第55話 大国の思い
―大国の思い―
華東NSAは、軍基地の一部を借りて作戦本部を設けていた。
この日、午前10時頃、
沖縄から海上自衛隊の救難飛行艇で飛び立った楊達は、華東近海で待つ華東の護衛艦に収容され、18時には無事作戦本部に到着していた。
20時、ネットワーク遮断の報を受けて、華東NSAでは、駆逐艦と揚陸艦に楊達を送り込む動きに入った。
ドローンは相変わらず飛び回っているが、これまでのところ攻撃してくる様子はない。
2人の華東ヒメノと2人の楊は装甲車でヘリポートに移動する。
華東ヒメノと楊は、2組に分かれ、飛び回るドローンを避けて、それぞれ2機のヘリに乗り込んだ。
華東ヒメノが操縦し、楊が降りる役だ。軍のウェットロイドの顔立ちが楊と同じだったため、顔認証レベルでリスクが回避出来るのは有難かった。
2機のヘリはドローンが飛び回る高度よりも高い、高度百メートルまで一気に上昇し、1機は駆逐艦へ、もう1機は揚陸艦へ向かう。これらの艦船の周囲にはドローンは飛んでいない。
華東ヒメノが、降下準備をしている楊に通信を飛ばす。
――楊さん。いよいよです。
『ヒメノちゃん、向こうから、
警告とか来てますか?』
――特に何も来てません
『砲門の動きに気を付けて接近
して下さい』
――了解です
駆逐艦も揚陸艦もヘリに対する反応は何も無かった。華東ヒメノ達は、それぞれ甲板に楊達を下ろすと、そのまま着艦して待機する。
楊達は、それぞれ、艦の中に消えていった。
20時37分。揚陸艦から出て来た楊赤鉄は、上昇するヘリから、全ウェットロイドと華東NSA本部に音声通信を飛ばした。
『作戦本部は華京。周緑山自身が指揮を
執っています。揚陸部隊は1万2千。
スタンドアンドアロンモード。
作戦開始は明日12時』
* * *
江都の姫乃達は、華東NSAが手配した高速鉄道の中に居た。華京までは約4時間半。現地に着く頃には真夜中になっている。
「あと15時間。それまでに作戦を中止させないと」
紅鈴が渡したタオルケットを纏い、華東メンバーが用意したカップスープを啜って姫乃は呟く。
「無事に周緑山と会えるかな。武装した近衛兵みたいな人達が居てもおかしくないし、うちの華東メンバーは、特殊部隊とは言っても武装は殆ど無いのに」
「軍のベースサーバーはネットワークが遮断されています。この状況で動けるのは周緑山だけです。もし、警備兵が自律的に動いていたとしても、必要であれば武器は向こうで奪えますよ」
「それもそうよね。でも、なんとなく不安なの。会うのが怖いだけかもしれないけど」
「姫様は、ご自身の手で周緑山を亡き者にするおつもりですか?」
「昔、そういうことを考えたことはあったけど。もう、人を殺めるのはこりごりよ」
「どうしても必要な時は、私がいますから」
「ありがとう、紅鈴」
「少し仮眠を取られた方がよろしいですよ」
「うん。そうする」
反政府運動時代の思いが蘇る。国民を蔑ろにする政権への憤りを思い出す。
1人の人間の命を奪った罪は、残りの人生を全て費やしても償えないというのに、そんな自分が、どうして、他国の政治に関わることが出来ようか。
閉じた目が涙で緩む。
――それでも、せめて、
周緑山にはしっかり向き合おう。
この国の庶民の苦しみを背負って。
* * *
夜遅くに着いたこともあり、華京では車が手配出来なかった。姫乃達は、熱帯夜の道を、政治の中心地、中南海に向かって歩いていた。見咎めるものは誰もいない。聞こえるのは自分達の足音だけ、そんな静けさである。
30分程歩いて、一行は新華門に辿り着いた。2人の衛兵の姿が見える。この先がこの国の政治の中心、中南海だ。
衛兵は2人。機能を停止していないのはスタンドアロンモードだからだろうか。
レディ・パープルのマスクを着けた紅鈴とヒメノがそれぞれに近づき、無効化ギアを片耳に差し込み、もう片耳に有線接続する。
力無く膝を折る衛兵をそのままに、姫乃達は中南海を進んでいく。
一行は、湖を見渡す公園のような場所に出た。別荘地のような趣だ。衛兵から周主席の住所を読み取った紅鈴とヒメノが先導する。
やがて、紅鈴とヒメノは1軒の邸宅の前で立ち止まった。
「姫様、着きました」
「ここが、国家主席の家なの?」
そこは、質素な邸宅だった。もっと瀟洒な造りでも良さそうなものなのに、これまで道々目にしてきた豪勢な邸宅と比べると、遥かに飾らない小さな平屋造りの家であった。
「門番も守衛も居ないのね」
小さな門を開けて、庭を横切り、玄関と思われる場所に立つ。
呼び鈴も何も無い。素直に入れてもらえるものなのだろうか? とノックをして待つが反応がない。
扉に手を掛けると、カギは掛かっていなかった。
「失礼します」
夜中の2時になろうかという時間に、国家主席の家に上がり込むのに、どう声を掛ければ良いのだろう。姫乃は思い切って扉を開けて中に入る。手前の左手の扉が開いていて灯りが漏れている。
灯りの中は質素なリビングだった。奥の窓はカーテンが開けられており、暗い中庭が見える。ソファには1人の男が入口に背を向けて座っていた。
姫乃は、トントン、とノックをして男の反応を待つ。
男は振り返り、姫乃を認めると、笑顔を見せた。
「やあ、やはり君だったか。ホワイトプリンセス」
「――あの、失礼します」
ホワイトプリンセスと呼ばれたことも意外だったが、男が自分の来訪を予期していたことに、姫乃は驚きの表情を見せた。
男は甚兵衛のような着物姿。立ち上がると、手を回して奥のソファーに誘う。
「さ、入りたまえ」
姫乃に続き、紅鈴、ヒメノ、華東ヒメノ、須佐ロイド、華東メンバーの2人が、部屋に入る。
「ちょっと狭苦しくて申し訳ないが、まあ、楽にしてくれ」
女性陣の背中を押して、須佐ロイドが4人をソファの前に誘導する。男性陣は後ろに立った。
「こんな夜中にお邪魔して、申し訳ありません。周主席」
立ったまま、姫乃がお辞儀をすると、他の男女もこれに倣った。
「私は、現在は日本に帰化して伊崎姫乃と名乗っています。こちらは、私のスタッフ達です」
姫乃はいつになく畏まった口調で周に向き合う。一人称も、普段の『あたし』から『私』に変わっている。
「まあ、座りたまえ」
「失礼します」
腰掛ける女性陣に、周は柔らかな笑顔を向ける。
「ひとり所帯なもので、何のお構いも出来ず申し訳ない」
「とんでもありません」
手を振って恐縮を示す姫乃。
「――さて」
周は、改めて姫乃達を見回すと口を開いた。
「軍のベースサーバーのネットワークを遮断したのは君達だね?」
「はい。そうです」
「しかしながら、ドローンは静かにならないし、陸戦隊も華東への侵攻を止めていない」
「はい。その通りです」
「とすると、私のところに来た理由は、ベースサーバーから作戦の中止を発信するための情報が欲しいということかな」
「はい」
「ならば、隣の部屋で眠っているハードロイドに聞くといい」
隣の部屋を手で示す周に須佐ロイドが頷き、華東メンバーを連れて隣の部屋に向かう。
「――よろしいのですか?」
「何がだね?」
「その……、こんなに簡単に応じていただけるとは思わなかったので」
「構わんさ。それが周緑山の願いでもある」
「え? それはどういう……」
膝に置いた姫乃の手に紅鈴が手を乗せた。
振り向いた姫乃に紅鈴が頷く。
紅鈴の目が真実を見たのだ。
ひと息深く息を吸った姫乃は、静かな声で周に問う。
「周緑山は、今何処に?」
「付いて来たまえ」
周は立ち上がり、姫乃達を見回して、目で部屋の外を示す。姫乃達4人は、周に付いて奥の部屋に。
周が灯りを点けると、天蓋付きのベッドが目に入った。他には目立った調度が無い、質素な空間だ。
周は天蓋のカーテンをそっと開く。
ベッドには、細長いガラスケースが置かれており、その中には、1体のミイラが横たわっていた。
姫乃達は、思わず手を合わせてせて首を垂れる。
「――2年前、周緑山は病に倒れられたが、医者にすら隠蔽することを選ばれた。私のAIのアンドロイド3原則を私自身に書き換え、死の床で、ウェットロイドによる全共産党員のすり替え計画を話された。彼は、この国の真の民主化のためには、共産党全体の改革が必要だとおっしゃっておられた。『党の全てを私の色に染め、私と共に消し去る』――それが、周緑山の遺志だった」
姫乃の中に衝撃が走った。姫乃の心に燻っていた反政府運動の歴史が、思いが、少しずつ昇華していく。党の全てを自分の色に染めるという考えは姫乃も同じだったが、自分と共に消し去るという発想は無かった。
――そこまでの覚悟が無いと、
国とは変えられないものなのか。
「あなたは、いつから周緑山のお傍に?」
「4年前、張紫水が周緑山に会った時、彼女は、2人のウェットロイドを連れていた。1人は彼女自身のウェットロイド。もう1人が私だ。張の当初の目的は、新たな臓器培養ビジネスの立ち上げで、ウェットロイドはおまけに過ぎなかったのだが、周緑山は、これに食いついた。周緑山とはその時からの縁になるね」
「あの、先程、私が来ることを知ってらっしゃったようなご様子でしたが、それは何故ですか?」
「周緑山は、君が反政府運動をしていた頃からのファンだったんだよ。政変の後、君の開放を指示し、宣伝部に招き、そして再教育施設で君を辱めた役人達を全員処分した」
「そんなことが……」
周の言葉に息を呑む姫乃。
「周緑山が張紫水と君の話をしていたのを聞いたことがあってね。張紫水も自分のことのように君のことを自慢していたよ。そして去年の真信網のスクープを見て、君がこの計画の核心を知ったことを私は理解した。その後、安白姫の帰化申請を見た時に、君がウェットロイドの開発者である君の母親と接触したであろうことも容易に想像が付いた」
「――そこまで関心を持って頂いていたとは思ってもいませんでした」
「この計画を阻止する能力を持つ存在があるとすれば、ウェットロイドだろう、と周緑山は言っていたよ。君達に関心を持つのは当然だ。だから、数日前、君達が虹港に入ったことも確認していた。そして今夜、軍のベースサーバーとのネットワークが遮断された。それは私自身が検知出来た。完全に計画を阻止するためには、私の所に来るしかない。江都からここまで5時間くらいだろうからね。だから、こうして待っていたのだよ」
「ということは、私達の行動を阻止しようと思えば阻止出来たということですよね。なぜ、阻止しなかったのですか?」
「周緑山の思いは言っただろう? 『党の全てを私の色に染め、私と共に消し去る』と。周緑山の目的は華東侵攻の成功では無い。党の破壊だった。むしろ作戦が成功してしまっては困るのだよ」
「もし、私達が華東侵攻を止められなかったら、どうなると思いますか?」
「日米および華東軍と交戦状態になるだろうね。だが、華東の占領は成功しないだろう。揚陸艦が長距離ミサイルで沈められた段階で、こちらは停戦に応じることになる」
「それでは、どちらに転んでも周緑山はただ悪役になるためにこの計画を仕組んだということになりませんか?」
「その通りだよ。周緑山は、この国に民主主義を根付かせるためには悪役が必要だと考えていた。この国の未来を奪いかねない党の支配による過ちを演出し、その反動で、国民を民主主義に誘導する。これは、そのために必要なプロセスだと彼は考えていた」
「その過ちを演出するために、共産党員を全てウェット化したのですか?」
「党内部も一枚岩では無かったからね。ウェット化することで楽に進められたというのは事実だが、それよりも国民全体の意識や考え方を変えていくために、まずは党員の意識や考え方を変える必要があると周緑山は考えたのだよ」
「国民全体、ですか?」
「そう、彼は、政変レベルの改革では国は変わらないと言っていた。国民全体の意識、考え方、行動の仕方を変える必要があると。制度だけ民主主義になっても、国民自身がその使い方を知らなければ意味が無いからね。そこで彼は、党員を国民全体に民主主義教育を広めるための伝道師にしようと考えた」
「それは、途方もなく壮大な構想ですね。どうやって進めればいいのかわからないくらい」
改めて周緑山の世界観に敬意を抱く姫乃。
「確かに壮大だが、彼は幸運だった。どうすればいいか考えあぐねていた時、ウェットロイドに出会えたのだから。彼の中では既に覚悟が決まっていたのだろうね。氷点下の冷水が氷結するかのように、瞬時に、彼の中であらゆるプランが決まった。臓器培養を餌にして、共産党員達をパープルロイドに送り込み、ウェット化を進めていった」
「周緑山は、党をウェット化した後、どうするおつもりだったのですか?」
「国民に民主主義を説き、個性を尊重する教育を行うとともに、有能な人間を選んで、幹部教育を行い、民主政権を作る。党はこれが根付くまで、見守っていく。今では1億を超える共産党員が、ウェットロイドなのだがね」
「――それは、まるで『知恵の泉のイビト』の物語のようですね」
ヒメノが周に微笑みを向ける。
「イビト?」
首を傾げる周に、ヒメノは、失礼します、と言って有線接続でイビトの映像を送る。
「――なるほど。人間の想い、魂を継承する存在。周緑山が思い描いていたウェットロイドの役割は、個性を大切にし、責任を持って民主主義を進める人間を育てて見守るというものだった。言い換えれば、我々ウェットロイドは周緑山の民主主義への想いを継承する存在と言えるだろうね」
ふと気付いて、周が寝室の入り口に目をやると、須佐ロイドと華東メンバーが、話が終わるのを待っているところだった。
「おっと、そちらの用事は終わったのかな?」
黙って頷く須佐ロイド。
「さあ、江都に戻らねばならぬのだろう? この時間は本来、鉄道が動いていない時間なのだが、高速鉄道をチャーターしておいたから、それで戻るといい」
「ありがとうございます」
周は門のところまで見送りに出て来た。
「今日は会えて良かったよ。ホワイトプリンセス。周緑山の想いが1つ叶った」
「そんな。私の方こそ、周主席のご遺志を伺うことが出来て良かったと思っています」
それでは、気を付けて行きたまえ。と一行を見回して手を振ると、周は背を向けて家に戻って行った。
* * * *
その日の午前9時、軍のベースサーバーとのネットワークが復旧し、作戦中止命令が発信された。揚陸艦が作戦を開始する3時間前であった。
華東海峡に停泊していた駆逐艦と揚陸艦、ならびにドローンは全て引き上げていった。
結果、華東本土、および尖閣諸島において、何ら被害は確認されていない。
※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓
https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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