第4話

「はい。命の恩人に恩返しがしたいんです」


 どこかの昔話ではあるまいし、車に轢かれそうになっていたところを助けられたからといって恩返しをしてもらう必要は無い。

 俺も恩返しをしてもらおうと思って助けたわけではないので、新屋敷さんのような美少女がどうしても恩返しがしたいと思うほど感謝してくれているという事実だけで十分である。


「恩返しなんてしてもらわなくていいよ。大したことはしてないし」


「いや、命を救ったんですから大したことですよ! だからどうしても恩返しがしたいんですっ! そうでないと私の気が収まりません!」


「本当に大丈夫だから。こうして俺も無事目を覚ましたわけだし」


「大丈夫じゃないです。お望みであればお金でも……私の体でも差し出しますから!」


 そう言って新屋敷さんは自分の着ている服に手をかけた。

 俺がどれだけ恩返しは要らないと言っても新屋敷さんは恩返しがしたいと言って聞く耳を持たず、それどころか体まで差し出そうとし始める始末。


 これ以上新屋敷さんからの恩返しをさせてくれというお願いを拒否し続けると、この場で服を脱ぎ始めるのではないかという勢いだが、それでも俺は引き下がろうとしなかった。


「お金もいらないし新屋敷さんが一肌脱ぐ必要も無い。見返りを求めて新屋敷さんを助けたわけじゃないから」


「じゃあどうすれば恩返しさせてくれるんですか⁉︎」


「いや、どうすればも何も本当に恩返しなんてしてもらわなくていいから」


「命を助けてもらっておいて何もしなかったら、高校に入学する前に病気で亡くなった私のお母様に顔向けできないではないですか……」


 そう言って新屋敷さんはわざとらしく両手で顔を覆った。


 俺は恩返しをしてほしいとは一切思っていない。

 しかし、亡くなった母親の話を出されてしまうと一気に断りづらくなる。


 新屋敷さんに恩返しをさせないイコール俺が新屋敷さんに亡くなった母親へ顔向けできないようにさせていることになるのだから。


 新屋敷さん、外見は小柄で子供っぽく見えるのに意外と策士なのだろうか。


「……はぁ。そこまで言うならわかった。じゃあ俺のお願いを一つだけ聞いてくれるか?」


「--はい! 何なりとおっしゃってください!」


 喜ぶ犬のような表情を見せる新屋敷さんに、俺は一つだけお願いをすることにした。


「俺と友達になってくれ」


「--へ? 友達?」


「そう、友達」


「……そんなことでいいんですか?」


 そんなに恩返しがしたいならと、俺は簡単にできる恩返しをお願いした。

 俺からの意外で簡単すぎる依頼に、新屋敷さんは目を見開き驚いた様子を見せている。


「ああ。それで構わないよ。俺って本当は自分の見を艇してまで誰かを助けようとするタイプじゃないんだ。ただあの日は……--実は彼女に振られて自暴自棄になってて……。それで無謀にも新屋敷さんを助けに行って轢かれたってだけなんだ。だからそんな大それた恩返しはしてもらわなくていいんだよ」


「いや、それでも私の代わりに瑛太さんが轢かれたことにも、私の命を救ってもらったことにも変わりはないので、恩返しは絶対にしなければならないですけど……そんなことがあったんですね。それは辛かったでしょう」


 そう言いながら新屋敷さんは再び俺に抱きつき、優しく俺の頭を撫でた。

 そんな新屋敷さんを、俺は母親に抱きつかれた思春期の男子のように振り解こうとする。


「ちょっ、もう子供じゃないんだからそんなことしてもらわなくたって--あれっ、えっ、なっ、なんで涙がっ、やめろっ、止まれっ」


 新屋敷さんに抱きつかれた途端、俺の涙腺は崩壊してしまった。

 振られた直後は驚きの方が強くて涙を流すことができなかったというのに、新屋敷さんに慰められた瞬間、俺は涙を流してしまったのだ。


 なぜほぼ初対面の新屋敷さんから抱きつかれ、頭を撫でられただけで涙を流してしまったのか、明確な理由はわからないが、恐らくは俺の苦しみを理解してもらえたことと、その苦しみを理解した上で慰めてくれたことが嬉しかったのだろう。

 純花は俺を振る時に、俺の気持ちを考えるなんてことは一切してくれなかったから。


 そして俺が新屋敷さんの優しさに涙を流していると、俺とは別に涙を流す声が聞こえてきた。


「ゔっ、ひぐっ。瑛太さんの気持ちを考えたら私まで……ゔっ、ゔぅぅぅぅ……」


 この部屋の中で涙を流す必要があるのは俺だけのはずなのに、なぜか新屋敷さんまで俺と同じように涙を流し始めた。


「な、なんで新屋敷さんまで泣いてるんだよ⁉︎」


「わかりまぜん。でも、瑛太さんを見てたら本当に辛かったんだなって、そう思ったら私まで悲しくなってきて……」


 ただ車に轢かれそうだったところを助けられただけの俺の失恋に、これほどまでに親身になって涙を流してくれるこの子は一体どれだけ優しいのだろうか。

 事故後数日目を覚まさなかったこともあり、純花の酷すぎる態度を見たのが先程のことのように思い出せるが、純花の酷すぎる態度を見た後だと余計に新屋敷さんの優しさが傷口に沁みる。


「……ありがとう。あとごめん、急に泣いたりして」


「いいんですよ。泣きたい時は好きなだけ泣けば。嬉しい時に笑って、悲しい時に泣くのは人間の仕事ですからね」


 そんな新屋敷さんの言葉に俺は再び涙を流し、それからしばらく俺の涙が止まることはなかった。

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