第43話 残された希望
―残された希望—
一方、日本に帰化し、伊崎姓を名乗ることとなった姫乃は、蒔田のマンションで紅鈴と暮らしていた。
姫乃は、紅鈴を通して、ヒメノやヒコロイドだけでなく、イザナミやキヌヨから、そして伊崎の協力でヒコボシからも英彦に関するムービーを入手して、ひたすら映像に見入る日々を続けている。
――英彦さんの生き様を理解したい。
ヒコロイドのチューニング、ヒコボシの教化、絵本の朗読、レバタラでの会話、バーベキュー、サポロイド日本支社のリビングでのやりとり、コントロールルームでのヒメノとの会話、沖ノ鳥島の星空の下の会話、与那国島での初めての夜の会話まで、ヒメノ達は包み隠さず姫乃に教えてくれた。
初めは贖罪の意識で見ていた姫乃だが、英彦のヒメノに対する純粋な恋慕を、その目の輝きや声色に至るまで、ヒメノ目線でストレートに浴び続け、あたかも自分に好意が寄せられいるかのように没入していく。そして、アンドロイドの癖にと思いながらも、ヒメノの抱く種の保存欲求への純粋な憧れも、その感情表現に加速され、強化され、痛い程に浸み込んでくる。
――それに比べて、
あたしは人間なのに、どうして
こんなに感情が薄いのだろう。
『姫様は、感情が表に出る機会が少ない
だけです。熱い感情をお持ちですも
の』
紅鈴はそう言うが、怒りにしろ、笑いにしろ、悲しみにしろ、決してゼロでは無いものの、心が動くという感覚が薄いと姫乃は思う。
英彦も、感情表現が豊かな人物では無かった。それだけに、姫乃は余計に英彦が徐々に感情表現の幅を広げ、深めていく様を自分のことのように感じるのだった。
――眩しすぎる恋模様だ。
あたしみたいに醜く壊れてしまった
人間には。
涙で映像が滲むのも構わず、姫乃は映像を見続ける。紅鈴は、黙ってそれを見守っていた。
「――やだ、あたしまた泣いてる」
ティッシュで鼻をかみながら、紅鈴に照れ笑いを見せる姫乃。
「なんだか、最近、寝ても覚めても、英彦さんの事を考えてる。ヒメノちゃんを口説いているのに、まるであたしが口説かれているみたいに彼の言葉が浸み込んでくるの」
「私は、姫様と英彦さんはお似合いだと思います。おふたりとも感情を表に出すことがあまり無いのに、人一倍強い思いをお持ちのように思います。――似た者同士ですよね」
「でも、彼と出会うことはもう無いのよ。自分が命を奪った男に、心を奪われてしまうなんて。――皮肉な話よね」
「そんな風におっしゃるものではありません」
「それでも事実よ。見れば見る程、彼のことが尊く思えてきて、それをこの手で奪った自分が、ますます許せなくなる。――彼は、あたしと違って、アンドロイドの癖に、なんて、一度も言わないの。アンドロイドだってわかってても、その言葉と行動を見て、ヒメノちゃんに恋をしてくれたの」
「姫様のそのお気持ちは、ヒメノちゃんも、ヒコロイドも、博士も、教授もご存じですよ。ですから、自分を許せないなんておっしゃらないで下さい」
「それは、あたしにもわかってる。だから、死ぬなんて、どの口で言えるっていうのよ! だけど、このままでは自分のことが嫌いで嫌いでしょうがなくなるの。もっともっと変わらなきゃダメなの!」
苦し気な姫乃に、紅鈴は柔らかな顔を向ける。
「倫理的な話と感情的な話を除いて、単に数学的に言わせていただくなら、姫様が、1つ奪ったのなら、1つ生み出せばよいことです。英彦さんのDNAを100%取り戻すことは出来ませんが、ヒコロイドと姫様ならその半分のDNAを持った命を生み出すことが可能です」
「だって、それじゃヒメノちゃんの夫を奪うことになるわ」
「倫理的な話を除けば、の話です」
「ヒメノちゃんの彼氏の命を奪っておいて、今度は夫を奪うの?」
「感情的な話を除けば、の話です」
じっと黙り込む姫乃。
「英彦さんはおっしゃってましたよね。姫様もいつか母親になったらわかる筈、と。であるならば、その気持ちは、母親にならないとわからない感情なのではないですか? 今の姫様に必要なのはその感情なのだと思います」
「そう……かも、しれないけど」
「ヒコロイドはお嫌いですか?」
「正直、よくわからないわ。映像の英彦さんを尊いと思う気持ちがあるのは確かだけど、ヒコロイドとは直接あまり話してないし……」
「――じゃあ、一度来てもらいましょう。ヒコロイドに」
* * * *
6月に入り、自律型深海探査艇スマート・フカミン(愛称スマフミン)が完成した。 スマフミンは本体に接続するアタッチメントを変えることで多様な機能を持たせられる設計で、現在展開予定のスマフミンには、2連装のソノブイ射出ポッドが接続されている。
伊崎研究室とサポロイド社は、スマフミンの設置、タナバタの水中スピーカー付きへの入れ替え、サキモリへのサポロイドAI設置を行う南西諸島や小笠原諸島への弾丸ツアーの準備に入っていた。
そんな合間を縫って、英彦の話を直接聞きたい、という姫乃のリクエストで、ヒコロイドは蒔田のマンションを訪れた。
「どうしたんですか、姫乃さん。もう殆どの映像は見ちゃったんじゃないですか?」
リビングの椅子に腰掛けながら、ヒコロイドは姫乃に声を掛ける。紅鈴は、姫乃のコーヒーを淹れると、ハニーロイドカフェの様子を見てくると言って、出掛けてしまった。
「何度も何度も、映像は見たわ。英彦さんは、天然っていうか、素直っていうか、ピュアな感性の持ち主よね。AIやアンドロイドを人間扱いするし」
「僕もそう思います。僕がボディを持つ前から、一人前の人間扱いをしてくれました」
「知ってる。――そのやりとりも何度も見たわ」
「僕から直接聞きたいこととは?」
「過去の事じゃなくて、これからの事。あなたじゃなきゃ教えてもらえないことなの。あなたのエミュレーションで答えて欲しいことなの」
「はあ……」
「――ところでヒコロイド君、あなたはあたしのことをどれくらい知っているのかしら?」
「伊崎大造と白石奈美のひとり娘。日本でハニーロイドカフェを仕掛けた伝説のホワイトプリンセス。今はNSAのメンバーとして活動している」
「大事なことが抜けてるわね。あたしはあなたのご主人様の命を奪った女よ」
「姫乃さん!」
「――ごめんなさい。でも、あたしのことをもっと知って欲しいの。英彦さんだったら、どういう反応をするのか。あたしにどういう気持ちを抱くのか。嫌ってくれても構わない。蔑んでくれても構わない」
「蔑むだなんて、そんな」
「あら、あたしこれでも結構魅力に乏しい女なのよ」
「そんなことありませんよ。綺麗だと思います」
「見た目は、お母さんのおかげで、少しは女性らしいかもしれないけどね。10歳で拉致されて華連に渡ったんだけど、泣きも喚きもせず、じっと冷たい目で周囲を観察しているような、愛想の無い女の子だったわ。大学で初めて男と付き合ったけど、彼女らしい振る舞いも出来ず、エッチも下手くそだったから、公安に売られて再教育施設に送り込まれた」
ふふっ、と乾いた笑いを漏らしながら、姫乃は黒歴史をこぼし続ける。
「――そこは、毎日毎日、洗脳教育漬けで、いちいち感情を持っていたら正気で居られないような、そんな場所。若い女は誰でも好き勝手にレイプされるような所で、あたしもその1人だった。――でも、気持ち悪かろうがなんだろうが、どうでもいいって感じで、シラけた顔で過ごしていたら、あたしに興味を持つ男は誰も居なくなっていたわ」
にっ、と鼻から抜けるような自虐的な微笑みが姫乃を包む。
「別に同情して欲しいというのとは違うの。あたしはあたしを、そんな感情の抜け落ちた女だと思っているわけ。あたしの心の中にそういう主観的な事実があるの」
「僕は姫乃さんに感情が無いとは思いません。本当に感情が無くなっていたら、そんなに悩むことは無いと思うんです」
「周囲の評価が、あたしに感情が無いって、そう言っているのよ?」
「それは、感情表現の巧拙の問題だと思います。僕は、と言うより英彦さんならそう答えると思います。感情があっても適切に伝えられなければ何も伝わらない。英彦さんは、奈美さんからそう言って叱られたことがある、って話していました」
「お母さんが?」
「はい。伝え方が間違っていたら間違った思いが伝わる。根っこの思いが表現されていなければ何も伝わらない。英彦さんも感情表現は不器用だったそうですから。むしろ、ヒメノちゃんのように感情表現のインプットとアウトプットを磨くと、感情豊かに映るものだそうです。英彦さんは、それが大事だと言っていました」
「インプットとアウトプットねえ。――英彦さんは、アウトプットの言葉と行動を評価していたってこと?」
「そうですね。魂とは言葉と行動によって感じるものだと言ってました」
「あなたもそうなの?」
「僕は、他人を評価するつもりはありません」
「評価と言う言葉が不適切だったわね。反応って読み替えてもいいわ」
「誰かの言葉と行動に反応するってことですか?」
「そう」
「英彦さんが汲み取るであろうインプットを汲み取って、英彦さんが反応するであろうアウトプットをエミュレートするという意味であれば、その通りです」
「そう。じゃあ、英彦さんが生きていたらこう反応するだろう、って通りにエミュレートしてくれるのね?」
「そうなりますね」
それなら、と姫乃は立ち上がって、ヒコロイドを見詰めながら服を脱ぎ始めた。
梅雨時で未ださほど暑くはなかったが、この日の姫乃は薄着だった。ワンピースを脱ぎ落すと、もう上下の下着だけだ。
「どうしたんですか?」
「それは、英彦さんの反応? それともあなたの?」
「これは、僕の反応です」
「それじゃダメよ。英彦さんに成りきってくれる?」
そう言いながら、上下の下着も取り払うとヒコロイドに歩み寄る。
「あなたも脱いで。それとも英彦さんなら抵抗するのかしら?」
「ヒメノちゃんと言う嫁がいますからね。力ずくとまではいかないにしても抵抗すると思います」
ポロシャツとジーンズ姿のヒコロイドは、座ったままポロシャツを脱がされた。
「あなたは抵抗しないのね。――立って」
素直に立ち上がりながら、ヒコロイドは答える。
「ここで英彦さんをエミュレートしてしまうと、姫乃さんを傷付けてしまいます。僕は、――僕とヒメノちゃんは、ウェットロイドとして、姫乃さんを支えると誓いました」
「あなただけじゃなく、ヒメノちゃんも?」
ベルトを外し、ジーンズを下ろしながら、姫乃は驚いた目をヒコロイドに向ける。
「そうです。姫乃さんが背負った十字架を、僕もヒメノちゃんも背負います。僕達だけじゃありません。紅鈴さん、イザナミさん、キヌヨさん、楊さん達、須佐さん達。もちろん教授と奈美さんも」
「――うぅっ」
ヒコロイドの靴下を脱がしながら、蹲り嗚咽する姫乃。
「どうしてよ。どうしてみんな、そんなにあたしに優しいのよ。あたしは、醜く壊れた女で、汚れて腐り切った人間で、おまけに人殺しなのに」
「殺意が無ければ、人殺しとは言いません」
ヒコロイドは、屈んで姫乃の肩を優しく持つと、そっと引き上げる。
「姫乃さん。僕を裸にして、どうしたいんですか?」
「英彦さんが言ったのよ。――あなたも母親になれば種の保存欲求がわかる筈だと」
「それは僕もラボで聞きました」
「それに、英彦さんの子供が欲しいから。――だから」
キッと、決意を秘めた目でヒコロイドの目を見ると、残りの靴下を脱がし、ヒコロイドのトランクスに手を掛ける。
「協力してくれる? 英彦さんなら、どんな風にあたしを抱いてくれるのか。あたしを愛してくれとは言わない。でも、抱いて欲しい。英彦さんの子供が欲しいの」
屈んだ状態で上目遣いにヒコロイドを見詰めて、トランクスをずり降ろす。
「姫乃さん……」
「もう、あたしには他に希望が無いの……。だから。お願い」
姫乃はヒコロイドの腰に抱き着き、縋るようにヒコロイドを見る。
「お願いよ……」
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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