第46話 大国動く

―大国動く—


 夕闇が迫り、暗がりが広がった頃合い。


「姫様、そろそろ行きましょうか?」

「そうね」


 2人はマンションから出て右手、陳の方向に歩き始める。――10メートル程歩いた所で、物陰から陳が現れた。


「あら、お久し振りね、陳先生。近くに来てるんだったら中に入ればいいのに、鍵は何処かに置いてきちゃったの?」

 姫乃が話し掛けるが、陳は黙ったままだ。


「あれだけ、苦楽を共にしたのに、私達の事なんて忘れてしまったのでしょうか?」

 紅鈴が追い打ちを掛ける。


 その時、姫乃達の背中に声が掛かる。

「先程は、どうもありがとうございました、ホワイトプリンセス」


 振り返ると、後ろには王が詰めてきていた。

「聞きたいことがあったなら、さっき聞けば良かったのに」

「去年の真信網のスクープは見事でした。あの映像はどうやって撮影したのかと興味がありましてね。出来ればそれを取材させてもらえませんか?」

「それは企業秘密、と言うよりは国家機密ね、日本の」

「それは余計に知りたいものですね」

「ところで、それが私のネタだって教えてくれた女性はどうしたの?」

「大事な情報ソースですからね。みすみす失うようなことはしてませんよ」

「その言葉、信じられるといいんだけど」


 じりじりっと、王が歩を進める。陳も併せて距離を詰めてくる。

「宣伝部の目的はそれだけなの? 他にも知りたいことがあるなら、今のうちよ」

 姫乃が王に探りを入れる。


「どうして、宣伝部のことを知っている?」

「あらやだ、あたしも宣伝部に居たのに。しかも元恋人に酷いわね」

「……」

 黙り込む王。


「――陳先生は、どうなの? 潜水艦を追い払った話とかに興味ない?」

「何か知っているのか?」

「ああ、やっと口を開いてくれた」

 芝居掛かった口調で姫乃が大袈裟に肩を竦める。


「なんだか、あたしの知り合いは、みんなして記憶喪失なんだけど。どういうことか、こっちが知りたいくらいだわ。頭の中を開いて教えてもらう? ねえ、紅鈴」


 と、姫乃が紅鈴に声を掛けると、紅鈴は王に向かって一気に距離を詰め、身を沈めて足を払った。不意を突かれた王が転ぶ間に、姫乃は紅鈴の背中を追い掛ける。


 ――姫様は、私の後から離れないで

   下さい。


 マンションを出る前に姫乃が段取りの説明を受けた時、紅鈴が念押しした言葉だ。


 陳が、姫乃達を追って駆け出そうとした時には、後ろに駆け寄った楊が、陳に足払いを掛けていた。

 立ち上がろうとした王は、紅鈴の足蹴りを顎に浴びる。紅鈴は、その勢いのまま、立ち上がりかけていた陳の顔面にも横から蹴りを入れた。


 楊が、倒れた陳の腕を取り、後ろ手に抑え込む。紅鈴はしゃがみこんで陳の耳に無効化ギアを差し込んだ。


 足蹴りを顎に浴びて、ひっくり返った王は、膝を立てて紅鈴を目で追うが、後ろから羽交い絞めにされた。NSAイザナミである。すかさず、もう1人のNSAイザナミが無効化ギアを王の耳に差し込む。


 陳と王は強制的にスリープモードに移行させられた。


 そこへ1台のセダンが静かに止まった。降りて来たのは鷹羽と橿原だ。2人は陳と王に後ろ手に手錠を掛けながら感嘆の声を上げる。


「すっげー。これ、1分経ってませんよ!」

 とは橿原。

「ああ、敵には回したくないよ。全く」

 鷹羽は、そう言って姫乃を見る。


「姫乃さんもお疲れ様です。私と橿原は、こいつらをサポロイドに運ぶので、後から紅鈴と来て下さい」

「お疲れ様です、鷹羽さん。わかりました」



   *   *   *



 サポロイド日本支社3階のリビングルームには、NSA鷹羽、橿原、2人のNSAイザナミ、楊黄鉄、奈美、姫乃、紅鈴、イザナミが集まっていた。伊崎、ヒコロイド、ヒメノ、他の楊達、須佐ロイド達はリモートで参加している。


 イザナミがお茶のグラスを配り終えると、奈美が切り出した。

「みなさん、お疲れ様です。無事ふたりとも確保出来て良かったです。AIは取り外して、キヌヨが分析中です。後で中身を見てみましょう。それから2人のボディは、1階にコクーンを移して、そこに保管しています」

「お手数を掛けます。本来ならNSAで管理すべきところですが、ウェットロイドの存在は、NSAの中でも、ごく一部の者しか知らない機密なので、目立った設備を作ることが出来ません」

 鷹羽が恐縮した様子で奈美に詫びる。


「そんな、鷹羽さん、保護をお願いしているのはこちらの方ですから」

 鷹羽は黙って頭を下げた。


「――それでは、始めましょうか。今回捕えたのは、陳橙紀と王黒石の2人。随分あっさり確保出来たようだけど、手応え的にはどうだったのかしら。――紅鈴はどう思う?」


 奈美は紅鈴に顔を向ける。

「はい。ふたりとも、こちらの攻撃への反応が極めて遅かったです。楊達と違って、戦闘用のデータセットを持たされていないと思われます」

「戦闘用のデータセットって?」

 姫乃が初めて聞く言葉に関心を示す。

「軍の訓練を受けたウェットロイドの経験データです。間合いの取り方から、読み、体勢の崩し方、防御の仕方、戦術や戦略の知識と、それらに対応する筋肉のコントロール情報をひと固まりにしたデータの塊をデータセットと呼んでいるんです」

「紅鈴も持ってるの?」

「私のは軍のものじゃなくて、サポロイド社のウェットロイドに格闘技の教本ビデオを見せて独習させたデータセットです。私のボディで彼らのデータセットを使うのは負荷が高過ぎますので」

 なるほど、と姫乃が頷く。


『それで、連中の目的は何だったんですか?』

 ヒコロイドがリモートから促す。

「ちょっと待って、――キヌヨ、どう?」


 2階のコントロールルームで分析中のキヌヨの声がディスプレイから流れる。

『取り急ぎ2人の生まれた時の情報からピックアップします。教授はヒメノちゃん経由で見て下さい』


 ディスプレイが2分割され、2人の最初の映像が映される。

『陳橙紀は、昨年6月にウェット化、王黒石は8月にウェット化しています。どちらも、最初に映る人物は、張紫水のようです』

「陳は、名古屋の事件の直後、虹港に戻って直ぐにウェット化されたってことですね」

 橿原が鷹羽を見る。


「ああ、陳が蒔田の隠れ家のことも、姫乃さんのことも知らなかったということは、引継ぎする間も無くウェット化したと見て間違い無いでしょう。陳は楊達と一緒に居たのだから、ウェットロイドの存在は知っていた筈です。自分の意志でウェット化したのなら、当然必要な情報は引継いでいた筈ですが、それが無いということは、問答無用でウェット化されたとしか考えられないですね……」


 鷹羽はおぞましいものを見たような顔で唸る。

「今回、陳先生と王は、まるで会ったことのない人間に接触するようにあたしにアプローチして来た。王はあたしが宣伝部のことを知っていることに驚いていたから、陳先生と王の2人があたしのことを知らなかった理由はわかるけど、あたしのことは、お姉様、張紫水も知っていた筈なのよ。お姉様があたしのことをわざわざ調べようとするなんて……」


 姫乃は、自分を見つめる紅鈴の目が憂いを秘めていることに気付く。

「そういうこと?」

 紅鈴が頷く。


『張紫水が陳橙紀にも王黒石にも姫乃さんのことを教えられなかったのは、張紫水自身も昨年6月の時点でウェット化されていたから、ということでしようか?』

 ヒメノの声が残酷な推論を述べる。


「太国さん……」

 奈美も沈んだ声で、さらなる推論の結果を確信して両手で顔を覆う。

「お母さん。去年、パープルロイド本社に潜入した時、聞いたの。太国社長は、パープルロイド社の社長室に常駐していたみたい。――お気の毒だけれど」

『ということは、真信網にパープルロイド社のスクープが上がった去年の8月時点では、パープルロイドの人間は、太国さんを含めて、誰も姫乃さんのことを覚えていなかった、ということになりませんか?』

 ヒコロイドが纏める。


『それで殆ど反応が無かったわけか』

 伊崎も得心の声を上げた。


『――博士、よろしいですか?』

 顔を覆っていた奈美は、キヌヨの声で顔を上げる。

『2人の目的が判りました。張紫水からは通信で指示が出ていたのでログから持って来ました。日本語に変換して映します』

 ディスプレイに通信ログのようなものが映し出される。


『目的は2つだったようです。1つは、真信網のスクープの出所である、ホワイトプリンセスを探して、可能であれば処分すること。そしてもう1つは、昨年末の潜水艦侵入事件の真相究明。誰がどうやって侵入を検知したのか、可能であればそのシステムや組織を破壊あるいは無効化すること。期限は7月末。出来なければ8月には代案での作戦行動が始まる』


 キヌヨの説明に鷹羽が反応する。

「作戦行動の具体的な内容はわかりますか?」

『残念ながら、彼らは知らされていません』

『少なくとも、潜水艦が検知されると支障があるような計画ということだろうな』

 伊崎の声が飛ぶ。

『8月には潜水艦がぞろぞろ侵入してくるということですか?』

 ヒコロイドが伊崎の推測を具体化する。


「――おそらく目的は華東です」

 閉じていた眼を開いた鷹羽が、険しさの滲む声で皆を見回す。

華東※1攻略のためには、米軍や自衛隊が邪魔しないよう、あるいは邪魔しに来ても追い返せるように、西太平洋に潜水艦を配置する必要があります。検知されて潰されては困るから、障害を取り除いておきたかったのでしょう」

『このまま潜水艦侵入事件の真相がわからないままだったら、バレてもいいからと強硬するつもりでしょうか?』


 ヒコロイドの問いに伊崎が答える。

『その可能性はある。飽和戦略というのがあってな。何隻も、何十隻も一度に潜水艦が侵入して来たら、こちらは対応出来ない』

「伊崎さんの言う通りです。代案というのはそれなのかもしれない。何隻もの潜水艦が、太平洋側に配置されるとすれば、一部は東京や沖縄に弾道ミサイルを撃ち込める所に配置されるでしょう」


 奈美は、じっと話を聞いていたが、キッと頬を強張らせると鷹羽を見据えて言った。

「華東が危ない! 鷹羽さん、もう猶予がありません。華東のNSAに南都工場の強制捜査をお願いしてもらえないですか、一刻も早く」

「わかりました。須佐さんから何か新しい情報が聞き出せるかもしれない。やってみましょう」

「お願いします。うちの社員も日本に退避させます。――8月まであと3週間しかない」



   *   *   *   *



 この2日後、華東NSAがサポロイド社南都工場を強制捜査し、須佐が拘束された。須佐は抵抗せず大人しく指示に従ったと言う。


 須佐は事情聴取の後、日本に送還された。

 須佐の言から、張紫水と周緑山の関係が明らかになった。張がウェットロイドを使って周に取り入り、周のバックアップを受けて事業を拡大してきていたのだ。


 北都のサポロイド社は、ウェットロイドのキヌヨとハードロイドで回せる業務は回すが、新規営業をストップし、筑紫野と絹代は日本に帰ることになった。





※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓

https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534



※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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