第41話 償いの形

―償いの形―


 伊崎が振り返ると、奈美がキッチンに歩きながら顔だけ伊崎に向ける。

「色々あったから、ご飯未だでしょう? 私もお腹空いちゃった」

「俺も手伝うよ」


 ひとり待つのは間が持たないとばかりに伊崎がキッチンに入ると、奈美がエプロンの腰紐を結んでいるところだった。


「エプロン姿似合うな」

「でしょ。香春君にも言われたわ」

「……」

 いきなり地雷を踏んだ伊崎は、冷蔵庫を開けて話題を逸らそうとする。


「――恥ずかしいから、あんまり見ないで」

 そう言いつつ、伊崎の脇から、ばたばたと、必要なものを取り出して、フライパンを温め始める奈美。


「じゃあ、先生はレタスを冷やしといてくれます?」

「あ、ああ、このボウル借りるぞ」


 冷凍庫の氷をひと掴みボウルに放り込み、水を入れる。奈美がまな板に乗せていたレタスを適当に剥いて、千切ってボウルに放り込む伊崎。

 奈美は、それを横目で見ながら、フライパンにベーコンを並べる。


「冷凍庫にバケットがあるから、それも温めてもらえます?」

「この皿でいいか?」

 と、伊崎が食器棚の皿を手に取ると、奈美が軽く頷く。冷凍庫から、切ってラッピングされたバケットを2つ取り出して、皿に乗せるとレンジに入れた。

 奈美は、卵をフライパンに投入して蓋をしたところだ。


「――なんか、ふたりで住んでいた頃の朝食を思い出すな」

「そうね。小さなアパートの狭いキッチン。懐かしいなぁ……」

 ふふ、と笑みを浮かべながら、奈美が呟く。


「殆ど毎日、ベーコンエッグの日々だった」

「俺的には、それに御飯とみそ汁と納豆と味海苔があれば完璧」

「何だか、温泉旅館の朝食みたい」

「温泉旅館は、それに一夜干しの焼き魚とか付いてくるしな。それだけでゴージャス!」

「温泉かあ……。みんなで行きたいな」

「落ち着いたら、みんなで行こう。家族風呂だ」

「――なんかいやらしい」

 じとっとした奈美の視線が伊崎を射る。


「あ、そうだ。ワインあったんだ!」

 奈美は、冷蔵庫の奥から白ワインを取り出して伊崎に渡す。

「こっちは出来たら持ってくから、先生は先にワインをお願い。グラスは3つね」

 奈美が指差した先には、食器棚に並んだワイングラス。


 それから、とキッチンの引き出しからソムリエナイフを取り出して伊崎に渡す。

 伊崎が、言われるままにダイニングテーブルにグラスを置き、3杯目を注いだところで、奈美がトレイに皿を乗せて入って来た。


「出来ましたあ」

 奈美は次々に皿を並べる。

 ベーコンエッグとレタスサラダ、バターを塗ったバケット、チーズの盛り合わせ。


「朝食みたいな夜食になっちゃったわね」

 それからソファに行くと、封筒を持ってきて2人の間に置いた。

「3つ目のグラスは、香春君の分。――献杯しましょ」

 2人はグラスを鳴らした。


「――ヒメノちゃんの赤ちゃんは、与那国島の時のか?」

「そうよ。ウェットロイドの妊娠は初めてだから、華東の絹代にも相談しながら進めているのだけど、どんなリスクがあるかわからないから内緒にしてたの」

「俺達の孫と言えば孫なんだよな」

「実感は湧かないけど、DNA的にはそうなるわね」

「いずれにしても、家族が増えるのは嬉しいことだ」

「香春君も、家族みたいなものだったわ」

「そりゃ、俺にとっても息子のような弟のようなものだったしな」

 伊崎はグラスをくゆらし、揺れるワインを眺めながら続ける。


「――不思議なもんだな。家庭教師だった俺が奈美ちゃんを嫁にして、娘が出来て、その娘が死んだと聞いて悲しんでたら実は生きていて……。まさかこんなことになるとはな」

「私が大学に入りたての時だったわね。父と母が事故で死んでしまったのは。他に身寄りが無かった私を嫁にするって、先生はご家族を説得して、学生結婚までしてくれて……」


「優秀過ぎる嫁も困ったもんだ。華連に姫乃が攫われるとは思ってもいなかった」

「でも、ウェットロイドの存在が、姫乃を呼び寄せ、取り戻させてくれた」

「ウェットロイドだけじゃない。香春君が取り戻させてくれたんだ」

「そうよね……。どうやって償えばいいのかわからないくらい」


「親が子に伝え、子が孫に伝えて、何世代も掛けて先祖の想いや歴史は引き継がれていくもんだ。香春君個人の命は潰えてしまったけれど、彼の意志や想いは継承していかなければならない。それが俺達の償いだと思う」

「香春君の意志、想いって何だと思う?」

「そうだな。彼の研究に沿ったところで言えば、アンドロイドと共存してより豊かな社会を作る、ってことだろうな」


「彼は、ウェットロイドには、想いを繋ぎ、魂を繋ぐ可能性があると言っていたわ。命の断絶で失われることなく、想いや魂が子々孫々引き継がれていく。そんな共存の在り方ということかしら」

「魂を引き継ぐと言うと難しいが、香春家の先祖の歴史とか、初詣や墓参りのような年中行事とか、お祖母ちゃんの代から引き継がれている料理のレシピとか、日々の習慣とか、そういうのをヒメノちゃんやヒコロイドと一緒に、子供達に引き継いでいくんだろうな」


 ふたりは、封筒に目を落とす。

「ヒコロイド誕生まで1か月か。――いろいろ準備しなくちゃな」

「ええ、そうね。ご両親に挨拶して、籍だけでも入れさせてもらって」

「ヒコロイドのDNAは髪の毛でいいけど、指紋はどうするんだ?」

「彼のパスポートがあるから、鷹羽さんに頼んで指紋データを取り寄せるつもり」

「家族しか知らない傷とかあったりしないかな」

「裸になるようなシチュエーションは避けた方がいいでしょうね……。温泉とか」

「温泉は内輪で行くしかないか……」


 伊崎は、ワインをひと口含んで、おもむろに語り始める。

「――俺さ。昔、姫乃の婿に出来たらいいなと思ってたことがあるんだ」

「香春君を?」

 頷く伊崎。

「彼が、研究室に来た頃の話だけどな。何か似てるんだよ。どこか自分を客観視して、感情に反応が薄い香春君と、感情を押し殺しているような姫乃。どちらも感情表現は乏しいんだけど、内側に情熱を秘めている感じがね」

「わかる気がするわ。2人とも感情の熱量は人より大きいのに、棚の上に置いて持て余しているような、そんな感じだもの」


「だけどな。DNA的にも戸籍的にも、俺達の娘と香春英彦と言う若者は夫婦になると言うのに、ヒメノちゃんとヒコロイドは仮面夫婦みたいに嘘っぽく感じるんだよな」

「ふたりは仲いいのよ。いつも心は繋がっているし。隠し事が出来ない。夫婦としては理想的な関係じゃない?」

「姫乃と言う実の娘がいるからだろうけど、違和感が拭えないんだ」


「もし、人間の香春君と人間の姫乃が夫婦になっていて、子供が出来ていたら、私達の孫の世代に関しては、今の状況と同じになるんじゃないの?」

「そうだな……。そこから先はあるべき姿に戻る、ということは理解も納得も出来る」

「だからきっと、人間の香春君と人間の姫乃の間をウェットロイド達が繋いでくれてるって見方も出来るわよね。みんな纏めて私達の子供達だと思えばいいんじゃないかな」


「奈美ちゃん、ポジティブな所は変わってないな……。俺はいつもそこに救われる」

「やだ、何言ってんの先生」

 打つふりをする奈美。


「姫乃は、俺達と同じ方向を向いてくれるかな。責任感が強い子だ」

「向き過ぎちゃうかもしれないけど」

「向き過ぎる?」

「あの子達が結ばれる運命なら、変えられないだろうな、と思っただけ」


「なあ、奈美ちゃん。俺は今、嬉しいことや辛いことがごちゃごちゃだ。だから、一度リセットしたい。小さなアパートで暮らしていたふたりの時間に戻りたい。25年前に。そこからまた始めよう」


「――さあ、ちょっと小腹も満たしたし。場所を変えましょう。私シャワー浴びたいの」

 奈美は微笑むと、空いた皿を片付け始めた。


   *   *   *


 伊崎と奈美は、奈美の部屋のベッドの上で向き合っていた。


「あの頃のアパートより狭くなっちゃったけど、窮屈じゃない?」

「狭いっちゃ狭いが、密着感で言えば、むしろ、あの頃よりも高いんじゃないか?」

 ふふ、と奈美は伊崎の頬を摩る。


「で、どう? 久し振りの元嫁の裸体は」

「全然変わってないな。相変わらず綺麗だ。俺の方は年相応に肉が付いた」

「ありがと。――25年前に戻れそう?」

「戻らなくても現役だぞ。――けど、着けなくていいのか?」

「そもそも持ってないし。それに、家族が増えるのは歓迎じゃなかったの?」

「え? もしかしてそのつもり?」

「ふふ、なんてね。――大丈夫よ」

「万が一出来たとしても、歓迎するさ」

「そう。嬉しいわ」

 伊崎に唇を寄せていく奈美。

「ん!」

くぐもった声を上げたのは伊崎だった。


   *   *   *


「久し振り過ぎた? ――汗かいてる」

 バスルームで軽く体を流してきた奈美が、巻いていたバスタオルで伊崎の汗を拭う。

「不思議ね。最後にしたのは15年も前なのに、あの頃と何も変わっていなかった気がする」

「おやおや、それはお互い進歩が無かったということかな?」

 バッと上体を起こした奈美が、上から伊崎を睨む。

「ちょっと! 25年前に戻ろうって、どの口が言ったの? そういうんじゃないでしょ!」

 芝居がかったプリプリ顔でそう言うと、奈美はプッと噴き出した。

「あはははは。――先生の困った顔、久し振りに見た」

 腹を抱えながら笑い涙を拭う仕草に釣られて伊崎も笑う。

 ふたりは久し振りに心の底から笑った。



   *   *   *   *



 3日後、鷹羽と橿原が姫乃を連れてサポロイド社を訪ねた。

 姫乃は、英彦のお骨を抱えている。


 伊崎と奈美、イザナミ、キヌヨ、須佐ロイド、紅鈴、楊達が迎える。鷹羽、橿原に続いてリビングに入った姫乃は、ローテーブルにお骨を置くと、ディスプレイの前で、いきなり土下座を始めた。


「――姫乃、ちょっとやめて」

 奈美を筆頭に全員が浮足立つ。

「お父さん、お母さん、お集りのみなさん。この度は大変ご迷惑をお掛けしました……。お詫びのしようも、償いのしようもありません」


「姫乃、落ち着いて。まずは座って話さないか?」

 伊崎も声を掛ける。

「いえ、今日は、お願いがあって来ました。それが済めば帰ります」

 伏したまま、硬い声で決意を伝える姫乃。


「――どうか、みなさんが知る、香春英彦さんのことを教えて下さい。あたしがこの手で奪ってしまった命のこと、魂のことを。こんなことで償いになるとは思わないけれど、あたしには彼の想いや意志を知る責任があると思うのです。どんな細かいことでも構いません。全て教えて下さい。お願いします」

「姫乃……」

 奈美が困ったような顔で伊崎を見ると伊崎も困った顔をしている。


『もちろん、喜んで』

 ディスプレイからヒコロイドの声がした。

「え?」

 姫乃が驚いた顔を上げて後ろのディスプレイを振り向く。

『私もお手伝いします』

 今度は、ヒメノの声が響く。


「――ど、どういうこと?」

 戸惑う姫乃に紅鈴が近づき、優しく抱き起こす。

「姫様、どうぞこちらにお座り下さい」


 それを機に、全員が腰を下ろして落ち着いた。ソファには、奈美、伊崎、橿原、鷹羽、姫乃、紅鈴。ダイニングテーブルには、楊、須佐ロイド、イザナミ、キヌヨが座る。

 改めてヒコロイドが挨拶をする。

『僕は、ヒコロイド。英彦さんが育てた、英彦さんのウェットロイド用AIです。僕は、ほぼ1年前に作られてから、毎日、英彦さんのチューニングを受けていました。僕が知っていることは全てお話ししますし、僕が見た映像も全てお見せします』

 唖然としているヒメノ。

 奈美は、優しく姫乃を見つめる。

「それとね、あなたは知らなかったと思うけど、ウェットロイドのヒメノは香春君の子供を身籠っているの」

「え、あたし妊婦を撃ってたの?」

「慌てないで。ヒメノにはボディが2つあって、妊娠しているのは、あなたが撃ったのとは別のヒメノなの。あなたが撃ったヒメノは現在治療中で、ここにはいないけど、声だけ繋げているのよ」


「あたしは、その赤ちゃんの父親を奪ってしまったのね」

「そうよ。だから、ヒコロイドに父親になってもらうの」

『ヒコくんのボディは今作ってて、あと1か月で出来あがる予定なんですよ』

 ヒメノの声がフォローする。


「どういうこと?」

「つまり、形式上、香春英彦は死んでないってことなの」

「でも、あたしは……」

「お前の犯した過ちは、俺達みんなの過ちだ。香春君の赤ちゃんを、俺達みんなで育てて、香春君の家族を俺達みんなで大事にして、香春家を盛り上げていく。そういう形で償って行こうと、そう思うんだ。――お前にも協力して欲しい」


 伊崎は、黙って姫乃を見つめる。

「香春家を盛り上げる、それはあたしも協力出来ると思う……。ただ、あたしにはもっとやらなきゃならないことがあると思うの。――今は未だわからないけど」

「そうか。ありがとう」


「――あたし、蒔田のマンションに戻ります。鷹羽さん、紅鈴に付いて来てもらってもいいですか?」

 姫乃は鷹羽を見る。

「それはもちろん。そうしてもらわないとこっちも困ります」

 鷹羽は微笑みを返した。





※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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