第39話 無慈悲な歯車
―無慈悲な歯車―
伊崎とイザナミが船の掃除を全て終える頃には、ヒメノは少し歩けるようになっていた。
夕日が世界を橙色に染める中、伊崎達はサポロイド社に戻った。
伊崎達がリビングに入ると、先に戻っていたキヌヨが出迎えた。
キヌヨが社に戻った時には、紅鈴と楊達を連れたNSAの別班が、AIを取り外してラボのAIドックに保管し、ボディをコクーンに入れて引き上げた後だったらしい。
3階のコクーン部屋に通された伊崎は、そこで4機のコクーンが全て埋まっていることに気付く。4人目は須佐だった。キヌヨが1階のオフィスでスリープモードの須佐を発見して、ここに運んだのだ。須佐のAIも取り外されてAIドックに保管されていた。
伊崎は、とにかく現在の状況を確認したかった。
「イザナミさん。NSAの連中の状況はわかるか?」
「それでしたら、ラボのコントロールルームで確認されるのがよろしいかと思います」
ヒメノを連れたキヌヨと共に、2階のラボに降りた伊崎は、弾丸摘出手術をするキヌヨとヒメノをラボに残し、イザナミとコントロールルームに入った。
伊崎とイザナミがコントロールルームに入ると、ヒコロイドが呼び掛けてきた。
『教授、お帰りなさい』
声色は機械的だが、明らかに英彦のものだった。
先程、血まみれになっていた青年が、魂だけでも戻って来た気がして、伊崎は何とも言えない気分になる。
「あ……ああ、ただいま。――ヒコロイド、と呼んだ方が良いのかな?」
『はい、教授のお好きなようにお呼び下さい』
「じゃあ、早速だがヒコロイド。NSAの現在の状況を教えて欲しい」
『わかりました。鷹羽・橿原組は姫乃さんをNSA本部に同行して事情を聞いているところです。英彦さんのご遺体は、救急搬送先の警察病院からNSA本部に移されました。紅鈴、楊達を連れ戻った山田・高橋組と2人のイザナミさんは、紅鈴達の処置後、ハニーロイドカフェ1号店に向かいました。顧客が騒いでいたためです。地元警察に協力を仰ぎ、顧客の退去、封鎖を行った後、『ふかみ丸』に戻り現場検証を行いました。現在は本部に帰投しています』
伊崎はモニターのカメラに頷く。
「そうか。ハニーロイドカフェの話は、現場検証の時に、山田さんから簡単に聞いたよ。それより、他の影響はわかるか?」
『ベースサーバーの通信遮断により、全国のソフトロイドが機能を停止しましたが、SRシステムサービスには認証機関経由で通信障害発生につき対応中との連絡をしているので、大半の利用者は各々事態の収拾に努めているようです。ヒコボシからは警察沙汰になるような事例の報告はありません』
「ということは、警察沙汰になっているのはハニーロイドカフェくらいってことか」
『はい。ハニーロイドカフェ1号店では、須佐型ウェットロイド、便宜上、須佐ロイドと呼びますが、彼も同時に機能を停止していたため、対応出来る店員が誰も居ませんでした』
「ま、そりゃそうだよな。それで今はどうなっている?」
『ソフトロイド達は、動作途中でスリープ状態。須佐ロイドはコクーンに入れてスリープ状態です』
「紅鈴達はAIを取り外しているからいいとしても、ハニーロイドカフェの須佐がその状態では、このままベースサーバーを復旧するわけにはいかんな」
『そうですね。ベースサーバー復旧には、接続先の変更に加え、AIのDNA親情報の書き換えが必要と思われます』
「そんなことが出来たのか?」
『本体に取り付けたままだと出来ないんですが、そこのAIドックに取り付けると可能なんです』
「ほほう。で、DNAの親は誰にするんだ?」
『須佐ロイドについては、取り急ぎは僕でどうですか? 教授にしても構わないのですが、須佐剣人と言う実在の人物がいるのに、そのコピーのウェットロイドの親になるのは気分が良いものじゃないのではないかと』
「確かにな。それでいいだろう。他のウェットロイドはどうする?」
『基本的には同様の処置です。紅鈴を含めた和華人のウェットロイドについては、姫乃さんの処置が決まらないと親を決められないと思いますが』
「しかし、それが決まるまでベースサーバーを復旧出来ないとなると騒ぎが大きくなり過ぎる……」
『でしたら、まずは接続先だけを変えて、スリープ状態にしておくのがいいと思います。ここに保管している紅鈴、2人の楊、須佐ロイドは直ぐに実行出来ます』
「いいだろう。なら、ハニーロイドカフェの須佐ロイドのAIは、一度取りに行ってここで書き換えてまた持って行けばいいのか?」
『須佐ロイドは、これからDNAの親と接続先を書き換えるので、それをを持って行って、現地で差し替えてもらえばいいです。差し替えたAIは、後でこちらにお持ち下さい』
「わかった」
『取り急ぎは、須佐ロイドですね。今書き換えます。終わったらそこのロッカーの扉が開くので、それを持って行って下さい――』
1分も待たずに、ガチャリとロッカーの1つが開いた。
「これ、素手で掴んでいいものなのか?」
「――失礼します」
横から、手袋をしたイザナミが手を伸ばし、AIを取り外すと、カメラケースのような箱にカチリとセットしていく。
「教授、私もお供しますわ」
「あ、ああ。よろしく」
イザナミの手際の良さに舌を巻きながら、伊崎は立ち上がった。
伊崎とイザナミがハニーロイドカフェに着くと、NSAの鷹羽から電話が入った。
「――伊崎です」
『伊崎さん。お疲れ様です。鷹羽です。現場の人間にはこちらから連絡済みですので、そのまま中に入ってもらって構いません。他のウェットロイドの無効化は終わっています。須佐のAIを取り換え次第、こちらはベースサーバーの接続復旧の指示を出します』
あまりの段取りの良さに伊崎が目を丸くしていると、イザナミが伊崎の腕を取り、警護の警官の前に連れていく。
「伊崎研究室の伊崎とサポロイド社のイザナミです」
「聞いております。――どうぞ中へ。奥のエレベーターで3階です」
奥のエレベーターに乗ると、面食らった表情の伊崎にイザナミが微笑む。
「先程のコントロールルームの会話は、NSAにも伝わってましてよ」
なるほど。と頷いていると3階に着いた。
イザナミは案内も無いのに、スタスタと奥の部屋に向かって行く。
扉を開けると、がらんとした部屋の隅に須佐ロイドが眠るコクーンがあった。
イザナミは、コクーンを開くと、手際良く頭蓋のカバーを開け、中のAIを取り外す。
持ってきたケースから取り出したAIをセットして頭蓋のカバーを閉め、コクーンのスイッチを押して覚醒信号を送ると、30秒程で須佐ロイドが目覚めた。
「初めまして伊崎教授。――この度はお手数を掛けました」
須佐ロイドは、コクーンを出て居住まいを正すと、伊崎に挨拶した。
「こちらこそ、お世話になります」
ふいのことで、条件反射的に丁寧な挨拶を返す伊崎。
「あと15分程でベースサーバーとの通信を復旧させます。私は先に社に戻るので、教授は1階で復旧を確認して下さい」
イザナミは、1階に降りるエレベーターの中でそう言うと、AIを抱えて先にサポロイド社に戻った。
1階では、15人のハニーロイド達が、時が止まったかのような状態で目を閉じて機能を停止している。
須佐も身じろぎもせず立ったままだ。
誰ひとり動かない異様な空間。伊崎は、何を見るともなしに視線を漂わせる。
アイドルのような恰好のハニーロイド、猫耳に尻尾まで付けているハニーロイド、エルフのような姿のハニーロイド、バニーガールのようなハニーロイド、どれも精巧な出来栄えだ。
――あの耳と尻尾は動くのか?
ふと沸いた疑問に、伊崎がまじまじと尻尾を見ていると、背中から声が掛かった。
「持ち帰った須佐のAIの処置も終わったようですよ。もうじき通信が復旧します」
須佐ロイドだ。
「――そ、そうか」
暫くすると、ハニーロイド達の目が開き、座っていた者は立ち上がり、腰を曲げていたものは腰を正し、それぞれが直立し始めた。
「――はい、みんな集合」
須佐ロイドが声を掛ける。
ベースサーバーが異なるため、異心伝心というわけにはいかず、声掛けが必要なのだ。
装いの異なるハニーロイド達が、揃って伊崎達の前に集まる姿は壮観だった。いずれも目鼻立ちの整った女優やアイドルのような顔立ちをしている。
伊崎は、猫耳が須佐の声掛けに反応し、ピクリと耳と尻尾を動かすのを見て、微かに口元を緩めた。
「須佐です。紅鈴さんや楊さん達が不在なので、私から指示します」
ハニーロイド達が頷く。
「本日、14時頃、通信回線の障害のため、みなさんとベースサーバーとの接続が切れてしまいました。先程復旧しましたが、スタッフも不在だったため、みなさんが接客中だったお客様には、大変なご迷惑を掛けてしまっています」
ハニーロイド達は大人しく聞いている。
須佐は話を続ける。
「――そこで、みなさんが接客中だったお客様には、お詫びの連絡と、障害が復旧して営業が再開した旨、お伝えして欲しいのです。お詫びの印に、10時間の無料サービスをご提供します。連絡が付かないお客様については、次に来店された時に改めてお詫びしたうえ、無料サービスの件を案内して下さい。終わり次第待機していただいて構いません。なお、今現在を持って営業は再開します。よろしくお願いします」
ハニーロイド達は、それぞれが通信を始めているようだ。終わったハニーロイドは、1人また1人とバックヤードの充電設備に消えていく。
「伊崎教授、こちらはもう大丈夫です。今しがた白石博士が社に戻られて、お帰りをお待ちだそうですよ」
「え、奈美ちゃんが戻った? それは急いで戻らないと」
ハニーロイド達に指示を出し、スムーズに原状回復を図った須佐ロイドの手際に、信用出来ないと疑った自分が少し恥ずかしくなった伊崎は、改めて須佐ロイドを値踏みし直すかのような眼差しを向けていた。
「――どうかされましたか?」
「いやはや、ハニーロイド達は素直に言うことを聞くところが可愛らしいもんだね。須佐さんも手慣れたもんだ。お疲れ様」
「手慣れるも何も初めてだったんですが、うまく行って良かったです。――うちの子達の中に、伊崎さんのお好みの子はいませんでしたか? いつでも歓迎しますよ」
須佐ロイドは笑顔で答える。
いやいや、と恥ずかしそうに手を振りながら伊崎はハニーロイドカフェを後にした。
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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