第11話 ウェットロイド誕生

―オリエンテーションー 


 支社長室に入ると、白衣を着た奈美がソファで待っていた。

「お待たせしました」

「いいのよ、座って」

 奈美は、正面の席を促す。

「失礼します」

「そんな畏まらないで。こっちが照れ臭くなるわ」

 奈美は、英彦をチラリと見ながら、はにかみの笑みを浮かべる。はにかみの表情か、ヒメノちゃんにもわかるのかな? 後で聞いてみよう、などと思いつつ英彦も腰を下ろす。


「一応、会社のことをひと通り説明しておこうと思ってね」

 奈美が手元のタブレットを操作すると、壁際のディスプレイに2人の人物が映し出された。

「この2人が、社長の太国主水と専務の筑紫野武。ふたりとも華東の大手LSIメーカー、極東LSIにいたの。そこで太国のAIの知識と筑紫野の薄膜信号網の技術が融合してハードロイドが生まれた。2人が社内ベンチャーを経てサポロイド社を立ち上げたのが10年前。サポロイドというのは、サポートロイド、つまり人を支援するアンドロイドを志向したわけね」


 画面にサポロイド本社ビルとハードロイドが映される。

「それから2年の準備期間を経て、ハードロイドのサービスが提供され始めたのだけど、飲食店の給仕、一般事務、機械の操作など軽作業が主なものだった。なぜかというと重労働に耐えられるほどモーターに出力が無くて、骨格の強度も弱かったからなの。ただ便利なところも多くてね。プロトタイプが学習すればコピーして量産出来たし、人間が作業する映像を見ながら学習することも出来たから」


 画面が変わり、レストラン、喫茶店、オフィス、工場のオペレーションの画像が映し出される。

「ハードロイドは主に貸し出しサービスという形で提供されているの。人手が足りないとか、働き手のいない汚れ仕事への割高の貸出サービスという形で提供されたから、人間を排除すること無く、共生関係が緩やかに形成され、浅く広く認知度を高めていくことが出来たと言われているわ」


 画面に須佐の画像が追加される。

「須佐が加わったのは、それから1年後。須佐剣人は、日本の人形メーカーの技術者だったのだけれど、ハードロイドの外側を覆う外装技術を売り込んできたの。これがソフトロイドの始まり。人形と言っても大人向けの人形だったから、男性が喜ぶ機能も付けられたわ。日本で、女性型のソフトロイドがハニーロイドと言う名前で広がったけど、ハニーロイドは、提携したSKYROADの商標でうちの商標じゃ無いの。男性型も中にはあってポニーロイドと呼ばれているらしいわ」


「なるほど。そう言えば、ソフトロイドはなぜ、日本でしか運用していないんです

か?」

 英彦は、ふと浮かんだ素朴な疑問を投げる。

「ソフトロイドのボディって、新規製造時は工場で作れるのだけど、傷付いたり汚れたりすると、補修するのに職人技が必要なの。今のところ、須佐しか対応出来なくて、日本も華東もってわけにはいかなくてね。それに、まず日本で広めたいっていう須佐の強い思いもあったみたい」


 画面は、幹細胞工学と言う見慣れないキーワードに彩られる。簡単なアニメーションで、幹細胞から様々な臓器が作られていく。

「さて、私はと言うと、幹細胞工学が専門だったの。幹細胞に条件を与えて、筋肉や皮膚や臓器を作る研究ね。勤めていた華連の研究所が解体されて、無職になった私は、華東の大学で免疫学の研究をしていた伊勢山絹代と言う友人を頼ったの。ラボのキヌヨのオリジナルよ。それが4年前の年明け早々の話」


 画面は華東の日本人コミュニティの食事風景に変わった。

「華東には日本人コミュニティがあって、業種を超えて交流があるの。ただの飲み会みたいなものだけどね。絹代に誘われて私もそれに参加したのが、サポロイド社との付き合いの始まり。そこで、幹細胞工学で作ったボディと筑紫野の薄膜信号網の技術を組み合わせてみようって話になってウェットロイドの研究が始まったの。その後、程なく絹代も合流して、研究が本格化したわけ」


 画面がイザナミの写真に変わる。

「3年前の春、プロトタイプが完成。それがイザナミよ」




―ウェットロイド誕生—


 その年の4月、奈美は、太国、筑紫野、須佐、伊勢山の前でイザナミを披露した。

 太国達は、この成果に喜びよりも脅威を感じることとなった。


 太国が歓声をあげる。

「いやぁ、ぶったまげたなぁ。あまりにも自然過ぎる。ノリと勢いで作っちまったはいいけど。こりゃ、ヤバすぎないか? ――下世話なこと聞くけど、イザナミちゃんのバストは白石ちゃんのコピーじゃないの?」

 奈美はシラっとした調子で笑顔で答える。

「すみません。DNAは私のですけど、顔のつくりとかは、とある女優さんをモチーフにしました。バストはテキトーです。私のまんまコピーしたら大き過ぎるので控えました」


 イザナミが不安げに聞いてくる。

「あのぉ、お気に召しませんでしたでしょうか?」

「そんなことない!」

 男性陣は首を左右にブンブン振って否定した。


 奈美達の感じた脅威は、ウェットロイドが悪用されることだった。こんなスパイがいたら、機密情報が簡単に盗まれてしまう。また、技術的には、特定の人物になりすますことも可能と思われた。特に奈美には、華連共産党という存在の恐ろしさが身に染みていたので、華東※1で研究を続けることに不安があった。

 華東に残ったままでは、華連共産党に侵食されるリスクから完全には逃れられない。奈美達は、日本支社を作ってウェットロイドの研究拠点を移すことにした。

 奈美には、これが非常に危険な技術という自覚があった。そこで、NSAに保護を求めたのだった。


   *   *   *   * 


 英彦には、華連共産党の脅威について実感が湧かなかった。

「華連共産党というのは、それ程までに脅威なんですか?」

「最初はお金を使って技術者を集めるのだけど、お金で靡かないとなると、家族を脅かしたりするらしいわ」

 奈美は他人事のように語る。

「しかし、普通NSAに知り合いなんか居ないでしょ。警察に言って取り次いでもらえるものでも無さそうだし」

「たまたま、ね」

 と、奈美は素知らぬふりで英彦に笑顔を向けたのだった。



   *   *   *   *



 現在のサポロイド日本支社の場所に仮設オフィスが設けられたのは、今から3年前の5月のことである。ここがソフトロイドを華東※1から輸入し、日本で販売するための活動拠点となった。

 これと同時期に、新たな製造拠点として、南都※1に工場が作られた。太国は北都※1本社を筑紫野に任せ、自らは南都の工場に移る。


 日本に戻った奈美は伊崎を頼った。

 奈美と伊崎はもともと結婚していたのだが、ある事件がもとで別れていた。その事件で、ふたりはNSAの世話になっていたのである。奈美は、伊崎を通してNSA鷹羽と連絡を取った。


 5月の中旬、奈美はイザナミを連れて、伊崎、NSA鷹羽、橿原と関内のPPP(スリ―ピー)ホテルのレストランの個室で会った。

 奈美は、イザナミを、うちのスタッフのイザナミです、と紹介した。

「ご無沙汰しております。その節は大変お世話になりました」

 奈美は深々と頭を下げる。

「とんでもない。こちらこそ力及ばず、申し訳ありませんでした。日本に戻られていたんですね。お嬢さんのことは伊崎さんに伺いました。何と言っていいか言葉になりません」

「鷹羽さん、お気遣いありがとうございます。ですが、その件はどうぞお気になさらないで下さい」

 奈美は縮こまる鷹羽に手を振って笑顔を向けた。


「ところで、白石さん。今回は国家安全保障に関わる重要な相談があるとか」

「はい」

 すっと姿勢を正した奈美は、鷹羽、橿原を見ながら続ける。

「私は1年程前から華東のサポロイド社でアンドロイドの研究をしているのですが、この度、極めて特殊なアンドロイドの開発に成功したのです」

「それが我が国の国家安全保障に関わると?」

 奈美は強く頷いた。


「このアンドロイドは、あまりにも特殊なため、軍事的な脅威だけでなく諜報活動などにおける安全保障上のリスクを孕んでいると考えています。そのため、その研究活動をNSAの保護監視下に置く必要があると思うのです」

 鷹羽は、橿原と怪訝な顔を見合わせる。

「その特殊なアンドロイドとはどのようなものなのですか?」


 奈美は静かに答える。

「ひと言で言えば軍事転用が可能なアンドロイドです。現在、サポロイド社で取り扱っているアンドロイドは一般事務やレストランの給仕程度のことは出来ますが、出力が低いため兵士としての運用には向きません」

 ですが、と奈美は次第に眼力を強める。

「今回開発した新型のアンドロイドは、それが可能です。人間に代わって戦地に赴くことが出来ます。人間と同じように戦闘機や戦車に乗り、戦艦や潜水艦を操ることが出来ます。スキルも知識も電子的にコピー出来るので、非常に練度の高い軍が作れます。国民の命を危険に晒すことなく、です」


 そして、奈美は、ひと呼吸置いて鷹羽と橿原の2人を見て言った。

「特に特殊なのは、脳以外の殆どが人間だということです」

 鷹羽と橿原に驚愕が走る。伊崎も息を呑んで様子を見ている。――その場の暗い沈黙を破るかのように、ふっと笑みを浮かべて、イザナミが立ち上がった。


「コーヒーのお替りはいかがですか?」

 すすっと鷹羽、橿原のカップにコーヒーを注ぐ。

「す、すいません」

 恐縮する橿原。

「しかし、そんなアンドロイドが存在するのですか?」

 鷹羽は、とても信じられないという顔で奈美を見る。

「あら、おふたりとも今ご覧になっているではありませんか。ふふっ」

 そう言って口元を押さえ、柔らかく微笑みながら席に戻るイザナミ。

「え?」

 驚いた顔の鷹羽と橿原が、イザナミを見る。

「ただいまの反応、しかと見届けましたわよ。うふふ」

 イザナミは悪戯な笑みを浮かべた。


 数秒後、鷹羽と橿原のスマホに反応があり、2人は目を見合わせながら、ちょっとすいません、と手を挙げる。

 奈美は、どうぞとジェスチャーで応えた。


 『あら、おふたりとも今ご覧になっているではありませんか。ふふっ』


 送られてきた動画には、口をぽかーんと開けて呆けた顔の鷹羽と橿原が映されていた。

「ごめんなさいね。うちのスタッフにおふたりのアドレスを教えちゃいました」

 奈美が微笑む。

「実は、彼女は先程の話にあった特殊なアンドロイドのプロトタイプなんです。我が社ではこの存在をウェットロイドと呼んでいます。頭脳以外の殆どが人間の細胞を使って作られたアンドロイドです」


 鷹羽と橿原だけでなく、伊崎までイザナミから目を離せない。

「ウェットロイドは、映像や音声を見たまま聞いたまま記録し、手も口も動かすことなく通信が出来ます。今、正におふたりがご覧になったように、ごく普通に、そして自然に、映像と音声を記録し、好きなところに送信出来るのです。カメラや録音機を持っていなくても、彼女達の目がカメラであり、耳がマイクであり、彼女達自身が通信機なのです」


 男達3人に、事の重大さが浸みこんでいくのがわかる。

「彼女は私のDNAから作りました。血液型も同じです。指紋も複製出来ます。このような存在が、諜報活動においてどれ程の力を発揮するか。先ほど、軍事転用可能と申しましたが、むしろ脅威なのは諜報活動での運用です」


「――ハニートラップ」

 橿原がイザナミを見つめたまま呟く。

 奈美は頷き、推し量るような目で男性陣を見回す。

「彼女にはプログラムしていませんけど、女の武器も、ハード、ソフト両面で強化することが出来ます。顔もスタイルも思いのままです。殿方には逆らい難い影響力を持つのではないかしら?」

 沈黙する2人、いや3人。――伊崎は奈美の視線から目を逸らした。


「ウェットロイドの、諜報活動における戦略的重要性はご理解頂けましたか?」

 深く頷く鷹羽。橿原は眉を寄せた顔を上げて奈美に問い返す。

「そんな危険なものなら、作らないという選択肢は無いのですか?」

 そこへ、伊崎が苦々しそうに顔を歪めて口を挟む。

「核兵器と言う技術は、結果的に世界中に広がった。ここで我々がウェットロイドの技術から手を引いたからといって、今後世の中に生まれないという保証は無い」


 奈美は伊崎の言葉を深堀りしていく。

「米国や華連を含め、この技術を独自に開発するポテンシャルを持っている国は多いと私は思っています。そして、もし開発に成功すれば、その力を使わない筈がありません。日本も同様の力を保持していなければ安全保障が成り立たない。つまり、この研究をここで捨てるのでは無く、むしろ世界に先んずべきだと考えています」


 橿原が得心の表情を浮かべるのを見て奈美は言葉を続ける。

「さりとて、サポロイド社はいち企業に過ぎず、ウェットロイドの存在、および技術を他国の干渉や圧力から独力で守ることは困難です。ついては、日本支社の活動をNSAの保護下に置いて頂けないでしょうか」

 鷹羽は、またとんでもない問題ですね、と難しい顔で奈美を見る。


「守らねばならないことはわかりましたが、どう守れるかは、予算と人員次第です。持ち帰って検討させて下さい」

「よろしくお願い致します」

 そう言って頭を下げる奈美に合わせてイザナミも深く頭を下げた。




※1 本作では、一部、国名を変えています。周辺国の地図はこちら↓

https://kakuyomu.jp/my/news/16818023212437545534



※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。


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