第36話

 俺は心姫が豪勢な夕食を食べながら、頬に手を当て舌鼓を打っている姿に癒されていた。


 一週間ほど前、俺は心姫経由で武嗣さんからご飯を食べに来ないかと誘われ、心姫の実家にやってきて心姫と武嗣さんの三人でご飯を食べているのだ。


 ……いや、心姫に癒されてる場合かよ俺。


 心姫から婚約指輪を渡されてから二ヶ月が経過し、季節は秋真っ盛りの十月に突入した。

 二ヶ月が経過した今でも俺は婚約指輪を渡してきた心姫が何を考えているのかわからず、あの婚約指輪をどうするべきなのか頭を悩ませている。


 心姫がお守り代わりで婚約指輪を持っていたのと同じように、俺にもお守りとして婚約指輪を渡してくれたのだろうが、それ以外にも心姫が俺を魅力的だと感じていて、将来俺にプロポーズをしてほしいという気持ちがあったから渡してきたというのもあったりするんだろうか……。


 早くあの婚約指輪をどうするかを考えなければならないのに、考えれば考えるほど真相が闇に包まれていき頭が爆発しそうになる。


 ……何はともあれ、心姫のいじめ問題が解決したのは本当によかった。


 婚約指輪の問題に加えていじめの問題まで残っていたら俺の手にはおえないし、なによりいくら心姫が四年もの間いじめに耐えてきたからといって、これからもずっと耐え続けられるわけではないからな。


 あれから心姫は順調に学校内で友達を増やしていき、いじめっ子三人組が謹慎から復帰してきても心姫に対するいじめが行われることは無かったようだ。

 謹慎が終わったら再びいじめが行われるのではないだろうかと不安視していたが、いじめっ子がいなくなれば心姫の魅力に気付いた人間が大勢集まってきて、いじめをしたくてもできないような状況になるのは当然の話か。


「いらっしゃい。瑛太君。今日はゆっくりしていってくれ」


 俺をご飯に誘ってくれたのは心姫を助けたことに対するお礼がまだちゃんとできていなかったかららしい。

 一千万円を渡そうとしていたのを考えてみれば、ご飯をご馳走になるくらいならまあいいかとやってきたのだが……。


 心姫の実家に到着してテーブルの前に座ると、どこの旅館の夕飯だと訊きたくなるような豪勢な料理がテーブルの上に並べられていた。


 そりゃ一千万円には遠く及ばないだろうが、それでもおそらく数万円はするような料理の数々に、俺は畏まってしまい畳の上に置かれた座布団の上に正座をしてカチカチに固まっていた。

 武嗣さんはゆっくりしていってくれと言っているが、こんな状況でゆっくりできるはずがない。


「ありがとうございます」


「お父様、ご飯が豪華すぎて瑛太さんがちょっと引いてます」


「えっ、料理って豪華すぎると引くのか?」


 はい、ぶっちゃけ引きます。

 とはいえそんな本音を武嗣さんに言うわけにはいかない。


「……そろそろ常識的な感覚を身につけてください」


「あっ、いえ、びっくりはしましたけど僕のためにここまで準備してくれたのは本当に嬉しいです。ありがとうございます」


「ほらほら、瑛太君がこう言ってるんだからいいじゃねぇか」


「むぅ……」


 お父さんをフォローしたせいで少し心姫が不機嫌になってしまったが、流石にフォローしないわけにはいかなかったので今回は許してくれ。


「私、少しお手洗いに行って参ります」


 少し機嫌を損ねた心姫はそう言ってこの場を離れていった。


 心姫の機嫌を損ねてしまったことは気になるが、武嗣さんと二人で部屋に残されてしまったこの状況のせいで心姫の機嫌を気にする余裕が無い。

 武嗣さんと二人になるのはこれが初めてだし、何より武嗣さんの圧力がすごい。


 和服を着ているせいか、どこまで飯を食べればそこまで大きくなれるのかと訊きたくなる体格をしており、顔にはなぜか傷がある。

 こんなに威圧感がある人を見たのは人生で初めてだ。


 まあ実際は義理堅く優しい人間だというのはここに並べられた料理を見ればわかる。

 まあ義理堅すぎて一千万円というとんでもない金額のお金で恩返しをしようとする常識はずれな感覚は心姫だけでなく俺も治してほしいとは思っている。


「……瑛太君」


「は、はい⁉︎ なんでしょうか⁉︎」


「心姫から婚約指輪をもらったそうだね」


 なっ、なぜそれを⁉︎


 と驚いて聞き返してしまいそうになったが必死に我慢した。


 あの婚約指輪は武嗣さんが心姫の母親に渡したものだそうなので、心姫が武嗣さんに報告したのだろう。

 もらっていないと嘘をつくのは簡単だが、どうせ見抜かれるのなら最初から本当のことを話しておいた方がいい。


「あっ、はい。受け取らせていただきました」


「……あの指輪はね、私が心姫にお守り代わりに持たせたというのもあるんだけど、この人となら結婚したいと思う人に渡すように伝えて渡した指輪なんだ」


「……え?」


 武嗣さんの話を聞いた俺は、以前心姫の家に行った時のことを思い出していた。


 心姫の家で初めて婚約指輪を見た時、心姫は婚約指輪をお守り代わりとして持たせてもらったとしか言っていなかったし、俺に婚約指輪を渡してきたのも同じくお守り代わりとしてだと思っていた。


 いつか私に渡したいと思う時が来たら渡してください、なんてことも言われたのでただのお守り代わりではないのかもしれないとも思っていたが、その言葉をどう受け取っていいのかずっと悩んでいた。


 しかし、今の武嗣さんの話が本当の話だったとするなら……。


「心姫は若くして母親を失ってしまったからな。仮に俺が死んだら心姫は一人になっちまう。そうならねぇように早いうちから結婚したいと思う相手を探して、見つかったらその指輪を渡して、いつかプロポーズしてもらえよって言ってあるんだ」


 武嗣さんの話には信憑性があり、嘘を言っているとは思えない。

 となると、やはり心姫は俺に婚約指輪を渡してほしい……要するにプロポーズしてほしいと思っているということだ。


「そっ、そうなんですか……」


「ああ。要するに、心姫は瑛太君を選んだってことだ」


「--っ」


 心姫が俺を選んだなんて信じられないが、この話は流石に信じるに値するのではないだろうか。

 武嗣さんが嘘をつくような人には見えないし、そもそも娘の命の恩人に嘘をつくはずがない。


「君が心姫のことをどう思っているかは私にはわからないけど、もしも君が心姫のことを愛しているなら、愛する時が来るなら、心姫のことをよろしくね」


「……はっ、はい」


「何をお話しされてたんですか?」


「心姫っ⁉︎」


 心姫は最悪のタイミングで部屋へと戻ってきて、俺は狼狽えてしまい言葉に詰まる。

 そんな俺を見かねた武嗣さんは、「少しだけ世間話をね」と咳払いしながら誤魔化してくれた。


「世間話……。そうですか」


 若干訝しむ様子を見せた心姫だったが、なんとか疑われずに済んだらしい。

 まだ食事会は始まったばかりなのに、これでは先が思いやられる。

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