第5章 西太平洋の葛藤
第47話 不可解なタンカー
―不可解なタンカー―
7月末に
筑紫野はソフトロイドの国内生産に向けた資材調達先の調査、絹代はラボでコクーンの増産に取り組みながら、妊婦ヒメノのケアをしていた。陳や王の拘束がいつまで続くわからないため、コクーン不足が生じていたのだ。
* * * *
8月も中旬に差し掛かったある日の早朝、伊崎や奈美達にヒコボシからのアラートメールが届いた。
華連のタンカー5隻が、沖縄の南を抜けて東に向かっていることが確認されたと言う。
サポロイド日本支社のリビングには、ヒコボシのアラートを受けて、伊崎、NSA鷹羽、橿原、姫乃と紅鈴が駆け付けていた。時刻はまだ8時を過ぎたばかりである。サポロイド社側は、奈美、ヒコロイド、ヒメノに加えて、筑紫野と絹代も参加していた。その場に居ない他のウェットロイド達もオンラインで傍聴する。ヒコボシもリモート参加である。
「鷹羽さん、橿原さん。うちの北都本社の筑紫野と伊勢山です。華東から一時的に帰国してもらっているんです」
奈美の紹介を受けて、初めまして、と挨拶を交わす筑紫野達。
全員が席に着いたところで、鷹羽が壁のディスプレイに向かって促す。
「――ヒコボシ、始めてくれ」
『華連船籍と思われるタンカー5隻が、沖縄の南を抜けて南東に向かっています。現在、南大東島の南にあり、このまま行けば沖ノ鳥島です。海上保安庁のヘリも警戒していますが、ヘリからの無線での呼び掛けに応答はありません。極めて不可解な行動です』
ヒコボシの説明を鷹羽が引き取る。
「我々は、これが華連の何らかの作戦行動である可能性が高いと睨んでいます」
「例の代案というやつですか?」
伊崎の言葉に鷹羽が頷く。
「NSAでは、華連による華東攻略のシナリオを何通りもシミュレーションしてきましたが、どれも肝になるのは潜水艦を如何にして西太平洋に潜り込ませるかです。海上自衛隊や米国海軍を遠ざけたまま、華東海峡に配置した艦艇と西太平洋の潜水艦で華東本土を孤立化させ、上陸して占領する。そのためには、何としても潜水艦を西太平洋に送り込みたい。しかし、真っ当に侵入するには、潜水艦警戒網が邪魔になる。無力化したかったが、その作戦は7月末までに成功しなかった」
「タンカーはカモフラージュだと? そんなことが可能なのか?」
伊崎が唸る。
「――どうやって実現しているかはわかりませんが、その可能性が高い、そう思います。伊崎さん、確かめて来てもらえませんか? タンカーの底に潜水艦が隠れているかどうか、海中から確認するしかない。それには深海探査艇が最適なんです」
鷹羽の目は険しい。
「タンカーの目的地が沖ノ鳥島だとして、急いで追い掛けても2日かかる。連中の作戦行動までに間に合うかどうかわかりませんよ」
「現在のタンカーの速度だと、沖ノ鳥島に辿り着くのは3日後です。それに、華東を攻略するとしたら、タンカーが沖ノ鳥島に着いてすぐ動くことはありません。おそらく、次は華東海峡や尖閣諸島辺りでドローンを使った動きがあって、その後、沖ノ鳥島に伏せておいた潜水艦を動かすと考えられます」
「しかし、こういう任務は『ふかみ丸』の船員を巻き込めん。かといって隠密裏にやるには手が足らん」
「教授、ハードロイドを使ってみるのはどうです?」
ヒコロイドが伊崎を見る。
「やり方を見せて教えると覚えてくれますよ」
「ハードロイドはベースサーバーが無いと動けないんじゃなかったのか?」
「それはそうなんですが、船の中だけのローカルネットワークは作れると思うんです」
「市販のネット機器とノートパソコンで行けますよ。リュックに背負えるくらいのものが半日も掛けずに作れます」
筑紫野が請け負う。
「ふむ、しかしなあ……」
「僕と楊さんも手伝います」
腕を組んで考え込む伊崎に対し、ヒコロイドはやる気満々だ。
「――軍艦や潜水艦には、パープルロイド社のハードロイドやウェットロイドが使われている可能性が高いのよね?」
姫乃がヒコロイドを見る。
「はい。その可能性は高いと思います」
「となると、ベースサーバーを乗っ取ることが出来れば、制御出来るのよね」
「ネットワークに繋がる範囲ではそうですけど、電波の届かないところは、スタンドアロンで動くんじゃないでしょうか。それに、ベースサーバーは1台では無いかもしれませんし」
「それでも、分散したベースサーバー同士も通信する筈よね。だとすると、パープルロイド社のベースサーバーを押さえれば、うまくすれば1台で全体を、そうじゃないとしても芋蔓式に辿っていけば全体を押さえられるんじゃない?」
英彦の映像をさんざん見た成果か、ウェットロイドに関する姫乃の理解が深まっている。
ヒコロイドは頷いた。
「しかし、どうやってパープルロイド社に入り込むんです? 張紫水のマスクですか?」
「須佐ロイドさんに手伝ってもらうのはどうかと思うの。ウェット化した張紫水と太国さんが須佐さんのことを覚えているかはわからないけど、太国さんは須佐さんの上司だし、張紫水の客人としてパープルロイドの社長室に居るわけだから、サポロイド社の有事となれば、話を聞かないわけにはいかないと思うの。――入るだけならマスクでいいけど、張紫水と太国さんに会うには、マスクだけじゃ無理だと思うから……」
姫乃は鷹羽に向き直って尋ねる。
「華東NSAから、太国さんに任意聴取すると、メールで連絡出来ないものでしょうか?」
「任意聴取くらいの名目なら、華東NSAから大国社長にメールを出させることは出来るでしょう」
鷹羽は頷く。
「もし、須佐ロイドさんが虹港のパープルロイドに乗り込むなら、サポロイド日本支社のベースサーバーと繋がるネットワークが必要になりますね。その辺りの手配も可能でしょうか?」
ヒコロイドが鷹羽を見る。
「華東NSAのネットワーク経由なら可能だと思います。公衆回線経由ではNSAのネットに繋げませんから」
「日本からは、あたしと紅鈴と須佐ロイドさん。華東NSAから向こうのヒメノちゃんを借りられれば、と思います」
「――あの、私も行きたいです」
ヒメノが姫乃を見て手を上げる。
「ヒメノちゃん……」
「全力でお手伝いします」
「ありがとう、心強いわ」
「姫乃さん、華東NSAとの調整に2日ばかりくれませんか」
鷹羽は姫乃に手を合わせた。
「わかりました。紅鈴、ヒメノちゃん、須佐ロイドさんも。あたし達は明日の夜には現地入り出来るよう準備しましょう」
「了解です、姫様」
ヒメノも頷いた。須佐ロイドもリモートから了解を返した。
伊崎は心を決めた顔で鷹羽に向き直る。
「鷹羽さん、楊黄鉄を連れて行ってもいいですか?」
「問題ありません」
「ヒコロイドもいいか?」
「はい」
「奈美ちゃん、ハードロイドを3人借りれるか?」
「大丈夫です。先生」
「筑紫野さん、超特急で携帯型ベースサーバーを1台用意していただけませんか? 今日のうちにハードロイドに船の操作やクレーンの操作を教えておきたいんです」
「了解しました。予備の機材があるので、午前中のうちに何とか出来るでしょう」
よし、と頷いて伊崎は奈美を見る。
「それじゃあ、奈美ちゃん。ベースサーバーが出来次第、ハードロイドと一緒に『ふかみ丸』に届けてくれ。『ふかみ丸』は、明日の朝出発とする」
「わかりました。先生」
鷹羽と橿原が引き上げていった後、奈美と話していた伊崎は、帰ろうとする姫乃を引き留めた。
「なあ、姫乃。こんな時になんだが、今夜お母さんと3人で食事出来ないか?」
「紅鈴も一緒なら構わないけど――。あたし監視役が居ないと外に出れないのよ」
「それはもちろん。紅鈴も入れて家族4人、家で食事しよう」
奈美もほっとした笑顔で頷いていた。
※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓
https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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