第25話 首相官邸

―首相官邸―


 名古屋の反社事務所襲撃事件以降、NSA内部では、末端の鷹羽達だけで無く、かなり上層部にまで、細かな具体的な内容が報告されるようになったらしい。


 6月某日、奈美とヒメノは首相官邸に呼ばれた。


 鷹羽の案内で、裏口から入り小さな会議室に通される。

「お蔭様で、と言うのかどうか。名古屋の事件を発端に、NSA上層部もウェットロイドに注目し始めました。これから、おふたりには我が国と華東の政府の要人に会っていただくことになります。しっかり協力を取り付けていきましょう」


 暫く待つと、宇佐海首相と赤村官房長官、そしてひと組の男女が入って来た。立ち上がり深く礼をする鷹羽に倣って、奈美達も立ち上がって深く頭を下げた。


「お忙しいところ、お時間を頂きありがとうございます。わたくし、日本国家安全保障局の鷹羽と申します。そして、今日お連れしたのは、サポロイド日本支社の白石奈美氏、白石ヒメノ氏です。今日は、白石ヒメノ氏を通訳に進めさせていただきます」


 再び礼をする奈美達。

「こちらは、宇佐海総理、赤村官房長官、そして華東の李栄久総統と華東NSAの林正行局長です」



 全員が席に着くと、鷹羽が李総統に向かって話し始めた。ディスプレイには華東のサポロイド社の紹介が映される。

「みなさんは、華東のサポロイド社のアンドロイドはご存じでしょうか? 華東では喫茶店等でプラスチックボディのアンドロイドが見掛けられますが、これらは同社ではハードロイドと呼ばれています」

 ヒメノがひとつひとつ華連語で通訳をしていく。


 画面がソフトロイドに切り替わる。

「そして、日本では特殊樹脂製のボディを持ったソフトロイドが広まりつつあります」

 一拍間を取って、鷹羽はさらりと本題に切り込む。

「およそ3年前、このサポロイド社で革新的発明がありました。ウェットロイド。人間のボディを持ったアンドロイドです」


 そしてヒメノの写真が映し出される。実物のヒメノにも注目が集まる。李総統と林氏の2人が、ディスプレイと本人を見比べて驚いた表情になる。


 ヒメノが席を立ち、李総統に握手を求めた。

 李総統がヒメノの手を握ると、ディスプレイがヒメノ目線の映像に切り替わり、よろしくお願いします、と機械的音声が華連語で流れた。ディスプレイに映る李総統は、目を見開いてディスプレイとヒメノを交互に見る。


 そして、ひと息深く息を吸うと、ヒメノの目を見て微笑んだ。

 宇佐海総理も驚いた表情をしている。

 ヒメノは李総統に微笑みを返すと林局長とも握手を交わし、一礼して席に戻った。


 鷹羽はヒメノに1つ頷いて話を続ける。

「最近、この技術が華連に流出している恐れがあることが判明しました。我々NSAとしては我が国および華東の安全保障上重大な技術流出事案と考えています。発覚したのは今月初。きっかけは名古屋の反社組織事務所襲撃事件です。流出したのは約2年前と思われます」


 画面が反社事務所襲撃事件に移る。

「この襲撃犯の1人が銃で撃たれて死亡しました。その遺体をNSAで確保し、検死を行ったところ、この人物がウェットロイドであることがわかりました。これがその遺体のレントゲン写真です」


 画面が、不思議なレントゲン写真を映し出す。至る所に細い線が写り込んでいる。

「ウェットロイドは、薄膜信号網と呼ばれる信号線で全身の筋肉をコントロールします。そのため、レントゲン写真には、このように細い線が写るわけです」


 画面には諜報戦におけるウェットロイドの能力が示された。

「ウェットロイドは、極めて高い処理能力を持つAIを搭載し、視覚情報、聴覚情報を記録、通信することが可能です。また、特定の人物と瓜ふたつに作ることも可能なため、政府高官や要人とすり替えるといった高度な諜報活動が可能になります」


 そして画面に太国の写真が映される。

「技術を漏洩したのはサポロイド社の社長、太国主水と目されています。先程の写真の遺体は、虹港のパープルロイド社製と考えられており、少なくとも年間数十万から数百万のウェットロイドの製造能力があると推定しています」


 ことが華東籍の企業の問題ということもあり、李総統と林局長は真剣な表情だ。

「また、ウェットロイドのボディは人間のDNAを使って作られますが、パープルロイド社では、特定のDNAから大量にウェットロイドが製造されている可能性があります。その持ち主がこちらです」


 画面に周緑山国家主席の写真が映される。

 李総統と林局長の顔色が変わる。

「特定のDNAを使用する理由としては、大量生産の効率を高められることが1つ。そして、もう1つ、すべてのウェットロイドの行動を規定する、ウェットロイドの3大原則があります。元となるDNAを持つ人間をDNAの親と呼びますが、3大原則とは、DNAの親を殺さない、殺させない、死なせない、というものです」


 鷹羽は、その顔をいっそう険しくして李総統と林局長に訴える。

「周政権が、自らの命の危険を伴うクーデターや政変を厭うならば、軍部、共産党内部、場合によっては各国の要人もウェットロイドによって、すり変えられている可能性があるのです」


 画面は、赤外線受光素子による映像に切り替わる。


「サポロイド社の技術に基づくウェットロイドは、目がカメラ、耳がマイクになっています。そのため、赤外線映像では、血の通わない目と耳が黒く映ります。この他、瞳孔反射を調べるなどの見分け方もありますが、現状では、赤外線映像がウェットロイドを見分ける有効な手段と見ています」


 ウェットロイドスクリーニングシステムの概念図が映し出される。


「国政や軍関係者をウェットロイドの赤外線映像でスクリーニングするシステムの概念図です。これは、国会の受付や軍の出入口の警備係として配置することでウェットロイドの侵入を日々監視出来ます。空港や港の税関では、赤外線スキャンを実施します。これらの結果は、監視用AIに取り込まれ、リアルタイムで判定結果を返します」


 鷹羽は、ひと息深く息を吸った後、両国の首脳に目を配りながら言った。

「日本NSAは、日本華東両国でこのスクリーニングシステムの導入を提案します」


 深々と頭を下げて鷹羽は締め括った。


 重く沈んだ空気を和らげるかのように、赤村官房長官が奈美に語り掛ける。

「前にお会いした方は上品な感じでしたけれど、ヒメノさんはとても可愛らしいのね。表情も豊かで、とてもアンドロイドには見えないわ」

「赤村さん。私も握手してもらっていいかな?」

 宇佐海首相が赤村官房長官にお伺いを立てる。

「総理。それはまた後で」


 赤村は立ち上がり掛けたヒメノを手で制して宇佐海の要望を切り捨てると、李総統に向き直り真剣な表情を向けた。

「李総統。私は、この技術は我々の安全保障上とても重要な技術だと考えています。華連に悪用されないよう、守り育てていく必要があります。こちらの知り得た情報は全て包み隠さず開示します。どうか、ご協力をお願いします」


 李総統は、林局長と小声で何やら話していたが、顔を上げると宇佐海総理に言った。

「我々も華東にとって安全保障上とても重要な案件と理解しました。是非ともご協力したいと思いますが、1つ条件があります」


 宇佐海総理と赤村官房長官が顔を見合わせて黙っていると、李総統が相好を崩した。

「華東NSAに、そちらのお嬢さんを何人かお貸し頂けないかしら。本当に可愛いらしい」



 華東NSAへのウェットロイドの貸し出しは、宇佐海総理と赤村官房長官了解のもと、サポロイド社が請け負うことで決着した。李総統と林局長は満足げな表情で、NSA職員に従い退出していった。




 華東の要人2人が出て行った後、鷹羽に呼ばれて入って来たのは伊崎だった。

 伊崎は、宇佐海総理と赤村官房長官に、音響による威嚇・攪乱システムのプランを説明し、プロトタイプの予算を得ることに成功する。あくまで海洋資源調査の名目である。

 また、最低限のウェットロイドによる監視と赤外線スキャンの配備、NSAデータセンター内へのヒコボシ設置も試験的に進めて良いことになった。

 奈美が、ウェットロイドサービス提供を無償で請け負い、NSAデータセンター内へのヒコボシ設置は、ネットとハードの環境さえ用意してもらえば、ソフトと保守は無償で提供すると伊崎が保証したからだ。




 8月、3人のヒメノ型ウェットロイドが政府専用機で華東に飛んだ。華東NSA内には、ベースサーバ―とヒコボシが置かれた。これらの設置は、ヒメノ型ウェットロイドが自ら行った。


 北都で製造することも可能だったが、漏洩リスクがあったため、日本で製造し華東へ送付することになったのだった。


 そして、9月には、日本のNSAにもイザナミ型ウエットロイドが3人加わった。

 1人は、首相官邸や議員会館の受付として政府要人や各国要人を目にするポジションに付いた。そして後の2人は、鷹羽、橿原のサポートとして動くことになる。


 また、官公庁、国会、議員会館等の主要施設、および空港や港の税関には、赤外線スキャンが設置された。


 これらウェットロイドの情報と赤外線スキャンの情報は、ヒコボシにリアルタイムで取り込まれた。






※この物語はフィクションです。登場する人物名、団体名は架空のものです。

 また、作品中に出てくるAIの構造や機能、ならびに幹細胞工学や海洋開発の技術

 は、物語の前提として考察したものであり、必ずしも科学的事実に基づくものでは

 ありません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る