第02話 ヒコボシ
―ヒコボシ―
翌日、11時50分頃、英彦のスマホにヒメノから着信があった。
「はい、こんにちは。今どちらですか?」
今行きます、と立ち上がった英彦は研究室の入口へ向かう。
ざわつく、という程ではないにしろ、心なしか空気が変わる伊崎研究室。
いつもは食事に出ている筈の時間なのだが、なぜか、スタッフの女性陣は皆、研究室に残っていた。
居心地の悪さに眉を寄せながらも、英彦はセキュリティにIDをかざす。
扉を開けると、昨日のスーツ姿とは打って変わって、花柄のワンピースに薄手のジャケットを羽織ったヒメノが立っていた。
「こんにちは。今日からよろしくお願いします」
「あ、どうも。――こちらです」
ちょっと研究室のみなさんに紹介します、と英彦はパンパンと手を叩いて声を張る。
「みなさん。お忙しいところすいません。今日から暫く、僕の研究を見学することになったサポロイド社の白石さんです」
「初めまして、サポロイドの白石ヒメノです。暫くの間ですが、よろしくお願いします」
ペコリとお辞儀をするヒメノに、ぱらぱらっと拍手が沸いたところで紹介は終了。
女性陣の視線が絡みつく中、ヒメノをエスコートする英彦。
「みなさん、お忙しそうですね」
「ちょうどツアーの準備があって」
「ああ、昨日おっしゃってた沖ノ鳥島の調査ですね?」
「はい。再来月に迫っているもんですから」
さ、こちらです、と英彦はヒメノを奥のコントロールルームに通す。
「ここはコントロールルームです。うちの研究室には3つのAIがあって、オリヒメ、ヒコボシ、タナバタと言います」
これがオリヒメ、と英彦は指差しながら、AIの紹介を始める。
「海底資源の予測AIです。AIと言ってもエキスパートシステムと呼ばれる古い型のものですが。それから、オリヒメネットって言う通信網の管理もこの端末で行います」
そして、その隣の端末を指して続ける。
「それから、こっちがタナバタ。水中ドローン用のAIです。この端末は、水深や海流などのシミュレーターも管理していて、最大12機の水中ドローンの連携を確認出来ます」
「ドローンって、ラジコンみたいな機械ですか?」
「水中では電波が使えないので、超音波で通信するんです。通信の情報量も限られるので、リアルタイムに画像や音声をやりとりして操縦するようなドローンじゃなくて、自分で動ける自律型AIを持った賢いドローンが必要になります。超音波で指示を出すんですが、操縦、と言うよりは、これをやれ、とか、待てとかのコマンドですね」
「――なるほど。うちのアンドロイドには、そういう自律性が無いので、ベースサーバ―って言うサーバーが具体的な指示を出しているのですが、自律性を持てるようになったら、それも必要無くなるかもですね」
「自律性って難しいですよね。予め答えを持っていたとしても、状況が変わると答えが変わることもある。全てのケースがわかっていれば対応可能ですが、全てのケースがわかるっていうのは閉じた世界で無ければあり得ませんから」
「そうですね。開いた世界では、常に状況を確認してその場で対応を考える必要がありますものね」
「そう、必ずしも経験則に捉われず、その場その場で生き残るための法則を見い出してきたのは、人間の本能や感情では無いか? と僕は考えています。そこで、自律性と感情の関係を確認する狙いで開発したのが、このヒコボシです」
モニターディスプレイの手前に、ロボットアームに顔が付いたような風体の機材が置かれている。
「この赤い装置は、3Dカメラとステレオスピーカー、ステレオマイクを搭載したヒコボシの端末です。ヒコボシは、映像や音声から特徴を抽出して抽象化する、メタ化エンジンを搭載しています。音声も一度波形情報として画像化された後、ラスター/ベクター変換と言う手続きで抽象化されます」
「ラスター/ベクター変換?」
小首を傾げるヒメノの仕草が、なんと様になることか。
「ラスター/ベクター変換と言うのは、格子状の点の集まりで表現されるラスター形式の画像データを、たくさんの小さな線の集まりで表現されるベクター形式の数値データに変換するものです。ベクター化したデータを、さらに間引いてメタ化して、という作業を幾重にも行うと、データが抽象化されます。1階や2階では別物に見えたものが、3階では同種のものとなったりもします」
例えば、と画面を操作する英彦。
「左は動物の猫、右は招き猫の写真です。抽象化の階層を上げていくと、――ほら、どちらも猫として認識されるというわけです」
ふむふむ、と頷くヒメノ。
「ヒコボシは、予め百科事典のような辞書の情報を持っているのですが、色んな動物とか建物とかの画像を食わせて、名前を教え、分類や関係性を教える形でAIを教化しました。犬は動物、猫も動物、だけど犬と猫は違う。犬には大きな犬、小さな犬がいる、と話すと、映像や音声を分類し関連付けてくれます。主に日常目にするものを覚えさせました」
「ということは、画像や音声から、主に一般名詞とか形容詞とか、辞書に載っているものを認識出来るということですか?」
顎に指を当て、ヒメノが切れ味の良い質問を放つ。
「その通りです。鋭いですね。新たな画像や音声を与えると、瞬時にメタ化して、既存の辞書の知識と比較して再分類する機能を持っています」
「多階層フィードバックの論文は幾つか目にしたことがあります」
「そうです。メタ化した情報は多階層フィードバックを使って整理されます」
ヒメノの反応に、AI担当と言うのは伊達じゃないなと嬉しくなる英彦。
研究者としての親近感の高まりも相まって、語る声にも力が入る。
「動画は、1秒間の映像を64枚の静止画像にスライスしてメタ化します。同時に時間軸に沿った関係性もメタ化されます」
「その場合、因果関係と相関関係を区別して理解するのですか?」
「全てというわけにはいきませんが理解出来ます。日常生活で目にするような物理法則、例えば重力、摩擦力、作用反作用の法則とか、可燃物は火を付けたら燃えるとか、これらも辞書にある自動詞、他動詞、副詞を含めて因果関係として理解しています」
「その教化は香春さんが行ったのですか?」
「はい。映像を見せながら既知の法則と紐付けたり、無かったら法則を追加したりです」
「それはとても時間がかかる作業ですね」
結構手間取りました、と英彦は苦笑いする。
「――あの、すみません」
「は、はい」
「お話の途中すみません。私ちょっと目薬注していいですか?」
「もちろんです。どうぞ」
「私、凄く目が乾き易くて。――直ぐ終わりますから」
そう言って、ヒメノはくるりと背を向けて、目薬を注すと、首を回して馴染ませた。
さて再開、と思った矢先、コントロールルームの扉が開いた。
タナバタ担当の九条かおりと
九条女史は姉御肌の研究員で、四方ちゃんは、九条女史を師と仰ぐ学生アルバイトだ。
「香春君、女の子泣かせてるぅ」
と、九条女史。
「もう、香春さん、話が小難しいから」
と、追い打ちを掛けてくる四方ちゃん。
「いやいや、誤解ですって」
両手と首を振って否定する英彦を完全にスルーして、ヒメノに手を合わせる九条女史。
「ごめんなさいね、白石さん。ちょっと急な作業があるからお邪魔するね」
「そんなとんでもない。お忙しいところにお邪魔しているのは私の方ですし」
「いやぁ、出来た人だわ。――アッコちゃん、私シミュレーターやるから、タナバタの準備お願い」
「了解です。師匠」
ヒメノに2人を簡単に紹介する英彦。
「これから、何をするのですか?」
興味深々という顔のヒメノ。
「タナバタの充電オペレーションのプログラムを確認するの」
「タナバタと言うと、自律型水中ドローンですね?」
そうよ、と頷いて、九条女史は、シミュレーターを立ち上げながら解説を続ける。
「タナバタは全部で12機あってね、10機運用中は2機が充電。基本的には3時間毎に入れ替えるのだけど、バッテリーの消費量はタナバタの個体毎にそれぞれ違うから、その都度状況を確認して、入れ替われるようプログラムされているの。何処で充電するかと言うと、サキモリと言う海底ポッド。――サキモリには足が4本あって、最大4機がドッキング出来るのだけど、通常は2機ずつ入れ替えるの。その入れ替えプログラムをこれから確認するわけ」
「面白そうですね。横で見ていてもよろしいですか?」
しっかりヒメノが食い付く。
「あら、もしかしてヒコボシ、と言うより香春君に退屈してた? ――構わないわよぉ」
微笑みながら、英彦を横目で見ていじる九条女史。英彦はヒメノと九条に了解の頷きを返す。
「さて、と準備完了。シミュレーターのディスプレイをご覧あれ」
九条女史のレクチャーが始まる。
「初期状態は、10機のタナバタがバラバラに点在している状況。バッテリーの状態もそれぞれ異なるの」
「それでは、入替確認を入れまーす」
と、四方ちゃんがコマンドを投入。
「3時間に1回、各タナバタはタイマーでバッテリー残量を確認するのだけど、今回はテストだからコンソールからコマンドを入れたわけ」
シミュレーターのディスプレイにはタナバタとサキモリが映っている。
タナバタ達が次々とバッテリー確認モードに入る様子が表示される。各タナバタは自身の残量を周囲に通知し合い、残量が少ないタナバタ2機が、入替要求の信号を発信。受信したタナバタは、入替OKの信号を周囲に返す。
全体に信号が行き渡ると、サキモリから2機のタナバタが分離。1番目に残量が少ないタナバタと2番目に少ないタナバタがサキモリに動き出す。満タンのタナバタ2機は、戻る2機と入れ替わりのポジションに向かう。戻った2機はサキモリにドッキングする。
じっと見守っていたヒメノが九条女史に問い掛ける。
「残量が少ないタナバタが3機以上あった場合はどうなるのですか?」
「基本的には余裕のある1機には次の機会を待ってもらう。充電には3時間必要だから、10機全部が入れ替わるのに15時間。一番待つ場合は、12時間待つことになるわね。バッテリー容量は安全係数を取っていて、最大20時間分。非常事態には、4つのドッキングポートをフルに使ったり、10機運用を8機に縮退して運用することもプログラムされているのよ」
「うわぁ。凄いですね」
九条女史は、ニコッと口元を緩めると、パンと手を叩き、レクチャーを締め括る。
「さて、レクチャーは以上。うちのヒコボシ担当がムスっとしているので、そろそろ相手をして差しあげて」
「ありがとうございました。九条さん」
ペコリとお辞儀をするヒメノ。九条女史は微笑みで応えて、続きの作業に向かう。
狭いコントロールルームに4人も詰めていると、やや息苦しい。今日のところは手早く済ませるか、と英彦は開き直り、やや大袈裟に咳払いをする。
「ヒコボシでは、自律性のもとになる究極の動機を生存欲求として定義しています。それに組織貢献や社会貢献を紐付けて、感情の働きとの因果関係を持たせることで、自律性を構成しています」
「感情の働きをAIが認識出来るのですか?」
「はい。感情表現という形で認識します。人間の体を持ったAIがあれば、脈拍や血液中の情報伝達物質や、本能や感情の働きを表す物質がエンジンになり得ますが、機械に過ぎないAIにはそれが出来ません」
ヒメノが軽く頷くのを見て、そこで、と英彦は続ける。
「ヒコボシは、世の中の事象と人間の感情表現の因果関係をもとに、感情の働きをエミュレーションするように設計しました」
「感情ではなくて、感情表現なのですか?」
そこがツボですね、という顔のヒメノ。
「はい。100人のモニターの方々に、幾つかの映像を見せて、喜怒哀楽に関わるエピソードを話してもらう様子を記録するんです。それをヒコボシに見せて、感情表現とその原因となった映像や音声との因果関係を紐付けます」
「しかし、それでは、映像と映像を紐付けするだけに過ぎないのでは?」
ヒメノの言う通りである。
「はい。喜怒哀楽の区別は僕が行いました。人間の場合は本能で区別出来るものなんでしょうけど」
英彦はヒコボシを見やりながら続ける。
「喜怒哀楽のパラメーターは、生存欲求を代替する意味合いで持たせました。喜びや楽しみに働くとプラス。怒りや哀しみに働くとマイナス」
「感情のエミュレーションとは面白いですね。中身はわからないけれど、インプットとアウトプットは観察出来るから、感情表現のきっかけを認識し、結果を模倣出来れば、感情の働きを代替することが出来るということですね」
自分の言葉で置き換えるヒメノのセンスは英彦にとって衝撃的だ。
「香春君、白石さんの説明の方がわかり易いわよ」
案の定、九条女史が突っ込みを入れてくる。
眉をしかめ、わかってます、という目で九条女史を一瞥して、英彦は説明を続ける。
「それに加えて、ヒコボシには知識欲パラメーターを持たせています。入手した情報、生成されたメタ化情報にこのパラメーターが付与されます」
「それはどのようなものなのですか?」
「知識欲パラメーターは既存知識に無い情報や、既存の因果関係と異なる反応があった時にプラスになります。つまり、新たな情報の限界効用を測るパラメーターです。限界効用が高い=生存欲求への貢献が高い、と言う仮説のもとにデザインしています」
「それはただ見ているだけの因果関係ですか? それとも自身が因果関係に関与することも含むのですか?」
英彦は、またしてもヒメノの質問力に驚かされる。
「因果関係には自身の関与も含まれます。自身の関与の結果、因果関係のメタ情報と照らして、予測と異なる結果を認識した時、再評価の多階層フィードバックが働き、知識欲パラメーターがプラスになり、限界効用が高まるというわけです」
例えばこういうことですか? とヒメノが突っ込む。
「例えば、99回うまくいっていた手順が、100回目で失敗した時、その原因がわかるまで、その手順の信頼度は洗い直されて低下するけれど、原因を追究しようとする知識欲が高まるから、自律性が生まれる。ということでしょうか?」
――その通りです、
と答えようと口を開けた時、
英彦の腹が派手に鳴った。
ぷっ、と九条女史と四方ちゃんがふたりして吹き出す姿に英彦の顔が赤らむ。
「――あら、香春さん、お昼は未だだったのですか?」
「はい。ヒコボシをやる時は、大体終わった後、自席でパクついているので」
「そうですか。そんなこととはつゆ知らず、私は軽く済ませてきてしまいました。明日はお腹を空かしてから来ますから、よろしければお昼ご一緒しませんか?」
と、罪作りな微笑を向けるヒメノ。
「あ、それ私達も賛成!」
英彦そっちのけで九条女史と四方ちゃんが手を挙げた。ヒメノは九条女史達に笑顔で頷きを返しながら、英彦に向き直る。
「――ところで香春さん、今日これからお時間ありますか?」
「お昼は明日では?」
「もし、ご都合がよろしければ、うちの支社長にご紹介したいなと思いまして」
「サポロイド日本支社の支社長さんですか?」
「はい」
どうやら、主導権は既にヒメノに奪われているようだ。
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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