第47話

 純花が婚約指輪を放り投げた瞬間、俺は目を見開きながら婚約指輪の行方を追った。

 頼むから水の中には落ちないでくれという俺の願いは届かず、無情にも婚約指輪は川へと着水してしまう。


 婚約指輪は給料の三ヶ月分の金額を出して購入すると言ったりもする。

 大きなダイヤがついていたあの婚約指輪は、お金持ちの武嗣さんが買った婚約指輪ということもあり相当高価なもののはずだ。


 価格もそうだが、武嗣さんが千景さんに渡した大事な思い出の一部である婚約指輪が川に向かって放り投げられたのだから、それがどれほど取り返しのつかない行為であるかは考えなくても理解することができるだろう。


「ふんっ。私は不幸で瑛太は新しい女の子に指輪を渡して幸せを掴もうとしてるなんて、そんなの許すわけ--」


「何やってんだおまえ‼︎ 自分が何をしでかしたのかわかってんのかぁ‼︎‼︎」


 俺はこれまでの人生で出したことがないであろう大声で、純花に対し本気の怒りをぶつけた。

 付き合っていた時もそうだし、幼少期に純花と知り合ってからも一度も出したことがないような大声だ。


 その声を聞いた純花は、ビクッとして怯えるように後退りをした。

 大切な婚約指輪を投げ捨てておいて、純花に怯える資格なんてあるわけないのに。


「なっ、なんでそんな怒ってるのよ。たかが指輪でしょ? どうせそこらへんで買った数千円の安い指輪なんじゃ……」


「見たらわかるだろ馬鹿! あれは本物のダイヤがついた高価な指輪だったんだよ! それにあれは大切な思い出が詰まった婚約指輪で、絶対に川に投げ捨てられていい指輪じゃねぇ! あの指輪が仮に安いものだったんだとしてもなぁ、人のものを川に投げ捨てるなんて金輪際すんじゃねぇぞ‼︎」


「なによ! 急にそんな大声出しで怒鳴られたら怖いじゃない‼︎」


「怖いのはおまえの思考回路だよ‼︎ ちょっとは反省しろクソ野郎がっ!」


「クッ、クソ⁉︎」


 そう言い放ち、俺は急いで純花が指輪を投げ捨てた場所へ向かって走り始めた。


「わ、私知らないっ‼︎」


 俺が川へと走っていくのを見て、純花は走り去っていった。

 本来であればもう少し純花に説教を垂れたいところだったが、そうしている間にも指輪がどこかに流されてしまうかもしれない。


 そうなっては本末転倒なので、俺は純花への説教は短めにして急いで指輪が投げ捨てられた場所へと走った。


「瑛太さん! 危ないのでやめてください!」


 俺を止めようとする心姫の声が聞こえてきたが、俺はその声を無視して制服姿のまま川へと入って行った。


 この川は住宅街を流れている川で、そこまで大きな川ではなく人が溺れるほどの深さがあるような川ではない。

 それでも川幅は五メートルほどあり、その川の中から指輪を探すのは畳の目の数を数えているようなもの。


 それでも大切という言葉では片付けられないほどの価値があり、この世界に二つとないあの婚約指輪を探さないわけにはいかなかった。


 川の中に入って指輪を探し始めてからすぐ、心姫たちも俺の後を追うように川のすぐそばまで降りてきて、俺に婚約指輪の捜索を止めるよう促してきた。


「瑛太さん! やめてください! この川の中から今投げられた指輪を探すなんて無謀です! 制服も汚れますし最悪溺れてしまう可能性だってあるんですから!」


「心姫ちゃんの言う通りだ! 早く出てこいよ!」


 確かに浅い川ではあるものの、どこか一部だけは急に深くなっている可能性もあるし、100%溺れないとは断言できない状況だ。

 俺の身を案じてくれるのはありがたいが、それでも俺は心姫たちに返事をせず無言で川の中を探し続けた。


「瑛太さん! もうやめてください! 私気にしてません! 元はと言えば私が瑛太さんに指輪を渡したのが悪かったんですから! だからもう本当にやめてください!」


 俺が心姫の立場なら、真っ先になぜ指輪を持っていたのかを問いかけたり、指輪がなくなってしまった悲しさを表に出したりしてしまうだろうが、心姫がそれらを気にする素振りは一切なく、とにかく俺の心配をしていくれている。

 異常事態が起きてもいつも通りの優しさを見せる心姫にとって大切な婚約指輪をこのままにしていいはずがなく、俺はどれだけやめろと言葉をかけられても婚約指輪を探すのをやめようとはしなかった。


 こんなことをいうのは大袈裟かもしれないが、武嗣さんが千景さんに渡した婚約指輪は金額的な指輪の価値だけではなく、思い出が詰まっており俺の命よりも価値が重いものかもしれないのだから。

 ってそんなことを言えば心姫からは間違いなく『そんなはずありません!』と叱責されるのだろうが……。


「瑛太さん!」


「なんて言われたって絶対にやめない!」


 俺がどれだけ無視をし続けても心姫は俺に川から出るよう声をかけてくるので、絶対にやめないと俺の意思を伝えた。


「しかたないなー。私も手伝ってあげる」


「えっ--」


 どれだけ止めろと言われてます指輪を探すのをやめない俺を見かねたのか、躊躇することなく川の中に入ってきたのは心姫ではなく花穏だった。


「なっ、何やってんだよ⁉︎ 制服汚れるし溺れるかもしれないんだぞ⁉︎」


「いやそれさっき心姫ちゃんに全く同じこと言われてたよね瑛太」


「そっ、それは……」


「なら私も」


「まっ、麻衣ちゃんまで⁉︎」


「女の子に探させて俺が入らないわけには行かないよな」


「賢人もかよ……」


「私も探します!」


 先程まで俺に川から出ろと言っていたのに、最終的には全員が川の中にいるというわけのわからない状況。

 みんなの身を危険に晒すわけにはいかず、本来であれば早く川から出ていけと言わなければならないところなのに、俺はみんなが一緒に指輪を探してくれるのを心強いと感じてしまっていた。


 そして少しずつ滲んで行く視界。


 それでもここで涙を流すわけにはいかない。


 俺は絶対に指輪を見つけなければならないのだから。


「……みんな、ありがとう」


 こうして俺たちは全員で純花によって川の中に投げ捨てられた指輪を探し始めた。

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