第42話 試練

―試練―


 5月中旬、ハニーロイドカフェ1号店は、サポロイド日本支社が経営権を買い取り、店の経営は伊崎鈴に任された。


 NSAでアンドロイド戸籍が管理されるようになったことから、DNAの親と紐付けるため、ウェットロイド達は、DNAの親の姓を持つことになったのである。

 姫乃が帰化して伊崎姫乃を名乗ることとなったことから、紅鈴は伊崎姫乃、楊や須佐ロイド達は香春英彦、イザナミ達やキヌヨは白石奈美が親となった。

 和華人フーファーレンは解散しホームページも削除された。


 北都※1の筑紫野からは、丁寧なお悔やみとともに、ハード、ソフト、ウェット共通の無効化ギアが送られてきた。生前、英彦が筑紫野に相談していたものだ。

 体温計のような形で、耳に差し込むとスリープ信号が流れ、強制的にスリープモードに移行させられる。

 コクーンの場合は処理が終われば覚醒信号が流れるが、この機器は一方通行だ。ベースサーバーから再起動命令を送るか、コクーンに接続して覚醒信号を送らなければ、スリープモードが解除されない。



 ヒメノのお腹は目立つほどに大きくなり、ヒコロイドと楊黄鉄のボディが出来上がっていた。楊黄鉄は、他の楊達と同様、NSAに貸し出されることになった。



 ヒコロイドは、伊崎や奈美、ヒメノ達から日常生活の言動に対するチェックを受けて、香春家への挨拶に行っても支障が無い程に仕上がっていた。問題があるとすれば、ヒメノのAIを共有した影響か、感情表現がうまくなり過ぎたことと、身体能力が高まったことくらいだ。


 ヒコロイドは、母の幸子に電話で結婚の挨拶に行きたいと切り出した。相手がヒメノと聞いて、一度会ったことのあるお嬢さんね、とホッとひと安心される。



   *   *   *   *



 5月吉日、伊崎と奈美、ヒコロイドと身重のヒメノは香春家を訪れた。

 伊崎、奈美、ヒコロイドの3人はスーツ姿で、ヒメノはひと目でそれとわかるマタニティドレス姿だ。


 ヒコロイドがカグヤマの扉を開けると、着物姿の幸子が出迎えた。

「お帰りなさい」

「ただいま、母さん」


 店休日のカグヤマは、2人掛けのテーブルが4つ繋げられ、茶托と伏せた湯呑茶碗が並べられていた。


 座っていた紋付袴の道彦と着物姿の寿美が立ち上がる。


 ヒコロイドに続いて店に入った奈美は、幸子達に丁寧に頭を下げる。

「ヒメノの母の白石奈美です。英彦君には仕事でもとても助けてもらっています。本来なら、もっと早くにご挨拶に来るべきところ、遅くなって申し訳ありません」

「あらあら、そんなご丁寧に。こちらこそ英彦がお世話になっております」

 そう言って幸子達も頭を下げる。


 続いて入って来た伊崎も、幸子達3人を見回すと簡単に挨拶を述べた。

「ヒメノの父親の伊崎大造です。英彦君には研究室時代からずっと支えてもらっています」

「あら、伊崎研究室の……。これはこれは。こちらこそお世話になりました」

 伊崎は、道彦と寿美にも頭を下げる。


 最後にヒメノが入って来た。

「ご無沙汰しております。ヒメノです」

 ペコリとお辞儀をしたヒメノを見て、幸子が驚く。

「ヒメノちゃん、そのお腹」

「はい。5か月になります」


 幸子が目を丸くした顔で道彦と寿美を一度振り返り、2人の驚きを確認すると、再びヒメノに目を戻す。


「まあー、驚いた……。また顔が見れて嬉しいわ、ヒメノちゃん」

 ひとしきり驚いた幸子は、立ったままの奈美達を見て、椅子を勧める。

「ごめんなさい。ちゃんとしたお座敷じゃなくて、お店の中ですけど。さ、どうぞこちらへお掛け下さい」


「失礼します」

 奥から伊崎、ヒコロイド、ヒメノ、奈美と座っていく。

「英彦の父の道彦です」

「母の幸子です」

 道彦と幸子は、初対面の伊崎と奈美をそれぞれ見て名乗ると腰を下ろした。

「姉の寿美です」

 寿美は、伊崎と奈美を見て軽くお辞儀をすると、急須を持ってお茶を注ぎに回る。


 寿美が伊崎から順にお茶を注いでいく間、互いに緊張した空気が場を包む。

 奈美のお茶が注がれ、奈美が軽く寿美に会釈をしたところで、ヒコロイドが口を開いた。


「あの、ヒメノちゃんのお腹は、無計画の結果じゃなくて、ふたりで話し合って決めた結果なんだ。――父さん、母さんには事後承認みたいになってしまってごめん」

「私が、英彦さんと家族を作っていきたいってお願いしたんです。それで英彦さんが、受け入れてくれて……」

 ヒメノもすかさず援護射撃に入る。


 寿美は、ヒコロイド達をちらちらと見ながらも、道彦のお茶を注ぎ、幸子のお茶を注いでいく。


 はぁ、と道彦は息を吐いて、呆れ顔で英彦を見る。

「英彦。悪いことをしたわけでもないのに、何で謝る。ものには順序ってもんがあるにしても、お前が嫁を選ぶこと自体は悪いこっちゃなかろうが」

「むしろ、30近いのに女っ気が無かったことの方が母さんは心配だったわよ」

「こんな可愛いお嫁さんと孫までいっぺんに出来ちゃって、きつねにつままれてる気分だもんね」

 道彦に向けて放たれた寿美の言葉が、呆気にとられている香春家の心情を物語る。


 コホンと咳払いをした伊崎が、本題を切り出す。

「香春さん。今日は、英彦君とヒメノの結婚について、ご了承頂きたく、ご挨拶に参りました」

 道彦も居住まいを正して伊崎に向き直る。

「伊崎さん、うちには、この縁談を断る理由はありません。だが、今後もドッキリ続きになるのは勘弁して欲しい。――じゃないと、うちの行き遅れがやる気を失くしてしまいかねん」

「な、お父さん!」

 道彦がしたり顔で寿美にやり返す。

「お父さん! 寿美も!」

 幸子が2人をたしなめると、奈美に向き直って真剣な目を向ける。


「――白石さん。それで結納とか式についてはどのようにお考えですか?」

「はい。式はヒメノの出産の後、10月くらいに内輪で挙げられればと思っています。結納については金銭的なものは不要と考えています。英彦君には十分、公私共に心血を注いでもらっていますので」

 幸子はこれに1つ頷いて伊崎に向き直る。

「式場は急には取れないと思いますけど、籍は生まれるより前の方がいいですよね」

「それはもちろん。直ぐにでも籍は入れさせます」

 前のめりで伊崎が口を挟んでヒコロイドを見る。ヒコロイドも頷いて勢い込む。

「この後、区役所に行ってきます」


「――わかりました。トントン拍子過ぎて正直実感が沸かないところはありますが、おめでたい話ですし、善は急げとも言いますから話を進めましょう。どうぞ、英彦をよろしくお願いします」

 そう言って、幸子は頭を下げた。

「確かに英彦さんは、うちの会社に住み込みで働いてもらっているので、婿入りするみたいですけど、ヒメノには香春の家に嫁いでもらいます。こちらこそ、ヒメノをよろしくお願いします」

 奈美は、深々と頭を下げた。


「――あの、1つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 寿美が恐る恐る手を上げる。

「伊崎さんと白石さんは別姓を名乗ってらっしゃいますけど、ご夫婦なんですよね?」

 伊崎と奈美が顔を見合わせるが、口を開くのは奈美が早かった。

「はい。現状は、事実上の夫婦と言った方が正確かもしれません。形式上は15年程前に私が仕事で華連に移った時に籍を抜いたまま放置しているものですから。――ですが、ヒメノの父母であることは事実です」

「そうでしたか。それは、大変失礼しました」

 気まずそうに恐縮する寿美。幸子もスミマセンという口をして、申し訳なさそうな顔を奈美に向けている。


「――そうだ、姉さん、式には加藤さんも呼んでいいかな?」

 気まずい空気が漂う中、ヒコロイドが寿美に切り込んだ。

「加藤さんはヒコの友達でしょう? なんであたしに聞くのよ」

「だって、気まずい関係になってたら呼びにくいし」

「ば、ばか。別に、気まずくなんかなってないわよ」

「そう、なら良かった」

 ヒメノも微笑んで、寿美を見ている。


「ちょ、ちょっとふたりして何? 私からはサプライズなんて無いから。――未だ」

「じゃ、いつなの?」

 今度は、幸子が寿美を見た。

「やだ、お母さんまで」

 ぷい、と顔を背けて寿美は話題を断ち切る。


「――ヒメノちゃん。赤ちゃんは男の子? 女の子?」

 幸子がヒメノに笑顔を向けて尋ねる。

「女の子なんです。私的には、英彦さんの名前を1字貰って英与って名前にしたいなって思ってます。英彦の英に与えるっていう字で英与です」

 ぎょっと奈美が驚く。

「ヒメノ、いつの間に……」

「ごめんなさい。さっき、考えてたんです」

 てへ、っと舌を出すヒメノ。


「私は姓名判断なんて気にしないから、2人の好きなように付けてもらって構わないわよ。お父さんもいいでしょ?」

 と、幸子は道彦に同意を求める。

「ああ、いい名前じゃないか。英知を与えるってことは、――将来は先生だな」

「お父さん、気が早いわよ。っもう」

 場が和んだところで、道彦が纏めにかかる。


「さて、伊崎さん。結納は特に行わず、結婚式は10月頃を目途に調整するということで承知しました」


 頷く伊崎に頷きを返すと、道彦は改めて、ヒコロイド達ひとりひとりに目線を送ると、テーブルに手を付いて頭を下げた。

「伊崎さん、白石さん、改めまして、今後とも、家族ぐるみでよろしくお願いします」

 幸子と寿美も頭を下げる。


「こちらこそよろしくお願いします」

 そう言って、伊崎が改めてテーブルに手を付いて頭を下げ、英彦達もこれに倣った。


 頭を上げた道彦はヒコロイドに目を据える。

「英彦。届けは今日中に持ってくるように」

「わかりました」

 じゃあ早速、と伊崎にちらりと目を配ってヒコロイドが立ち上がる。


「――それでは、私達もこれで」

 伊崎が道彦達に目線を投げて腰を上げるのを見て、寿美が慌ててドアを開けに立った。



 店の前で、またひと息深くお辞儀をしたヒコロイド達は、カグヤマを後にした。


 ヒコロイドとヒメノはその足で区役所に行き、届けを貰うと再びカグヤマを訪れた。

 道彦は、その場で婚姻届けに印をつき、英彦に返しながら、

「よくやった。英彦」

 と、肩を叩いた。


 寿美は腕を組んで斜に構えた感じで、ヒコロイドに訝しげな目を向ける。

「ヒコ、あんたちょっと変わったよね」

「え、そう?」

「やっぱ、ヒメノちゃんの影響なのかね? 前は空気を読まないようなとこがあったけど、少しは周りに気を遣うようになったんじゃないの?」

「そうかな」

「ま、悪いことじゃないけどね」

「そりゃ、どうも」


 そしてヒメノに向き直ると、両手を握って祝意を伝える。

「ヒメノちゃん。改めておめでとう。赤ちゃん生まれたら、レバタラのみんなにも見せに来て」

「はい」

「ヒメノちゃん。いつでもうちに遊びにいらっしゃい」

 幸子も、ヒメノの肩に手を置いて笑顔を向ける。

「はい。――お父さん、お母さん、お姉さん、ふつつかものですが、これからよろしくお願いします」

 そう言って、ヒメノは得意技のペコリを決めた。


 笑顔に見送られて、ヒコロイドとヒメノはサポロイド社に戻り、奈美の署名捺印を得て区役所に届けを出した。

 ヒメノは、戸籍上は白石姫乃から香春姫乃となった。




※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓

https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534



※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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