第53話

 冬場の川の水は冷たい。

 だから俺は風邪を引いてしまった。


 未だに見つからない指輪を見つけたいからと言ってまた川に入り指輪を探せば、同じように風邪を引いて心姫に迷惑をかける可能性があることはわかっている。

 それでも、どれだけ大金を積んでも手に入れることのできない思い出の詰まった指輪を探さないという選択肢はなかった。


 何度風邪をひいたとしても、どれだけ長い期間指輪が見つからなかったとしても、俺が指輪を探すのを止めることは絶対にない。

 俺の人生全てをかけてでも、絶対に指輪を見つけてやる。


 そう意気込んでいるからには無策で指輪が投げ捨てられた川に乗り込んできたわけではない。

 以前と同じように制服のまま川に入れば風邪を引くのは目に見えているからな。


 風邪をひかないための対策として、俺はネットで安く売っていた漁師が履いているカッパと呼ばれる防水ズボンを履いて川に入っている。

 このズボンを着れば制服がびしょ濡れにならないだけではなく、水が地肌に触れないので制服で川に入っていた時とは比べ物にならないくらい暖かい。


 心姫がもう探さなくてもいいと言っているのにわざわざそんな服を買ってまで指輪を探す必要があるのかと思われるかもしれないが、きっと心姫は強がっていただけで、心の奥底では指輪を失ってしまったことに相当なショックを受けていたはず。

 だから探さなくていいと言われていたとしても、俺は絶対指輪を見つけなければならないのだ。


 カッパを着て川に入った俺はカッパのおかげで一時間、二時間と長時間指輪を探すことができるようになったが、やはり指輪は見あたらない。

 範囲を広げて捜索はしているものの、岩の隙間に指輪が入り込んでいれば指輪を見つけることは難しいだろうし、普通に考えればもう諦める段階にきているだろう。


 どれだけ絶対に指輪を見つけると決意をしても、川の中を探している最中はどうしても弱気になってしまう。


 指輪が見つからなかったらどうしよう、バイトをして新しい指輪を買えばいいのか? どれだけ頑張っても学生のバイトなんて一月で十万円稼げるかどうかだが……。

 川に投げ捨てられた婚約指輪を見つけるのではなく、購入に舵を切るならできるだけ早く舵を切って、指輪を探している時間をバイトに当てなければならない。


 それならもう指輪を探している必要は……。


 何度もそんなことを考えてしまうが、どれだけそう考えてもあの婚約指輪には武嗣さんの千景さんに対する想いがこもっていて、そして千景さんがその指輪を大切に持っていたという記憶が刻まれている。

 その指輪の代わりだと言って俺がどれだけ高価な指輪を渡しても、あの婚約指輪の代わりにはならない。


「……やっぱりあの指輪じゃないとダメだ。絶対に見つけてやる」


 俺がそう決意を固めた瞬間、俺は頬に冷たい感覚を覚えた。

 俺の決意の邪魔をするかのように、空から大粒の雨が降り始めたのだ。


 この季節、雨が降る回数は少ないはずなのに俺が指輪を探すことを決意したタイミングで降り出すなんて、神様は本当に意地悪だな……。


 思えば神様はずっと意地悪だった。


 純花に振られたことも、純花があらぬ噂を吹聴しクラスメイトから迫害されたことも、俺の父親が子供の時に病気で亡くなったことも、心姫の母親が二年前に病気で亡くなったことも、どれもが神様の意地悪だとするならば神様はあまりにも意地が悪すぎる。


 唯一感謝しなければならないのは、心姫と出会わせてくれたことくらいだろう。

 それは毎日土下座をしても足りないほどに感謝をしなければならないが、それにしたって意地悪な部分が多すぎる。


 ここまで意地悪したんなら、せめて指輪くらいは見つけさせてくれよ。

 もうこんなの神の力でもないと絶対に見つからねぇよ……。


 どれだけそうお願いしても指輪は見つからないが、まだ雨は降り始めたばかり。

 諦めずに指輪の捜索は続けるが、少しずつ雨量は増し、川の水量が増して捜索は困難な状況となってきた。


 増水した川の中に入り続けるのは危険すぎる。

 風邪をひくだけで済めばいいが、増水したとなれば風邪をひくだけではなく流されて命を落としてしまう危険性もある。


 とはいえまだ捜索は続けられそうな状況なので、もう少しだけ、ギリギリまで様子を見ながら指輪の捜索を続けよう。


 そう考えてから三〇分が経過し、川の水量は増していく。

 状況が悪化していく中で川の中を探し続けるが、指輪は見つからない。


 もう今日は諦めて、別の日に探すしかないな。


 ……いや、今日は、ではなく指輪を見つけることはもう諦めなければならないのかもしれない。


 これだけ水が増水し流れが早くなっているとすれば指輪が流されている可能性もある。

 それに指輪を失うだけでなく俺の命まで失われてしまったら、心姫の心の傷はさらに深くなってしまうだろう。


 まあそれは心姫が俺のことを好きでいてくれていたらという前提の話なんだけどな。


 ……うん。もう指輪を探すのは諦めよう。


 そう考え始めた次の瞬間、俺の名前を呼ぶ声がして、俺はその声の方を振り返った。

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