第30話 サラミスライス
―サラミスライスー
9月に入り、NSAのデータセンター内にヒコボシが設置され、ウェットロイドの情報がリアル接続されるようになった。日本NSAに貸し出しされたイザナミ3人の情報が加わっている。
ヒコボシには、オリヒメネットのサキモリの座標やタナバタの異音検知の情報も繋げられた。
サポロイド日本支社のリビングには、伊崎、NSA鷹羽、橿原が来ていた。サポロイド社側は、奈美、英彦、ヒメノ、イザナミ、キヌヨの5人である。
伊崎は、わざとらしく咳払いをして切り出した。
「さて、今日は新しいメンバーの紹介をしたいと思う。NSAのヒコボシだ」
壁のディスプレイにフェイスマークが映し出される。
『みなさんこんにちは。ヒコボシです』
「これまで伊崎研究室で育ててきていたのだが、NSAのデータセンターに移植して設備も増強された。これからよろしく頼む。ヒコボシ」
『はい。よろしくお願いします』
「では、本題と――」
その前に、と鷹羽が手を挙げて割り込む。
「すいません。本題に入る前に、ウェットロイドのスクリーニングの結果を共有しておきたいのですが、よろしいですか?」
もちろんです、と伊崎が鷹羽に頷く。
「はい。7月から約2か月間、ヒメノちゃん、イザナミさん、キヌヨさんに首相官邸を始め、国会、官公庁など、主だった所でウェットロイドのスクリーニングを行って頂きました。ご協力ありがとうございました。結果、和華人以外に、ウェットロイドは確認出来ませんでした。今後は、空港を含め、関係各所に設置された赤外線スキャンをヒコボシが監視する体制になります」
「ひと安心というところですね」
ヒメノが鷹羽に微笑む。
「手を広げずに済むのは有難いですが、情報源が和華人だけに絞られるのは不安材料でもあります」
鷹羽はヒメノに苦笑を返すと、伊崎に軽く頷いて先を促す。
「では、改めて本題といきますか。今日の本題は大きく2つ。1つは虹港のパープルロイド社に関する真信網のスクープ、もう1つは、与那国島ツアーの具体的計画だ。まずは真信網のスクープから。――ヒコボシ」
『はい。先月、華南の反体制ネットメディア、真信網にて虹港のパープルロイド社に関する動画が配信されました。内容は大きく分けて4つの話題が紹介されています。1つは同社の工場で、大量の人間がアンドロイドに入れ替えられている疑惑、2つ目は特殊な病院、3つ目は監視カメラの消えた街、4つ目は臓器培養についてです。一部のSNSで拡散する動きは見られましたが、およそ都市伝説的な反応でした。華連の主流メディアは、これを無視するかのように無反応でした』
ヒコボシは、それぞれの話題の画像をディスプレイに映しながら続ける。
『この真信網のスクープは、安白姫と紅鈴によるものと推察されます。出入国の記録によると、8月1日、安白姫と白石姫乃が南都に渡航し、8月8日に華南から帰国したことが確認されております』
伊崎が手を挙げて割り込む。
「ありがとう、ヒコボシ。――中身に踏み込む前に、なぜ、姫乃がこういう行動に出たのか、その辺りからみんなの意見を聞きたい」
見回す伊崎に英彦が手を挙げる。
「そもそも、姫乃さんと張紫水、パープルロイドの接点はどこにあったんでしょう? それに、姫乃さんが華連籍のパスポートで日本に来ていたことも謎ですし」
鷹羽が英彦の視線に反応する。
「姫乃さんは形式上は出国すらしてませんでした。華連で新しく戸籍を作ったということでしょう。そういうことが可能なのは、諜報機関などの政府組織が考えられます」
「諜報機関……。ということは、姫乃さんは政変後、そういう組織に身を置いてスパイになったということですか?」
英彦は、奈美と伊崎の顔が険しくなるのを横目で見ながらも、鷹羽に食い付いていく。
「スパイと言うと語弊がありますが、海外での浸透工作は宣伝部などが得意とするところです」
鷹羽はそう言って伊崎を見る。
「姫乃は、日本を捨てる覚悟でそこに入ったんだろうな。死んだと嘘をついてまで」
伊崎は腕を組んで目を閉じたまま呟く。
「その諜報機関に張紫水も所属していたとしたら話が繋がりますね」
ヒメノが話を引き戻すと、ヒコボシがそれに続く。
『パープルロイド社とハニーロイドカフェの立ち上げがともに3年前で、ほぼ同時期であることから、張紫水と安白姫は、その1年程前の4年前には、サポロイド社の太国主水と須佐剣人に接触していたと推測します』
「そう考えると張紫水と安白姫の間に、楊達を貸し与えるほどの深い信頼関係があったことも頷けますね。でも、4年前には、未だウェットロイドは作られていませんでしたよね?」
そう言ってヒメノは奈美を見る。
「そうね。私がサポロイド社に入ったのは4年前の春だから。でも、私がサポロイドに入った後も、太国さんは張紫水と、須佐さんは姫乃と繋がっていたってことになるわ。そんな動きがあったなんて知らなかった」
「会社として技術協力や事業提携の契約を結ばず、太国主水が個人的に技術提供をしたのであれば、それは背任行為です。筑紫野氏や伊勢山氏も知らなかったのでしょう?」
鷹羽の問いに奈美は頷く。
「須佐さんが、安白姫、姫乃さんとの関係を奈美さんに隠していたのは、なぜでしょう?」
英彦は顎に手を当てて奈美に目を向ける。
「須佐さんは、意図して隠していたわけでは無いと思うの。私も須佐さんも、それぞれの権限の範囲内のことまで、細かく共有してなかったもの」
「張紫水と深い信頼関係にあったにも関わらず、姫乃さんがパープルロイド社をスクープしたのは、支援を切られた腹いせなのでしょうか?」
ヒメノが話を戻しに掛かる。
「腹いせと言うより、義憤じゃないかしら。あの子は正義感の強い子だったから」
奈美は悟ったような表情でヒメノに答える。
「そう言えば、姫乃さんは、もともと反政府運動をしていたんでしたね。ということは、張紫水との信頼関係を覆すほどの憤りを姫乃さんが感じる何かが、パープルロイドの工場にあったということですね」
英彦は1つ頷いて奈美を見る。
「そうね。政権が変わって、諜報機関に身を置いても、反政府なところは変わらなかったということかもね。だからと言って日本寄りというわけでもない、そんな気がするけど」
そう言って奈美は伊崎を見る。
「姫乃のことは、あの子が何をしたいかはっきりしないうちは打ち手が無い。暫くは、付かず離れず、しっかり見守ろう」
伊崎は、奈美に強く頷いてヒコボシに目を向けた。
「じゃあ、個別に見ていこうか、ヒコボシ」
伊崎の指示にヒコボシが反応する。
『それでは、まずウェットロイド工場についてです。虹港の工場には、約500人の人間が送り込まれ、約500人のウェットロイドが送り出されていました。内訳は、軍関係者の家族と思われる、周緑山型あるいは張紫水型が50人程。共産党員とその家族と思われるオーダーメイド型が残り約450人でした。現在約1万箇所の工場がフル稼働しているとすると、毎月全国で周緑山型あるいは張紫水 型が50万人。オーダーメイド型が450万人。1年間では、周緑山型あるいは紫水型が600万人。オーダーメイド型が5,400万人となります』
ヒコボシの試算に英彦が唸る。
「筑紫野さんの予想より遥かに多いですね。よほど個体の性能を落とさないとこうはならないと思います。それに、どうやって、これだけの人々を強制的にウェット化出来たのでしょう?」
奈美が鳥肌を摩るように反応する。
「臓器培養を餌にしたんだと思うわ。スペアの臓器を作るための遺伝子検査という名目で送り込んだんでしょうね」
ヒメノが奈美に納得の眼差しを向ける。
「姫乃さんは、きっとそれに憤りを感じたのだと思います」
「そうね。あの子ならきっと怒るわね。これはもうジェノサイドだもの」
腕組みをしたまま黙っていた伊崎は、ふっと顔を上げて鷹羽を見た。
「鷹羽さん。真信網のスクープでは、軍関係者と思われるウェットロイドの数が不明でしたが、もう完全にウェット化してしまったということでしょうか?」
鷹羽は難しい顔をして頷いた。
「汎用型をひと月に50万人作れるのなら、軍全体をウェット化するのに半年も掛からないでしょう。既に終わっていると考えても良さそうですね」
そうですか、と返した伊崎はひと息深く頷くと、改めて周りを見回す。
「真信網のスクープについては、およそ意見が出尽くしたと思うので、そろそろもう一つの本題に移ろうかと思う」
コホンと咳払いをして間を取る伊崎。
「政権が何か事を起こすとすれば、内部の反対を恐れて、軍部と共産党員の全体が入れ替わるのを待つ筈だ。軍全体が入れ替わってしまったのだとすれば、残るは共産党員なんだが。――鷹羽さん、NSAは共産党員の数をどのくらいと見てるんですか?」
伊崎は鷹羽に目を向ける。
「そうですね、およそ1億から1億2千というところでしょうか」
「なるほど。オーダーメイド型が年間5,400万人も入れ替わるなら、早晩入れ替えが完了してもおかしくない。つまり、華連がい つ動き始めてもおかしくない状況ということだ。戦略の要となるのは潜水艦だ。現に、ここ最近、潜水艦が侵入する事案が少しずつ増えてきている」
ヒコボシが反応して、屋久島沖、奄美大島沖、沖縄沖、宮古島沖、尖閣諸島沖、と幾つかのチャートを映し出す。
潜水艦の侵入は、もはやルーティーンになりつつあった。
「打てる手は打っていく。前にも構想ベースでは話した内容だが、予算も付いたし、実現の目途も立ったので、これからの計画について説明したい」
伊崎は、ヒコボシに指示を出して潜水艦警戒網の概念図を表示させた。
「今年の12月に、与那国島に、サキモリ、タナバタ、フカミン改を設置しに行く予定だ。フカミン改は深海探査艇フカミンを無人化したもので、ソノブイを打ち上げることが出来る。タナバタには水中スピーカーを搭載し、侵入した潜水艦を包囲し、攪乱するプログラムを乗せる。それには、1つ問題があって、侵入した潜水艦を包囲するには、高度なシミュレーション力が必要となるわけだが――」
伊崎は、ヒメノに目を向けて続けた。
「そこでヒメノちゃんの出番というわけだ。ウェットロイドVer3.0のAIを使って、シミュレーションを行い、タナバタやフカミン改に指令を出す。現地でテストを行い、調整して出来上がったAIをサキモリに搭載するという計画だ」
ヒメノは伊崎に質問を投げる。
「私は、何処で何をするんですか?」
「ヒメノちゃんは、フカミンから、タナバタ達が効率的に侵入した潜水艦を取り囲めるようにシミュレーションして、移動先の座標の指示と、水中スピーカーから音を出すタイミングの指示を出して欲しい。その計算過程を教化していきたいんだ」
伊崎はヒコボシに海図を出させる。ディスプレイに映された南西諸島の海図には、侵入される可能性の高いエリアに色が付けられていた。
「与那国島沖にしても、何処にしても、侵入するエリアはある程度限られる。地形の問題で侵入するリスクが変わるからだ。侵入を検知したら、その場所の地形の情報を踏まえて、先方の進路、その時のタナバタやフカミン改の配置から、最適ポイントを割り出して、それぞれに指示を出さなければならない」
ふんふん、とヒメノが頷くのを見て、伊崎も調子を上げる。
「宮古島、石垣島、尖閣諸島、奄美大島沖、屋久島沖など、主だった海域にはサキモリを置いてきた。次は最西端の与那国島だ。与那国島では、新しい試みを実験する。単なる情報収集だけではなく、攪乱し、警告を与える機能だ。侵入する潜水艦を検知し囲い込んだ後、どんな音を出すか、と言うと、捕捉した潜水艦のスクリュー音、相手にとっては味方の潜水艦のスクリュー音、魚雷発射管の注水音とかをスピーカーから大々的にぶつける。海の中では周囲が見えないし、レーダーも使えない。音だけが頼りだからな」
語りに熱が入る伊崎。ヒコボシに攪乱作戦の概念図を出させて、さらにヒートアップする。
「敵の潜水艦のスクリュー音ならまだしも、自分の船のスクリュー音とか、居る筈が無い味方の潜水艦のスクリュー音が周りから聞こえて、しかも魚雷打つかもって状況は、攪乱に持って来いじゃないかなと思ってね。何より、スクリュー音を拾われている時点で、色々な機種の潜水艦の隠密性が見破られていることを示すわけだから。バレているぞってことを教えてあげるんだよ。それでもダメな時は、ソノブイを打ち上げて海上自衛隊に通報するという段取りだ」
奈美が、呆れた顔で興奮気味の伊崎を見る。
「先生って、狩りとか釣りが好きなタイプだった? 魚を狙う釣師、獣を狙う猟師。そんな目をしてるわ」
「そりゃちょっと誤解だよ。奈美ちゃん。武器を使わずに、武器を持った相手を攪乱し退却させる。その醍醐味がここにあるんだよ。兵士でもない一般庶民が、迫りくる兵士達を知恵と工夫で追い返す。こんなドラマは、なかなか無いだろう?」
奈美は、すっと目を落として呟いた。
「柔よく剛を制す。の精神ってことかしら? 日本のお家芸よね。姫乃にも、そういう愛国精神を教えられていれば、もっと違った道があったのかも」
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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