第33話 ウェットロイドの想い

―ウェットロイドの想い―


 宿となった民宿の食堂では、ささやかな打ち上げが行われていた。


「いやしかし、こういう偶然は一度じゃないんだな」

 何杯目かのビールを空けて、九条が、七瀬と二階堂に同意を求める。

「石垣島を思い出しますね」

 頷いて九条に合わせる二階堂。


 そうそう、と九条がやや大げさな身振りで当時を振り返る。

「タナバタのテスト中に異音を検知して、何だ何だって騒ぎになって。どうやら潜水艦らしいってわかった時は、ぞっとしたもんだよな。日常の凪いだ海の風景すら嘘臭く感じられるようになるっつうか」

 七瀬も静かに2人に頷く。

「うちの嫁は、もう私達普通に戻れなくなったよね、って言ってました。僕もそう思います」


「そう言えば、七瀬さんご夫婦は、その石垣島がご縁でしたっけ?」

 二階堂が掘り下げにかかる。

「――ああ、そうだ。言われてみれば。七瀬さんところが、うちより先だったな。あん時も打ち上げの後、2人が伊崎さんに呼ばれて……」

 九条が思い出したように言う。

「九条さん時は、小笠原でしたっけ?」

 二階堂は他人のことは細かく覚えているらしい。

「そうそう、同じように教授に呼ばれて、どうでもいいこと言ったかと思うと、じゃ、あとは2人で、って感じで俺達を残して消えちまった」


 七瀬は、微笑ましそうに英彦とヒメノを見て呟く。

「じゃあ、今回はあの2人でしょうね」

 九条と二階堂も2人を見て頷く。

「お似合いだよな」

「そうですね。息ぴったりって感じですもんね」

「あの2人、いつもAIの話とかタナバタのプログラムの話とかばっかりしてません?色気が無いと言うか」


 その七瀬の言葉通り、英彦とヒメノはタナバタのAIについて語り合っているところだ。

「それ、クールな七瀬さんが言うかな。七瀬さん夫婦も結構クールな感じだったけど」

 九条がそんな七瀬に突っ込みを入れると、

「隣の芝生は青く見えるもんなんですよ」

 と、七瀬は照れながら誤魔化す。

「趣味も興味も仕事も近いってのは、羨ましい限りですけどね」

 二階堂の羨望たっぷりの言葉に九条も七瀬も頷いた。


 そんな二階堂は、今度は九条夫婦をいじりにかかる。

「そういう九条さんところは、性格も体も相性ばっちりだそうじゃないですか?」

「え、誰がそんなことを?」

「四方ちゃんが言ってましたよ。かおりさんが自慢してたらしいです」

「かおりがそんな事を!」


 逆だったら大変ですよ、と七瀬が他人事じゃないという顔で肩を叩いて、矛先を二階堂に向ける。

「九条さん、二階堂君のマッチメイクは我々でやりませんか?」

「無理無理。今、二階堂君は、造船本社の近所の居酒屋に現れる美女に夢中だからな」

「ちょっと、九条さん!」

「鈴ちゃん、かっこいいですよねぇ。って言ってたじゃねえかよ」

「え、そうでしたか?」

 シレっととぼける二階堂。


「鈴ちゃん、ですか?」

 七瀬は構わず掘り下げる。

「そ、24か5くらいかなあ。スーツ着て、背中くらいまでの長い髪を束ねててさ。なんか颯爽としたビジネスウーマンって感じなんだよな。黙ってるとキツめの美人って感じなのに、笑うと普通に可愛い。二階堂君はそういうギャップに弱いのだよ、なー」

「――九条さーん、もう勘弁して下さい」

 二階堂は白旗を上げて全面降伏した。



 クリスマスイブでもあり、早めに始めて早めに終わろうということで、伊崎は席を立ち、居住まいを正して締めの言葉を述べる。


「何はともあれ、ご苦労様でした。一応の成功を見たものの、まだまだこれからという課題も見えた。課題が具体的に見えることはいいことだと俺は思う。これからが新しいスタートだ。——ということで、一本締めで行きましょうか。お手を拝借。よーお」

 パン、と手拍子の後にぱらぱらと拍手が沸く。


 ヒメノは一本締めを見たことが無かったらしく、周りを見ながら調子を合わせた。

「メリークリスマス・アンド・ハッピーニューイヤー!」

 二階堂が声を上げて、さらに拍手を膨らましていく。


 おやすみなさい、と言って九条、七瀬、二階堂が食堂を出て行く。そのまま連れだって出ていこうとする英彦とヒメノを伊崎は呼び止めた。

「香春君、それからヒメノちゃん。ちょっと話があるんだ」

 と、ふたりを誘い出し、浜辺に向かう。




「今回は、本当にうまくいって良かったよ。改めて礼を言うよ。ヒメノちゃん」

「そんな、本当に適当がうまくいっただけです」

 ヒメノは手を振って恐縮を返す。

「もともと、設計時にヒメノちゃんが、複数のタナバタから音を出した時に相手にどう聞こえるのだろう、って音位の話をし始めたので、トラックを複数作っておいたんですが、それが役に立ちましたね」

 英彦もヒメノを持ち上げる。


「で、これで和華人がどう動くのかが気になるんだ。――ふたりはどう思う?」

「我々が与那国島に来ていることはバレてるんですよね。となるとタイミング的にも単なる相関関係ではなく、因果関係があると睨んでくるでしょう」

 英彦は、そう確信する。


「奈美さんは、姫乃さんのスタンスについて、今でも反政府だろうって言ってましたけど、反政府の気持ちが強いとしたら、出来ることなら政権を奪って世の中を変えたいと思っていてもおかしくありません。――殆どの共産党員がウェットロイド化してしまえば、ベースサーバ―を乗っ取るだけで、下克上が成り立ってしまうことを彼女は知っているわけですから」

「華連を乗っ取る? 姫乃が?」

 伊崎は驚いた顔で英彦を見る。


「そうなると、パープルロイドにどうやって再び取り入るか? という話かな」

 伊崎は腕を組み首を捻る。

「――手土産を持って行きたいのじゃありませんか?」

 暫く黙っていたヒメノが口を開く。

「父親のライフワークを潰したいとまで考えているかどうかはわかりませんが、伊崎研究室が海洋研究の名目で潜水艦の侵入監視を行っているという事実だけでも取り入る材料になると思うのではないでしょうか? 少なくともサキモリが設置されている地図でもあれば、侵入ルートが絞り易くなると思います」


「どうやれば、そういう情報を入手出来ると思う?」

「ハニートラップはあり得るでしょう?」

 英彦は他人事のように言ってのける。

「ヒコくんが?」

 ヒメノが小首を傾げて英彦を見る。

「僕は間に合っている……、と思うから」

 訝しむ眼差しのヒメノに自信無さげに目を逸らす英彦。


「二階堂君辺りは、ターゲットになりやすいかもしれないな。三崎造船の九条さんや二階堂君の行きつけの居酒屋に、紅鈴が顔を出しているというNSA情報がある」

「二階堂さんはサキモリの設置座標を知ってるんですか?」

 ヒメノが伊崎の話に反応する。

「いや、設置座標については機密扱いにしているから、正確には知らない筈だ。正確に知ろうと思えばオリヒメのデータを見るか、船長室の海図を見るかというところだな」

「じゃあ、予め船長室の海図に細工をしておいて、そのうち情報が漏れるのを待つってところですかね?」

 英彦が伊崎を窺う。


「きっと、それだけじゃ姫乃本人は出て来ないだろう。本人が出て来るとしたら、ヒメノちゃん、君にも手伝ってもらう必要がありそうだ」

「教授。それはどうしてですか?」

 そう問いかけながらも、英彦は、泣きそうな表情の伊崎に驚きを覚える。


「あの子は、母親の愛、と言うか母親との関係性に飢えていると思うんだ。一緒に住んでいたとはいえ、華連での10年間は、政権の監視下にあって、あまり普通の生活は出来ていなかったらしい……。奈美ちゃんも、そのことをずっと悔やんでいたよ。ヒメノちゃんを襲撃した時、車で轢いてまでもAIを奪おうとした……。ずっと、何でそこまでするのか気になってたんだが、ヒメノちゃんが奈美ちゃんと母子のように暮らしているところを見て、嫉妬に近い感情が芽生えたんじゃないかって、そんな気がするんだ」

「教授……」

 ヒメノが伊崎に寄り添う。


 伊崎は、ひと息鼻を啜ると、ふたりの目を交互に見詰めた。

「なあ、ふたりとも。俺はあの子を取り戻したい。自分の意志であちら側に付いているとしてもだ。そうするとだ、君達2人を襲った張本人をこちら側に引っ張ってくることになる……。君達は、それを許してくれるだろうか?」

「何を言うんですか教授。教授の家族は、僕にとっても家族同然だし、僕以上にヒメノちゃんにとっても家族です。何よりヒメノちゃんのDNAは姫乃さんのものだし。許すも何もないですよ!」

「そうですよ。家族を守りたいって思いは、私も一緒です」

 伊崎は、2人の肩に手を乗せて、半ば呻くように言った。

「――ありがとう。ふたりとも」


 ゆっくり息を吐き尽くすくらいの時間、そうしていた伊崎は、すーっと息を吸い込みながら体を起こすと、

「ビールでも買いに行ってくるわ。おふたりさんはごゆっくり」

 と、後ろ手に手を振って宿に帰って行った。




「――僕は、教授のあんな顔初めて見たよ」

「博士も教授も、姫乃さんのことをとても愛しているのですね……。私は、姫乃さんの場所を奪っているのでしょうか?」

「そんなことは無いと思うよ。今は独占状態かもしれないけど、姫乃さんが加われば、きっと新しいバランスが生まれるさ。それに、姫乃さんも年齢的には25歳ってことだから、一般的には、独り立ちしている年頃だし、四六時中親子べったりっていうことは無いと思うけどな」


「――あ、よく見たら、与那国島の星空も綺麗ですね」


 ヒメノは、見上げた満天の星空から英彦に振り返ると笑顔を向けた。ひと際目立つオリオン座と、明るいシリウスが昇ってきていた。


 英彦は、沖ノ鳥島の事を思い出した。

 初めてキスをしたあの夜、ヒメノは、満天の星空に心が洗われると、自分には何も残らないと言っていた。エミュレーションで飾り立てているだけで、本当の感情を持たない自分が、空っぽの自分が露わになることを恐れていた。


 そんな英彦の心配を他所に、ヒメノは浜辺をぽつりぽつりと歩きながら鼻歌を歌いだした。英彦には馴染みの無い曲だ。


「それ何の曲?」

「あ、これですか? ちょっとした作曲の練習です」

「え! 作曲なんて出来るの? それは凄いことだよ。ヒメノちゃん!」


 ヒメノは右手の人差し指を立てて、奈美の声真似をする。

「新しいものを生み出すには、3つの『ん』が大事なの。りろ・ん、すいろ・ん、けいけ・ん。この3つの軸が作る平面上にしか、物事は生み出せないのよ。と、料理を作りながら博士は言ってましたけど、私、音楽も同じじゃないかって」

「3つの『ん』は、教授も良く言ってたな」

 英彦もヒメノに歩調を合わせる。


「音楽理論があって、音の響きを想像して、試行錯誤して形を整えていく……。私には情感はわからないけど、和音の協和音とか不協和音は数値的に理解出来るんです。これまで聞いた色んな曲をメタ化して、断片化して、そうして出来た音の欠片をパズルみたいにあれこれ組み合わせてるところなんです」

「イザナミさんが料理が上手いのも、やっぱり数値的に理解しているからなのかな?」

「鋭いですね。実は、博士直伝レシピを数値化してるんですよ。私達は自分の舌で味を見るのは得意じゃないから……」


 ――やばい。

   自虐モードのスイッチを

   押してしまったかも。


 英彦は焦る。避けようとして意識すると逆に引き寄せられるという心理現象だろうか。


 ――平常心、平常心。


 英彦は、平静を保とうと心に念じる。


「心が洗われますね……。——私が空っぽになっていく」

 ふと呟くヒメノの言葉に、やはり来たかと、英彦はさらに警戒を強める。


「——でも、寂しいとかそういうのとは違うんです。なんか、見事に何も無いんだなって感じで、スッキリし過ぎるくらい……」

 潔いくらいの乾いた笑みが、薄っすらとヒメノを彩る。


「私、ずっと種の保存欲求の感情表現について考えてたんです。博士に聞いて、世の中の色んな情報も見て、男女の営みについて勉強したんですけど、本能って言うか、皮膚感覚って言うか、あるいはホルモンとか分泌系の働きなのか……。エミュレーションしようにも、きっかけのインプットが全然掴めなくて」


 ふふっ、と諦めにも似た笑いがヒメノの口から洩れる。

「ウェットロイドは、筋肉を動かすのは得意なんですけど、分泌させたりするのは苦手なんです。涙も思うように出せないし、皮膚感覚も、微かに圧力を感じられるくらいしかないですし。どういう刺激で、どう振る舞えば適切なのかわからなくて。だから、どれだけアウトプットを勉強しても、使い道がわからないんです」

「ヒメノちゃんの感情表現は、相手の反応があって成立するものだから、相手の評価を見て自信を付けていけばいいんじゃない?」


「それは、男女の行為だけをとってみればそうなのですけど、それだけじゃないと思うんです。子供が出来れば、私の臓器や細胞達は、母親モードに移行するはずなのですけど、私のAIは、たぶん、母親モードに同調出来ないんじゃないかと思うんです。AIには、もっと強力な評価軸の洗い直しが必要になると思います」

「母親モードのAIというのは?」

「子供のために自己犠牲を厭わない論理を持ち、場合によってはウェットロイド3原則すら上回る因果律を持つかもしれません。それはAIの内部に閉じたものではなくて、体内の細胞達の情報にも耳を澄まさなければ調和が取れない因果律のように思うんです」


 ヒメノは、ふぅ、っとひと呼吸置いて英彦を見詰めた。

「私が辿り着きたいのは、そういう母親モードのAIなんです。つまり、母の愛、それも私が与える立場として知りたいんです」

 ヒメノの足音が英彦に詰め寄る。確固たる決意を持った美しい顔が、堪え難い圧力を伴って英彦に迫る。


「ヒコくん……。こんな私ですけど、人として、女として見てくれるのなら、そして、私というAIのさらなる進化を望むのなら、私の子供の父親になってくれませんか? 博士の了解は得てあります。——シャワーを浴びたら、21時に私の部屋に来て下さい」


 ヒメノは、切実な表情でそう言うと英彦を残し部屋に戻っていった。







※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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