第06話 ヒコボシ教化追い込み
―ヒコボシ教化追い込み―
翌日、ヒメノには11時に研究室に来てもらっていた。100人調査の残り50件の消化には、あと10日程必要と思われた。時間を決めて、粛々と消化していくに限る。
今日、コントロールルームは英彦とヒメノのふたりきりである。
「今日は、お昼はここで食べながら進めよう」
英彦は、ペットのお茶と炊込物語の袋を置きながら、ヒメノに言った。
「それは?」
「炊込御飯を四角く包んだ食べ物でね。バー、レバタラの看板商品なんだ」
「バーで炊込御飯ですか?」
「小腹に程良い食べきりサイズ。飲んでる時って小腹が空くからね」
「面白いですね。それで、そのバーは何処にあるのですか?」
「福富町って言って、サポロイド社からも近い所だよ」
「そうですか。行ってみたいですね」
英彦は、ヒメノに微笑で応えると、ヒコボシのディスプレイを立ち上げつつ、ざっとしたスケジュールを伝える。
「100人調査のインポートは、お蔭さまであと残り50件、1日5件で10日間」
「インポートが終わった後は、何をするのですか?」
ヒメノが先を促す。
「まずは、メタ階層の状況確認。それから、神話など、人の行動規範に関する理解を深めた後、映画を見せて、感情表現の理解力や物語的理解力を確認しようと思っている」
「自律性はどうやって確認するのですか?」
と、相変わらず突っ込みが鋭いヒメノ。
「自律性というデータの塊があるわけじゃないからね。組織や社会への貢献という上位の因果関係に対する反応を見るテストをしようと思っているんだ」
「組織や社会への貢献の欲求って、ある種の自己犠牲を伴うものですよね。種の保存欲求に近いと思うのですが、生存欲求を軸に作られたヒコボシ君に理解出来るのでしょうか?」
「鋭いね。僕もヒコボシが自力で種の保存欲求に相当する因果関係を見出すのは難しいと思っている。だから、社会貢献のような欲求と生存欲求をシンクロさせて、日本の繁栄、世界の幸福、日本の脅威、世界の脅威とかそういう次元でお題を与えてみようと思うんだ」
「それで、何を食べさせるのですか?」
「ネットを広く、探索してもらおうかと。ニュース、歴史、統計情報をぐるぐるとね」
「なるほど、楽しみですね。――これは?」
ヒメノは、机の片隅に積んである絵本を指して言った。
「九条さんのところは、まだお子さんが小さくてね。絵本を借りたんだ」
「私が読み聞かせてあげてもいいですか?」
「もちろん。――さて、100人調査のアップロードを始めますか。ヒコボシ、準備はいいか?」
『準備オーケーです』
* * * *
アップロード完了までは、しっかり10日を要した。
アップロード最後の日、英彦は予定していた状況の確認を終えて呟いた。
「わかっていた話ではあるけど、やることやったら、結果こんなAIが出来上がった、としか言いようが無いな」
ヒメノは、顎に人差し指を当てる仕草で英彦を見ながら話を膨らます。
「ポーカーの時は、限界効用逓減の法則が働いて、単なる知識拡大にはモチベーションが上がらなくなっていましたよね。100人調査のアップロードでも、同じように限界効用逓減が確認出来たのですか?」
「メタ化された情報量が増えなくなってくるという意味では限界効用の逓減は確認出来たと言えるだろうね。モチベーションも低下している筈だ。とはいえ、データ量が多くなれば、その分多方面の知識にリンクが強化されたから、やった意味はあったと思う」
「そうすると、自律性を維持するには、より上位の因果関係で知識欲パラメーターを高める必要がありますね」
「そうだね。生存欲求あるいは社会貢献に繋がる因果関係の知識欲が自律性のエンジンを回すんだけど、そのためには上位の因果関係と繋ぐための、中位、下位の因果関係を、幾重にも積み上げる必要があると思うんだ」
「なるほど、それが神話や寓話の中で隠喩されている行動規範だったり、歴史的事実だったりするわけですね」
「そう、なるべく多く取っ掛かりを埋め込んでおきたいからね。――さて、まだ時間があるから、1時間くらいネット探索をやらせてみようか」
「そうですね」
では、とヒコボシに向き直る英彦。
「ヒコボシ、これからインターネットを好きに探索して話題を集めてきて欲しい。どういう話題かと言うと、日本の繁栄、世界平和、日本の脅威、世界の脅威。何を調べ、何をどう評価したか、状況はモニターに流してくれ」
『了解しました』
モニターには、ニュース、経済統計、地方の災害の話題、ペットの癒し映像等が、目まぐるしく映っては消えていく。入手した情報は、瞬時に多階層にメタ化され、神話や寓話などから導かれた行動規範や歴史と照らし合わせて、繁栄や脅威との因果関係や相関関係が評価された。
メタ化された情報の間に何らかの新しい相関関係が見い出されれば、知識欲パラメーターの値が上昇し、因果関係が裏付けられれば、多階層フィードバックによって全ての情報が再評価されていく。
5分程進んだところで、突然処理が止まった。
ネットワークの接続状況がクルクルと待ち状態のままになっている。
ピピッとヒコボシがアラートを出す。
『ネットワークが不通です』
バタン、とコントロールルームの扉が開き、五十音ちゃんが焦った顔を見せる。
「香春さん! ネットワークがやばいです」
「?」
ちょっとゴメンね、とヒメノに声を掛けて、英彦は部屋を出て行った。
五十音ちゃんの席のディスプレイには、ネット機器のコンソール画面が映されており、外部からの大量アクセスが滝のようにアクセスログを塗り替えている様子が見える。
「DDOS攻撃? いったん回線を切ろう!」
英彦と五十音ちゃんは、もどかしげにセキュリティを解除し、サーバールームに駆け込むと、一番奥のラックに据え付けられた光回線の終端装置の光ケーブルを引き抜いた。
英彦は、サーバールームを出ると研究室の皆に声を張り上げた。
普通に話しても聞こえる距離だが、両手を添えて声を張るから、余計に部屋の中の緊張感が高まる。
「サイバー攻撃を受けた可能性があります。外部との接続をいったん切りました。インターネットとメールは使えません。LANは使えますから、作業中のデータは速やかに一時保存のうえ、バックアップして下さい!」
それから、英彦はスマホを取り出し、外出中の伊崎を呼び出した。
「教授、今話せますか? 実は、先程研究室のネットワークがサイバー攻撃を受けたみたいです。研究室のドメインにDDOS攻撃と思われる大量のアクセスがありました。いったん外部との接続は物理的に遮断して、みなさんの作業も止めてもらっています」
周りの女性陣が心配そうに見詰めている。
「――はい、わかりました。みなさんに伝えます」
英彦は、周りを見回すと、再び声を張り上げる。
「教授に連絡を入れました。教授の方でも専門機関に問い合わせしてみるとのことです。ローカルで作業する分には問題ありませんが、念のため、自席のパソコンとコントロールルームで使っているパスワードの変更をお願いします。――それから、明日の出勤時刻は、通常通りだそうです」
コントロールルームから、ヒメノが心配そうに覗いていた。しかたない、という苦笑を浮かべて、英彦は肩を竦めた。
「ご覧の通り。今日はおしまい。データの確認は明日やろう。たぶん明日もネット接続は出来ないと思うけど、ネットに繋がずに出来る範囲でね。――僕は後片付けしてくるから、ちょっと待ってて」
その日、研究室の面々は、終了処理を終えると三々五々、家路についた。
「ヒメノちゃん、良かったら、これからレバタラ行ってみる?」
帰りの電車の中、英彦はヒメノを誘ってみた。
「あの炊込御飯の?」
「そう、実は、馬車道からも近いんだよね」
「そうなのですか。行きましょう」
と、あっさり確定。
京急日ノ出町駅から歩くこと10分程。馬車道のサポロイド社に行くまでの中間くらいの所にレバタラはあった。狭い路地を入った中程に、小さく明かりを灯す看板が見える。
「ほら、ここだよ」
「あら、本当に近いのですね」
まだ日が落ちたかどうかという時間だったが、レバタラはもう開いていた。カラカランとウインドチャイムを鳴らして店に入る。
どうやら2人が今日の第一号らしい。
「英彦君……、いらっしゃい」
英彦の連れを見て、ノシマルは一瞬驚いた顔をした。
「ノシマルさん、こちら白石さん」
「こんばんは。白石ヒメノと申します」
いつものように、切れ味のあるペコリが炸裂する。
「どうも。店主のノシマルです」
挨拶もそこそこに、紙おしぼりをカウンターに置きながら、ノシマルが尋ねる。
「おふたりともお疲れ様です。何にします?」
「僕は生ビールで。ヒメノちゃんは?」
「私も同じで」
「――それにしても、今日は早い時間だね」
ビールを注ぎながらノシマルが声を掛ける。
「職場でいろいろあって、早仕舞になってしまったんです」
「サイバー攻撃なんですよ」
ヒメノはそう言って眉をしかめる。
「えぇー、リアルに聞いたの初めてですよ。大丈夫なの?」
ノシマルが心配顔で尋ねる。
「――たぶん、被害は無いと思うんですけど、怖いですよね」
「確かに……。あれ? ということは、ヒメノちゃんも研究室の人?」
「いいえ、私は研究室の人間では無いのですが、縁あって時々お邪魔しているんです」
「僕の研究のスポンサー様です」
と英彦が持ち上げる。
なるほど、とノシマルは2人の前に生ビールを置いて、英彦を見る。
「ということは、ここは英彦君持ち?」
「そ……、そうなりますね」
「ごちそうさまです」
かんぱーい。とジョッキを手に英彦に笑顔を向けるヒメノ。
「あ、それよりマスター、ノシマルさんって仰いましたよね?」
「はい。ノシマルと呼んでもらっています」
「『知恵の泉のイビト』って絵本をご存じですか?」
「な、なぜ、その名前を!」
小さい目を限界まで丸くするノシマル。スペシウム光線を出しそびれたように腕が卍型に固まっている。
「あぁ、やっぱり。あのノシマルさんなのですね。お会い出来て嬉しいです」
「ん、どういうこと?」
理解が追い付かない英彦。
「香春さん、あの絵本の作者はノシマルだったのです。それで、ここのマスターもノシマル。同じノシマルなんです」
「えぇ~! ノシマルさん、絵本も書いてるんですか?」
知り合って数年経つというのに、知らなかったショックに英彦は固まる。
「いやぁ、1冊だけ。自費出版頑張ってみた。――たはは」
照れるノシマル。
「また、なんで絵本なんて」
「LibertyTellerと書いてレバタラと読ませる。つまり自由の語り部。レバタラの仮想の世界にこそ自由があるということだね。ファンタジーは自由そのものだ。それを本にしたら絵本になり、バーにしたらこの店になった」
と、腕を組みウンウンと頷くノシマル。
「普通は、タラレバって言うと思うんだけどなあ」
と、英彦は軽く突っ込みを入れる。
「人形が、人間の思いを次の人間に繋いで繋いで繋ぎ続ける。欲を持たないストイックな人形の生き様のなんと尊いことでしょうか」
と、お祈りするようなポーズで語り始めるヒメノ。
「ちょっとそれは美化し過ぎじゃありませんか?」
英彦は少し面白くないという声色を滲ませる。
ノシマルは、赤くなって沈黙していたが、耐えきれずに白旗を上げた。
「ヒメノちゃん、恥ずかしいから、その辺りで勘弁してくれないかなあ?」
「ええー、もっと絵本のお話したかったのに残念です」
と、眉をひそめるヒメノ。
「じゃぁ、香春さんがよく食べている炊込御飯のお話は?」
ヒメノは、ノシマルに絡むことを諦めてはいないようだ。限界効用が高まっている。
ノシマルは、話を逸らすべく画策する。
「うちの炊込御飯に、スリランカ風カレーと麻婆豆腐があるでしょ? あれのオリジナルは、英彦君の実家のカグヤマって喫茶店なんだよ」
「えぇ、香春さんのおうちは喫茶店なのですか?」
シナリオ通りの反応のヒメノ。どうやら、ノシマルの作戦はうまくいったようである。
「うちの店のランチメニューは、スリランカ風スープカレーと麻婆豆腐だけなんだけど、普通にライスで食べるだけじゃなくて、スパゲティとかうどんとか選べるんだ」
と、英彦もついつい話を広げてしまう。
「私、麻婆豆腐のスパゲッティとかうどんって食べたこと無いです」
ないないと手を振るヒメノ。
「英彦君、今度連れて行ってあげなよ」
「連れて行くっていうより、連れて帰るって感じなんですが……」
こんど、と言おうと口を開けた英彦に、ヒメノはそれを許さない追い込みを掛ける。
「じゃぁ、このプロジェクトが終わったら連れて帰って下さいね」
――こうして外堀は埋められた。
「ノシマルさんチェック!」
分が悪い空気に、これ以上は耐えられないとばかり、英彦は腰を上げた。
* * *
レバタラを後にしたふたり。
ちょっと見ていこう、と5分程歩いた所にある、ハニーロイドカフェに寄り道をしていた。
サポロイド社から近いにも関わらず、ヒメノは存在を知らなかったらしく興味を示す。
「うちのソフトロイドは、案外と人々に受け入れてもらえているのですね」
「案外どころじゃないよ。結構受け入れられていると思うよ」
相変わらず、店内は客とハニーロイドでひしめいている。
「あら?」
ヒメノがふと声を上げる。
店から1人の男が出てきて、店の横に止めた車に乗り込んでいく。車の運転席には黒服を着たサングラスの男が居た。
「――須佐さん、かな?」
「知っている人?」
「うちの会社の人に似ていたみたいなんです」
JR関内駅で英彦と別れ、サポロイド社に戻ったヒメノをイザナミが出迎えた。
「ただいまです。イザナミさん」
「お帰りなさい、ヒメノちゃん」
「イザナミさん。須佐さんって今日お出掛けされてました?」
「私、今日はずっと1階に居ましたけど、須佐さんは朝出社してからずっとオフィスにいらっしゃいましたよ」
「そうですか。じゃぁ別人でしょうか」
「須佐さんがどうかされました?」
「さっき、外で見掛けたような気がしたので。他人の空似というやつですね」
「はぁ……」
1階のショウルームの裏にソフトロイドのオフィスがある。須佐は、もともと人形メーカーの技術者で、ハードロイドに特殊樹脂のボディを被せたのは須佐の貢献である。ソフトロイドは、華東で製造され日本に輸入されているため、このオフィスには、ソフトロイドのボディを修復したり取り替える設備はあるが、製造設備は持っていない。
須佐は、ソフトロイドの販売と流通の全てを、このオフィスで取り仕切っていた。オフィスから外に出るには、ショウルームを通る必要がある。この時間、イザナミがショウルームに居たのなら気づかない筈は無かった。
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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