WETROID ―ウェットロイドー

炊込物語 のしまる

第1章 今ここにある脅威

第01話 訪問者

―訪問者―


 東京湾の潮風が微かに香る、横須賀海洋大学キャンパスの外れ。そこに1軒のプレハブが建っていた。20坪程の小ぢんまりとした平屋造り。伊崎研究室である。

 建物の主は伊崎大造教授。AIを使った海洋資源探査を主な研究テーマとしている。


 2月に28歳になったばかりの香春かわら英彦は、伊崎研究室の研究員として、AIの自律性を研究していた。

 英彦は、自律性に必要となる行動目的を外から与えられるのではなく、AI自身が自ら設定することが重要だと考えていた。そのためには、人間の持つ欲求や感情を疑似的にAIに持たせる必要がある。しかし、血も肉も無いAIに感情は模倣出来ない。

 そこで英彦は、感情表現のインプットとアウトプットをAIが認識すれば、感情の働きをエミュレート出来るのではないか、と考えた。

 性別、年齢の異なる100人のモニターに対して、様々な映像を見せるとともに、喜怒哀楽の思い出を話してもらい、その表情や反応、脈拍を記録する。そして、これらをAIに見せて感情表現のインプットとアウトプットを学習させるのである。


 モニターの記録は1人30分程であるが、対話方式でAIに学習させると1時間は掛かる。100人分をやりあげるのに100時間掛かる計算である。

 季節は、三寒四温を繰り返し、春を待つ3月中旬になっていた。


「これ、今月中に終わるかな……」


 うーん、と天井を見上げる英彦の背中に声が掛かった。

「香春君、教授がお呼びよ」

 声の主は九条かおり。英彦の先輩の研究員だ。

 英彦が振り返ると、意味深な目をしてニヤついている。


 ?を幾つか浮かべながらも、お呼びですか? とノックして、伊崎教授の部屋に入ると、中央のダイニングテーブルには、伊崎と背中を向けたスーツ姿の女性。

 英彦がヒコボシに夢中になっている間に来客があったようだ。

 伊崎は、おぉ、と入り口に向かって手を振ると、

「忙しいところすまんな。ちょっと紹介したい人がいるんだ。――さ、座って座って」

 と、自分の隣の椅子を引く。


「サポロイド日本支社の白石さんだ。白石さん、彼が香春君だ」

「サポロイドの白石ヒメノと申します。よろしくお願いします」

 椅子から立ち上がり、名刺を差し出しながらペコリとお辞儀をするヒメノに、椅子に座りかけていた英彦は、慌てて居住まいを正し、頭を下げる。

「香る春と書いてカワラです。すいません、名刺の持ち合わせが無くて……」

 年の頃は25前後だろうか。名刺には、サポロイド日本支社AI担当の肩書があった。

 何とも透明感のある女性で、英彦は視線が吸い寄せられるのがわかる。

 そんな英彦の心中にはお構いなく、微笑みを向け続けるヒメノ。

 英彦は、その視線から逃れるかのように、もう座ってもいいですか、と伺う目を伊崎に向けながら、勧められた椅子に落ち着く。


「さて、香春君、サポロイド社のことは知っているかな?」

華東※1から日本に進出してきたアンドロイドメーカーとしか」

「君も世話になったことがあるかもしれんが、あのハニーロイドを作っている会社でもある」

 ないない、と手を振り首を振る英彦を見るヒメノの目が笑っている。


 ハニーロイドとは、ハニーロイドカフェと言うコーヒーチェーンで給仕をするアンドロイドのことだ。人肌のような特殊な樹脂製のボディを持ち、日常会話が出来る汎用AIを搭載している。

 このタイプのアンドロイドは、美容院等の接客サービス業の他、一般事務でも使われ始めていた。


「我が社では、プラスチック製のボディを持つアンドロイドをハードロイド、樹脂製のボディを持つものをソフトロイドと呼んでいるのですよ」

 おぉ、と新しいトリビアを拾って目を見開く英彦。

「それで、そのサポロイド社が、このちっぽけな研究室にどのようなご用件で?」

「おいおい、ちっぽけなのは確かだがな、中身は世界の先端を走っているかもしれんだろう? サポロイド社は、君の研究に関心を持っているのだそうだ」

「我が社のアンドロイドは、人と会話したり、人にサービスしたりということが大半です。演出としては、笑ったりむすっとしたりということはプログラムされていますが、インタラクティブな共感力というと全くありません」

 ですので、とヒメノは続ける。

「香春さんが現在研究されている『AIの自律性と感情の役割』と言うテーマには、我が社でも大きな関心を寄せているところなのです。そこで、是非、私共にご協力頂けないか、と伊崎教授をお訪ねした次第です」


「我が研究室としても、新たなスポンサーは大歓迎だしな。ここはひとつ、香春君にひと肌脱いでもらいたい、と、そういうわけだ」

「きょ、教授!」

「そうは言ってもだ。今は3月で、2か月後には沖ノ鳥島だ。改めて資料を纏めたりする時間は無かろうから、まずは、白石さんには、君の研究を横で見ていてもらうという形でなら、協力出来ると答えてある」

 それにだ、と伊崎は身を寄せて英彦の耳元で声を潜める。

「こんな美人に四六時中まとわりつかれる経験なんて、そうそう出来るもんじゃないぞ」

「――それは、否定しませんが……」

 と、苦笑する英彦。

「了解と受け取っていいかな? では、今後のスケジュールは2人で合わせてくれ。白石さんもそれでいいかな?」

「はい、ありがとうございます」

「――じゃ、私はこれから船に行く用事があるので、失礼するよ」

 伊崎は、小さく仁義を切りながら部屋から消えた。


 失礼します、と立ち上がって会釈で見送ったヒメノは英彦に振り返って尋ねる。

「あの……、船というのは?」

「ああ、この研究室の本業は、海洋資源探査なんですよ。2か月後に沖ノ鳥島って言う日本最南端の島への調査ツアーを予定しているので、色々準備があるんです」

「沖ノ鳥島って聞いたことがあります。凄く遠い所ですよね。そんなお忙しいところにお邪魔してすみません」

「いえいえ、大丈夫な範囲でご協力するので、気にしないで下さい」

「ありがとうございます。――それでは、香春さん。私はいつ頃お伺いすればよろしいでしょうか? いつもAIの調整はいつ頃されているのですか?」

「大体、毎日昼過ぎから2、3時間というところです。今日は、この後別の作業があるので、明日からでも大丈夫ですか?」

「わかりました。では明日、12時頃参ります。念のためスマホの番号伺っておいてもよろしいですか?」

 おぉ、そうだそうだ、と番号交換をする英彦。

「では、改めてよろしくお願いします」

 ペコリと頭を下げるヒメノ。

 はらりと揺れる黒髪が、英彦には新鮮に見えた。



―BAR Liberty Teller "レバタラ"―


 その小さなバーは、伊勢佐木町に程近い、福富町の裏通りを入った所にあった。


 『LibertyTeller』


 これをレバタラと読ませるらしい。カウンターが6席程の小さなバーで、飲めるのは、生ビール、バーボン、ブレンデッドのスコッチ、焼酎、日本酒、ワイン、カクテル、と言ってもステアするものばかりで、あまり種類は多くない。手軽なつまみと小腹に程よい手のひらサイズの炊込御飯が持ち味の店である。


 英彦は、大学は違うが同じ分野の先輩研究者、加藤一郎と待ち合わせていた。加藤とは、こうしてたまに飲む仲である。

 英彦がひとり加藤を待ちながら1杯目のビールをちびちび飲んでいると、カラカランとウインドチャイムの音がして、加藤が店に入って来た。

「おう、待ったか?」

「まだ1杯目ですよ」

「加藤さん、いらっしゃい。生ですか?」

 店主のノシマルが加藤に濡れた紙おしぼりを渡しながら声を掛ける。

 加藤は頷きながら英彦の隣に座ると、紙おしぼりで顔を拭いて、ふぅっ、とひと息ついた。


「どうだ、進んでるか?」

「やっと100人調査を食わせ始めたところです」

「結構、時間掛かるんじゃないの?」

「お蔭さまで、特徴抽出の多階層メタ化も時間を取らずに済んでます」

「そりゃ何よりだ」

 加藤は私立横浜大学のAI研究者で、主にコンピュータ上の実現技術が専門である。

 特に、多階層フィードバックと言う、データのメタ化や評価付けを高速で行う技術に詳しい。


 へい、お待ち、とビールが届いたところで、英彦と加藤は軽くグラスを鳴らす。 

「――そう言えば、この近くにハニーロイドカフェの1号店があったの知ってたか?」

 来る途中で見たのか、思い出したかのように、加藤が切り出す。

「え、あそこ1号店だったんですか?」

「私も、たまに横を通るんですが、お客さんを送り出すハニーロイドを見掛けることがあるんですよ。びっくりしますね。えっ? これが人形? って感じで」

 ノシマルが話に乗ってくる。


「知ってます? ボディがプラスチックのアンドロイドをハードロイド、ボディが特殊樹脂のアンドロイドをソフトロイドって言うらしいですよ」

 英彦が仕入れたばかりのトリビアを披露する。ノシマルが感心したように頷くのを横目で見ながら加藤が掘り下げにかかる。

「おい、それは何処のネタだ?」

「ハニーロイドの製造元、サポロイド社の人から聞いたんですよ」

「お前にそんな知り合いがいたとは初耳だな」

「実は、今日会ったばかりなんです。僕の感情表現の研究に関心があるらしくて……」

 英彦は、ニヤつきそうになるのを抑えつつ、早くもネタばらし。しらばっくれるという技を知らない。


「さては若い女だな? しかもそこそこの美人」

 英彦の隠しきれないニヤつきを見て加藤が指摘する。

「さすが、加藤さん鋭い!」

「お前がそういうニヤけ顔をする時は、大抵、女がらみだろ?」

 と言いながら、自分もニヤつく加藤。

「加藤さんも、そういうニヤけ顔になってませんか?」

「ふ、ふ、ふ」

 と、加藤は、漸く自分のターンが来たという顔になる。


「俺んとこにもな、最近、若い美女が来たんだよ。なんでも、俺の論文を見て、関心を持ったらしい」

 自分の研究への関心が男性としての自分への関心かのように思うのは、英彦だけでは無いらしい。

「華連人なんだけどな。日本に住む華連人向けの情報サイトをやっててさ、アンドロイドやAIに関する日本の先端技術を易しく紹介しているんだと」

「そういうの、ハニートラップとかっていうスパイじゃないです? 大丈夫ですか?」

「可愛い系、と言うよりは綺麗系なんだよな。長い黒髪に光が当たるとさ、赤く照り輝くんだよ。しかも、日本語が流暢でさ」

 加藤は、英彦の危惧を意に介するつもりは無いらしい。


「いやぁ、久し振りに目の保養になったわ。そのうちお前の所にも来るかもな。といってもお前の研究は華が無いから、無理かもなぁ。大体感情表現ってゼニの匂いがしないもんな」

「確かにゼニの匂いはしないかもですが、研究はゼニだけじゃないでしょ!」

「じゃ、色気か? 男どもの研究意欲は、ゼニと色気で出来ている。俺の持論!」

 私もそう思いますよ、とノシマルが加藤の肩を持ったため、英彦の敗北が確定した。



―ハニーロイドカフェの麗人―


 英彦は、それから1時間程、加藤と過ごし、明日の弁当となる炊込物語を仕入れて家路に着いた。炊込物語は四角い形にラッピングされた、風変りな炊込御飯である。

 英彦の実家、磯子にある喫茶店カグヤマの人気メニュー、スリランカ風スープカレーと麻婆豆腐をレバタラの主人ノシマルが炊込御飯に仕立てた。この2種類以外にもスタンダードな和風味がある。

 ノシマルと英彦は、ノシマルがカグヤマに通って、父の道彦からレシピを教わっていた頃からの付き合いだった。


 福富町から関内駅に向かう途中、以前はチェーンのコーヒーショップだった場所にハニーロイドカフェの1号店があった。このチェーンは、2年程前からハニーロイドカフェを推進し始め、次々に旧店舗を改装しハニーロイドカフェに衣替えしている。

 ガラス越しに、メイド服だけでなくコスプレをしたハニーロイドが見える。

 何気なく、英彦が店の中を見ていると、カウンターの奥で黒服を着た男性従業員と話していたスーツ姿の女性が踵を返し、店から出て来るのが見えた。

 あれ、白石さん? とヒメノを思わせる風貌と背格好の女性である。ヒメノの髪が肩までくらいなのに比べ、背中に掛かるほどの長い髪を後ろで束ねていた。たなびく黒髪に店の灯りが反射し、一瞬紅い輝きを放つ。

 英彦は、思わぬ偶然の再会と思いきや、他人の空似だったことに軽い失望を覚える。

「――それにしても、紅いヘアマニキュアって流行っているのかな……」

 先程の加藤の話が思い出された。


※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓

https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534


※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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