第17話 姫乃

―姫乃―


 姫乃は、10歳の時、学校からの帰り道で見知らぬ人達に連れ去られた。

 腕を縛られ、目隠しをされたまま、長い時間船に揺られた。


 食事の世話をしたり、濡れタオルで体を拭いてくれたのは日本語が話せる女性だったが、その人以外は、皆男性だった。


 姫乃の知らない言葉を話す人達。

 この間、泣きもせず喚きもせず、姫乃はただただ観察していた。


 漸く縄を解かれ、目隠しを外された時には、全く知らない土地に来ていた。


 見知らぬ土地に来て1週間程経った頃、母が現れた。


「ごめんね。姫乃。怖かったよね。心細かったよね。ごめんね。ごめんね」

 母は、姫乃を抱きしめ、涙を流して何度も謝っていた。


 そこは華連、大華連邦だった。



 姫乃は、日本人学校で華連語を学び、勉強ばかりの日々を送った。そして泣きもしないが笑いもしない子のまま育った。18歳で大学に入り、19歳で恋に出会った。


 相手は王黒石と言う男だった。3つばかり年上の社会科学の大学院生の男だ。

 王は、SNS等の媒体を使った広告宣伝を研究していたが、同時に反政府運動にも深く関わっていた。


 姫乃は、その活動に引き込まれ、華連の貧しい現状を垣間見た。そして、華連に国が2つあることを知った。政権の国と庶民の国。庶民の国をどうにかして救いたいと、姫乃は反政府運動にのめり込んだ。


 そして、20歳の春に反政府運動の容疑で逮捕された。



 その翌年の初め、政変が起こり、その恩恵で姫乃の再教育施設生活も終わりを告げた。

 だが、半年以上に及ぶ洗脳生活が姫乃に何の影響も与えない筈は無かった。


 姫乃は、何もかもが色を失った世界にいた。


 母のいた研究室は解体されており、母は行方知れずだった。姫乃に戻る場所はもう無かった。日本に帰ってもやりたいことがあるわけではない。むしろ、新政権内部で華連の改革を目指したいと姫乃は考えた。ちょうど誘いもあったことから、姫乃は新政権の宣伝部に身を置くことにした。そこは国内外への印象操作を得意とする諜報機関であった。


 日本人を捨てる覚悟をした姫乃は、在日華連大使館を通して、父親である伊崎に自分の死亡を伝えさせた。この時、長かった髪を切り、その一部を遺品代わりに添えた。



 姫乃は、安白姫と名乗るようになった。もともと正式なルートで華連に来たわけではなく、形式上は日本から出国もしていない身の上である。新たな国籍が作られパスポートも用意された。


 共産党宣伝部で姫乃の教育係となったのが陳橙紀である。陳は、体術や話術、武器の使い方、暗号の使い方など、いわゆるスパイの技術を姫乃に教え込んだ。



 産業技術において華連政権が重大な関心を寄せていたのは、AI、アンドロイド分野だった。姫乃は、この分野で既に活動していた張紫水と言う女性部員と共に、大学や研究機関を調べ回った。張は姫乃より5つ程年上だったが、姫乃に姉妹のように接してくれた。あまり笑わない姫乃に対し、よく笑う女性だった。


 日本では、大学におけるAI研究が盛んだったが、実用化という意味では、華東が一歩リードしていた。華東では、極東LSIからスピンアウトしたサポロイドと言う会社がアンドロイド貸し出しサービスを始めて、徐々に名を上げ始めていた。


 サポロイド社の存在を知った時、姫乃はこれだと確信した。

 その時点のアンドロイドは重労働に耐え得るものではなかったが、華連国内の庶民よりも下層の存在が出来ることは、彼らの救いに繋がるものと姫乃は感じた。


 アンドロイドを使ったビジネスは、日本では、未だ殆ど存在を知られていなかったため、華東で製造したアンドロイドを日本に展開するのは有望と思われた。



 旧正月が明けた頃、姫乃と張は、華東でサポロイド社に接近する。張と姫乃は、調査会社の取材の名目で、社長の太国、須佐とチャネルを持った。この時、張は華連本土でのビジネスプランを、姫乃は、日本展開のビジネスプランを太国と須佐に持ち掛けた。



 張は、宣伝部のチャネルを活かして、虹港で資金を集め、ハードロイドの製造会社パープルロイドを立ち上げる。

 一方、姫乃は、安白姫として日本に渡り、日本に和華人(フーファーレン)と言う在日華連人向け情報サイトを立ち上げ、宣伝部の息の掛かった飲食店や風俗店を手始めにネットワークを作り始めた。


 和華人を隠れ蓑に浸透活動を行い、ネットワークを広げたヒメノは、翌年の6月には、在日華連人や華連資本の法人に投資を募り、SKYROADと言うコーヒーショップチェーンと関連システム会社に出資するとともに、ハニーロイドカフェの企画を持ち込んだ。


 こうして、10月にサポロイド日本支社が誕生する頃には、ハニーロイドカフェの土台が出来上がっていた。



 姫乃は、ハニーロイドカフェとサポロイド日本支社の契約を眺めていた時、母の名前を発見して驚いた。母がサポロイドにいたことも驚きだが、日本支社長は須佐が担当するものだと思っていたからだ。


 須佐は支社長の座には関心が無かった。

「僕はソフトロイド専門の技術者が性に合ってるんだ。支社長の白石さんは、ウェットロイドっていう新型の研究をしてるんだよね」


 姫乃が須佐からウェットロイド開発の経緯を聞いたのはこの時だ。

 その年の暮れ、須佐はソフトロイド開発の名目で南都に戻るが、密かにウェットロイドを作り始める。


 そして翌年の3月に日本に戻って来た須佐は、ウェットロイドに代わっていた。須佐はウェットロイドにパスポートを持たせて渡航させ、自身は南都に残っていたのである。


 南都の須佐本人と日本のウェットロイドが連携し、ソフトロイドを製造・流通させる体制がここに完成し、SRシステムサービス内にベースサーバーも整えられた。


 4月には、ソフトロイドに紛れ込ませる形で紅鈴が日本に運ばれ、虹港からは、楊達が入国した。そして、その年の5月、伊勢佐木町にハニーロイドカフェ1号店が誕生する。

 1階はメイドカフェのような造りで、2階には、小部屋が幾つかあり、オプショナルサービスが楽しめる。3階は、スタッフルームとなっており、姫乃達の活動拠点の1つとなった。



 姫乃の浸透活動の1つに、アンドロイド反対運動があった。一方で、アンドロイドを推進し、一方で反対する。ダブルスタンダードではあるが、日本国内でアンドロイドが素直に受け入れられ、アンドロイドの社会活用が進めば、軍事活用にも力が入り兼ねない。そのため、浸透活動は、推進と反対、どちらも煽っていかなければならない。要は、日本社会をカオスにしておくことが浸透活動の目的なのである。


 アンドロイドの登場で、この頃から始まったサービス産業における価格破壊や社会の変質は、元には戻れない程に進んでいく。その立役者である安白姫は、いつしかホワイトプリンセスと呼ばれるようになっていた。



 姫乃がハニーロイドカフェを立ち上げて1年が過ぎた頃、須佐型ウェットロイドから新しいウェットロイドが出来たらしいとの情報を得て、何とか正体を見極めたいと思っていたが、同じ日本支社内とはいえ、須佐型ウェットロイドはラボには入れず、設計情報にも手が出せない。外に出ることもなく、ラボでAIの教化が行われているらしい。


 もどかしく半年程過ごし、今年の春になって、新型ウェットロイドが伊崎研究室に研究協力を受けるため時々外出しているようだとの情報が須佐型ウェットロイドから舞い込んだ。


 ――今度は、お父さん! なんてこと。


 情報を探るにも、姫乃本人はもとより、姫乃に似た紅鈴ですら近付けるわけにはいかなかった。


 姫乃は、楊達を使って伊崎研究室を見張らせた。

 紅鈴は、研究室のホームページから、AIを使った感情表現の研究を行っている香春英彦と言う人物の情報を得る。


「もうちょっと新しいウェットロイドの実物の情報が欲しいわね」

「では、姫様、私が見てきましょう」

「出来れば香春って研究者からも情報を取りたいところだけど。この男と家族についてひと通り調べておいてくれる?」

「わかりました。それから研究室に揺さぶりを掛けられるか陳さんに聞いてみましょう。うまく隙が出来るといいんですけど」


 陳橙紀は、SNSなど大量のアカウントを使った広報戦部隊に顔が利く。サイバー攻撃はお手の物だ。こうして、伊崎研究室へのDDOS攻撃が行われた。



 伊崎研究室でDDOS騒動のあった夜、須佐型ウェットロイドは、関内PPP(スリーピー)ホテルの中華レストランの一室で姫乃と会っていた。


「頼んでいたものは持ってきてくれた?」

 早速用件に入る姫乃。

「接続モニター一式ですよね。南都から取り寄せましたよ」


 須佐型ウェットロイドがテーブルのケースを開けると、中には、ノートパソコン状の装置と、所々接続口のような凸凹のある円盤状の機器、巻かれたケーブル等が現れた。


「こちらのケーブルは、ノートパソコンみたいな装置とウェットロイドの耳を繋いで、AIから情報を読み取ることが出来ます。この円盤状の機器は、読み取るだけではなく書き込むことが可能です」

「新しいウェットロイドにも使えるのよね?」

「おそらく。――接続インターフェースは、ハードロイド・ソフトロイド・ウェットロイドみな共通でして、現時点で規格の変更は行われておりませんので」

「あなたは、何が新しくなったか知ってる?」

「いいえ、僕は知りません。白石さんの研究はセキュリティが厳しくて、同じ社内でも見ることが出来ないんですよ」

「――そう。じゃ、やっぱり奪い取るしかないのね」

「奪い取る?」

「そうよ。でも心配しないで。あなたに迷惑は掛けないわ」





※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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