第14話

 俺が見つけてしまったのはバルコニーに干された心姫の物と思われる下着だった。

 いや、まあ心姫しか住んでいない時点でというよりも心姫の下着なんだけども。


 下着を見つけてしまったことを心姫には伝えず気付いていないフリをすることもできなかったわけではない。

 しかし、俺はバルコニーに下着が干されていることを隠し通す自信が無かった。


 下着があるとわかってしまった以上俺は下着のあるバルコニーから視線を逸らそうとするだろう。

 そうなれば俺の視線がバルコニーに向かないことに違和感を持った心姫が自分で下着が干されていることに気付く可能性もある。


 そうなってしまえば「なぜ下着が干されていると気付きながら教えてくれなかったのですか!」と心姫からの信頼を失ってしまう危険性もある。


 何より、俺が帰宅した後で下着の存在に気付いてしまった心姫のことを考えるとあまりにも胸が締め付けられるので、下着を見つけたことを隠すことはできず正直に伝えてしまった。


「本当に申し訳ありませんでした! 朝洗濯物を干したのをてっきり忘れてしまいまして……」


「別に謝る必要はないよ。下着を見られて嫌な思いをするのは心姫だろうしな。俺だけじゃなくて友達とか家族とかを家に呼ぶ時は気を付けろよ」


 流石に『俺からしてみれば心姫の下着を見られるのはご褒美です』とは言えなかった。


 あとさっきは長々とバルコニーから視線を逸らしたら心姫に違和感を持たれるとか何とか言ったけど、俺の視線がバルコニーに釘付けになる可能性の方が高かった気がする。


「そっ、そうですね……。気を付けます」


「……?」


 俺の言葉を聞いた心姫はなぜか歯切れの悪い返答をしてきた。

 表情にも陰りが見えたような気がしたのは気のせいなのだろうか。


 特に失言はしていないと思うのだが……。


「次から気をつければいいんだし、落ち込む必要は無いからな」

 

「は、はい……。すみませんでした」


「いや、むしろ謝るのはこっちだからな。部屋が広くて綺麗だったもんだからさ、思わずジロジロ見ちゃったんだ。人の家をジロジロ見るなんて失礼だし、次からは気をつける」


「いえいえ! 片付けをしていなかった私が悪いんですから気にしないでください。……えっと、その、やっぱり瑛太さんも女性の下着とか好きなんですか?」


 心姫からの唐突な質問に、俺は必死に反論した。


「好きってわけじゃないぞ⁉︎ 部屋を見渡してたら偶々目に入っただけで……」


 本当に偶々目に入っただけで、どこかに下着があるのではないかと探し回っていたわけではない。

 ……まあ俺も健全な男子高校生なので、心姫ほどの美少女がはいている下着を見られて若干、若干興奮したのは事実だけど。


「以前もお伝えしましたが、求められれば私の体をどのように弄んでいただいてもかまいません。本当なら私は死んでいたかもしれないのですから、その恩返しとして体を差し出すのは当然のことです」


 心姫は真面目な顔でそういうので、俺は思わずため息を吐いた。


「当然ってお前な……。なんでそう極端なんだよ。ボーッとして横断歩道渡ってたのもそうだけど自分のことはもっと大切にしろよ? 俺がそういうことしたいと思うのは本当に好きになった人だけだし、心姫だってそういうことするなら好きになった人とがいいだろ?」


「それはまあ……そうですけど……」


 この話題を長々と続けるのは危険だと判断した俺は、咄嗟に話題を別の話題に切り替えることにした。


「あっ、さっき部屋を見渡してた時にもう一つだけ気になったんだけどさ--」


「まだどこかに下着が⁉︎」


 いや、流石に友達を入れたリビングの中に下着が置いてあるのはまずすぎるだろ。

 バルコニーならまだわからないでもないが、リビングに置いてあるとしたらあまりにも不用心すぎる。


「いや、次は下着じゃ無いんだけど……。あのネイビーの小さな箱はなんなんだ?」


 部屋の中を見渡した時、隅に置かれた木製ラックの一番上に置かれていた小さな箱の存在が気になった。

 あの形と質感、指輪が入っている箱のように見えるんだが……。


「あの箱の中には婚約指輪が入ってるんです」


 ……婚約指輪?

 指輪が入っているのだろうとは思っていたが、婚約指輪とは一体どういうことなのだろうか。


 婚約指輪が置かれているということは、心姫には婚約者がいるのか?

 今の時代婚約者がいるなんて話中々聞かないが、心姫ほどのお金持ちな家庭ならそう言った話も存在しているのかもしれない。


 あれ、てかもし婚約者がいるのだとしたら、一人暮らしの心姫の家に上がり込んでるのって結構まずいんじゃないか?


「婚約指輪? ってことは婚約者がいるのか?」

  

「いえ、婚約者なんていませんよ。あれは私が男性からいただいた物ではなくて、お父さんがお母さんに渡した婚約指輪なんです」


 そうか、あれば心姫が婚約者からもらったものではなく、心姫の父親が母親に渡したものだったのか。


 ……というかなんで俺は婚約者がいないと聞いて少しだけほっとしてしまったのだろう。

 まだ純花のことが完璧に消え去ったわけでもないので、心姫に対して恋心なんてもの抱いていないはずなんだが。


「なるほど、婚約指輪ってのはそういうことか。ところでなんでその婚約指輪がこの家に? 実家に置いてあるのが普通なんじゃないか?」


「えっ、えっと、それは……お守りって言ってお父さんが私に託してくれたんです! 一人暮らししててもお母さんと一緒にいるみたいで心強いだろって」


 少し焦った様子で返答してきた心姫に違和感を感じながらも、俺は会話を続けた。


「確かにお守りとして家に置いておいたら心強そうだな」


 武嗣さんが心姫の母親に渡したという婚約指輪が家に置いてあれば、一人暮らしをしていても心姫が寂しさを感じることも少なくなるだろうし、武嗣さんとしても安心できるのだろう。

 あれほど怖い見た目をしている武嗣さんではあるが、実態は超が付くほどの親バカなのかもしれない。


「そうですね。その婚約指輪はただの婚約指輪ではなくて、クリスマスイブの夜に、お父様がお母様に永遠の愛を誓って渡した思い出の詰まった婚約指輪なんです。そんな思い出の詰まった婚約指輪が家にあると安心するんですよね」


「素敵な話だな」


「……あの、詳しくは訊かない方がいいかと思って訊いてなかったんですけど、瑛太さんもお父様がいらっしゃらないんですよね?」


 心姫は俺に父親がいないことを俺の母さんからも、そして以前俺の家に武嗣さんと一緒に来た時にも聞いたはずだが、それでも俺にその理由を聞いてくることはなかった。

 気を遣ってそうしてくれていたのだろうが、今後心姫と仲良くなるためにも話す必要はあるだろうし、心姫も俺との関係を深いものにしたいからこそ聞いてくれたのではないだろうか。


 そう考えると、普段誰かに話すのは億劫な話なのに、心姫には包み隠さず伝えようと思えた。


「……ああ。俺が小さい時に肺に癌が見つかったらしくてな。見つかった時には時すでに遅しって感じで亡くなったって聞いてる。俺の場合は俺が小さい時に亡くなってるから、記憶もあんまり無いし悲しいとかは無いけどな」


「そうだったんですね……。記憶が無いとは言っても、父親がいないというのはきっとまだ小さかった瑛太さんにとって堪えることでしたよね」


 心姫にそう言われた俺は目を見開いた。


 これまでも父親がいないことを誰かに話す時には『記憶が無いから悲しくない』なんて言ってきたのだが、それは半分本当で、半分嘘だった。

 父親がいないことが原因で人より劣っていると見られたり、周囲から同情されるのが嫌で、強がって寂しくないと言ってきた。


 だが実際は、父親がいたらどんな人生になっただろう、と考えた回数は数え切れないし、運動会や授業参観に来ている父親たちを見て羨ましく思ったりもした。


 今だってやりたくもないのに母さんを支えるためにバイトをしているわけだし、辛くも悲しくもないなんて嘘である。


 俺はその気持ちを隠していたし、『記憶が無いから悲しくない』と言えば、『記憶がないなら確かに悲しくないね』と雑に共感してくれる人しかいなかった。


 それなのに、心姫は俺の痛みを理解し共感してくれた。


 ……どうも心姫の言葉には俺の涙腺を緩くさせる力があるみたいだ。


 とはいえ泣いている姿をそう易々と何度も見せるわけにはいかないと、俺は必死に涙を流すのを我慢した。


「……まあそうだな。正直辛かったし、自分に父親がいたらって何回も思ったよ。共感してくれてありがとな」


「いえ、それくらいしか私にはできませんので」


「親がいない苦しみを知っている分、俺も心姫の痛みを理解して寄り添えると思う。だから何かあったらいつでも頼ってくれ」


「私が瑛太さんの悲しさを、瑛太さんが私の悲しさを紛らわせられるような関係になれたら、そんなに素晴らしいことはないですね」


 そう言って微笑む心姫は、これまで苦しんできた俺を救いに来てくれた天使のように見えた。


「……そうだな。心姫の痛みを癒せるような人間になれるよう頑張るよ」


 俺のことを考え、俺のために優しすぎる言葉をかけてくれた心姫は眩しすぎるくらいに輝いて見える。

 

 眩しすぎる心姫とこれからもずっと一緒にいたいと、そう考えながら心姫と一緒にフルーツ大福を食べている時間を、俺は純花と一緒にいたどの時間よりも幸せだと感じてしまっていた。

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