第15話 南海の星空
―南海の星空—
日が傾き夕闇を待つ『ふかみ丸』の甲板上は、バーベキュー場になっていた。テーブルの片隅にノートパソコンが置かれ、伊崎研究室とサポロイド日本支社のリビングが映っている。
伊崎が缶ビールを掲げながら、乾杯の挨拶。
「えー、この半年間のみなさんの努力のお蔭で、沖ノ鳥島ツアーは無事成功を収めることが出来ました。研究室のみなさん、本当にありがとう。『ふかみ丸』の七瀬さん、九条さん、二階堂さん、ありがとう。お疲れ様でした。それからサポロイド社の香春君、ヒメノちゃん、そしてカメラの向こうの白石さん、ご協力ありがとうございました。行きも帰りも、海原ばかりの退屈な行程ですが、今宵くらいはゆっくり食べて飲んで体を休めて下さい。――それでは、乾杯!」
かんぱーい。と船上で声が上がり、パソコン上でも研究室で缶ビールを開けるメンバー達の姿が映る。サポロイド日本支社のリビングでは、奈美とイザナミとキヌヨがシャンパンを開けているのが見える。
英彦とヒメノは連れ立って、サポートしてくれた七瀬、九条、二階堂に挨拶に行く。
フカミンの操船や管理は九条と二階堂に、マニピュレーター技術は、七瀬の指導に負うところが大きかった。
「おいおい、ふたり揃って挨拶に来るなんて、まるで結婚式の披露宴だな」
「九条さん、勘弁して下さい。ほんと似た者夫婦だなぁ」
相変わらずの九条の冗談に英彦が笑う。
「しかし、順調にここまで来れて、本当に良かったですよね」
焼き場を仕切る伊崎を遠目に見ながら、英彦は、しみじみと九条に感想を漏らす。
「まぁ、うちらの女房達のシナリオが良かったからな。船を止める位置から、サキモリを落とす位置まで、段取りだけでほぼ9割以上出来上がってたよ。そうは言っても、役者の君達が大根だったらこうは行かなかったけどな。ははは」
赤ら顔の九条は、でかしたでかした、と英彦の背を叩く。
「いやあ、ほんとに勉強になりました。フカミン自体をAI化したらもっと、いろいろ出来るかもですね」
「自律性を持たせてサキモリやタナバタと連携させるのですね」
ヒメノが英彦の話に乗ってくる。
「なるほど、それはありだな」
七瀬も鼓を打って頷いた。
フカミンは三崎造船、タナバタとタサキモリは石立重工というのが、これまでの役割分担だったが、共同でフカミンをAI化すれば、人が乗らない分、小型化出来るうえ、現在の水深3千メートルよりも深い、7千メートルでの作業も可能になるだろう。
「おーい、せっかく焼いてんだから、とっとと取りに来てくんねえかなぁ」
焼き場から伊崎が声を上げる。
すみませーん、と先立って駆け寄っていくヒメノ。
「うちの嫁が言ってたけど、ホントいい娘だなあ。ヒメノちゃん」
七瀬が呟く。
「うちのも言ってた。香春君は幸せもんだなあ。ははは」
またもや九条が英彦の背中を叩く展開。
「ヒメノちゃん、与那国島にも来てくれると嬉しいですよね」
ふと二階堂が呟く。
「え?」
初耳の顔の英彦。
「あれ、聞いてません? 半年後は与那国島ですよ」
二階堂はサラっと返した。
「――おーし、そろそろお開きとするか」
本格的に日が沈んで、闇が深まる頃、伊崎の宣言でバーベキューはお開きとなった。オンライン参加組も適宜解散しており、ノートパソコンの画面は完全に消えていた。
テーブルの食器や焼き場の器具を皆が各々片付け始める。
「じゃ、明日も早いから、みなさん休んで下さい。お疲れ様でした」
伊崎の声掛けで各自船室に戻る。小さいながらも1人1室2畳程の小部屋である。
英彦は、初めて見る南海の星空に目を奪われ、部屋に戻るのも忘れてデッキに残り、ひとり夜空を見上げていた。
天の川が昇って来るのは、まだ数時間先だろう、という時刻である。幸い雲ひとつ無い満天の星空。
――今ここに降り注いでいる光は、
近いものでは数分前、遠いものでは
何万年も昔の光だ。
「無限に近い時間が、今この一瞬に降ってくる。もし、光に思いを乗せられるなら、夜空を見上げるだけで、昔の人々の思いを引き継げるのにな」
英彦は、『知恵の泉のイビト』の逸話を思い出す。人形は、人間の思いを、命を後の時代に引き継いでいた。
「アンドロイドも、人間の思いを引き継いでくれるのかな?」
「私はそうありたいと思っています」
英彦の独り言に、後ろから答えが返ってきた。振り返ると、微笑みを浮かべたヒメノが立っていた。
「ヒメノちゃん。――いつから?」
「さあ。教授から様子を見て来てって言われて来てみたら、ヒコくんが独り言を呟いているところでした」
ふふっと微笑んで英彦の隣で同じように手すりに持たれるヒメノ。
「すごく綺麗ですね。満天の星空を見るのは初めてです」
「僕も、こんなに星がある夜空は初めてだ。心が洗われるってこんな感じなんだな」
「私は、心が洗われてしまったら、きっと何も無くなってしまいますね」
「え?」
「人工的な感情は、作り物の感情。私にあるのは感情のエミュレーターに過ぎなくて、感情そのものじゃありませんから」
「ちょ、ちょっとヒメノちゃん?」
特に悲しい顔をするでもなく、そこにある事実を観測するかのようにヒメノが続ける。
「思いそのもの、感情そのものは理解出来なくても、エミュレーションで誤魔化して、それで人から人に引き継いで、それだけで本当に思いや感情が伝わっていくものなのでしょうか?」
ヒメノの静かな横顔は、かえって心の奥の虚ろさを際立たせるかのようだ。
「イビトのように、伝えるものが技術だったなら、伝わったことが確認出来ます。イビトのように子を残すことが出来るのなら、命を引き継いだことが確認出来ます。ただの感情のエミュレーターでしかない私は、何をどうやって確認出来るのでしょうか?」
「そんな自分を卑下した言い方はやめてくれ。例え感情のエミュレーターの働きに過ぎなくても、人の心を動かす力があって、周りの人々を幸せにする力があるって、僕は思う。それは、映画とかドラマも一緒だろう? 俳優さん達は作品の中で演技をしているだけだけど、それを見る僕たちは、そこに人間が生きていると感じる。僕らに感動を与えてくれて、時には生き方を教えてくれるじゃないか」
「俳優さん達は、映画やドラマに魂を吹き込めるのかもしれませんが、私には魂がありませんから、同じようには語れないと思います」
「俳優さんたちが吹き込んでいるのは魂の欠片だと僕は思う。人がその身に宿せるのは、魂の欠片に過ぎなくて、僕らはその魂の欠片に魂を感じるんだと思う。AIにだって魂の欠片は宿せるよ。なぜなら、魂の欠片の本質は、感情表現だと僕は思うから。そして誰かの考え方や生き方に影響を与え、その人の人生の一部になって引き継がれていく。それが魂と呼ばれるものの本質なんじゃないのかな」
「私の感情表現が、ヒコくんに影響を与えていると言うのですか?」
「もちろんだ。君の感情表現をもっと見たいと思うし、君といろんなことを共有したいと思う。君は、もうとっくに僕の人生の一部なんだ!」
「それは、単なるファン心理と変わりがないと思いますが?」
「ファン心理なんかとは欲求の次元が違う!」
「なるほど、ということは種の保存欲求からの発言だ、とでも?」
ヒメノは、ほんの少し、悪戯な表情を浮かべて英彦を見詰める。
「——そうだ。君のことが好きだ」
俯いて告白した英彦の頬に、ヒメノは手を触れてくる。
「ありがとうこざいます。――今の私には、ヒコくんのことを好きって答えられません。でも、私に理解出来るかどうかわからないけれど、私の中の種の保存欲求を育ててみたいとは思います」
そう言ってヒメノは唇を寄せる。ちょっと強いくらいに、英彦の唇にヒメノの唇が押し付けられた。ヒメノは唇を離すと、英彦に申し訳なさそうに言う。
「あのね、ヒコくん。私、こういうことはきっと下手くそだと思うんです。――ウェットロイドは、粘膜とか本来敏感な部分にセンサーがあまり無いから……」
英彦は思わぬ告白に驚きながらも笑顔を作る。
「大丈夫だよ。僕は十分感動した。暖かい気持ちを、魂を感じるよ。ありがとう、ヒメノちゃん」
ヒメノは英彦の笑顔を見て笑顔になった。
「こちらこそありがとうございます。ヒコくん」
ふたりの様子を物陰から見ていた伊崎は天を仰いで呟く。
「賭けに負けたからって、星空マッチメイクのターゲットがヒメノちゃんとは。姫乃本人じゃないにしてもDNAは俺達の娘だぞ。――男親ってのは複雑なもんだなぁ」
* * * *
翌日、『ふかみ丸』が小笠原諸島辺りを航行中、NSAから衛星通信が入った。
「こちら伊崎です」
『鷹羽です。お疲れ様です。緊急事態が発生しました。昨晩、名古屋で反社勢力同士の争いがあって、現場から身元不明の遺体が出たのですが、どうやら例の黒ずくめらしいのです。NSAで確保して、現在はサポロイド社に送るよう手配しているところです』
「またなんでそんな所で。――了解です。急いで戻ります」
※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。
また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術
は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは
ありません。
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