、ただ幼馴染だからというだけで幼馴染ではなかったら瑛太とは付き合ってもいなければ友達にすらなっていなかっただろう。
対照的すぎる私たちが恋人になって上手くいくはずも無く、陰キャである瑛太が陽キャで同級生からの人気も高い私に気を遣いすぎるようになり、私たちの関係は悪化していった。
まだ中学の頃は瑛太が私に気を遣うことは無かったが、高校に上がってしばらくすると、瑛太は『自分と下校するより友達と下校した方がいい』とか『休日も自分と遊ぶより友達と遊んだ方がいい』と言い出して、でも私は瑛太とずっと一緒にいたくて--。
寂しいとは思っていたけど、瑛太が私のために言ってくれていることはわかっていたから、無理に一緒にいるとは言いづらかった。
何より瑛太にとって、私と一緒にいることが苦痛になっている可能性もあると思うと、無理に瑛太と一緒にいたいと言うことはできなかった。
そんな状況のまま瑛太と関わらない日々が続き、そして私は思ってしまったのだ。
『あれ、これ付き合ってる意味あるのか?』と。
付き合っている以上は、愛し合い、イチャイチャしたり、偶に喧嘩をしたりと、波風を立たせながら恋愛を楽しみ愛を育んでいくものだ。
それなのに、波風が立たないどころか、そもそも水も風もないような状態になっていた私たちの関係に私は不満と物足りなさを感じていた。
そんな私が私と同じく容姿のレベルが高くて性格も良く、人気者で同級生から慕われている高宮先輩のことを好きになるのは必然的なことだった。
……うん。やっぱり私が瑛太と別れたのは間違いじゃない。
そんなことを長々と考えていると、いつも一緒にお弁当を食べている私の友達、
「今日も半日お疲れ。今日は彼氏君来てないじゃん。風邪でもひいたの?」
「どうだろね。わかんない」
「え、
「うん。だって私たち別れたし」
私と瑛太が別れたのは隠すことでもない--というか今後みんなに伝えていかなければならないことなので、私は隠すことなく事実を伝えた。
「ええっ⁉︎ 別れたぁ⁉︎」
「ちょっと、声が大きいって!」
「あっ、ご、ごめんつい。別れたって本当なの?」
「うん。本当」
「前から別れないほうが良いって言ってあげてたのに……。やっぱり高宮先輩のほうが好きになっちゃったから?」
親友の麻衣には私が瑛太と付き合っていたことも、高宮先輩のことが好きになって瑛太と別れたいと思っていることも全て相談済みで事情は把握してくれている。
麻衣に相談する度に『瑛太君とは別れないほうがいいよ』と言ってくれていたのだが、それは麻衣が瑛太と付き合っても面白くないことを何も知らないからだ。
「うん。いつまでも好きじゃなくなった相手と付き合ってても意味ないから、早く振って次の恋に進もうと思って--あっ、ごめん。電話だ」
麻衣に瑛太と別れた理由について説明をしていると、スマホが振動したため席を外して廊下に出た。
そしてスマホの画面に表示された名前を見た私は思わず目を見開く。
「えっ、詩子さん?」
電話をかけてきた相手は瑛太の母親、詩子さんだった。
昨日息子が振られたことに腹を立てて電話をかけてきたのだろうか。
どうせ電話に出たところで文句しか言われないだろうし、流石にこの電話を取ることはできない。
電話のコールが鳴り響かせたまま、私はスマホをポケットにしまって教室に戻った。
「純!」
教室に戻ると、先程とは打って変わって只事ではない様子の麻衣が飛びついてくる。
「何よ急に。痛いんですけど」
「彼氏君が車に轢かれて入院してるんだって」
「--えっ、車に轢かれた?」
教室に戻った私が麻衣から伝えられたのは、元彼である瑛太が車に轢かれて入院するという信じられない事実だった。
瑛太が車に轢かれて入院するという話はあまりにも突然で、私はその話を受け入れることができなかった。
それでも直ぐに瑛太が車に轢かれたのは事実だと理解できてしまったのは、詩子さんからかかってきた電話が、私と瑛太が別れた話について問うための電話ではなく、瑛太が轢かれたという連絡をするための電話だったとわかってしまったからである。
「純が電話してる間にお手洗いでも行こうと思って廊下に出たら先生たちの立ち話が聞こえてきちゃって……」
「へぇ、そうなんだ。だから休んでたんだね」
「……え? 心配じゃないの?」
心配ではないと言えば嘘になる。
別れたとはいえ昨日までは恋人だったのだから、瑛太に対する情が完全に消え去ってしまったわけではない。
それでも心の底から心配に思えなかったのは、瑛太の私を引き留める方法が最低すぎたからだ。
最低な引き留め方をしてきた瑛太に対して与えられた罰が風邪を引くくらいでは足りないとは思っていたが、どうやら神様も同じことを考えていたらしい。
「まあ心配じゃないって言ったら嘘になるけどさ、ちょっと別れ際に問題があったこともあって心配っていうよりはざまぁ見ろって思っちゃってる部分もあるんだよね」
「問題?」
「うん。別れるのは受け入れるけど高宮先輩は最低な奴だからやめとけって。醜いと思わない? 振られたからって私が好きになった人のこと悪くいうなんてさ」
「それはなんというか……やっぱり彼氏君って良い人だなぁとしか思わないけど……」
麻衣は聞こえるか聞こえないかくらいの大きさで何かを呟いたが、私はその言葉を聞き取ることができない。
「……え? 何て言ったの?」
「いや、何でも無い。とにかくお見舞いくらいは行ってあげたほうがいいんじゃない? 瑛太君は振られた側なんだし純が行ってあげたら喜ぶでしょ」
「もういいんだって。瑛太とはもうただのクラスメイトなんだから。それに死ぬわけじゃないんでしょ?」
「う、うん……。入院って言ってたし死んだりはしてないと思うけど……」
「じゃあ私が行かなくても大丈夫じゃん。それに事故して入院してるってことは瑛太の家族もお見舞いに来てるだろうし、瑛太を振った女がどの面下げてお見舞い来てるんだってなるでしょ」
「……まあそれは確かに」
「はいっ、もうこの話終わりっ。まだお昼休み終わるまでちょっと時間あるし、私高宮先輩のところ行ってくるね」
「うっ、うん……」
何度も言うが私と瑛太は恋人関係を解消してもうただのクラスメイトになったのだ。
だから瑛太が事故で怪我をしようが、私が次の男子に狙いを定めていようが、関係ない話なのである。
そうして私は連絡先を交換するため、高宮先輩の元へと向かった。
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