第13話 ヒメノ復活

―ヒメノ復活ー


 4月末には、筑紫野からは新たなアーキテクチャの設計データとチップやマザーボードなどの資材が、絹代からは携帯用のドリンク剤と、コクーンの調整データが送られてきた。

 そして、そこにはアンドロイド資材の購入者の調査結果も添えられていた。


 英彦は筑紫野の協力を得て、データ構造を見直すとともに、アーキテクチャを最適化させ、より高速な多階層フィードバックが可能なAIに進化させた。また併せて、ヒメノが構築した感情表現のデータセットとヒコボシと共に神話や寓話を通じて学習した行動規範のデータもVer3.0に引き継がれた。

 眼球のカメラには、赤外線受光素子が組み込まれるとともに、瞳孔以外の眼球には赤外線カメラ用のカモフラージュがが施された。



   *   *   *   *



 5月中旬、英彦は、コントロールルームのバックアップAIからヒメノのデータを新しいボディにコンバートして送り込む作業をしていた。ラボの寝台型コクーンには新しいヒメノのボディが術着姿で横たわっている。


 データローディングが終了し、本体のAIが立ち上がる。

「――よっし、本体AIの起動を確認」


 席を立ってラボに向かうと、コクーンからヒメノが起き上がるところだった。ヒメノはゆっくりとした動作でスリッパを履くと、滅菌室を抜けて、ラボの外に出て来た。術着に隠されてはいても、歩くたびに美しいボディラインが薄っすらと確認出来る。


「お待たせしました、ヒコくん」

「お帰り、ヒメノちゃん」


 白衣姿の奈美とキヌヨもラボの外で待っていた。

「ただいまです。博士」

「お帰り、ヒメノ。――さ、着替えましょう。上にいらっしゃい」

「はい。――じゃヒコくん、また後でね」

 小さく手を振って、ヒメノは奈美とラボを出て行った。



 リビングに英彦とキヌヨが入ると、既に伊崎とNSA鷹羽、橿原が待っていた。

 イザナミがお茶を出しているところだ。


「どうも、みなさんご無沙汰しています」

「ヒメノちゃんの換装はうまくいったのか?」

 伊崎が心配そうな表情で英彦に尋ねる。

「はい。問題なく完了しました。今着替えているのでもうすぐ来ると思います」

「もう着替えは終わったようですわ」

 新しいお茶を用意しながらイザナミが言う。


 パタパタと足音がして、リビングの扉が開かれる。奈美に続いて、ヒメノが入って来た。


 伊崎達は立ち上がってヒメノを迎える。


 奈美とヒメノは、伊崎達に深くお辞儀をして礼を述べた。

「この度は、大変お世話になりました。無事、ヒメノもこうして帰って来れました」

「それにしても、傷ひとつ無い姿で戻ってこれて良かった」

 伊崎が心底ほっとした顔を見せる。

「そこがこの体の唯一の取柄なのです。教授」

 冗談で返すヒメノ。

「――さ、どうぞ、みなさんお掛けになって」

 奈美が皆をソファーに促す。



 ソファに全員が落ち着いたところで、奈美が切り出す。


「こうしてお集まり頂いたのは、華東※1のサポロイド本社の状況を共有するとともに、今後の方針を話し合うためです。今日はイザナミとキヌヨにも出てもらいました」

 イザナミとキヌヨが軽く頭を下げる。


「先月、香春君の挨拶を兼ねて、北都のサポロイド本社を訪ねました。ウェットロイドの情報漏洩の件を、北都本社の筑紫野専務、伊勢山博士と共有し、Ver3.0の開発にも協力を得られました。密かに2人がウェット化しているのではないかと危惧しておりましたが、幸い2人とも本人でした。Ver3.0へ積極的に協力してくれたことからも、現時点ではこのふたりから漏洩したとは考えられません。そして、社長の太国ですが、ここ2年程南都に留まり、北都本社にも姿を見せず、事務的なメールでのやりとりのみの状況だということがわかりました。私は太国が漏洩した可能性が高いと見ています」


「何処に漏洩したかはわかったのか?」

 伊崎が奈美に尋ねる。


「確証はありませんが、華連の可能性が高いと思います。筑紫野の調べでは、ウェットロイドだけでなく、ハードロイドを含め、アンドロイド製造に関わる様々な資材の流通量がここ2年程で50倍に膨らんでおり、価格も昇しているそうです。これらを大量に買っているのはパープルロイドと言う虹港の会社と思われる、とのことでした」


「大量に、ていうのはどのぐらいなんだ?」

「はい。筑紫野の見積もりでは、少なくとも年間数十万、多ければ数百万のウェットロイドを製造可能な資材が同社により購入されている可能性があります。太国の雲隠れの時期と重なることからも、2年程前から太国がパープルロイド社に技術を漏洩しているのではないかと睨んでいます」


「世の中に、そんだけ大量のウェットロイドが出回っているとしたら大ごとだぞ。日本にも流れ込んでいるかもしれん」

 伊崎は腕を組み直すと、厳しい顔で奈美を見た。


 英彦が伊崎に向き直り、少し改まった表情で答える。

「もちろん、日本に大量に流入している可能も否定出来ませんが、軍ではないでしょうか? ハードロイドやソフトロイドは出力が低いため、兵士には向きませんが、ウェットロイドは、陸海空何処でも使えます。使用するDNAを固定すれば、大量生産も可能です」


 伊崎が、目を丸くして英彦を見る。

「おいおい、うちの大人しかった研究員が、随分とまあ、物騒な事を言うようになったもんだ。奈美ちゃんが仕込んだのか?」

 奈美は、ちょいと眉を上げ、微笑みで応えた。


 呆れ顔をしかめっ面に戻して伊崎が続ける。

「ふむ。実はうちの研究室が管理している水中ドローンに、華連の潜水艦と思われるスクリュー音が度々検知されるようになってきている。これはここ最近の話だ。サラミスライス戦略、だったか? 少しずつ実効支配をアピールする領域を広げるやり口だな」


 ふぅ、と1つ溜息を吐いて、鷹羽が重たい口を開いた。

「非常に憂慮すべき事態ですが、有効な対策はあるのですか?」


 英彦は、未だ仮説の域を出ませんが、と前置きをして鷹羽に向き直る。

「サポロイド社から流出したのであれば、およその構造は同じです。ベースサーバーと言う中央監視サーバーをこちらの支配下に置けば、纏めて制御を奪うことが出来ます。ただし、そのベースサーバーが1台なのか、複数なのか、それは先方の運用次第です」


 奈美がこれを引き継ぐ。

「つまり、漏洩先がパープルロイド社だけなのか、漏洩したウェットロイド技術がいつ時点のものなのか、ベースサーバーが何処にどれだけあるのか、それらの情報を探らないと対処出来ないということです。何処に潜んでいるかもわからない相手ですが、それを見付けて情報を収集していくしかありません。しかし、それには、少なくともウェットロイドを判別する能力が必要となります」


 奈美のアイコンタクトを受けて、英彦がディスプレイに映像を出す。

「ヒメノちゃんのAIを強化してVer3.0にバージョンアップしました。ウェットロイドを見破るための赤外線受光素子の装備、AIの性能向上、連続稼働時間の長時間化などが主な改善点です。ヒメノちゃん、ちょっと映してみてくれる?」


 画面が切り替わり、ヒメノ視点の伊崎の顔が映った。伊崎はちょっと驚いて、俺か? と自分を指差してヒメノを見る。

「赤外線カメラだとこうなります」

 伊崎の顔が白っぽくぼやけた映像に変わる。額の体温の高い部分が薄赤い。

「ヒメノちゃん、イザナミさんとキヌヨさんをお願い」


 目線がずれて、ダイニングテーブルのイザナミとキヌヨが映る。イザナミの目の部分と横を向いたキヌヨの耳の部分が暗く映っている。

「このように、サポロイド社の開発したウェットロイドは、目の部分と耳の奥が熱を発していないため、暗く映ります。現時点ではウェットロイドを見分ける有効な手段だと思っています。――ありがとう、ヒメノちゃん」


 鷹羽がすーっと息を吸って、耳目を集めると、NSAとしての見解を述べた。

「なるほど。他社製のウェットロイドを見付けられるかどうかが鍵というわけですか。目先で手掛かりになりそうなのは、ハニーロイドカフェ、安白姫、和華人と言う情報サイト、黒ずくめ、須佐と5つくらいですが、今のところはこれといった動きは掴めていません。今後とも継続してウォッチします。何らか動きがあれば、背景が見えてくると思うのですが、待つしかないでしょう」


 鷹羽はひと呼吸置いて続ける。

「それとは直接の関連はありませんが、華連が軍備を増強していると仮定すると、その目的は華東進攻からの西太平洋進出が考えられます。となると伊崎さんの見張りも可能な限り増強しておく必要があるでしょう。何かが起こるとすれば、同時多発的に起こることも考えられます。伊崎さんの見張りの強化と和華人達の監視、暫くは2本立てでやれることをやっていくしか無さそうですね」



 今後とも連携を密に、と言い残してNSAの2人は帰っていった。


 見送った伊崎が、ソファに腰を下ろしながら奈美を見て切り出す。

「さて、各論と行きますか」

 首を傾げて伊崎を見る奈美。

「沖ノ鳥島ツアーに香春君とヒメノちゃんを借りる件、そろそろ具体的に話を進めたいんだが」

「光ケーブルは引けたんですか?」

 暫くプロジェクトを手伝っていた英彦は、大方のスケジュールを把握していた。

「ああ、予定通り先月末、小笠原のサキモリから沖ノ鳥島まで引き終わった。小笠原のサキモリへの接続も終わっている。後は、沖ノ鳥島でサキモリに繋いで海に沈めて、タナバタを配置すれば完了だ」


 聞きなれない単語に眉を寄せる奈美に英彦がフォローする。

「サキモリというのは、4つ足のヒトデみたいな形の海底ポッドです。そしてタナバタが水中ドローンで、海流や水温などのデータを収集しながら、海中の音を拾っているんです」

 伊崎は、英彦に頷いて続ける。

「そのサキモリの設置とタナバタの配置にフカミンと言う海底探査艇を使うんだが、そのオペレーターとして2人の力を借りたいんだ」


「キヌヨ、コクーンの予備があったと思うけど」

「はい。倉庫に1台予備があります」

 キヌヨに頷いた奈美は伊崎に向き直ると、厳しい目で見据えて念を押す。

「先生、ヒメノは換装したばかり。くれぐれも連絡を密にお願いします」

「サキモリのある所からはうちの研究室経由で連絡が出来るから、1日1回くらいは顔を見れるだろう。洋上でも緊急用にNSAの衛星回線を手配しているしな」

「よろしくお願いします」





※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓

https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534


※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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