第23話 失脚

―失脚—


 ハニーロイドカフェの3階、紅鈴、陳、楊、須佐型ウェットロイドが、コクーンに浸かっているもう1人の楊を見ながら、姫乃からの電話を受けていた。


『で、結局、尾けている連中は居たの?』

 電話口の姫乃は不機嫌だ。


「尾けているかどうかは断定出来ませんでしたが、撒くことは撒けた筈です。楊に後ろを見張らせていましたが、足柄サービスエリア以降、それまで後ろに付いていた車と同じ車はありませんでした」

『そう、とりあえずは良かったわ。でも、なんか気になるのよね』


「そうですね。先日、黄鉄のAIがサポロイドに渡るのは時間の問題と申し上げましたが、思ったよりも早いかもしれません」

『どういうこと?』


「新型を襲撃した時の邪魔者達ですが、NSA、国家安全保障局の人間という可能性があるのです」

『NSAって、私達が一番警戒しなければならない連中じゃない』


「はい。経緯は不明ですが、サポロイド社、と言うよりは、ウェットロイド技術がNSAの監視下、あるいは保護下にあったとすると、あの時タイミング良く邪魔が入ったことの理由が説明出来ます」

『なんてこと!』


「NSAがウェットロイドの存在を知らないうちは、警察が確保した黄鉄のボディもAIも持て余していたことでしょう。しかし、既に知っていたとしたら迅速に動くに違いありませんから」

『あたし達を捕まえに来るってこと?』

「それは考え難いと思います。NSAがウェットロイド技術を保護しているのだとすれば、今回の名古屋の襲撃にしても、表沙汰にしたくはないでしょう。ですが、今後、私達が彼らの監視下に置かれる可能性は極めて高いと思います」


 ここで陳が口を開く。

「NSAに目を付けられたとなれば、宣伝部としては、安白姫の活動にこれ以上関与出来ないと考える。パープルロイドによる支援もここまでと思った方がいい。私も虹港に戻るよ」

 電話の向こうの姫乃の語気が強くなる。

『陳先生、それはトカゲの尻尾切りということですか?』

「我々の組織とはそういうものだろう? むしろ命があるだけ幸運というものだ。無論、今後我々に仇なすとなれば始末することになると思うがね」


 陳橙紀は、そう言うと部屋を出ていった。


   *   *   *


 蒔田公園付近のマンション。姫乃達の隠れ家だ。ベッドに座る姫乃と紅鈴が居た。


 姫乃は、泣かない子、笑わない子だった。

 ほぼ全ての感情が怒りになって現れるような性格に見えたが、その時だけは、紅鈴の膝の上で泣いていた。


 姫乃のショートカットの髪を優しく撫でる紅鈴。

「楊の件は、姫様に直接的な責任はありません。結果の責任があっただけです。つまり、運が悪かった。姫様だけでなく、私も一緒にその責任を負いますから」


「紅鈴。――元はと言えば、あたしがウェットロイドのことをよく知らなかったから、こんなことになったんだと思うの」

「姫様、それは考え過ぎです。私が至らなかっただけです」

「うぅうん。紅鈴はよくやってくれていたわ。ハニーロイドが順調に成長してたから、調子に乗ってたのはあたし。勢いだけで宣伝部や党本部に影響力を持ってるって勘違いしてた。だから、陳先生が出て行くなんて思ってもいなかった……」


「姫様は、宣伝部や党本部に影響力を持ちたかったのですか?」

「うん。あの国を内側から変えたいって思ってるから。でも、やってみて限界も見えた気がするの。ハニーロイドが今の10倍になったところで、虹港海光集団とかの重工系のビジネスに比べたらゴミみたいなものだもの。でも、虹港のお姉様のウェットロイドのビジネスは、もしかしたらそれを超えられるかもしれない。軍に数十万でも売れるのなら、相当なものよね」

「はい。そうかもしれませんね」


「それでちょっと思ったの。虹港のお姉様のパープルロイドに取り入って、影響力を持つって方向もあるんじゃないかって」

「そうですね。しかし、パープルロイドに取り入る隙があるのでしょうか」

「わからない。とにかく調べてみないと始まらないことは確かよね」

「そうですね」


 何かやることいっぱいね、と姫乃は溜息を吐きながら横目で紅鈴を見上げる。


「――考えてみれば、紅鈴には、いろんなことさせちゃったよね。汚い仕事をたくさん」

「私は姫様の道具ですから。叔父様達の下の世話も、いい経験だったと思ってます」

「あたしね。収容所にいた時、レイプされてたの。何度も何度も。若い女は大抵そんなだった。――気持ち悪かったけど、反応するのがもっと気持ち悪くて、ずっと黙ってた。そしたら面白く無いって評判が広がって、誰も相手にしてくれなくなっちゃった……」


「はい」

「だからね、あたしはハニートラップには向いてなくて、紅鈴にばかり任せちゃった」

「はい」

 姫乃はふふっと自嘲気味な笑いを浮かべて言葉を続けた。


「――初めてはね。王黒石って男だったんだけど、その時もあたしがずっと黙ってたから、面白く無かったみたい。……捨てられて、売られて、捕まっちゃった。日本から連れて来られた時も、泣きもしないし、喚きもしない。そんな子だったからね。お母さんがすごく優しかったのは頭ではわかってた。……でも、笑えなかった。あたしの顔面神経、ちょっと壊れてるのかも」

「姫様の笑顔、素敵だと思います。あまり見れないですけど。私はもっと見たいです」

「ありがと。紅鈴」

 ふふっ、と微かに乾いた笑みを浮かべる姫乃。


「――運命って何なんだろうね。捨てたと思っていた家族なのに。アンドロイドに関わって、お母さんとお父さんとの距離がこんなに縮まることになるなんて。でも、あたしはすっかり汚れてしまった。もう、お母さんにもお父さんにも愛してもらう資格なんて無いと思うの」

「私には、人間の感情は理解出来ませんが、私の知る限り、世の中に汚れないものはありません。汚れることは仕方のないことです。それに、人間の細胞は3年もすると全部生まれ替わると言いますから、汚れていてもそのうち綺麗になります」

「なんか、妙に説得力があるところが悔しいわ。あははは」

 そう言って、とんとんと紅鈴の膝を軽く叩きながら太腿に顔を押し付ける姫乃。


「――あたし、お母さんとお父さんにしっかり向き合わなきゃね。今頃きっと嘘がバレてるだろうし、このマンションにも監視が付いてるかもね」

「そうですね。――何処かに移りますか?」

「今更移っても同じことよ。むしろ堂々としてやろうじゃない」


 姫乃はゆっくり起き上がり、もう大丈夫、と紅鈴の両腕を軽く叩く。そして、ひと息吐いて顔を上げると、紅鈴を笑顔で見詰めて、こう宣言した。

「虹港のお姉様に取り入る隙があるのか。日本のお父さんとお母さんが、何を考えているのか、何をしようとしているのか、腰を据えて調べて行こう」

「はい」






※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

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