第4章 十字架の重さ

第35話 居酒屋オロチ

―居酒屋オロチ―


 1月某日、七瀬が新型フカミンの打ち合わせのために二階堂を訪ねる機会があったため、九条、二階堂、七瀬の3人は、これ幸いと、『ふかみ丸』船員新年会と称して飲んでいた。


 場所は、九条と二階堂がよく行く『居酒屋オロチ』。これまで何度か七瀬も一緒に飲んだことのある店だ。


 深海探査艇フカミンは、従来の有人型から、水中ドローンのタナバタと同様のAIを搭載したスマート・フカミンへと変貌していたが、設計を担当する二階堂には、そこが面白くないようだ。鍋を待つ間にも愚痴が積もる。


「もう船、と言うよりAUV※1ですから……。バラストなんか持たせずに中間浮力だけでいいんじゃないかと思うくらいですよ。サキモリの指示で動くところも、すっかりタナバタですし。七瀬さんとこで、作った方が早かったんじゃないのかなあ」

「そんなことは無いですよ。タナバタは千メートル以上深い所には潜れませんし。将来的にもっと深い所にサキモリを置くようなことになれば、スマート・フカミンの活躍の場が広がるじゃないですか。それに、ソノブイ発射管は魚雷発射管と同様の技術が使われているんでしょう? うちには無理ですよ」

 謙虚に二階堂を宥める七瀬だが、しかたないなあという顔で九条に救いを求める。


「有人型の深海探査艇を作って保守していくというのは、宮大工仕事みたいなもんだ。それに比べると、スマート・フカミンは近代建築の高層マンションだ。ビジネス的にもいいことなんだぞ。サラリーマンたるもの、ビジネスが大きくなれば、偉くなる機会も増える」

 九条はビジネスマンの論理で二階堂を説得しようと試みた。


「――そりゃわかりますけど。人間の仕事が機械に奪われるような感じ、と言うより、AIが人間の仕事を奪うのを手助けしているような、そんな感じがするんですよ」

「なるほどなあ。深海のロマンをAIに渡したくないというわけか。だけどな、そもそも命の危険を冒してまで、人間が自身で深海に潜らなきゃ、そのロマンは満たせないものなのか?」

 九条は腕組みをして首を捻る。


 と、そこへ、女性の声が割り込んだ。

「何のお話をしてらっしゃるんです?」

「お、鈴ちゃん!」

 九条が声の主を見て声を上げると、二階堂も慌てて後ろを振り返る。


「九条さん、二階堂さん、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 鈴と呼ばれた声の主は軽く頭を下げる。


「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」

 九条と二階堂が頭を下げるのに、七瀬も付き合って軽く頭を下げた。


「——あ、こちら取引先の七瀬さんです」

 鈴の視線が七瀬を見ているのを見て、二階堂がフォローを入れる。

「紅(くれない)、鈴と申します。初めまして」

 と、七瀬に挨拶をするのは、スーツ姿の麗人、紅鈴である。

「あ、どうも初めまして、七瀬です」

 七瀬はあっさりとした挨拶を返す。


「せっかくですから、ご一緒してもよろしいですか?」

 いつもはカウンターに座る九条達だが、この日は七瀬がいたこともあって、4人テーブルを使っていた。

「どうぞどうぞ」

 二階堂がそそくさと隣の空席の椅子を引く。


 それに笑顔で礼を返し、マスター私生ビール、とカウンターに手を振りつつ、紅鈴は席に着く。隣に二階堂、斜め向かいに九条、対面に七瀬、という位置取りだ。


 店員がおしぼりとお通しを置いていく。

「クリスマスにお会い出来るかなと思っていたのに、年明けになっちゃいましたね」

 紅鈴はおしぼりで手を拭きながら、さりげなく与那国島方面に話題を向けた。


「去年のクリスマスは、ちょっと南の島へ仕事で行ってたもので」

 二階堂は申し訳なさそうに釈明する。

「ええ、いいですね。どちらの島ですか?」

「与那国島というところです」

「与那国島って、飛行機で行くんですか?」

「僕らは船で」

「僕ら?」

 二階堂は、九条と七瀬を指すと、2人は頷いた。


「あら、みなさんは同じ船に乗ってらっしゃるんですね。九条さんも二階堂さんも、造船の方でしたよね。じゃあ七瀬さんも?」

「いえ、私は別の会社なんですが、船では九条さん達と一緒に乗らせてもらってるんです」

「え、どういうことかすごく気になる」

 と、紅鈴が目をぱちくりしているところへ生ビールが届いた。


 それじゃ、明けましておめでとうございまーす。と紅鈴の掛け声で、4人はグラスを鳴らした。


「――はー、美味しい」

 ごくりとひと口飲み干すと、紅鈴は他の3人に笑顔を見せる。

「あなたが噂の鈴さんでしたか」

 九条と二階堂がニヤつきながら話していた理由に合点がいった七瀬が感想を漏らす。

「え、何の噂ですか? 怖い怖い」

 紅鈴は、九条に続いて、二階堂に目を向ける。


 黙り込んだ二階堂を見て、九条が逃げ場を塞ぎに入る。

「二階堂が、居酒屋オロチで会った別嬪さんのことが気になって仕方ない、という話をしてたんだよ」

「あら、それって私のことですか? ん?」

 紅鈴は、二階堂に顔を寄せる。

 困った顔になる二階堂。


 ひと呼吸、そうして二階堂いじりをした後、紅鈴は先の疑問を七瀬に向ける。

「九条さん達は造船の方だから、船に乗って与那国島に行くっていう話はわかるんですけど、七瀬さんも一緒にというのは、よくわからないです。3人はどういうご関係なんですか?」

 追い詰められていた二階堂が、話題が変わったことにホッとして勢い込んで話し始める。


「――それはですね。僕達は海洋資源探査船の乗組員もやっていてですね、それで、調査で使う機械を七瀬さんところで作っているので、一緒に船に乗ることが多いんです」

「海洋資源探査ですか。なんかロマンチックですね。どんな資源があるんですか?」

「レアメタルとか、メタンハイドレートとかですかね。今は調査ばっかりで開発段階では無いんですけど」

「なぜまた造船が海洋資源探査を?」

「研究は大学の研究室がやっていて、造船は船を作るだけなんだよ。二階堂が作っているのは、船と言っても深海探査艇と言う特殊な船なんだけどね」

 ちょっとは二階堂に花を持たせようと、九条は二階堂の得意分野に話を向ける。


「深海探査艇って、あまり聞いたことないです。二階堂さん、深海探査艇って、潜水艦とはどう違うんですか?」

 紅鈴は流れのままに話を進める。

「深海探査艇は、潜る仕組みは潜水艦と一緒なんですけど、深く潜れば潜るほど水圧も高くなるから、潰されないように、頑丈なボディを持っているんですよ。潜水艦は水深千メートルくらいが限界だけど、深海探査艇は凄いのになると6千メートル潜れるんです。うちのは3千メートルが限界ですけど」

 すごーい、と紅鈴は二階堂の目を見ながら頷く。


「マニピュレーターという遠隔操作の機械も付いていて、海底の土を掘ってサンプルを回収して戻って来たり出来るんです。海底で作業するとなると無くてはならない存在です」

「なるほどぉ。与那国島の海にも潜ったんですか?」

「僕はメカニックなので潜らないんですけど、研究室の人が潜ってます」


「海の底ってどんな感じなんでしょうね。光の届かない真っ暗な世界なんですよね」

「はい。電波も届かないので、海の中では、音で世界を見るんですよ」

「音で?」

「そう、海底の地形も音の反射を計測して把握するし、時には潜水艦の音なんかも聞こえちゃうんですよね」

「ええ! 潜水艦って音がするんですか?」

「スクリューとかの機械音なんですが、それが潜水艦の作りで違うらしいから、何処の潜水艦かもわかるって話です」


「凄いですね。二階堂さんはスクリューの音を聞き分けられるんですか?」

「僕には出来ないです。それは自衛隊の仕事かも」

「造船さんが自衛隊に教えるんですか?」

「それは僕らじゃなくて、研究室からなんです。もし、深海探査艇が怪しい音を拾ったら海底の機械に超音波通信で連絡するんですが、そこから海底ケーブルのネットワークを通して研究室に情報が伝わるんです。研究室で必要だと思うものは自衛隊に連携してるんじゃないのかな」


「へえ、海底ケーブルのネットワークですか。初めて聞きました。そういうのは日本の海の至る所にあるもんなんですか?」

「うちのは、そんなにいっぱいは無いけど、南西諸島とか、小笠原諸島とかですね」

「うちのは?」

「うちのは海洋調査が目的ですけど、他に地震観測目的のケーブルとかもあるみたいです」

「そーなんですね。じゃあ、二階堂さん達はその海洋調査のケーブルを管理してるんですか?」

「それも、僕らじゃなくて研究室ですね。船長が研究室の教授なので、いつも船長室で海図を見ながら、次はここだなんて指示を貰うんです。それで僕らは船を出して、探査艇を降ろして、ってところを請け負っているんです」


「……なんか、二階堂さんって恰好いい仕事してるんですね」

「え、そ、そうですか?」

 えへへ、とニヤつく二階堂を見て、九条が優しい眼差しで言う。

「ほらな。別嬪さんに恰好いいって言われる仕事をしてんだから。もうちょっと自分に自信を持ちな。――さ、そろそろ鍋が食べ頃みたいだぞ」


 その日、紅鈴は、奢ると言う九条や二階堂らの言葉を断って、せめて自分の飲んだ分だけでもと、幾ばくかの金額を二階堂の手に握らせるようにして帰っていった。




※1 AUV(Autonomous Underwater Vehicle)

   自律型無人探査機、自律型無人潜水機の略。


※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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