第31話 久しぶりの研究室

―久し振りの研究室―


 サポロイド社では、およそ2か月掛けて、英彦とヒメノがタナバタ向けの新しいプログラムを作成していた。

 侵入する潜水艦の航行データを何パターンも作り、フカミン改とタナバタを色々な初期状態の位置から、潜水艦を取り囲むように動かすプログラムである。

 イザナミとキヌヨだけでなくハードロイド達もオンラインで動員された。


 この活動の結果、ヒメノのシミュレーション能力も同時に教化されていた。


 この仕事をサポロイドで請け負ったのは、伊崎研究室の周囲を和華人がうろついているため、九条女史や四方ちゃん達に詳しい情報を持たせたくなかったからだ。




 与那国島ツアーまで2週間と迫った12月の初旬、英彦とヒメノは新しいプログラムをフカミン改とタナバタにアップロードするため、久し振りに伊崎研究室を訪ねた。

 2人が研究室の扉の前で待っていると、七瀬女史が扉を開けてくれた。今日は、伊崎は留守のようだ。


「ふたりとも久し振りね。――どうぞ入って」


 英彦も久し振りの筈なのだが、なぜか研究室の女性陣はヒメノばかりを見る。その日のヒメノは、ハイネックの薄手のセーターにダウンジャケット、パンツルックという装いだったが、服装が目立ったわけでは無いのだろう。


 そのまま、コントロールルームに直行して、タナバタの端末の前に来ると、七瀬女史が英彦の背中を小突いた。

「じゃ、香春君、これIDとパスワード。後はよろしく。私達はこれから女子会だから」

 ヒメノちゃんおいで、と七瀬女史はヒメノを連れて出て行く。

 ヒメノは英彦を振り返りながら、ゴメンねと手を合わせて付いて行った。


「――あの、僕ひとりでやるんですか?」

 と、声だけ追い掛けたが、返事は無い。


 ま、やり方はわかるけど、と七瀬女史に渡されたIDとパスワードで端末に入り、データのアップロードを始める。

「しょうがない。ヒコボシ。ポーカーでもやるか?」

 部屋の奥のオリジナルヒコボシに声を掛けると、ビビっとビープ音がして、ヒコボシが喜んだ。

『お久し振りです。香春さん。ポーカーやりましょう』

 ヒコボシの端末が置かれた机には、トランプやらオセロやらが置かれていた。



   *   *   *



 久し振りの女子会は、前にも使ったイタリアン。

 注文した皿が行き渡ったところで、七瀬女史が水のグラスを持って簡単に挨拶をする。


「さあ、いよいよラストスパートね。きっちりやり遂げて、クリスマスを楽しみましょう。いただきまーす」

 いただきまーす。とグラスが鳴らされた。


 ヒメノ達がわいきゃいと食事に手を付け始めたちょうどその時、1人の客が店に入って来た。

 いらっしゃいませ、と店員が1人の男を案内する。


 ポロシャツを着た30代くらいの男は、5人のテーブルから少し離れた席に着いた。

「――いらっしゃいませ」

 続いて今度は1人の女性客だ。女は、ここの席いいかしら、と伊崎研究室のテーブルと男のテーブルがどちらも見える席に着く。



 伊崎研究室のテーブルは、与那国島ツアーの話題に流れ始めた。

「よりにもよって、最終日がクリスマスイブ」

 九条女史が思うところがあるように話題を振る。

「伊崎さん、またやるのかしら?」

 七瀬女史が九条女史を見て言う。

「やるって何をですか?」

 四方ちゃんが意味深な2人の発言に関心を寄せる。


「クリスマスイブの夜、星空の下で、心洗われた男女が恋に落ちるの。その名も……」

 九条女史がぐぐっと間を溜める。

「星空マッチメイク、と呼ばれる伊崎研究室の名物よ」

 七瀬女史が九条女史の溜めた間を無視するかのようにセリフを奪ってネタばらし。

「ちょっと光さーん」

 セリフを持っていかれた九条女史が拗ねる。

「ええ、そんな名物があったんですか?」

 とは五十音ちゃん。

「その結果が私達だもの」

 七瀬女史が応じる。


「じゃあ、九条さんと七瀬さんは、旦那様とは星空マッチメイクで結ばれたんですか?」

「実はそうなの。あれが無ければ今の旦那とはきっと結婚してなかったわ。あれが、全ての過ちの根源なのよ」

 五十音ちゃんの問い掛けに、九条女史がいまいましそうな顔で答える。


「伊崎さんがね、打ち上げの後、ふたりっきりになるように仕組むのよ。後はなるようになっただけ。私もかおりも」

 急に芝居掛かる九条女史。

「満天の星空。浜辺に打ち寄せるさざ波の音。星明りの中で理性の働きは曇らされ、相手の男性が何倍も何十倍も魅力的に見えてしまうのよ。なんて罪作りな。――だからね、ヒメノン。気を付けないとダメよ」

「え、私がですか?」

 ヒメノが九条女史の無茶振りに反応する。


「伊崎さんが狙うとすると、ヒメノンと香春君しかないからね」

 七瀬女史が同調する。

「私は、ヒコくんとなら赤ちゃん作ってもいいかな、って思いますけど」

 ヒメノの答えに目を剥いて硬直する四方ちゃんと五十音ちゃん。

「いやいやいやいや、そんなに先走ってはいけません。順序良く」

 九条女史が慌てる。

「順序、ですか?」

 ヒメノがとぼけた表情で首を傾げる。

「そうですよぉ。手を繋いで、キスをして、ベッドインしてからが長いのよ。生活力とか、性格の相性とか、体の相性とか……。夫婦になれるかどうかの不確実性の要素は沢山あるわけよ」

「九条さんのご主人は生活力ありますよね。性格の相性が良く無いのですか? それとも体の相性が良く無いのですか?」


 天然に下手な無茶振りをすると自爆も同然と知り、俯いてカミングアウトする九条女史。

「――うちは、どっちも相性いいです」

 四方ちゃんと五十音ちゃんも赤くなる。

「私、体の相性には自信ありませんけど、キスはしましたから、次はベッドインですね」

「!」

 他のメンバーが凍り付いた。

 いち早く我を取り戻した七瀬女史が、苦笑しながら水のグラスを掲げて発声。

「じ、じゃあ、ヒメノンの星空マッチメイクの成功を祈って、かんぱーい!」

 かんばーいと小さな声が重なる。

「はい。頑張ります」

 ヒメノ1人が元気だった。



 研究室のメンバーが帰った後、ゆっくり食事をとっていた男も立ち上がって出て行った。

それを見ていた女、イザナミもナプキンで唇を拭くと、ごちそうさま、と言って立ち上がる。

「ヒメノちゃん。楊に聞かせる話じゃなかったかもしれませんね。ふふふ」



   *   *   *



 英彦がヒコボシとのポーカーにも飽きた頃、ヒメノと研究室のメンバーが戻って来た。

「お帰りなさい」

「ただいまぁ」

 九条女史は、どことなく毒気を抜かれたような顔をしている。


 英彦は、コントロールルームのドアを開けてヒメノを迎え入れながら九条に声を掛ける。

「あの、早速ですけど、モジュールの確認と動作テストをしてもらえませんか?」

「あ、そうね。――アッコちゃん、一緒にやろう」

 どっこいしょと椅子に座ろうとしていた九条女史は、再び腰を上げ、四方ちゃんを連れてコントロールルームに入ってくる。


「――モジュール確認オーケー。続いて動作テスト」

 九条女史が音頭を取る。

「画面、初期フォーメーション映します。サキモリに接続したフカミン改が確認出来ました」

 四方ちゃんがコンソールを操作する。

「フカミン改を動かしてみて」

「フカミン改離脱」

 画面上で、サキモリからフカミン改が離れた。

「今度は、タナバタのIフォーメーション」

「Iフォーメーションに移行します」


 画面の10機のタナバタが、円形の初期フォーメーションから1機ずつ離れ、Iフォーメーションと呼ばれる直列隊形へと移行していく。

「タナバタ1番にアラート」

「アラート出ました」

 フカミン改が1番に向かって動き始める。

「アラート解除」

「解除しました」

 フカミン改がサキモリに戻ってくる。

「フカミン改をサキモリに接続」

「接続完了」

 タナバタはIフォーメーションのまま、サキモリにフカミン改が重なる。


「はい、基本動作確認終了。お疲れ様」

 九条女史が確認完了を宣言する。

「後は、今夜のうちに与那国用のタナバタとフカミン改に自動で流し込まれるから。――香春君もお疲れ」

「お疲れ様でした」

 スルスルっと、九条女史と四方ちゃんがコントロールルームを出て行く。

 いつになくテンションが低い。


「お店で何かあったの?」

 英彦はヒメノに聞いてみる。

「さあ? 別に何も」

 と、首を傾げるヒメノ。 

 英彦達がコントロールルームを出ると、七瀬女史が寄って来た。

「無事アップロード終了ね。お疲れ様」

「お疲れ様でした」

「じゃ、香春君、後は現地で頑張ってね。でも夜の方は頑張り過ぎないように」

「は、はあ」

 意味深な流し目を英彦に向けながら、七瀬女史は戻っていく。

 夜の方って何ですか? ヒメノを見ると、ヒメノも少し小首を傾げた様子。


 じゃ、戻りますか、と英彦は疑問を流してヒメノに声を掛けた。

「それでは、みなさん失礼します」

 2人は深くお辞儀をして研究室を後にした。




※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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