第34話 与那国島の夜

―与那国島の夜—


 21時ちょうど。部屋着といっても長袖のTシャツとズボン姿の英彦が、ヒメノの部屋をノックする。


 ガチャリとドアが開いて、入ってと目で合図するヒメノ。部屋の中は、殆どをベッドが占める、ビジネスホテルのシングルルームの作り。明かりはほの暗い調光だ。


 姫乃は、シャワーの後のガウン姿。石鹸の香りが微かに漂う。


「――なんか、いい香りだね」

「ん?」

 と、ヒメノは周りを見回して薄く微笑む。

「石鹸の香りがしますか? 私達ウェットロイドは鼻が利かないから……」


 なんとなく、自虐的なノリが消えていないのを見て警戒する英彦。

 ベッドに座って、隣をトントンと叩くヒメノ。英彦は素直に座る。目の前には狭いサイドテーブルがあり、テレビが置いてある。その前には冷たいお茶が注がれたグラスが2つ。


「はい」

 と、英彦にお茶を渡しつつ、自分も1つ持ってひと口啜る。

 英彦がグラスを手に持つと、モニターに映像が映った。


「――知恵の泉のイビト!」

「私、このお話大好きなんです……」


 朗読するヒメノの声が、反応するヒコボシの声がある。朗読する優しいヒメノの声、ヒコボシを説いて教化する話し方。子供に接する母親のような印象を持ったことを思い出す。


「人形なのに、人を大事にしていて、人と共存しようとしていて、人より能力があるのに人を育てて、人の思いを継承することに一途で、命までも継承する。――そんな在り様が、すごく私を惹きつけるんです」

「僕も好きだよ」


「私は、例え人間の肉体を持っていても、所詮アンドロイドです。だけど、人の想いを、人の命を継承する能力があります。私自身の在り様、私自身の生き様として、それを証明したいんです……。ただシミュレーションが上手で、エミュレーションが上手なだけじゃなくて、感情表現が豊かで、親として子供をちゃんと躾けられて、立派に子供を育てられる、そんな存在になりたいんです」


「――ヒメノちゃんなら、きっとなれると思うよ」

「ありがとうございます……。でも、今の私が欲しいのは、リアルな現実なんです」


 そう言うと、ヒメノはグラスをサイドテーブルに置いて立ち上がり、羽織っていたガウンを落とした。モニターの光を背に、ヒメノの裸身が圧倒的な至近距離で英彦に迫る。

 座った英彦を緩やかな笑みを湛えて見下ろすヒメノ。胸の隆起やその先端の小さな突起も、心なしか笑みを湛えて英彦を見下ろしているように感じる。


 ――美しいって、圧力があるもんだな。


 と、英彦は思う。奈美の立ち居振る舞いといい、ヒメノのボディバランスといい、男子の煩悩を超えて、素直に崇拝するしかない美しさがそこにはあった。


 少し目を下に向けると、薄い毛に覆われた逆三角形の翳りがある。シャワーの後の石鹸の香りが、そこからも立ち上るようで、英彦は軽い眩暈を覚える。


 テレビの音はいつしか消えていた。

 英彦の頭を両手で引き寄せるヒメノ。


「種の保存欲求は高まりましたか?」


 頬をヒメノの胸の下辺りに押し付けられ、吸い付くような肌触りに戸惑いながらも、英彦は答える。


「ごめん……。普通に見惚れてた。ヒメノちゃんすごく綺麗だ」

 ヒメノは、英彦の顔を引き剥がし、怒った顔で言う。

「ダメです。ちゃんと高めてくれないと!」

 そう言って隣に座り、英彦の右手のグラスを取り上げると、服を脱がせにかかる。


「え、ちょっと……」

「ヒコくんも初めてかもしれないけど、私も初めてなんですよ!」

「でも、華連で彼氏がいた話が」

「あれは姫乃さん本人の話です。私は生まれてから一度も無いんですから!」


 Tシャツが脱がされた。ヒメノは、手際良く畳んで、サイドテーブルの上に置く。そしてヒメノは、英彦の前にしゃがみ込み、ズボンのベルトに手を掛ける。目で英彦を釘付けにしながらベルトを外していく。――ズボンとトランクスは一気に尻まで引き下ろされた。


「わっ!」

 ここから先は英彦の協力無くして先には進めない。

「ヒコくん!」

 ヒメノの眼力が有無を言わせない圧力で迫る。腰を浮かせた英彦の隙を見逃さず、ヒメノは膝まで下ろす。

「はい、左足! 次、右足!」


 と、ヒメノは英彦の足を上げさせるとズボンとトランクスを取り去った。これも手際良く畳んで、サイドテーブルの上に乗せていく。


 靴下だけの情けない状況に、英彦は思わず歎願の声を漏らす。

「あの……、靴下もついでにお願い出来ますか?」


 ヒメノは目だけで返事をすると、丁寧に靴下を脱がせ、これも畳んでサイドテーブルに乗せた。そして、英彦の膝の間に体を入れると胸に抱き着いてきた。頬ずりをするように密着して、右手は英彦の左腕と左胸を、左手は、背中とうなじを摩るように動く。


「どのくらいの強さで触ると気持ちいがいいですか?」


 胸元から見上げるヒメノが、いじらしいくらいに可愛い、と英彦は思う。

 強弱織り交ぜて擦ってくるヒメノ。心地良いと思えるところで、そのくらい。と反応する英彦。


 ヒメノがずり上がるようにして、英彦の頬を手で挟み、顔を寄せる。英彦の目の前には、すぐに唇があり、見詰めてくる瞳があった。

 思わず吸い寄せられるように口付ける英彦。自然と舌もヒメノの口に……。


 あ、と言って唇を離すヒメノ。

「それは、本能の為せる業ですね。――私もエミュレートしちゃいます」

 今度は、ヒメノが英彦に舌を絡ませる。


「――じゃあ、私の胸も触って下さい……。たぶんセンサーが少なくて感覚がわからないと思いますから、ヒコくんが優しいと思う強さでいいですよ」

「こ、これくらいかな……」

「あ、それ、少し、わかります……。もっと強く触っても大丈夫ですよ」

「柔らかい……。ちょうど手のひらにぴったりっていうか、ちょと溢れる感じだ」

「博士に比べると小さいですけど……」

「奈美さん、これより凄いんだ!」

「そうですよ。もうひとまわり違います」

 そう言って、ヒメノは顔を寄せてきて、奈美の話題を終わらせるキスをする。

 そして、英彦の目を見詰めながら、

「種の保存欲求を感じますか?」

 と、再び聞いてきた。


 下半身の反応を少しは自覚してはいるものの、そういう自分を客観的に見ている賢者の存在もまた自覚している英彦は、多少自信無さげに頷く。

「まぁ、少しは……」 


 ヒメノは、じゃあ、と言って英彦を回り込んでベッドに仰向けに横たわると、私の事もいろいろ触ってみて下さい、と言って英彦の手を取って股間に導く。

 目を閉じて横たわるヒメノの姿が、ちらちらとしたテレビの明かりだけの世界で、異様に美しく映る。


 英彦は、誘われた股間から手を放し、頭、首筋、肩、腕、胸、くびれ、腰、太もも、膝、ふくらはぎ、足首、つま先、とひと通り撫で回した。


「――どうしたのですか?」

「ヒメノちゃんの体が綺麗だから、見るだけじゃなくて3D的に記憶したくなった」

「ふふふ……。3D的って触ることですか?」

「僕的にはね」

「でも、私、皮膚感覚もあまり強くないから、薄っすらとしかわからなかった……」

「気持ちいい感じじゃないってこと?」

「なんか当たったとか、そういう感じかも」

「そうなんだ」

「でも、触ってくれているヒコくんの優しい顔は好き」

「好きって感覚わかるの?」

「限界効用が高いだけかもしれないけど、また見たいって思います」

「それを、種の保存欲求に結び付けないとね」

「ああ、そういうことですね」


 改めて、ヒメノが英彦を自分の下半身に導く。

「今度は、ちゃんと見て触って下さいね」

「わかった」

 初めて見た女性自身だが、英彦は緊張よりも好奇心の方が高まってしまっている。ひとしきりあれこれ触ってみるが、ヒメノの反応は殆ど無かった。


「薄っすらと触られているのはわかるんですけど、どのくらい、どう反応していいかわからなくて……。これでも、いろいろ勉強したんですけど……ごめんなさい」

「ヒメノちゃんが謝るようなことじゃないよ。こういう敏感な部分にセンサーを埋め込むのはすごく大変なことだと思うよ」

「神経は活きているのですけど、その信号を拾えないみたいです」

「なるほどね」

「それに、反射的な反応はAIでは制御出来ないので、たぶん、そんなに濡れてないと思います」

「僕も経験無いから、どの程度が適切かはわからないけど……、少し湿っている気がするけどなあ」

 えっ、とヒメノが半身を起こして、自分でも触り始めるが、疑う表情が強い。


「――じゃぁ、ちょとズルしちゃいましょう」

 と言って、口元に左手を持っていくと下を向いて唾液を垂らす。

「唾液は出せるんです。私」

 そう言いながら、女性自身に塗り始める。


 それを見ていた英彦の顔を、ヒメノは右手で軽く抱き寄せると、またキスをして、舌を絡めてきた。と同時に、唾液で濡れた左手は英彦の少し硬くなった英彦自身を柔らかく包み込む。


「んん」

 と、唇を塞がれながらも反応する英彦。

「ヒコくん……。ちょっと息が荒くなりましたね。気持ち良かったですか?」

「うん、たぶん。僕も自分のここはうまくコントロール出来ないから」


 呼吸くらいなら私にもエミュレート出来そう、とヒメノの呼吸も少し荒くなる。ヒメノの唇と左手の動きは変わらない。右手も腕や胸や太腿辺りを絶えず摩る。


「なんか、お互い高め合っている感じが……、凄くしてきた」

「ヒコくんも、触って」

 と、英彦の右手を胸に、左手を女性自身に誘う。

「ここ、強さ大丈夫ですか?」

 ヒメノが左手の加減を聞いてくる。

「もうちょっと強くしてみます?」

 そう言ってヒメノの左手にやや力が入った瞬間。

「ダメ! ちょっと待って、ヒメノちゃん!」

 と、英彦が拒絶反応。


 息をはぁはぁとさせながら、英彦の右手がヒメノの左手を押さえていた。

「――そろそろ、準備は大丈夫みたいですね」

 ヒメノは足を開き、英彦の手を取って腰を抱き寄せ、迎え入れる体勢を取る。

「さあ、ヒコくん。私の中に来て下さい」

「……うん。やってみる」

 あれこれ触ってみて、構造を理解したつもりの英彦。

「あのさ、ヒメノちゃん」

「何ですか?」

「初めてって言ってたよね。大丈夫?」

「私には、処女膜は作り込まれて無いですし、あったとしても痛くないですから」

 困ったような顔で微笑むヒメノ。

 意を決して、挑む英彦。

 ぐっ、という抵抗。手を添えてさらに挑む英彦。さらに膝を入れ、腰を押し進めると、ふと、ぬっ、と壁を超えたような感触があった。――瞬間、世界が開けた。


「どう……、ですか?」

 ヒメノが聞いてくる。

「なんとか入ったみたい。――なんか、すごく温かい」

「良かったです。中の圧力は少しわかるんですが、どのくらいまで入っているかなんて、よくわからないみたいです。ヒコくんは好きに動いて下さい。私、中の筋肉は5箇所くらい動かせるから、ちょっとあれこれ試してみますね……。痛かったりしたら教えてください」

「わかった……」



 この後、ヒメノは、今までに聞いたことの無い英彦の悲鳴、目にしたことの無い悶絶を目にすることになった。

 何とか事が終わり、ジェットコースターから帰って来たかのように呆然とした顔の英彦を、ヒメノが優しく抱き締める。


「ヒコくん……、お疲れ様」

「ん?」

「ギューッてして下さい」

「いいよ」



   *   *   *



 潮騒を聞きながら、浜辺で缶ビールを飲む伊崎。スマホで奈美と話している。


「――そうか、無事終わったか。星空のマッチメイク第2段階終了だな」

『まるで、自分が香春君としているような気分になっちゃったわ。あの子の反応は凄く面白かったけど』

「俺はヒメノちゃんの男親みたいなもんだし、奈美ちゃんの元夫なわけで、実に複雑な気分だよ。娘を嫁にやるのと同時に、嫁の心を寝取られたみたいな、ね」

『あらやだ、先生ったら。妬いてくれてるのかしら?』

「ヒメノちゃんがアンドロイドだってのは頭ではわかっているんだが、時折り姫乃じゃないかって表情をする時があってハッとさせられる。最初は驚いた。――今は、娘だと思えばいいじゃないかって割り切っているけどな。それに、奈美ちゃんのことは今でも嫁だと思っているから……」

『先生……。先生は、私にとっては今も昔も変わらず、世界に1人だけの先生よ』

 奈美は少し明るい声で話を逸らしに掛かる。


『――それにしても、ウェットロイドのおかげで男女関係は随分と面倒になるものね。主観的には人間だけど、客観的には物だもの。私の場合は、自分で作った分、物って感覚が強いかな。作品としての愛情はあるけど、実の子への愛情とは質が違うのよね。だから、もし、先生がイザナミとそういうことしたとしても浮気って気がしないと思うな』

「奈美ちゃん。そうやって試さないでくれないか」

『別に試してなんか――』


「——あのな、俺は今回の件で、絶対姫乃が動くと思うんだ。何としても誘い出して、捕まえて、こっち側に戻ってきてもらおうと思ってる」

『先生……』

「そしたら……。そしたら、また3人で家族になろう、奈美ちゃん」


『——もう、そうやっていっつもいっつも、先生は、ここぞっていう時に、そういうズルいセリフを言うのよね』





※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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