第40話 十字架を背負う者達

―十字架を背負う者達―


 伊崎がサポロイド社に戻ると、イザナミが出迎えに出て来ていた。

「お疲れ様です。教授」

「ああ、奈美ちゃんは?」

「はい、リビングでお待ちです」


 伊崎とイザナミが3階のリビングに入ると、奈美とキヌヨがソファに座っていた。

「――なんか、香春君とヒメノちゃんがいないと寂しいもんだな」


 そう言って奈美の対面に腰を下ろすと、壁のディスプレイからヒメノの声。

『お帰りなさい、教授』

 そして、ヒコロイドの声が割り込む。

『僕も声だけ参加です』


 苦笑しながら奈美を見ると、ローテーブルの上の封筒をすっと差し出した。

「香春君の髪の毛よ」


 イザナミは飲み物を取りにキッチンへと消える。

『こっちも参加していますよ』

 スマホ経由だろうか、ディスプレイの鷹羽からも声が掛かる。

『教授、お久し振りです』

 今度はヒコボシが画面分割の片面に顔を出す。

「ヒコボシか。久し振りだな」

 これで主だった顔触れが揃ったわけだ。


 キッチンから戻ったイザナミが、お茶のグラスを置いていく。


「――何て言葉から切り出せばいいのか、よくわからんが。まずは、みんなお疲れ様」

 伊崎は、苦しい顔で語り始めた。

「そして、すまない……」

 両膝に両手を付いて、顔を伏せる。


「いろいろと……、みんなに、すまない。香春君に、奈美ちゃんに、ヒメノちゃんに、姫乃にも、ほんとに、すまない」

「先生……」

 奈美が涙ぐんだ目で伊崎を見る。


「正直、うまく状況をコントロールしていると思っていた。驕っていた。名古屋の事件の時に使われた拳銃は、見付かっていなかったんだ。――姫乃が持っていたからだ」


 涙声になりそうなのを、ぐっと飲み込み、伊崎は続ける。

「姫乃を取り戻す筈が、姫乃に新しい十字架を背負わせることになった。――だが、この十字架は姫乃ひとりに背負わせちゃいけないと思う」


『僕も背負います。そして英彦さんの言葉を、ヒメノちゃんを、赤ちゃんを、家族を、国を守れ、という彼の言葉を、繋げていきます。姫乃さんも僕らの家族だと思います。だから、姫乃さんを守ることは、英彦さんの遺志でもあります』


 ヒコロイドの宣言にヒメノが続く。

『私も背負います。赤ちゃんをちゃんと生んで、ちゃんと育てて、ヒコくんの命を繋げていきます。姫乃さんは私のDNAの親です。私は姫乃さんを守っていきます』

「あなた達……」

 奈美の涙腺は崩壊寸前だ。


「もちろん、私達もですよ。博士」

 イザナミとキヌヨが、両側から奈美の手を取る。

「うっ」

 奈美が涙を堪えられなくなる。隣に座ったキヌヨが、奈美の涙をハンカチで拭うと、タガが外れたのか、キヌヨとイザナミの手を取り、顔を伏せてどっと嗚咽する。


「鷹羽さん。姫乃はどうなるんですか? 殺人の罪に問われるのでしょうか?」


 分割された画面の鷹羽が、伏し目がちに答える。

『何らかの罪に問うとしても、銃刀法違反の現行犯逮捕というところでしょうか。しかしそれでは、姫乃さんは納得しないでしょう。殺人や過失致死を立証するとなると、姫乃さんがあの場所で何をしようとしていたのかを明らかにする必要があります。ですが、それは、ウェットロイドと潜水艦警戒システムの存在を白日の元に晒すということです。また、姫乃さんは、形式上は白石姫乃ではなく、安白姫と言う華連人ですから、裁くとなると、それら全てを華連にも報告することになります。それは、NSAの望むところではありません』


「それは、喜んでいいことなのですか?」


 伊崎は、画面に問い掛ける。

『姫乃さんは、自分を裁け、殺人の罪を償わせろと言っていますが、私達は、もっと過酷で、ある意味、残酷な道を歩ませることになるだろうと思っています』


「もっと過酷で、残酷とは?」

『姫乃さんには日本人に帰化してもらったうえで、NSAの一員として、24時間監視のもと、対華連諜報戦の前線に立ってもらいます。もちろん、これにはウェットロイド対応も含まれます。つまり香春英彦君の命を奪った原因の1つでもあるウェットロイドから、一生逃げられない。一生向き合っていかなければならない。そして彼女は自死の自由も与えられないのです』


「――どうやって、支えていけばいいんだ」

 伊崎は頭を抱える。

『支えになるかはわかりませんが、姫乃さんが使っていたウェットロイド達は、NSAのネットワークの下で、使わせてもらおうと思っています。紅鈴については、DNAの親は姫乃さんのままの方がいいでしょう。姫乃さん本人が自死を選ぼうとしても、紅鈴が死なせない筈です。楊達は、DNAの親をヒコロイドにしてはどうかと考えます。伊崎さんでもいいのですが、ウェットロイド同士の方が半永久的に続くので、NSAとしては、そちらの方が都合がいい』


「そりゃそうだろうけど、鷹羽さん。お国の機関っていうのは、随分とドライなもんなんですね」


『――すみません』

「ヒコロイド、聞こえたか? 早速書き換えておいてくれ」

『わかりました』


『それからもう1つ重要なことがあります』

 ディスプレイにはカメラ目線で訴える鷹羽。

「何ですか?」

『ヒコロイド君のことです。香春英彦さんは戸籍上は死んでいないことになりますから、ヒコロイド君には、完璧に香春英彦を演じ切ってもらう必要があります。出来ればご家族全員、少なくとも、ご両親がおふたりとも他界されるまでです。ご家族と適度に交流を維持しながら、見た目を適度に老化させていく必要もあります。これはヒメノちゃんにも言えることですが……』


『わかっています』

 ヒコロイドが応じる。

『もし、疑いを持つご家族が出てきた場合は、NSAの保護下に入ってもらう必要が生じるでしょう』


「――それは、私達全員でサポートしていきます」

 涙を拭い、目を腫らした奈美が、ディスプレイに向かって震えた声で言う。


「それで、鷹羽さん。ハニーロイドカフェ1号店はどうすればいい? あそこは、和華人が支配していたんですよね?」

『店のオーナーは、華南在住の日本人ですが、名義貸しです。姫乃さんから経営権を譲る話をしてもらって、サポロイド社に預けるというのはどうでしょうか?』

 伊崎は、未だ涙目の奈美が伊崎に頷くのを見て了解を伝える。

「わかりました。それで行きましょう」


 ディスプレイの分割された片方でヒコボシが手を上げている。

「ヒコボシ、今回の件で華連に動きがあったりするのか?」

『今回の件、巷では、ハニーロイドカフェが通信障害のため約5時間の間機能不全になったと伝えられています。華連でもこのニュースは取り上げられましたが、華連系のメディアや真信網のニュースで、和華人や安白姫に関連しているものは見当たりませんでした』


「そうか。ありがとう」

 伊崎には、最後に鷹羽に聞きたいことがあった。

「鷹羽さん」

『はい、何でしょう?』

「姫乃は、ちゃんと食べてますか?」

『さすがに食欲はあまり無いようですね。ですが完食とはいかないまでも、少しは口を付けているとの報告を受けています』

「そうですか。……今日はありがとうございました。お疲れ様でした」

『こちらこそ。お疲れ様でした』


「イザナミさん、キヌヨさん、今日はありがとう、お疲れ様。今日は休んでいいよ、って言っても、コクーンは満杯なんだっけ?」

「ふふふ、私達ならご心配なく。コクーンが無くても72時間活動出来ますから。ヒメノちゃんの治療と、妊婦のケア、ウェットロイドの設定変更とコンバート、ヒコロイドの製造。それに、3人目の楊さんも復活しなければなりませんし、忙しくなりそうですわ」

「あ、その手があったか。――姫乃も喜ぶよ、きっと」

「それでは、お休みなさい」

 イザナミとキヌヨは、頭を下げるとリビングを出ていった。






※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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