第36話 交錯する工作
―交錯する工作―
2月の上旬、『ふかみ丸』船長室には、伊崎、英彦、ヒメノに加え、奈美も来ていた。
この日は、北都の筑紫野から接続インターフェースを入手した英彦が、サキモリのAIにサポロイド社のAIを接続し、機能確認を行っていたのだ。
「サキモリからオリヒメへのデータは、メールで七瀬さんに送って疎通確認してもらった結果、問題ありませんでした。サキモリからサポロイドAIへのデータ接続も、暗号化復号化共に問題ありません。また、サポロイドAIからサキモリに渡したタナバタ向けのコマンドも問題無く伝わっています」
英彦の説明に、伊崎が頷く。
「これで司令塔が出来たな。同じ作業を全てのサキモリに施すとなるとひと苦労だが」
「後は、スマフミンが完成すれば、潜水艦警戒網の出来上がりですね」
ヒメノが伊崎に笑顔を向ける。
自律型AIを搭載した深海潜水艇スマート・フカミンは、スマフミンと言う愛称で呼ばれていた。
英彦は、二階堂のことを思い出す。
「二階堂さんの方はどうなんですか?」
「スマフミンの設計は予定通り進んでいるらしい。操船用ドライバーは、大方フカミン改で作ったものが使えるからな。二階堂君が一番注力しているのは、ボディの小型化なんだよ。今月中旬には設計は出来上がるだろう」
「そっちの方もですけど、紅鈴との関係も気になります」
「ああ、そっちか。NSAからは、先月、九条さん、七瀬さんと二階堂君の3人に紅鈴が接触したとの連絡は受けているんだが、どういう話をしたかまではわかっていない」
伊崎の話を受けて、奈美も身の回りの状況をシェアする。
「サポロイドにもマークが付いているみたい。ヒメノと車でここに来る時にも、尾行らしき車を確認しているわ」
「ということは、『ふかみ丸』に探りが入るのも時間の問題ですね」
英彦は、船長室の壁の海図を見ながら言う。
「潜水艦の音を拾っているところまで知られているのでしょうか?」
ヒメノが伊崎を見る。
「具体的では無いにしろ、九条さんや七瀬さん、それに二階堂が知っていることを大雑把にでも紅鈴に話しているとすれば、知られていると思っていいだろうな。そして、なぜそんなことをしているのかは、姫乃にはわかるだろうさ」
伊崎は奈美を見詰め、確信を持って頷く。
「姫乃達、
「オリヒメのネットに侵入してサキモリの座標を盗む可能性は無いのかしら」
奈美が、伊崎を見つめ返して問う。
「前に研究室がDDOS攻撃を受けた時、鷹羽さんは、華連のサイバー部隊が動いた可能性があると言っていた。姫乃と共産党との繋がりが薄れた今、サイバー攻撃は考え難い」
「だとしたら、ヒメノがこの船に居る時を狙って、海図もAIも手に入れようとするかもしれないわね」
奈美は、隣に座るヒメノの頭を軽く撫でながら寂しげに瞳を震わせる。
「ヒメノちゃんは、僕が必ず守りますから」
英彦が奈美を見て微笑む。
「先方のAIは、ベースサーバーとの接続が切れた時、直近の命令を達成するまで遂行しようと動きます。それが達成されていれば、何もしないし、次の命令も受け取れない」
英彦は指を2本立てて、さらに踏み込む。
「先方の目的は、2つ考えられます。1つは、サキモリの座標情報、もう1つはヒメノちゃんのAI奪取。ヒメノちゃんのAI奪取は是が非でも阻止するしかありませんが、サキモリの座標情報は渡してしまえばいいんです。この偽物を」
英彦は壁の海図を示した。
「この海図の座標を持って帰れば、目的の1つは達成される筈です。その後にベースサーバーとの接続を切ってしまえば、残りの命令は、ヒメノちゃんのAI奪取だけになります」
英彦は、皆を見回して言った。
「この船に和華人をおびき寄せて、全力でヒメノちゃんのAIを守り、NSAに包囲してもらって御用、というのはどうでしょう?」
伊崎が指を折って数える。
「先方のウェットロイドは、楊が2人と紅鈴の3人だろ? こっちは、ヒメノちゃん1人。戦力的に分が悪くないか?」
奈美の手が、さらに伊崎の指を2本折る。
「先生、イザナミとキヌヨも戦えるわよ。それに勝たなくても、NSAが来るまで持ち堪えればいいんでしょ?」
暫くぽかんとしていた伊崎は、素に戻ると英彦を振り返って言った。
「俺達も男として負けてられんな」
この日、コクーンの検査でヒメノの妊娠が発覚した。
当面、ヒメノは新たなボディが出来次第、換装し、妊婦のヒメノはラボのコクーン内で観察されることになった。
この事実は、英彦はもとより伊崎にも伏せられた。ウェットロイドの妊娠は初のケースであり、奈美だけでなく、華東の絹代も、イザナミもキヌヨも全力でサポートするが、今後、喜べない事態も大いにあり得るからだ。
慎重にデータを取って、状況を確認しながら見守っていくしかなかい。
* * * *
2月中旬、蒔田の和華人の隠れ家では、ダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら、姫乃が紅鈴からの報告を受けていた。
「チョコレートは喜んでもらえたみたいね」
「義理ですよ、って念を押したんですけど、悪い気はしないのでしょう。――優しい方達です」
姫乃はテレビ画面に映る船の映像を見ながら、思考を纏めるように呟く。
「お父さんの研究室は海洋資源探査の名目で、潜水艦の侵入を検知する装置をあちこちに設置している。――その装置は、石立重工で作られた水中ドローンと海底基地で、光ケーブルネットワークで伊崎研究室と繋がっている。三崎造船では、深海探査艇を作っていて、この海底基地と超音波通信で連携出来る。また、今回得られた情報だと、水中ドローンは、潜水艦の作戦行動を攪乱するため、音を出す機能を持っている、ってことね」
つまりは、と姫乃は人差し指を鼻の頭に当てて続ける。
「水中ドローンとか、無人深海探査艇など、動きながら潜水艦の侵入を検知する機械があって、海底基地がその情報を伊崎研究室に伝えている。伊崎研究室は必要に応じて、現場で潜水艦の作戦行動を攪乱したり、海上保安庁、海上自衛隊、あるいはNSAに連携したりしている、と」
「与那国島では、実際に何らかの音を出して、華連の潜水艦の作戦行動を妨害したと思われます」
そう補足した紅鈴に姫乃が絡む。
「でも、華連の潜水艦が妨害を無視して進んだらどうするの?」
「おそらく、彼らの機械には攻撃能力は無いでしょうから、海上自衛隊に潜水艦の位置情報を添えて報告することになると思います。ですが、妨害か本物かを区別出来れば無視することも可能ですが、区別が付かなければ、敵と認識する方が自然です」
「無視して侵入する可能性は低いということね。――で、海底基地の位置はわかったの?」
「彼らは海底基地の位置情報や索敵範囲に関する情報を管理していませんでした。これらの情報は研究室で管理されていて手が出せませんが、位置情報に限れば、『ふかみ丸』の船長室にある海図で把握可能と思われます」
「盗めないかな?」
「楊達が、一度船に忍び込んだのですが、船長室の施錠が厳重で、開錠出来ませんでした」
そう、と姫乃はコーヒーカップを置いて、暫く考え込む。
「カギを壊して、という手もあるけど……」
ふと、姫乃は顔を上げて紅鈴を見る。
「そう言えば、お母さんや新型達が、最近船に出入りしてたわよね。何をしているのかしら」
「船尾の甲板に海底基地と思われる機器が置いてあって、そこで何らかの作業をしているようです」
テレビ画面に、楊が双眼鏡で確認した映像が映される。ヒメノが英彦とサキモリの調整作業を行っていた。
「石立重工の機械に、サポロイド社が手を加えているってことかな。海底基地は盗み出せないけど、あの子のAIなら盗めるかも」
「ああして調整するということは、実際に海に設置する準備と思われます。おそらく香春と言う若者と新型も一緒でしょう。出航するタイミングがわかれば、海図とAIが両方とも手に入るのではないでしようか?」
「あの船員達がいたら、あなたやりにくいんじゃない?」
「いない時を見計らうことが出来るなら、そうしたいですね。でも、いたとしても大丈夫です。私、黒ずくめも結構似合うと思いますから」
紅鈴は微笑んだ。
「――問題は、邪魔が入るかどうかよね」
姫乃が遠くを見るような顔で呟く。
「NSAとサポロイドが繋がっているなら、ほぼ間違いなくサポロイドは黄鉄のAIを入手して私達の情報を知っているでしょう」
紅鈴の答えに姫乃は眉を寄せる。
「そこなのよね。NSAがサポロイドと繋がっているなら、なぜ動かないのかな」
「拘束しようと思えば、不法滞在などの理由で可能でしょうが、こちらの出方を待っているのかもしれません」
「泳がされてるってこと?」
「そうですね。今までのところ、私も楊達も監視や尾行を確認出来てはいませんが、監視されていると思った方が良いでしょう」
「だとすると、店にもここにも戻れなくなるってことね」
「はい」
「そのまま逃げるしかない、か。――新しいパスポートが必要になるわね。楊達の分も」
「わかりました」
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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